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質屋・籠の回顧録  作者: 甲乙イロハ
1.学習机
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「……ああ」


 膝立ちの男が声を漏らした。その震える指で、天を仰いだ顔を覆う。


「俺はなんて……なんて馬鹿だったんだ!」


 もはや背筋を自力で伸ばしていることさえできず、力なく床に崩れ落ちた。嗚咽しながら額を床板に打ち付け、


「俺は、今まで……今まで何をやってっ……。何が一番大切か、まるで分かってなかった……」


 その眼から流れ落ちる涙が。ぽつぽつと床を濡らしていく。


「やり直したい……。やり直せるものなら、最初から。なにもかも……」

「聞き飽きただわさ」


 盛大にため息をついたブレイシルドに苦笑しつつ、


「左様でしたら」


 店主の少年、コモリ 忌引キビキが口を開いた。


「こちらのお品はいかがでしょう?」

「……なに?」


 涙と洟にまみれた顔を向けた男が、はっと目を見開く。キビキが掌で指し示している先にあったのは、見覚えのある学習机だった。未来から来た猫型ロボットが活躍する国民的アニメ番組が正面に描かれている。


「娘の……エミの机だ!」

「ええ、その通り。以前の所有者は、大蔵笑美エミ様です」


 キビキはうなずいてから、小さく咳払いした。


「誤解のないように申し添えますが、こちらは健全な契約に基づき、当店が購入したお品で、断じて盗品などでは……」

「そんなことはどうでもいい!」


 説明するキビキを、立ち上がった大蔵が遮った。


「これを買ったらどうなるって言うんだ?」


 キビキはわずかに肩をすくめ、薄紫色の瞳で大蔵を見つめた。


「要点を申し上げますと、ただいま、こちらのお品は時空机クロノデスクと名付けられており、当店の所有物となっております。この時空机を使えば、あなたが知っている好きな時間、望む場所へ、瞬時に行くことができます」

「ほ、本当なのか」


 再びキビキがうなずいた。こんな非科学的な話、普段の、現実主義者である大蔵なら信じないところだ。しかしこの、エミの学習机は本物だ。一緒に買いに行った思い出の品。側面に貼られた色々なシールにも見覚えがある。なくなったと思っていたのに。


「本当なんだな」

「もちろんです。ただし」


 キビキは人差し指を立てて、大蔵を見つめると、


「時空机をご使用いただく上で、注意点が一つあります」

「なんだ?」

「過去に戻っても未来へ進んでも、そこに本来あるべき時間軸の自分が存在する場合、時間の逆説タイムパラドックスによって、現在のあなたの意識は過去のあなたの意識に統合、今風に言えば同期されてしまいます」

「それでも、もう一度、エミに会えるんだろう?」

「視認できる、という意味ではその通りです」

「なら、それでいい」

「結構です」

「で、幾らだ? 幾らで売ってくれる?」

「三億円です」

「三億……?」


 大金だが、今の大蔵には準備できない金額ではない。全財産を掻き集めれば、それぐらいにはなるはずだ。


「分かった。買おう」


 大蔵は内ポケットから小切手を取り出し、胸ポケットのペンで三億円の振出しを書き込む。


「これでいいか?」


 突き出された小切手を受け取り、内容を確認したキビキは、


「結構です」


 満足げに薄笑みを浮かべた。


「それでは、他の細かな契約内容につきましては、こちらにお目通しの上、サインを」

「なんだ。そんなもの要らん。さっさとやってくれ」

「当店の規則ですので」


 大蔵は舌打ちしつつ、差し出された契約書を奪い取ってサインした。契約書には細かな文字で色々なことが書かれていたが、一文字も読まなかった。


「さきほども申し上げましたが」


 キビキが言った。


「過去に戻りましても、今のあなたが、過去のあなた自身に干渉することはできません」

「だから、なんなんだ? 要点を言え。要点を」


 契約書を突き返しながら苛立つ大蔵に、


「今のあなたは過去のあなたと同化するだけ。繰り返される悲劇を傍観することさえできません。それでも良いのですね?」

「エミにもう一度会えるならそれで十分だ! そう言ってるだろ! いいから、さっさとやってくれ!」

「承知しました。それでは」


 キビキは時空机の引き出しを開け、掌でその内側を指し示した。


「どうぞ、こちらからお入りください」


 覗き込んだ大蔵は、思わず後ずさった。

 引き出しの中に、青紫のマーブル模様の空間がどこまでも、果てしなく広がっている。そこにダリの絵画よろしく歪んで曲がった色とりどりのアナログ時計が浮かび、様々な時刻を示しながら、それぞれの針が時計回りに、あるいは反時計回りに時を刻んで漂っている。子供の頃、そしてエミとも一緒に見ていたあのアニメの名場面そっくりだ。

 大蔵は慄きつつも意を決し、そろりと引き出しの中へと自身の足を差し込んだ。不自然な体勢にも関わらず、時空机は倒れるどころか、びくともしない。床に残っていた方の足も引き出しの中へ入れると、


「あ」


 その声を最後に、大蔵の姿は忽然と消失した。

 胸の前で手を重ねたキビキが、優雅に頭を垂れる。


「ご利用、ありがとうございました」

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