第四十一話 エスケープ
パーリセウスは、戦いがまだ終わっていないことをはっきりと理解していた。
だからこそ、ソロムネスに一瞬たりとも息をつく隙を与えなかった。創造の剣と幻想の剣が立て続けに振り下ろされ、交錯する剣光がその損壊した躯を再び裂き、断ち、解体していく。滅世の瞳がソロムネスに与えていた再生力が、創造の力によって徹底的に押さえ込まれるまで。
これが初めてではない。
かつてパーリセウスは、まさに同じやり方でソロムネスを完膚なきまでに打ち砕き、分子の階層に至るまで細分したのち、彼のためだけに用意された暗の領域の牢獄へと封じ込めたのだ。
同じ一族に連なるとはいえ、パーリセウスは光帝のカルロ・ジックとは根本から異なる。純粋な光魔法を正面から叩きつけ、敵を力任せに消し飛ばすような戦い方を、彼は好まない。単純な術式による圧殺よりも、卓越した剣技と、全元素に対する極めて高い親和性にこそ信を置いている。だからこそ彼は、風の領域で修めた魔剣士の技を極限まで研ぎ澄ますことができた。
彼が最も得意とするのは、光の魔力で自身の斬撃速度を限界まで高め、その上に創造の剣の比肩するものなき破壊力を重ね、絶え間ない猛攻によって敵を押し潰す戦法だった。
「封印術・幻殺境界、創造の力・無限細分牢獄!」
灰色の光がパーリセウスの全身から爆発するように噴き上がり、瞬く間にソロムネスの損壊した頭部と四肢を包み込んだ。幻の力はソロムネスの体内からあふれ出る滅びの黒霧を絶えず喰らい続け、その直後、数え切れない赤紅の魔力の糸が虚空から伸び現れ、あらゆる残骸を幾重にも絡め取り、空中へと厳重に縫い止めていく。
パーリセウスは、何重にも糸で包まれたその頭部を冷然と見下ろした。
ソロムネスの右目の奥には、なお一筋の暗紅の微光が残っている。
「今回は、前回ほど粘れなかったようだな、ソロムネス」
パーリセウスは片手を掲げ、再び魔力を法陣へ流し込む。無数の赤い糸は互いに交差しながら、空中に巨大な封印陣を展開した。ソロムネスの残された躯は均等に六つへと切り分けられ、さらにその先、より微細な層へと果てなく剥離されていく。頭部もまた法陣の中心に固定されたまま、同じ速度で崩壊へと向かっていた。
「今のお前に、創造と幻想の剣を持つ俺を倒す勝ち目はない」
パーリセウスの声に怒りはない。あるのは、ただ冷え切った裁定だけだった。
「塵世の中で、永遠に懺悔していろ」
だが、その次の瞬間――
「だから言っただろう。まだ終わってはいない、パーリセウス。そう焦るな」
低く、陰鬱な声が、法陣の中心からゆっくりと響いた。
パーリセウスの瞳孔が鋭く縮む。
その声は、すでに分解され、拘束され、法陣の中央に押さえ込まれているはずのソロムネスから発せられていた。
一瞬のうちに、パーリセウスでさえ抑え切れない驚愕を露わにする。
前回もまた、この究極の封印術によってソロムネスのあらゆる魔力と抵抗の手段は完全に押し潰され、そのまま永劫の牢へと封じられたはずだった。道理の上では、この法陣の中でソロムネスが再びいかなる力をも動かせるはずがなく、まして口を開くことなどあり得ない。
だが今のソロムネスは、話すどころか、なお魔力を凝集し続けている。
パーリセウスはただちに法陣への支配を強めた。灰と紅が織り成す術式の光は一気に膨れ上がる。だがその直後、彼はさらに不穏な異変に気づいた。
法陣へ注ぎ込んだ魔力は、たしかに先ほどの倍にまで増している。にもかかわらず、陣そのものは微塵も強化されていない。
力は打ち消されてもいない。喰われてもいない。
まるで何かにそのまま“持ち去られた”かのように、音もなく、別の世界へ流れ落ちていた。
「もうお前に付き合っている暇はない」
法陣の中心で、ソロムネスの声が低く、愉悦を滲ませて響く。
「今こそ、我が神を迎える時だ」
「そして――逆世と塵世が、一つに重なる時でもある!」
直後、ソロムネスの残骸は強引に再構成を始めた。
無数の赤い糸がなお四肢と頭部をきつく締め上げているにもかかわらず、その幾重もの封印の向こうから、パーリセウスはかつて感じたことのない規模の毀滅の力が急速に膨れ上がっていくのを、はっきりと感じ取った。
もはや法陣が効いていない以上、別の封印術を上から重ねても意味はない。
ならば、ここでもう一度斬るしかない。
何が起ころうと、少なくとも創造の剣の斬撃だけはなお絶対に有効である――その一点だけは、パーリセウスも揺るぎなく信じていた。
彼は一切の躊躇なく双剣を振り下ろす。先ほどソロムネスを徹底的に斬り砕いたのと同じ一撃を、もう一度再現するために。
だが、刃が落ちるその直前、ソロムネスの躯は、突如として開いた空間の裂け目に呑み込まれた。
その光景は、かつてドムがセミトスたち悪魔を塵世へ召喚した過程を、まるごと逆転させたかのようだった。
創造の剣と幻想の剣が最終的に斬り砕いたのは、閉じかけたその裂隙だけだった。
空中に残されたのは、塵埃と濃霧、そしてパーリセウスの目に一瞬だけ走った驚愕のみ。
次の瞬間には、彼は転移法陣を展開していた。
パーリセウスには分かっている。ソロムネスの向かう先は、間違いなく虹神のいるあの戦場だ。今まさに、塵世守護神と逆世守護神は正面から衝突している。たとえソロムネス自身に守護神級の戦いへ割って入る資格がないとしても、これ以上新たな変数を許すわけにはいかなかった。
だが、剣心境界を離れようとしたその瞬間――
二筋の聖なる光が、浮島の上にある神殿から突如として灯った。
刹那、風が止まる。
黄金の大草原は揺れを失い、濃霧さえ半空で凝り固まり、まるで時間そのものがこの一瞬だけ押さえつけられたかのようだった。
完全に静まり返ったその空間の中で、パーリセウスの背後に、細く小さいながらも絶対に破れぬと直感させる二枚の白門が、ゆっくりと開いていく。
そこから姿を現したのは、細身でありながら、直視することすら許されぬほど神聖な二つの影だった。
白門が開いたその瞬間、パーリセウスは転移を止めた。
彼は静かに振り返り、片膝をついて頭を垂れ、白門の奥から差し出される聖なる光を迎えた。
そしてその頃、虹神のいる宇宙では、守護神同士の戦争がついに頂点へ達しようとしていた。
守護神たちの交戦によって、闇の領域はすでに跡形もなく消え去っている。さらにはその周辺に位置する氷の領域と雷の領域にまで被害が及び、幾つもの星々が崩壊を始めていた。
正義と信念の神・フルガ。戦争と征服の神・卍グラス。智慧と剛毅の神・プルドリセ。
塵世の三柱は、逆世守護神と全力で斬り結んでいた。
フルガの双剣が放つ無数の剣影は、たとえ最初の一撃で逆世守護神の肉体を断ち切れなくとも、その後に幾重にも重なる光の剣気が、まったく同じ軌跡をなぞるように走り、ついにはその身を貫いていく。だからこそ、再生の躯を持つあの逆世守護神でさえ、フルガの攻撃だけは肉体や武器で正面から受けることができず、回避を重ねて損傷を最小限に抑えるしかなかった。
しかしフルガが全力で攻め立てているその最中も、卍グラスの突撃は少しも鈍らない。高位存在すら断ち裂くその剣気も、塵世最高の防御を誇る卍グラスの鎧に落ちれば、最外層をかすかに削ることしかできなかった。
さらに後方で支援するプルドリセは、卍グラスの鎧を修復し、傷を負ったフルガを癒しながら、無数の腕から符文に満ちた呪弾を絶えず撃ち出していた。その一発一発が命中するたび、逆世守護神の動きは一瞬だけだが確かに鈍る。
それでもなお、十本の腕を持つ逆世守護神は、塵世の三柱を相手に同時に渡り合っていた。
彼が刀をひとたび振るえば、宇宙に裂隙が走り、迫り来る呪弾も剣影もその中へと吸い込まれていく。彼が毀滅の力による衝撃波を放てば、空間そのものの運行法則が歪められ、本来なら命中するはずの攻撃は彼の身を外れ、本来なら避けられるはずの斬撃が正確に急所へ導かれる。
十本の腕はそれぞれ異なる武器を握っている。だがその全てが、まるで一本の武器であるかのように淀みなく連動し、それぞれまったく異なる効果を発揮していた。
眼前のこの戦いに、虹神はまるで割って入れない。
彼にできるのは、せいぜいプルドリセの攻勢に合わせ、【轟天】に匹敵する威力のエネルギー波を放ち、せめて敵の腕を一本でも破壊することを願うだけだった。
その時――
ソロムネスが転移法陣から歩み出てきた。虹神とプルドリセの背後に。
「お前がこの姿になっているのを見るのも、もう随分と久しいな、アルボルシュー」
ソロムネスは低く笑った。
その姿を見た瞬間、虹神の瞳は鋭く縮む。ほとんど本能のように恐怖がよぎった。だが次の瞬間には、彼はそれを無理やり押し殺し、自らを落ち着かせる。
あり得ない。
ソロムネスが、パーリセウス様を打ち破ってここへ来られるはずがない。
なぜなら剣心境界は、もはやパーリセウス様一人だけの世界ではない。そこにはすでに、他の守護神の加護が差し込んでいる。
「よくもまだここへ来られたものだな、ソロムネス。お前程度なら、守護神は片手間で十分だ」
虹神の言葉が終わるか終わらぬかのうちに、プルドリセは拳を振り下ろした。
だが、ソロムネスは避けようとすらしない。ただその場に立ち尽くしていた。
プルドリセの拳は、目に見えぬ壁にぶつかったかのように、ソロムネスの眼前でぴたりと停止する。そこから先へ、一寸たりとも進めなかった。
「これは……定則か?」
普段は閉ざされているプルドリセの双眸が、その時初めて大きく開いた。淡い青の瞳孔の中央で、智慧を象徴する金の輝きが揺れている。その声色はなお冷静だったが、そこには確かに、これまでにない重さが滲んでいた。
「ですが、プルドリセ様……塵世の中で、我々を妨げる定則が現れるなど……」
虹神は信じられぬ思いで、プルドリセを仰ぎ見る。
「もちろん、可能だとも」
ソロムネスが、唐突に高らかに笑った。
「我が逆世の守護神・アロデロスが姿を現したその瞬間から、ここはもうお前たちだけの世界ではなくなったのだからな!」
そしてその言葉に呼応するように、逆世守護神アロデロスは十本の腕を大きく広げた。
その姿は祈りにも似ていた。あるいは、自らよりさらに高位の何かを迎え入れようとする儀式にも。
直後、彼の周囲の空間が激しく歪む。
そして次の瞬間、アロデロスと同じ規模を持つ巨大な裂隙が四つ、宇宙の中に一斉に開いた。まるで邪神が四つの眼を同時に見開いたかのように。
その裂隙の奥から滲み出してくるのは、アロデロスとよく似た、だがまた別種の不吉さを湛えた気配だった。




