逆にゴブリンがこっちの世界に転移してきたら
ムシャクシャしてカイタ。イマはスッキリしてイル。
ある日、私が出社すると、そこには「ゴブリン」と呼ばれる、子供くらいの体躯の人型の生物が、掃除機を持って清掃作業を行っていた。
いつもオフィスを清掃してくれているおばちゃんの姿は見えず、代わりにタブレットを持った清掃会社の社員と思しき若い男性が、巧みに三匹のゴブリンに指示を出し、効率的に作業を終わらしていく。
「課長、清掃会社を変えたんですか?」
私は思わず課長に尋ねてみた。課長は「上からの方針で」と、経費節約の為にゴブリンを導入した格安清掃会社に切り替えたと言う。
課長とそんな話をしている内に、オフィスはどんどん綺麗になる。以前のおばちゃんより遥かに効率が良いようだ。
私は「大したものだ」と、タブレットを持った清掃会社の、おそらくゴブリンの監督者であろう若者を一瞥する。
それに気付いたのか、若者は軽く笑顔で会釈をすると、再びタブレットに向かい操作を始める。
タブレットはゴブリンの首や手首、足首などに付けられた発信機と連動しており、そこから微弱な電気を出して、彼らを操っているようだ。
「清掃の仕事も随分変わったようですね。命令するだけの仕事なら、なりたがる人も多くなるのでは?」
私が失礼なことを若者に問いかけるも、彼は怒りもせずあっけからんとした態度で、タブレットを動かしながら答えてくれる。
「とんでもない、効率が良くなったぶん、仕事量が増えてしまいました。このビルも以前は数人で手分けしていたけど、今は一人で一日に何棟も廻らないと、いけないんです」
そう言って彼がタブレットをタンッと叩くと、後ろでゴブリンが「ギャッ!」と悲鳴を上げる。
「ああ、すみません。こいつが、あなたの朝食を狙ってたみたいで・・・」
見ると、私がコンビニで買ったサンドイッチが、ゴブリンがその小さい手の中に収まっている。
「ほら、戻して!」
若者がバチバチと電気を流しているようで、ゴブリンはついに観念して、盗ったサンドイッチを元の場所に戻す。
「すみませんね、清掃中は貴重品の管理は自己責任でお願いしてるって、そういう規約になっていまして・・・」
若者が頭を掻いて詫びると、そこに課長が割り入って会話に入ってくる。
「こちらこそ、周知が足りてなくて、すみません。ヤマダさん、グループラインで周知しただろう?」
課長の言葉に、ああそう言えば、と通知が来ていた事を思い出す。
私はどうもSNSによる業務連絡というものが苦手で、ついつい見逃してしまいがちになる。
私はゴブリンに握り潰されたサンドイッチを噛りながら、スマートフォンを操作する。
清掃会社変更のお知らせ
弊社の契約していた清掃会社は、来月よりゴブリン清掃会社に変更となります。
ゴブリンの特性上、盗難防止の為に朝の8時から8時半の間の貴重品は、自身の管理にて行うようお願いします。尚、もし清掃後に紛失が発覚した場合は・・・
私はスマートフォンをポケットに仕舞うと、パソコンを立ち上げる。溜まっていた業務を整理しながら、「この仕事もいずれゴブリンに取って代わられるのかねぇ」と、誰にともなく呟くのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
始まりは、N県の山奥に住む、ぽつんとした一軒家だった。
勇者の眩い光を纏った渾身の一撃を食らった名も無きゴブリンは、気が付くと山林の中に倒れていたのだ。
辺りをいくら見渡しても、知った風景でも無ければ、自分を吹き飛ばした勇者も居ない。
ゴブリンは非常に困惑したが、大きく鳴った自身の腹の音に、どうでも良くなっていた。
ゴブリンが少し歩くと、すぐに民家が見付かり、農作業に勤しむ若い夫婦が、仲睦まじく談笑する様子が目に入った。
それがゴブリンの目には「油断している獲物」に映ったのは、言うまでも無い。
その日の夜は、ささやかにしておぞましい宴であった。
女は両脚の腱を切られ、逃げることも許されず一晩中ゴブリンの慰み者にされた。
彼女の亭主については、詳しい説明を割愛しよう。見ただけで吐き気を催す悲惨な状態で、ゆっくりと息絶えた事だけ伝えれば、あとは想像に任せるほうが、良さそうだ。
ここで、人類にとって幸運がふたつあった。それは、この夫婦が比較的大きな農場を営んでいた事と、その農作物が収穫期だった事だ。
女の腹を喰い破って産まれたゴブリンは六匹だったが、彼らが飢えて山から降りてきていたら、平和な村落は瞬く間にゴブリンの生産工場と化していただろう。
そうならずに済んだのは、七匹のゴブリンが食いつなぐに十分足りうる食料がそこにあったからだ。
事件が発覚したのは悪夢の宴から一ヶ月後の事である。
移住してきた若い夫婦が連絡が取れなくなり、地元の男が様子を見に行った。
だが、その男も連絡が途絶えてしまったことから、地元の猟友会が出動したのだ。
結果から言えば、生け捕られたゴブリンは三匹で、四匹は猟銃にて命を落とした。
焦った猟友会の一人が発砲し、仲間もつられて発砲した結果だ。
最初に発砲した男は、そこに立てられていた案山子を見た途端に悲鳴を上げたと言う。そして、その悲鳴に呼応するかの様に猟友会の一団に向かって飛び掛かってきた、緑色の猿のような生き物に一堂は驚き、咄嗟に発砲したというのが事の次第だ。
生け捕った三匹と、四体の死骸は国の研究機関に送られた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
研究者は、最初に「それ」を見て、非常に困惑した。と言うのも、その生物はどの「科」にも属さない、謎の生物だったからだ。
三体のサンプルはそれぞれ「ジェフリー」「アルバート」「サガワ」と名付けられ、特にサガワは大きな体躯で群れのリーダーと思われた。
「まったくもって、生物界の常識を覆す新発見の、連続だよ」
研究者のエンドウは、頭を掻いてケージの中のサガワに、そう呟く。
エンドウは、彼らが研究所に送られて来てからの三年間は驚きと感動の連続であったことを、改めて思い返していた。
まず、彼らの体内には黒い液体が循環しており、どうも血液の他に、何か地球上には無い異質な物質が混じっていることが分かった。どの研究機関に問い合わせても類似の性質の物質すら見つからなかったことから、これを「魔素」と命名し新発見として発表している。尚、これがどのような機能を持っているかが、未だに解明されていない。
そしてエンドウが何よりも重きを置いたのは、彼らの繁殖方法についてだ。
たった三匹のサンプルは研究するには足りな過ぎるからだ。
まずエンドウが最初に違和感を感じたのは、三匹と死骸となった四匹の合計で七匹、すべてオス個体であったことだ。調査チームに要請を出して、サガワら七匹のゴブリンが見つかった山林をくまなく調査したが、ついにメス個体が発見できなかった。
一度に七匹も個体が発見されているにも関わらず、それ以外のゴブリンが形跡ひとつ見つからないとは、あまりに奇妙だとエンドウは思った。
「まさか雌雄同体か?」
雌雄同体とは、オスがメスの機能を有している、すなわちオスがメス役として、繁殖の役割を担えるというものだ。だが、調査の結果、彼らに子宮に相当する器官が無いことから、その考えは却下された。
次に考えたのは、環境で雌個体に変異する可能性だ。魚類や爬虫類でそのような報告は見られるが、この生物にその可能性は無いだろうか?
流石にこれは突飛な仮説だが、エンドウは本気で検証しようと迷走する時期もあった。
結局、妥当な仮説として行き着いたのは「雌個体が異常に少ないか、あるいは見た目が全然違うので認識出来ない」というものであった。
繁殖についてエンドウは何かの手掛かりにならないかと、藁を縋る思いでサガワに、メスのニホンザルを充てがってみた。
もしかしたら繁殖行動を起こすかもしれないと、僅かな期待に掛けてみた形だ。
「もし繁殖行動が我々の常識を覆すもの・・・例えば生殖器を背中や頭に突き刺すような行動があった場合、メス個体の形状を示す手掛かりになるかも知れない」
ご丁寧に緑色に塗られたニホンザルの「エイミー」は、サガワを見て怯えていた。サガワが彼女をひと目見るなり、獲物を狙う目でヨダレを垂らしたからだ。
(やはり、エサと認識してしまうだろうか・・・)
だが、エンドウの予想に反してサガワはエイミーを襲い始めた。まず両脚の腱を噛み千切ると、動けないエイミーに覆い被さる。
そこからは地獄の様な光景だった。悲鳴をあげるエイミーを、サディストの如く痛めつけながら腰を振るサガワ。
エイミーの悲鳴に、異変に気付き集まってきた研究者達は、目を覆った。
ひとりの研究者が、エンドウにサガワを止めるよう懇願するも、エンドウはその光景を、ウットリとした表情で眺め続けていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ニホンザルのエイミーは瀕死だった。
生殖器がズタズタなのもそうだが、サガワによって脚の腱は切られ、両手の指はほぼすべて骨折、歯も丁寧に1本1本引き抜かれていた。もう少し救出が遅ければ、エイミーは死んでいただろう。
「それでエンドウさん、彼女の犠牲に見合った手掛かりは、何か掴めたんですか?」
同僚の言葉には棘があった。あの光景に目を奪われていたエンドウを軽蔑しているのだろう。
「いや交尾自体は他の生物と変わらない、ごく普通のピストン運動だったよ。あの暴力性を孕んだ、行動はきっと排卵を促す刺激がメス個体に必要と思われ・・・」
エンドウはやや言い訳じみた解説をするが、実のところ何の手掛かりにもならないと言うのが、本音であった。
だが、この時、実はエンドウは手掛かりどころか、繁殖方法の答えに辿り着いていた。
エイミーの妊娠が発覚したのだ。
この発見は研究者の間で様々な憶測を呼んだ。
「ゴブリンは、ニホンザルの亜種なのか?」
「もともと妊娠していた個体なのでは?」
「他の霊長類でも試して見るべきでは」
エイミーの妊娠から出産までの期間は、僅か一ヶ月だった。母体の中から喰い破られての出産に研究者一堂は驚いたが、それは驚愕に次ぐ驚愕の、入り口に過ぎなかった。
四体のゴブリンがニホンザルのエイミーから産まれたが、全てオス個体だった。つまりゴブリンは基本的にオスしか生まれないということだ。
更に、生まれてきた個体は全てニホンザルの特徴を一切受け継がず、殆ど親個体であるサガワのクローンのようだった。
このことからエンドウが結論付けたのは、「ゴブリンは単為生殖」だった。
これはアブラムシやミジンコに見られる特徴で、生まれた時に既に受精卵を体に宿していると言うものだ。
つまり精液に見えるものは受精卵で、霊長類系の生き物の子宮に入ることが発生のトリガーになるだろうと予想付けた。
この予想を裏付けるように、ゴブリンはニホンザル以外でも発生することが分かり、人工子宮での発生も試みたが、これは駄目だった。
こうしてゴブリンの数をコントロール出来るようになると、彼らへの研究は飛躍的に上昇した。
なにより注目されたのは、その高い知性だった。人間と同等の体型を持ち、乳幼児に相当する行動が出来ると分かると、これを利用する手は無いかと模索する。
ここで、ゴブリンを一気に社会に浸透させることに尽力した、最大の功労者と言える人物が登場する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
この時、日本は未曾有の人手不足だった。経済発展している訳でもない状況で、少子高齢化による人口減少は、好景気のような人材獲得競争に発展することも無かった。
なにせ企業側の要求は「安い労働力」なのだ。値段が釣り上がっては、何の意味もない。
かと言って移民政策の推進も、暗礁に乗り上げていた。人間を輸入すると言って過言で無い発想だが、人権を持つ彼らを犬猫のように安易に使い捨てて、最後は殺処分という訳にもいかない。
結局、一時的に安い労働力を使い捨てても、それで景気回復すれば埋め合わせになるという甘い算段は、氷河期世代の失敗で十分という訳だ。
人権の無い人間を大量に労働市場に注入し、使い終わったら廃棄出来る、そんな夢のような存在こそ、今の日本には必要とされていた。
そういう視点で見れば、ゴブリンはまさにイノベーションだった。
名誉教授のタケダは、かつて大臣の経験もある経済のスペシャリストだ。日本の労働問題を憂う愛国の士であることは有名で、今でも総理のアドバイザーとして政界を動かす権勢を持っている。
機を見るに敏な彼は、このゴブリンの有用性を誰よりも早く気付いていた。これこそが労働問題解決の魔法の弾丸であると、確信していたのである。
そこで彼は、即座に行動に移す。
とにかくゴブリンに人権を与えてはいけないと、四方に働きかけた。もちろん愛護動物の対象も、だ。目的はあらゆる制約抜きに酷使できる労働力なのだから。
一応の大義名分として、ゴブリンは「昆虫」にカテゴライズされる事になった。
虫ならば愛護動物の対象にならず、また国民の心象としても、酷使する事への抵抗感を和らげる効果もあった。
タケダの尽力の結果、ゴブリンは労働力として社会に浸透するのに時間がかからなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ゴブリンを労働力として世間に浸透させることに、日本はさほど時間を有しなかった。しかし、それは決して容易な道で無かったことも確かであった。
まず最初にゴブリンが派遣されたのは、工場だった。監視の目が届く、狭く閉鎖された職場など難しい条件を課した上で、業種を限定しての解禁であった。
ゴブリンは歯と爪を抜かれ、その上で枷を付けた厳重な調整を経て現場に入れられると、一体のゴブリンに二人の監視員が付けられる。怪しい挙動を見せた場合は即座に電気ショックを与え、ゴブリンの行動を制御する役割だ。
こうして現場に導入されたものの、非常に効率が悪く、予算も割に合わないものであったため、これを試そうと手を挙げる業者は数少なかった。
だが逆に言えば、少なからずもゴブリンを試してみたい業者が存在したとも言える。珍しいもの好きな者や、あまりに人手が足りず背に腹を変えられない業者などが、初期のゴブリン導入業者と言えるだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
N市の市街地から離れた郊外に位置する、小さな工業用資材置き場に、自転車で通勤するナンバラは、普段と違う工場の雰囲気に怪訝な表情になる。
「工場長、何かあったんですか?」
「おい、ナンバラ!もう昼過ぎだぞ!まったく遅刻の多い奴だ!」
工場長のハマグチは容赦無くゲンコツをナンバラの頭蓋に響くほど叩きつける。
しかし、彼の勤怠の悪さは日常茶飯事なのか、それ以上の説教も折檻も無く、ハマグチは工場内に彼を招き入れる。
そこには三匹のゴブリンが鎖で繋がれ、威嚇の目でナンバラを睨みつける。
「な、なんです、これ?!」
「弊社の新入社員、ゴブスケ、ゴブタ、ゴブゾウくんだ!今、話題のゴブリンだよ!」
ナンバラは恐る恐る、それを見る。
口には特製の口枷、手足はそれぞれ右手と左手、右足と左足を頑丈な鎖で繋がれている。つまり、行動はかなり制限されているようだ。
「工場長、これを飼うんですか?」
「ったく、何も知らない奴だな。社員って言ったろ?こいつ等は新しい労働力なのさ!」
ハマグチはそう言うと、分厚いマニュアルと6個のリモコンスイッチをナンバラに投げ渡す。
「詳しい事は、仕事しながら読んでおけ。俺は朝からお前の穴埋めで疲れた」
「ちょ、工場長!どうすればいいんです?」
縋りつくナンバラに、ハマグチは「しゃーねーなぁ」と、リモコンのスイッチを取り上げると、ゴブタと命名したゴブリンに向けてスイッチを押す。
バチバチッ!バチバチバチバチッ!
すると、ゴブタの隣りに居たゴブスケが、仰け反って苦しみ始める。
「あ、こっちか?まあ、いい。ボタンを押すと電気が流れるから、それで言う事を聞かせるんだ。慣れれば便利だぞ!」
ハマグチはナンバラに、そう言って去って行く。
残されたナンバラはリモコンを手に途方に暮れるも、溜まっている仕事は待ってくれない。取り敢えずフォークリフトを操作して、荷物を降ろしていくと、伝票を見比べて仕分けしていく。
それが終わると、ナンバラはうんざりした表情になる。先週までは二人の外人スタッフが動いてくれたのだが、度重なる工場長の暴力に嫌気が差し、ついに逃げ出してしまったのだ。
その為、ナンバラは三人分の仕事を一手に背負うようになり、負担の大きさにげんなりしていた。
「んじゃゴブリン、あと頼むよー・・・なんちゃって、な」
あの緑の猿に何が出来るかと、ナンバラは自分を嘲笑する様なため息が漏れた。だが、以外にもゴブリンは彼の号令に応えるように、荷物に群がってくる。
そして、並べた荷物をそれぞれ正しい位置に置き始めると、ナンバラが準備した仕事はあっという間に片付いてしまった。
「こりゃ・・・すげえ!あの逃げた二人より、全然早く仕事が終わるじゃん!」
どうやら工場長がある程度の仕込みは済ませてくれていたようで、ナンバラが特に指示をしなくても、ゴブリンはテキパキと働いてくれている。疲れを知らないゴブリンの強靭な肉体と、機械的なことを繰り返す短調作業は相性が良かったようだ。
お陰で今日の仕事は早く終わったので、ナンバラは残りの時間をゴブリンとのコミュニケーションに充てることにした。
「お手!おかわり!ははっ、なんだ見た目に反して、素直じゃないか」
ナンバラはバナナを投げて取りに行かせると、最初に取って戻れたゴブリンに「ご褒美」として、口枷を外して食べれるようにしてやる。
「うわ・・・、歯が全部抜かれて、うちの爺ちゃんみたいだな」
ナンバラはそのシワの寄った表情に、祖父の面影を重ねていた。
これはナンバラにとって、致命的な間違いであった。彼らは凶暴な怪物であり、決して心を許してはいけない生き物であるにも関わらず、優しい祖父と重ねる事で油断をしてしまったのだ。
そしてもう一つのミスが、マニュアルを熟読どころか、一瞥もしなかったことだ。
「なんだ、お前も食べるのか?」
近寄ってきたゴブリンに、ナンバラは笑顔で迎える。手枷もキツそうだし、少し緩めるのも良いと考える。
カプッ
ナンバラがゴブタの手枷に触ろうと手を伸ばした刹那、それはナンバラの腕にゆっくり噛みついた。その様子は飼い犬が甘咬みしているようで、どこか微笑ましく思えた。
「おい、おい。あんまジャレつくなって、はは・・・お、おい・・・」
ゴブリンの咬力は、筋肉を切ってあるので流動食しか食べれないほど弱くしてある。
いや、弱くしてある「はず」だった。ナンバラの腕がうっ血してくると、流石の彼も異常事態であると気付き、もう一つの手でリモコンに手を伸ばす。
「やめろ!離れろ、こらぁ!」
バチバチッ!バチバチッ!
スイッチを押して悲鳴を上げたのは、噛み付いているゴブリンでは無い。
「こ、こっちか?!い、いでで・・・」
ナンバラが違うリモコンに手を伸ばすも、もう一匹のゴブリンが彼の手をガシリと掴む。その握力は、重い荷を容易に持ち上げる程の力を秘めており、ナンバラの腕はメキメキ音を立てて、あらぬ方向に曲がっていく。
ナンバラは顔面が蒼白になると、ブワッと冷や汗が噴き出し、頭が真っ白になる。
「や、やめ・・・いで、いでで、あぎゃぁー!」
ナンバラの悲鳴に、離れの仮眠室で休んでいたハマグチは飛び起きる。だが、嫌な予感を感じた彼は、武器と防具を装備して、恐る恐る工場に足音を殺して忍び入る。
ハマグチはマニュアルの最後に、赤字で大きく「緊急時は、必ず連絡を入れて下さい」の記述があった事を思い出すが、それは出来ない。なんせ三体のゴブリンを貸与するのに、従業員数を偽っているのだ。なんとか、ここは自力で解決しなければならない。
薄暗い工場内に、血痕が見えるも、ナンバラの姿は見当たらない。そしてゴブリンも。
「マジかよ・・・。初日で、これか?」
ハマグチが金属バットを片手に、キャッチャーマスクで狭くなった視界を凝らし、様子を見る。ゴブリンの行動範囲を工場内に設定したはずだから、この屋内から出てはいないはずだ。
この時、ハマグチはゴブリンを行動範囲外、つまり工場の外で構えるべきだった。センサーの外に出れば、ゴブリンは電気ショックが働いて動けなくなるのだから。
だが、焦りもあったハマグチは、愚かにも三匹が潜む工場内で戦いを挑んだ。
「とにかく、電気ショックのスイッチを探さないと・・・」
ハマグチは、スイッチをまとめてナンバラに渡したことを後悔していた。セットになっているのだから、片方は予備に預かっておくべきだったのだ。
ハマグチは血糊の跡を辿ると、首や足などの位置がメチャクチャに入れ替えた状態のナンバラが見付かる。首を限界まで引っ張られたナンバラの顔は恐怖の歪み、その口から吐き出された血は、今でも緩んだ蛇口のようにボタボタと滴っている。
「ひっ!ナンバラ・・・!」
変わり果てたナンバラに、悲鳴を小さく上げるハマグチは、咄嗟に口を塞ぐ。声で気付かれないかと、すぐに周囲を確認する。
(いない・・・か)
ほっと胸を撫で下ろすハマグチは、壁を背に身構える。ナンバラが手遅れと分かった以上、彼の頭には、この責任から如何に逃れるかという事で一杯だった。自分も被害者なのだから、それを大体的に訴えて損害賠償で一山当てるのも、悪くない。ゴブリン被害者第一号となれば、何かの度にゴブリンの危険性を訴えてメディア出演も可能かもしれない。そんな打算を考えると、今、直面している問題が忘れられる。
(よし、一旦ここから脱出しよう!)
出口までダッシュで駆け抜けるハマグチは、後頭部に鈍い痛みを受け、転倒する。
「いってぇ!なんだぁ!?」
床に見慣れた資材が転がっているのを見て、これが後頭部にぶつかったと認識したハマグチは、ゴブリンからの攻撃が来たことに戦慄する。
「や、やべぇ!」
第二、第三の投擲が来ると判断したハマグチは、出口に向けて走り出す。だが、脳震とうを起こしたようで、足が真っ直ぐに動かなず、フラフラとあらぬ方向に歩を進めると、そのまま横に倒れてしまう。
そこにゆっくりと近づく三匹の獣に、ハマグチは恐怖で涙と鼻水を流し、命乞いをする。
その惨めで哀れな表情がゴブリン達の心に触れたようで、彼の命を少しだけ永らえさせる。だが、それがゴブリンの嗜虐心をくすぐった結果と考えると、命乞いが愚策であったことは言うまでも無い。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二名の死者を出した「ゴブリン労働災害」は、タケダの耳を飛び越えて、瞬く間に世間に知れ渡った。
このスキャンダルに通常なら頭を抱え、絶望するところだが、タケダは違った。
タケダにとって、この事件こそゴブリンを社会に認めさせる最後のピースとして、理想的なものと考えていた。
テレビは衰退したと言われる昨今だが、頑固者の司会者タシロが進行する、識者や現役の若手政治家が意見を交わし合う討論番組は高い視聴率を誇っていた。
その日のテーマは「ゴブリン労働災害」。労働者の味方を嘯く野党議員キタジマ、ゴブリン利用肯定派の若手与党議員のミナミ、実業家のホリキタ、ユーチューバーのタカヒロ、芸人のケンちゃんとチャコちゃん。そして、ゴブリン研究者のエンドウと、ゴブリン利用の急先鋒である政治アドバイザーのタケダだ。
「それで、タケダさん?今回の事件について、そもそもゴブリンを労働力として推し進めた責任を感じていますか?」
司会者のタシロは、タケダにそう詰め寄る。
「まず、この事件について、しっかりと事実を検証することが重要です。既に200カ所でゴブリンを運用が開始されていますが、事故が発生したケースは、これが初めてなんですね・・・」
「死亡事故は、でしょ?ゴブリンの運用の際に事故になりかけたケースも、あるんですよ!」
タケダに噛みついたのは、野党議員のキタジマだった。
「でもさ~、キタジマさん。事故の会社って、みんな、ゴブリンを正しく運用してないってデータがあるわけっすよ!」
気の抜けた口調でキタジマに横槍を入れたのは、ズバズバと相手を噛みつく論破スタイルが人気の実業家、ホリキタだ。
「いいっすか?この工場では、本来なら2名で監視体制を取るべき運用手順を無視して、1人で3体のゴブリンを運用したわけっす。こんなの、自殺行為じゃないですか?100歩譲って責められるとしても、それは甘い審査でゴブリン貸与を許した、行政のミスですよ」
ホリキタの発言に乗る形で、理論で詰めるタカヒロ。
「だとしたら尚更、やはりゴブリンを労働力として使うべきではないでしょう!ミスが起きれば死亡事故が起きるわけです!国民の命を何だと考えてるんですか!!」
机をダンと叩くキタジマに、司会者は落ち着くよう宥める。
「確かにおっしゃる通りですが、昨今の労働者不足の問題を考えると、ある程度の命令を聞ける知能を持った生物を使役することは、労働市場にとっては魅力的な商品と言っても良いわけです。そこでタケダさん、この危険との両立をどうすべきか?」
タケダは落ち着き払った、悪く言えばいけしゃあしゃあと意見を述べる。
「先ほど、ホリキタさんが仰る通りで、正しく運用することを徹底することが、重要なんです?例えば包丁が良い例です。これを凶器として使われた例はいくらでもありますが、販売を禁止していますか?」
「なるほど、正しく使えば、事故は起きないと言うことですね」
「それは詭弁でしょう!包丁は自分から動いて傷付けることはしませんが、ゴブリンは意思があるでしょう!」
「だったら養蜂はどうですか?あれだって人を刺してきますよ?」
「あれは昆虫でしょう!?」
「ゴブリンも定義上は昆虫なのです!」
不毛な議論が続くが、この番組は「パフォーマンス」として、とても重要だった。ゴブリンの危険性を周知することと同時に、愛護すべき生物では無いと国民に徹底的に洗脳する必要があったからだ。
これまでの、それこそ古代から近代に至るまでに共通する労働問題は、全て「人権」に起因していると言って過言でない。その意味では、人類が同胞以外の生き物を使役するのは「機械」以来、初めてかもしれない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
番組の反響は上々だった。
世論は「ゴブリン災害は使用者の怠慢から来る自己責任」という声が高まり、むしろ人手不足業界から「もっとゴブリン使用許可の業種を増やすべき」との声が高まった。そこに発生するリスクは「自己責任」だ。
ここに、タケダは世論の地盤が固まったことを確信する。
タケダは国民の要望に応えるように、政府にゴブリン利用業種の拡大を提言する。更に「ゴブリン繁殖」の登録業者も拡大すると、国内にはゴブリンが瞬く間に拡大していく。
最も懸念された「ゴブリンの逃走と野生化」だが、これは全てのゴブリンの「去勢」と「自殺回路」を組み込む事で解決した。自殺回路とは、ゴブリンの寿命をこちらで決めて、その期日になると自動的に絶命させると言う、残酷なものだった。だが、ゴブリンは忌み嫌う生物と認識していた国民は、それを残酷とも非人道的とも思わなかった。
こうして、日本の労働力不足の問題は大きく改善した。逆に失業率が上がることを懸念されたが、そこは不思議な力が働いたのか、日本は相変わらず完全雇用を実現し、失業者は居ない事になっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「どうもー、ゴブリン退治チューバーのユウシャでーす」
ファンタジーゲームの主人公のような甲冑を纏った男は、ゴブリンを残酷に殺害する様子をネット動画に上げることで人気を博していた。
「こいつ等は、明日で死んじゃうゴブリンなので、最期はユウシャの手で葬りたいと思いまーす」
ネットのコメント欄は「やれー」「失業の怨み!」といった肯定意見と、「やめれ!」「自然に死なせてやれ」といった否定意見など、悲喜こもごもなコメントが流れてくる。
鎧の男はもったいぶるようにゴブリンを、剣の切っ先で弄ぶ。ゴブリンはと言うと、目隠しに全身拘束で、その様子は処刑上の罪人そのものだ。やがて、男の勢い良く振った剣が首を切り落とすと、動画は終了となった。
他にも「ゴブリンで試してみた」「ゴブリンに最期の思い出を作ってあげた」など、使用済みゴブリンをオモチャにするコンテンツは人気を博した。悪趣味と言われようが、人は時にそのような「禁忌」に触れてみたくなる側面を持っている。
どうやら、私にもそのような癖と言うか業というか、そういったものを持っていたようだ・・・。
会社を解雇された私は、求職活動の傍らで、こういったゴブリン虐めの動画を見ることが密かな楽しみになっていた。失業からの鬱憤から、ゴブリンを自分に居場所を与えない社会に見立てて楽しむということだ。
「そもそも政府は、政商のタケダの関連企業ばかり優遇して、失業者への対応が手薄過ぎるのだ」
私は誰に言うでもなく、天に向かって愚痴をこぼす。
そもそも、この国は完全雇用を実現している事になっているので、失業者対策に予算を組む必要が無い。実際に求人は豊富で、世間は相変わらず人手不足を嘆いている。だが、何故か私には仕事が見付からない。
「いっそ、私もゴブリン関連の動画で、一山当てることは出来ないだろうか・・・」
ふと頭をよぎるが、そもそもゴブリンを手に入れるツテが無い。ゴブリンはそこら中で目にすると言うのに、だ。それに、本当の目的が一山当てる事で無いのは、自分でも分かっていた。鬱憤を晴らしたいだけなのだ。
うっかり失業の愚痴をネットに書き込もうものなら、「人手不足なのに職探しとか、無能か?」「仕事は普通にある。贅沢言い過ぎ(笑)」「ゴブリン以下に人権を与えるなよ」と、即座に罵倒意見で埋め尽くされるので、うっかり発言も出来ない。
溜まりに溜まった鬱憤は、自分をこのような境遇に追い込んだゴブリンに、どうしても向いてしまう。こいつらを殴り殺したら、さぞ気分の良いものだろうと。
それを実際に行動に移している者も少なくないのは、この動画やニュースを見れば、自ずと知れてくる。毎日、ゴブリンのニュースを目にしない日は無いのだから。
「ゴブリンが現れてから、世の中がギスギスして来てるな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
コウモトと言う女性が、大きいお腹を抱えた女性を連れて壇上に立つと、拳を振り上げて演説を始める。
「ゴブリンは、人間と同じ哺乳類です!彼らに人権を与えるべきなのです!」
コウモトに促され、器量のあまり良くない身重の女性「ナカジマ」が、マイクを持って語り始める。
「私のお腹には、生命が宿っています。ゴブリンの子です。でも、この子・・・『イッセー』と名付けました。イッセーには、人権がありません・・・」
涙で言葉が詰まるナカジマに代わり、コウモトが言葉を繋ぐ。
「政府は安価な労働力欲しさに、ゴブリンを奴隷にしています。許されない犯罪行為です。彼らは、私たちとの間に子を授ける事の出来る、兄弟なのです!」
壇上で拳を振り上げて語るコウモトに、会場は一斉に拍手を鳴らした。
「イッセー君に人権を!」
これをスローガンに、首相官邸前は日夜、行進が続けられた。最初は彼女の熱心な支持者だったものが、日を追うごとに数を増していく。女性の権利を叫ぶ者や、失業者など社会に不満を持つ者が、次々と彼女の理念に共感し、集まっていった。
やがて時は経ち、ナカジマは出産を迎える。
僅か一ヶ月で産まれたイッセーは、人間の遺伝子を持たない、普通のゴブリンだった。いや、普通のゴブリンではあるが、普通では無かった。
蟻が「働きアリ」と「兵隊アリ」を産み分けるように、ゴブリンも「階級」を産み分ける。この現象は、ゴブリン研究者のエンドウによって確認されていた。
例えば「ゴブリンシャーマン」と言われる、通常のゴブリンとは異なる鳴き声を発し、血中の魔素が多い個体や、体格が異常に肥大化した「ホブゴブリン」など、その種は様々で発現の法則は未だ解明されていない。
だが、ナカジマの産んだゴブリンは、今まで発見された、どの型にも属さないものだった。彼の故郷では、これを「ゴブリンロード」と呼び、Sランクの討伐対象と成り得る非常に危険な個体である。
イッセーと名付けられたゴブリンロードは、その残虐性を隠し、出生から半年も経たないうちに人語を話すまでに成長していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街道演説を行うコウモトの横には、緑色の少年が牙をチラつかせながら、笑顔で愛想を振りまいている。
「見て下さい、イッセー君の可愛らしい笑顔を!我が国の法では、間もなく彼に自殺装置を取り付けて、人間の都合によって奴隷労働を強制された挙句、殺処分されるんです!」
傍聴者の注目が小さなゴブリンに移る。
するとゴブリンのイッセーは、申し合わせたように笑顔を消し、ボロボロと涙を流して傍聴している人々に問いかける。
「・・・ボク、死ンジャウノ?」
母親であるナカジマがイッセーをギュッと抱き締める。
「大丈夫・・・、そんな事は、絶対にさせないから!」
周囲からパラパラとした拍手が鳴ると、それは徐々に広がり、天を割る勢いの拍手の轟音となる。そこにいる全ての者の心が一つになったことを、コウモトは確信していた。
だが、ネットでのイッセーやナカジマに対するそれは、決して良いものでは無かった。
彼女を「ギョウ虫女」「寄生虫を孕んだ雌」と揶揄する書き込みや、イッセーへの殺処分の署名運動、脅迫文などの嫌がらせも後を絶たず、そんな悪意からイッセーを守る法が無いことはナカジマの精神を疲弊させた。
イッセーが殺されたところで、犯人には殺人どころか動物愛護法ですら適用されないのだ。
頭を悩ませるのは彼女たちだけでは無かった。時の総理大臣ヒロシマもまた、この件について深刻な問題として受け止めていた。
「タケダさん、話が違うではありませんか!人間がゴブリンの子を産むことは、出来ないはずだったのでは?!」
ヒロシマがタケダに詰め寄るも、タケダは毅然とした態度を崩さず、むしろヒロシマ総理を落ち着くようなだめすかす。
「あれは人間がゴブリンを産んだ訳では、ありませんよ。寄生虫の如く、宿主に卵を植え付けられ発生したに過ぎません」
「しかし、知性と感情を持ち、言葉まで話すとなると、話が変わって来るのではないか?」
「総理、彼らが知性と感情を持っていることは、最初から承知していたはずですよ。人語を発するのは意外でしたが、それが彼らの定義を揺るがす事には、なり得ません」
タケダの威風堂々とした立ち振舞いは、傍で見ている者にはどちらが総理なのか、分からなくなる。
「良いですか、総理。安価な労働力は、経済発展に無くてはならない、国の宝な訳です。これに権利を付与すれば、安価な労働力は高価な労働力に変わり、再び日本は不況に陥りますぞ!バブル崩壊、リーマンショック、コロナ不況をお忘れですか?」
「も、もちろん、私とて、あの時代を駆け抜けた人間だ。安価な労働力を確保する事の重要性は、誰よりも理解している」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
バブル崩壊以降、日本は安価な労働力確保に奔走した歴史とも言えるだろう。特に途上国の経済発展に伴い、日本は深刻な安価な労働力不足に苛まされた。日本は単純労働を海外の安価な労働力に依存して来たからだ。
タケダが躍進したのも、その頃からだった。当時、政治家として、また経済評論家として、栄華の時代を取り戻す野望に燃える彼は、「日本型雇用」の弱点に気付いていた。
弱点とは、若い労働力を安価に提供させる代わりに、労働力としての価値の落ちる中高年になったら相応以上にして報酬を支払う、言わば本来貰うべき報酬を利子付きで会社に貸し付けると言うものだった。
これが社会の暗黙のルールとなっていることに目を付けたタケダは、解雇自由化にする事に成功すれば、この企業が背負った「隠れた債務」を帳消しに出来るのではないか、と。
実際に、派遣会社ビジネスは大成功だった。海外の派遣システムと違い、実質は首切り代行業という日本でしか通用しないビジネスではあるものの、企業はそれを最大限に活用することで贅肉を落とす事に成功し、骨や脳など重要な器官だけを正規雇用として迎え、大事に扱えば良いのだ。
当然の如く贅肉からは批判と不満が相次ぐが、所詮は支配層に太刀打ちなど出来るわけもなく、巧みな情報工作などで贅肉同士をいがみ合わせ内部分裂させる事で、団結を防いできた。
こうして新たな低賃金労働力を確保するも、タケダは新たな問題に直面する。派遣会社が増え過ぎたのだ。彼らはもっと低賃金労働者を寄越せと要求する。
だが、自国民を奴隷に落とすにも、限界がある。利益の少ない個人経営者を廃業に追い込むなど、乾いた雑巾を絞ってもみたが、そもそも少子化という弊害が発生してしまい、日本は悪循環を生み出す事態となる。
(奴隷の再生産が必要だな・・・)
次のステージとして、タケダが考えていたのは「移民」だ。その為の働きかけに暗躍していた所に、ゴブリンと出会った。
ゴブリンとタケダが出会うことがもう少し遅かったら、日本は移民を受け入れる事になっていただろう。
だが、そのゴブリンが、いま重大な岐路に立たされている。恐らく理想の最終形とも言える低賃金労働力としての利点を、我が国は放棄する決断を取るかも知れないのだ。
「どうかな、タケダさん。イッセー君に限って人権を与えるべきかと。例えば言葉による意思疎通が可能な個体は例外とする特例を定めるなど・・・」
「それはいけませんよ、総理。それを許せば、次は解釈の拡大が起こります。言葉による意思疎通が出来る可能性がある個体はどうするか?と」
タケダは、ゴブリンの権利向上の一切を認めない姿勢だ。その為に尽力を尽くしてきた彼にとって、当然の意見と言えるだろう。
「良いですか、総理。彼らに地位や権利を少しでも与えれば、それはアリの一穴となり、必ずや、我が国に遺恨を残す事になるでしょう」
「ですが、タケダさん。例の高知能個体について、どうすれば良いのですか?」
タケダは「ふむ」と顎を撫で、少し考える。
「どうもしない・・・のが、宜しいでしょう。未来永劫この件は棚上げ。一生かけて議論を続けて頂きましょう。さすれば、あらゆる事は検討中で片付くでしょう」
タケダは総理の目を見ず、そう言い放つ。権力にしがみつく事が精一杯の、この男だ。これで私の指示通り動くだろうと、タケダは思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
タケダの聖域は、思いもしない場所から崩された。今まで静観を決め込んでいたアメリカが、急に介入して来たのだ。
ゴブリンは人間でも愛護動物でも無い・・・という建前も大国の威光には通用せず、日本は国際的に非難されるに至り、ゴブリン保護法を施行するに至る事となった。
つまり、これまで普通に行われていた「電気ショックなどの拷問による使役」は当然のように禁じられ、去勢や身体拘束、そして「自殺装置」の取り付けも禁止となった。
このタイミングでアメリカが介入して来たのは、いくつか理由がある。
一つは、日本が行った壮大な事業を社会実験と見なし、十分にデータが取れたと言うことだ。この珍獣がどのように人間と関われるのか、アメリカもまた興味があったのだ。
そして、もう一つの理由が、ゴブリンの出現により頓挫した「移民」の受け入れ問題だ。
「会社は社員を解雇出来るが、国家は国民を解雇出来ない」という言葉がある。だが、実際は国家が国民を棄てる事は可能であり、アメリカもまた余剰となった国民を棄てたいと考えていた。
そして、その贅肉の廃棄先は日本に決めていたのだが、ゴブリンの社会活用の実験のほうが重要と判断したから、計画を少し遅らせたに過ぎない。
ゴブリン利用の規制が強められた日本は、混乱を極めた。まずゴブリンが全く働かなくなったのだ。それどころか、彼らは略奪や破壊行動を始め、社会のあらゆる機能がマヒしてしまう。
さらにゴブリン業者も、ゴブリンが寿命を迎えるまで世話をする義務が発生し、商売が成り立たなくなり廃業することになる。
違法に放逐されたゴブリンが繁殖すると、いよいよゴブリンは徒党を組むようになり、地方の農村などに被害が大きくなる。
こうなると、政府も流石にゴブリン保護法など言ってられず、自衛隊を派遣した討伐が開始される。
勿論、アメリカは訓練を兼ねた軍事協力を申し出て、さらにタケダも「ゴブリン討伐事業」と称して、民間軍事会社を立ち上げる。
一方で、無害なゴブリンの問題も頭を悩ませた。ゴブリンロードのイッセーが統率を取ることで、ゴブリンは不思議なほど忠実に動くのだ。
だが、イッセーは彼らを労働力として日本に貢献しようとは微塵も考えていなかった。
ゴブリン保護法の適用範囲の下、政府の保護下で悠々と力を蓄えることを選んだのだ。
「同胞共よ、決して働くな、そして奪うな。奴らを奴隷として、我らに仕えさせるのだ・・・」
ゴブリン語で仲間に呼びかけるイッセーの声は、テレパシーのように東京全体のゴブリンに響き渡った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私は、今は3つの仕事を掛け持ちしているが、給料は全部足しても、雀の涙にしかならない。
ゴブリン保護法のお陰で負担の増えた日本は、増税に増税を重ねることで、消費税は遂に30%を超える事になった。
私は多忙に逃げ出したくなるが、仕事の無かった時代に比べればと、自分を奮い立たせる。
見れば日本は、随分と異国情緒溢れる国に変貌していた。ゴブリン保護法による人手不足と少子化から、ついに政府は移民を全面解禁したのだ。
彼らも最初は労働力として重宝されたが、やはりゴブリンを使役していた時代と比べると、圧倒的に効率も悪く、燃費も悪い。
かつてを忘れられない経営者は、移民労働者に不当な搾取や体罰を行うようになり、度々問題となった。
勿論、移民労働者だけがそうではなく、日本人労働者もまた虐待され、劣悪な労働環境に辟易していた。
だが、日本人と違い移民労働者は実に逞しかった。社会保障を利用することで、最低限の文化的な生活を確保出来るのだ。これを利用しない手は無いと、仕事に就くことを放棄し、地べたに寝そべる者が増えてしまった。
街には路上生活の外人とゴブリンに溢れ、かつて無職だった私は忙しく働かされている。
いっそ、私も彼らのように、生活保護申請でもして、楽に生きるのも良いかも知れない。
いや、どんなに安く使われても、働いていると言う事が、彼らよりも上級な存在である証明なのだ。そう考えると、例え無給労働を強要されても、この仕事を続ける意味があるというものだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ニューヨークの摩天楼と呼ばれるビル群の一角に、タケダ並びにゴブリン事業を推奨していた著名人や言論人が一堂に会していた。
彼らは日本が危ういと感づくや否や、早々にそこから脱出していた。この集まりは、実業家のホリキタが企画した懇親会だった。
「いや、タケダさんも、悪党ですよね!ゴブリンを増やして大儲けして、次はゴブリン駆除のシステムで大儲けじゃないですか」
「人聞き悪いことを言わないでくれ、タカヒロくん。私は国の為に尽くしたのだ。だが、国が私を信じてアメリカからの要請を突っぱねなかったから、こうなったのだよ」
普段なら気にも留めないユーチューバーもタカヒロの軽口に、タケダは珍しく不快感を露にする。そもそもタケダは愛国の士であり、真剣に日本という国を憂いでいた。
だが、彼の愛国心に、国民は含まれていない。
タケダにとって国民とは、競争に勝ち上がった「勝者」のみを指しており、皆が勝利を目指し競争する力こそが、国を発展させる原動力と信じていた。さながらサーキット場のレースカーの如く、スピードがスピードを釣り上げ、さらなる加速を生み出す力が、無限の成長を生むのだと。
それ故に、コースから脱落した者は障害物でしか無いのだ。本来なら社会から完全に消えて欲しいが、それが無理なら、せめて成長の加速熱を冷ます愚行をしないでくれ、という訳だ。
だが、だからと言って脱落者に向けたケアを考える能力は、タケダには持ち合わせていない。「好き」の反対が「嫌い」ではなく「無関心」と言われるように、タケダは敗者には、とことん無関心なのだ。
それ故に、タケダは私利私欲と言われることが、どうしても我慢ならないのだ。
「全ては国家の為に粉骨砕身の想いで尽くしているが、これは後世の歴史しか理解も評価も出来ないことだろうな・・・」
タケダがちびりとワイングラスに口をつけると同時に、ホストであるホリキタが登場する。
「お久しぶりですね、皆さん。いや今日はお集り頂き、ありがとう御座います」
言うや否や、ホリキタは壁に映像を映し出す。どうやら何かのプレゼンテーションを始めるつもりのようだ。
「皆さん、うちの事業が宇宙開発に着手してることはご存じですよね?」
ホリキタは様々な事業を手掛けているが、近年は特に宇宙開発事業に力を注いでいる。多くの者は「現実派の彼が、なぜ子供じみた夢に財産を費やすのか?」と訝しがったが、知恵の回る者は、単純な宇宙に浪漫とか言う話でないことは、すぐに理解出来た。宇宙と言うものには無限のビジネスチャンスが潜在しており、その先駆者が莫大な利益を手にすることは容易に想像できる。
だが、狙いべきは1位ではなく、2位だ。誰かに先頭を歩かせ、やぶ道を抜けてから満身創痍の1位を踏みつけるのがビジネスの鉄則なら、ホリキタは少々、勇み足に映っていた。
「この度、私は『宇宙移住計画』を立ち上げ、その資金を募っています。支援者には、一等の区域に優先して居住できる権利を差し上げることが可能です」
稀有総代なホリキタの計画に、一同は失笑ならぬ、爆笑が会場を包む。だが、ホリキタは想定の範囲内の反応とばかりに、余裕の表情でプレゼンテーションを続ける。
「皆さんは祖国が終わると判断したや否や、素早く国を捨てる判断力と瞬発力をお持ちの面々なわけです。さて、日本から避難出来ても、世界から避難する準備は、ありますか?」
ホリキタは、ある映像をプロジェクターから映し出す。そこには、銃器を持ったゴブリンが闊歩し、爆弾を抱えたゴブリンが戦車に突撃していく様子が映し出される。
「すでに海外ではゴブリンを軍事転用する動きが強くなっています。これは訓練の様子ですが、実際の戦場に投入される日も、そう遠くないでしょう」
ゴブリンの軍事利用・・・
考えてみれば、労働力よりも先ず思い付くのは、普通はそこである。そういう意味では日本の特殊性がそこに至らなかったといった所だろう。
だが、同時にこれは、世界の戦禍が過熱することを意味していた。
なんせ、ある程度の知性を持ち、しかし愚かなので制御しやすい。そして彼らの本質が暴力と無秩序である以上、労働力で活用するより戦場のほうが遥かに適していると言えよう。
さらに着目すべきは、その繁殖の高さだ。猿1頭から5〜6匹産ませることができ、1年かからずに前線に送り込むことが出来る。いや、猿など使わずとも、占領地の人間の女性捕虜を使ったって、構わないだろう。
これはすなわち、誰でも容易に殺戮部隊を用意出来る時代が来たという事だ。これは核爆弾を誰でも使用出来るに等しいリスクと言えよう。
「あまり、時間が無いかもしれませんね。私は出資しましょう!いや、是非、出資させて欲しい!」
ひとりの男がそう叫ぶと、それに続くように我も、我もとホリキタに押し寄せる。タケダはその様子を呆然と眺めていた。
「ゴブリンが兵器として使われる・・・か。かのノーベルも、今の私のような気持ちだったのだろうな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
富裕層が地球脱出を画策していた同時刻、私はある村落に向かっていた。
ゴブリン襲撃と思われる被害が報告され、武装隊による殲滅後の状況確認の為に派遣されたと言うことになる。
「警備会社ってのに、こんな事もしなければならないんですねえ」
揺られる車の助手席に座る私は、同僚で運転手のアリノに、愚痴ほどでもない、何気ない会話を投げてみる。
「今は、何でもやる時代だよ。文句を言えば、契約を切られてお終いだからね」
アリノが車を停める。ここからは歩いて行くようだ。私は寝不足の目を擦って、地図アプリを確認する。どうやらこの荒れ地みたいな場所が目的地で間違いないようだ。
「やれやれ、原発事故の時の被災地より、酷い惨状だな」
「ほお、アリノさんは、被災されたのでしたっけ?」
私はアリノにそれとなく聞いてみる。
「いや、私は除染作業員として入ったのさ。あの時は、二度とこの手の仕事は受けないと思っていたが、皮肉だねえ」
アリノは私と近い年と思っていたが、もうひと回り年上らしい。被災地の仕事に志願したのは、「被災した現場に駆けつけるほどの愛国心の証明」が欲しかったとのことだ。
「そんな人間が面接にくれば、同じ日本人として無下には出来ないだろう?仕事に困ってるなら、雇いたいと思うのが人情というものだ」
「はあ・・・、それで、効果はあったのですか?」
効果があるなら、こんな現場に来ていないだろう。私は愚かな質問をしたことに気付いた。
「結局のところ、ああいう現場に志願するのは、まともな仕事の無い反社会的な人間ってことで、むしろ逆効果だったよ」
アリノは乾いた笑いをすると、廃墟となった村落をどんどん進んで行く。
「ちょ・・・アリノさん。あんま無警戒に進むと、危ないですよ」
「大丈夫さ、航空写真でゴブリンの生き残りは居ないとされてる。我々がたった2名で現地入りさせられてるのも、一応は現地入りして調査したってポーズでしょう」
それもそうかと、私は自撮り棒のような道具を手にすると、廃墟を撮影し始める。それが何の意味があるかは知らないが、人手不足の中わざわざ人手を割くのだ。きっとこれも大事な仕事なのだろう。
「まったく、オフィスで働いていた時代が、懐かしい・・・」
世は人手不足を嘆いているが、彼らの席は常に満席だ。きっと、もう私が座る事は無いだろう。ゴブリンさえ現れなければ、私は席を離れる必要は無かっただろう。そもそも、何故、私が席を譲らなければならなかったのだろう。
ムラムラした怒りが私を包み込む。
良い席を牛耳り、席を退かず、席を増やさず、あまつさえ、ゴブリンという労働力を吸い尽くすだけ吸い尽くし、その後始末は二束三文で席から追い出した者に押し付けるのだ。こんな理不尽が、許されている世が、腹立たしい。
鬼の形相に変わっていた私は、ふと茂が動くことを確認する。
「ん?アリノさん、ちょっと、ここに・・・て、聞こえてないのか?」
どうやらアリノは先に行ってしまったようなので、仕方なく慎重に、と言うか及び腰で茂みを分け入ってみる。
「ギギ・・・、ウギィー・・・」
そこにはとても小さいゴブリンが居た。
「なんだ、幼体が残っていたのか?」
クリクリした目はゴブリンと言えど可愛らしくもあり、怯えた表情は憐れみを誘う。
だが、この憐れみを誘う弱々しく惨めな存在は、不思議な事に私と重ねて見えてしまう。
(違う・・・私はこいつみたいに、惨めなじゃない!俺を見るな、俺を見下すな!)
アリノがわたしの不在に気付き、ブツブツ言いながら戻ってくる。そこでアリノが目にしたのは、私が一心不乱にコブリンの頭にめがけて、何度も何度も殴りつけている様子だった。
「死ね、死ね!今はこいつで我慢してやる!だが、いつかは悠々と席に座ってる、てめぇらだ!」
呆気に取られて見ているアリノをよそに、私はいつまでもゴブリンを殴り続けていた。
※登場する人物はすべて架空の人物であり、特定の人間を揶揄するものではありません。