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第四十二話 神の微笑み

  パーリセウスの胸中に渦巻く不安は、あの二枚の細い白門が現れ、開かれるよりも前から、すでに重く胸を塞いでいた。


  前回はあれほど完璧にソロムネスを閉じ込めていた封印法陣が、今ではまるで意味をなしていない。逆世から来た悪魔は、逆世へ戻るには必ず空間の裂け目を通って逃れるしかないはずだった。なのにソロムネスだけは、忽然と現れたあの裂け目を利用し、塵世の別の場所へと転移してしまった。


  もし、この自分にさえもう彼を封じることができないのだとしたら――


  最後には、本当に守護神自らが手を下して事を収めるしかないのか。


  塵世を守る創世帝でありながら、神々の後始末に頼らねばならないというのか。ようやく賜ったこの恩寵さえ、かえって屈辱へと変わってしまうではないか。




  だが、白門が真に開かれたその瞬間、パーリセウスの脳裏を埋め尽くしていた乱れた思考は、まるで見えない手で一気に押さえ込まれたかのように静まり返った。


  パーリセウスはほとんど本能のまま膝をつき、頭を垂れ、守護神の言葉を待った。


  その光輝の中から顔立ちまでは見えない。だが、あの二枚の細い白門だけで、来訪者の正体を悟るには十分だった。


  空間の守護神、トリヤ・スペース。


  時間の守護神、ガリシュ・タイム。


  中でもトリヤは、塵世十二守護神の主神にして、塵世そのものの意識であり、この宇宙全体における最も根源的な意志の顕現でもある。


  つい先ほどまで心の中には無数の雑念が渦巻いていた。だが、塵世の頂に立つこの二柱を前にしたとき、パーリセウスの中に残ったのは、ただ沈黙だけだった。それは安堵が胸に差したからというだけではない。守護神が自ら姿を現し、しかもここまで降りてきたという事実そのものが、自分の受け入れねばならない重大な使命が、すでに訪れていることを意味していたからだ。


  だが、彼は命令を待っても、それを聞くことはなかった。


  最初に耳へ届いたのは、鈴の音のように澄みきった少女の声だった。


「顔を上げなさい、パーリセウス」


  パーリセウスは一切ためらうことなく、ゆっくりと顔を上げた。


  その視界に映ったのは、久しくこの目で見ていなかった守護神の姿だった。


  そこにいたのは、ほっそりとした体つきの少女だった。


  純白の長い衣をまとい、その裾には余計なしわ一つなく、華美な装飾も一切ない。まるでこの世のあらゆる虚飾が、彼女の身に留まることすら許されていないかのようだった。肌は触れれば壊れてしまいそうなほどきめ細やかで、その白さは身にまとう衣にも劣らない。裸足のつま先は大地に触れているようでありながら、同時に地からわずかに浮いているようにも見えた。まるで重みを持たぬかのように軽やかなその姿とは裏腹に、全身から立ちのぼる神聖な気配は、少しも揺るがない。


  彼女はパーリセウスへと手を差し伸べていた。細く柔らかな腕がわずかに前へと伸び、その幼子のように小さな手が、この忠実なる衛士に顔を上げるよう静かに促している。その所作には、領域の帝王のような威圧も、神像に刻まれるような絶対的な高みもなかった。むしろ驚くほどやわらかく、穏やかですらあった。だからこそ、なおさら逆らいがたい。


  金色の睫毛の下には、パーリセウスとほとんど同じ赤い双眸があった。その瞳には金色の六芒星――創造の瞳が刻まれている。


  それは単なる類似ではない。誰が一目見ても、パーリセウスの持つ力の源が、まさに彼女であると理解できるほどに明白だった。


  肩口まで流れる金髪は、風がなくともかすかに揺れていた。彼女という存在は、生命というよりも、少女の姿を借りて一時的に形を得た「空間」そのもののように見えた。小さく整った鼻筋、淡く色づいた唇がゆるやかな弧を描き、そこには神にのみ許された完璧な微笑が宿っている。


  そう――そこに立つのは、人型生命が思い描きうる限り、最も完全無欠な少女だった。


  トリヤ・スペース。


  聖なるほどに清らかで、それでいて信じがたいほど愛らしい。目の前のこの少女が、塵世という宇宙そのものの意識であり、なおかつ最強の存在であるなど、にわかには信じがたいほどに。




  そして、彼女の傍らに立っていたのは、やや背の高い少年だった。


  短い金髪。瞳には創造の瞳はなく、ただ静謐で澄み渡った青金の光だけが宿っている。トリヤが持つ、無垢で静止した聖性とは異なり、彼から感じられるのは別種の秩序だった。宇宙のあらゆる流れ、移ろい、先後、そのすべてが彼の周囲で静かに正されていくような感覚。あの冷静なまなざしを見ているだけで、どれほど切迫した場にあっても、なぜか安心を覚えてしまう。そしてその凛々しくも秀麗な顔立ちは、どこかトリヤに似ていた。二柱が並ぶさまは、まるで天上から降りてきた兄妹のようだった。


  それがガリシュ・タイムである。


「はい、忠実なるあなたの衛士、パーリセウスです……誠に申し訳ございません。お預かりした使命を果たせませんでした」


  その言葉に、トリヤはただ静かに首を横へ振った。


「そんなふうに言わなくていい。あなたは今でも、十分によくやっているよ」


  パーリセウスは再び頭を垂れた。それは罪を詫びたというより、その言葉を聞いた瞬間、張り詰め切っていた心の糸が、ようやく少しだけ緩んだからだった。


「ソロムネスが剣心境界から逃れられたのは、塵世と逆世が、すでに融合を始めているからだ」


  トリヤの言葉が終わるや否や、傍らのガリシュが言葉を継いだ。少年神の声は彼女と同じく若さを帯びていたが、その響きは判決そのもののように揺るがなかった。


「融合……? だからソロムネスは宇宙の裂け目を使い、塵世の別の場所へ転移できたのですか。尊き守護神よ……ならば、私はどう動くべきでしょうか」


  ソロムネスとの戦いそのもので疲労を覚えたわけではない。だが今、守護神の口から明かされた真実に、パーリセウスの額には冷や汗がにじんでいた。この未曾有の宇宙的危機を前に、軽々しく動くことはできない。だが同時に、もはや事態が自分ひとりの手には余る領域に達していることも、痛いほど理解していた。


  ガリシュ・タイムは、いつもと変わらぬ静かな声で告げた。


「空間の裂け目というものは、本来であれば逆世の悪魔が侵入、あるいは召喚されることによって開かれる。だが今回は事情が違う。セミトスの核そのものが、逆世守護神の結界門で構成されているのだ」


  トリヤ・スペースは、なおもかすかな微笑を浮かべたまま、やわらかく補足した。


「ちょうど、あなたがこの剣心境界の中に設置している、守護境界へ通じる転送門のようなものだよ」


  セミトスがいかにしてあの門核を通じ、自らに魔力を供給していたのか。そこまで今のパーリセウスに考える余裕はなかった。事実として裂け目はすでに生じている。ならば今、最優先すべきは塵世と逆世のつながりを即座に断つことだ。だが、まさにその一点においてこそ、彼は初めて手の打ちようのなさを覚えていた。


  トリヤは微笑を消し、そのまなざしを静かに、そして厳しく変えた。


「私たちは、すでに逆世に同化し始めている部分を切り捨てなければならない」


  声音は高くない。だが、それは裁断そのもののように響いた。


「これは、逆世守護神との速度比べだ。もし逆世が本当に塵世と完全に一つになれば、私たちは存在できなくなる。二つの世界はともに秩序を失い、完全な混沌へと堕ちるでしょう」


  ガリシュが言葉を継ぐ。


「ゆえに、私たちはただちに逆世守護神の侵入地点へ赴き、それを断たねばならない。各領域の現状については――私とトリヤが、時空の権能をもって直接あなたに見せよう」


  その言葉を聞くと、パーリセウスは両手で創造の剣を捧げ持ち、この無双の神剣をトリヤへ返そうとした。


  だが、彼が口を開くより先に、トリヤはかすかに首を振った。


「大丈夫。その剣は、そのまま持ってソロムネスに向かいなさい」


  その笑みは淡かった。だが、抗うことなど到底できない。


「創造の剣がなくても、私たちは逆世守護神に対処できるよ」


  パーリセウスはなお何かを言おうとした。だが、少女のまったく揺るがぬ表情を見たとき、最後にはただ、自らの神を完全に信じるしかなかった。




  次の瞬間、二柱の神は同時に手を掲げた。


  無数の古く輝かしい符文が空中に幾重にも広がり、その眩さは無数の宝石へ同時に光が灯ったかのようだった。転移の過程もなければ、移動の軌跡もない。すべてはただ、この剣心境界の内側で起きた――空間そのものが、別の戦場へと置き換えられたのだ。


  刹那ののち、パーリセウス、トリヤ、ガリシュの三者は、すでに皆の前へ姿を現していた。


  その光景は、その場にいた者たちの士気を一気に押し上げた。


  虹神・アルボルシューは即座に身を屈め、塵世宇宙の最高位なる存在へ、最大限の敬意を捧げた。




  だが、ソロムネスだけはなお少しも怯まなかった。彼はただ前方に静かに立ち、まるで逆世守護神・アロデロスを、自らの真の後ろ盾と見なしているかのようだった。


  そしてそのとき、アロデロスが開いた他の空間裂け目の中からも、逆世守護神たちの姿が次々と現れ始めた。


  最初に踏み出してきたのは、アロデロスに匹敵するほど巨大な人型の獣だった。あらゆる凶暴な獣の特徴を継ぎ合わせたかのような異形。だが、ただ一つ、牙と爪だけは違っていた。それは骨でもなければ金属でもない。見る者の本能を震わせる、純粋な破壊そのものだった。誰の目にも明らかだった。あれは調教される獣ではない。ただ「殺戮」を本能とする逆世守護神に他ならない。


  それに続いて現れたのは、下半身が無数の樹根のように絡み合い、頭部は巨鹿を思わせる怪物だった。紫と緑の毒光の中からゆっくりと姿を現したそれは、ただ纏う気配だけで、生きとし生けるものを近づく前に死へ追いやるに足る存在だった。今、その無数の触手めいた肢をゆるやかに伸ばしながら、パーリセウスたちのほうへと迫ってくる。それがもたらすのは、巨爪に引き裂かれる恐怖とは異なる。近づく以前に、すでに腐敗が約束されている死だ。


  続いて、別の裂け目から現れたのは、黒い法衣に身を包んだ巨人だった。細く鋭い耳を持ち、裂けた口からは深紅の液体が垂れている。それが血なのか、あるいは暴虐な生命力そのものの顕現なのかは判別できない。ただ、その眼差しに宿るのは、生命への飢えにも似た貪欲だけだった。長く命を喰らい続けてきた捕食者が、最初のひと噛みを誰から奪うか、悠然と選別しているように見えた。


  そしてアロデロスの真上、何かを迎え入れるかのように大きく開かれた巨大な裂け目から、最後に姿を現したのは、裂け目の規模にまるで似つかわしくない黒衣の少女だった。


  長い黒髪が波のように垂れ、その髪の下には紫の炎を宿した双眸が燃えている。その炎の中心には、瞳孔の代わりに六芒星が刻まれていた。ソロムネスと同じ、滅びの瞳である。彼女が纏う黒い短い衣には紫黒の刺繍が散りばめられているが、その裾そのものが、むしろ滅びの黒霧から編まれたように見えた。すべてを圧し潰す破滅の気配が、そこから立ちのぼっている。裾の下には漆黒の長靴。そしてその身から発せられる気配は、まさしく滅びの剣と同質だった。破壊の力がそのまま形を成したかのような存在。




  その姿を見据え、トリヤは、自分とほとんど変わらぬ体格を持つ黒衣の少女へ視線を向けた。


  彼女にはよくわかっていた。あれこそが、逆世宇宙の主神――自分と同格の存在であると。


  ゆえにトリヤは静かに手を上げた。


  その背後で、七つの巨大な白門が轟然と開く。


  門内から迸った黄金の光は、一瞬にして星河全体を照らし尽くした。その輝きと、逆世守護神たちの身にまとわりつく破滅の気配が正面から激突する。それはまるで、決して相容れぬ二つの世界、二つの法則が、無理やり同じ宇宙へ押し込められ、真正面からぶつかり合っているかのようだった。


  こうして、二つの宇宙による最後の正面衝突が、ここに幕を開けようとしていた。

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