表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
質屋・籠の回顧録  作者: 甲乙イロハ
1.学習机
2/11

2

 ちん、と電子音が鳴り、エレベーターは三階に到着した。

 忌々しげに舌打ちした大蔵は、逃げるようにエレベーターから降りた。郊外の賃貸アパートには相応の、この安っぽい電子音がどうしても気に障る。娘が通院する病院に一番近いという理由で選び、限られた予算内で不本意ながら引っ越した新居だが、いつまでもこんな場所で燻ってはいられない。

 足早に進む大蔵の鼻腔に満ちるカレーの香りに、


「はあ」


 ため息をついた。


「またカレーかよ」


 妻の美咲がつくるカレーは、ごく普通の、市販のカレールウを使った家庭の味だ。しかも子供用の甘口。まだ幼い娘がいる以上、仕方がないとはいえ、取引先が連れて行ってくれた名店のような、オリジナルブレンドのスパイスでもなければ、特別な具材を使っているわけでもない。東南アジアのあの国で食べた、辛さの中に芳醇な旨味を湛えたあの一皿を思い出すうち、自宅へ到着した。

 303号室。その薄っぺらいスチールの扉を開けると、


「パパ、おかえりなさいっ!」


 廊下を駆けてきたエミが飛びついてきた。


「えみちゃんね、らいねんから一年生なんだよっ。それでね、今日ね……」


 大輪の花のような笑顔のエミを、


「危ないだろ! 急に飛びついたりして!」


 大蔵が怒鳴りつけた。


「いつまでも赤ん坊じゃないんだ。そんなんじゃ立派な一年生になんかなれないぞ!」

「パパ、きらい!」


 頬を膨らませたエミがそっぽを向く。大蔵は靴を脱ぎながら大仰にため息をついた、そこへ、


「エミ」


 エプロンをつけたままの美咲が、キッチンから顔をのぞかせる。


「パパお仕事で疲れてるから。ほら。パパのお鞄、持ってあげて」

「いやっ!」


 走り去っていくエミを眺め、舌打ちする大蔵。


「ったく。なんなんだよ。面倒くせえ」


 小声で悪態をつく大蔵に、美咲は困り顔で微笑んで、


「エミね、あなたが帰ってくるの、楽しみに待ってたのよ。今日、幼稚園で父の日の……」


 美咲が言いかけた時、大蔵の携帯が鳴った。取引先からのメールだ。


「後で聞くよ。先にメシにしてくれ」


 携帯の画面を見つめた大蔵の表情が、みるみる険しくなっていく。


「なんだよ、てめえらが約束した納期だろうがよ。くそっ!」


 壁に拳を叩きつけた大蔵に、


「じゃ、後で」


 小声で言い残し、忍び足でキッチンへ向かう美咲に、


「子供の躾ぐらい、しっかりやってくれよ」


 大蔵が言い放った。美咲の足がピタリと止まる。


「おまえは一日中、家にいられるんだ。それぐらい、ちゃんとやれなくてどうすんだ」

「……ごめんなさい」


 肩越しに振り返った美咲は、いつも通り眉根を八の字に困らせたまま、笑顔で謝った。なにを考えているのか分からない表情。困り笑い。大蔵は内心で舌打ちした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ