第三十六話 光の隕落
その爪はサイドハックの腰を貫通した。サイドハックの胴体は、その一撃で鏡が砕けたように光の欠片へと散っていく。
一方、先ほど惑星と同サイズだったセミトスの巨躯は急激に縮み、元のサイズよりもさらに三倍ほど小さく――いや、もはや普通の人間と変わらぬ大きさへと収束していた。
「この悪魔め……今のは、そのゲートの力で瞬間転移したのか。しかも、惑星よりも大きい身体の内部に“分身”を作り、それを転移させた……?」
アルボルシューは悪魔の力を感知できない。ゆえに、感知に優れるサイドハックの能力に頼っていた。だからこそ、この奇襲は想像の外だった。
最初は“本体が縮小した”のだと思いかけたが、それなら魔力の流れでサイドハックが気づくはずだ。となれば、答えは一つ――分身だ。
だが、なぜだ。なぜ悪魔は、体内のゲートを介して十二守護神の宇宙内で転移できる?
まさか……二つの宇宙の境界が、すでに薄くなっているのか?
もしそうなら、我々虹の神として――最後の手段を取るしかない。
アルボルシューはサイドハックのもとへ駆け寄りながらも、疑念と思考が止まらなかった。今の推測が正しいのであれば、残された時間はあまりにも僅かだ。
神の血は何色だ?
ワイン色か、真白か、それとも彩か。
今、腕の中にいる弟サイドハックは――すでに身体の半分ほどしか残っていない。断面と口元へ流れ込むのは、純粋な光のゲルのようなものだった。
ここまで虹の神が追い詰められたことが、過去にあっただろうか。
自分のホリー・ファイアなら、傷口にまとわりつく破壊の力を消すこと自体は不可能ではない。だがアルボルシューが切実に感じていたのは、神であるサイドハックの“生命力そのもの”が薄れていく感覚だった。
虹の神とは、守護神によって創られた塵世の宇宙に誕生した原初の元素――炎・光・闇・大地・風・木・水。
太古、なお混沌だった世界で、灼熱の宇宙にようやく光が差し、やがて闇が光の反射によって生まれる。守護神に造られた大地に生命の息吹が吹き込まれ、花が開き、さらに多くの生霊が生まれていく。栄養と循環は一刻も止まらず、その変化を司る七つの精霊は神の格に値した。
後に七色の神――すなわち虹の神と呼ばれた者たち。創世帝や領域王者よりも遥かに古い歴史を持つ存在である。
サイドハックがここで死ねば、オーズマと共に光と闇を司る神が消える。元素の力は弱まり、悪魔に抗う手段はさらに失われていく。
アルボルシューはホリー・ファイアで、サイドハックの身体に刻み込まれた破壊の力を削ぎ落としながら、必死に策を練った。
だが、セミトスは時間を与えない。再びアルボルシューへ猛攻を浴びせる。
混沌世界に近い逆世から侵略してきた彼――その“生まれた理由”は、本人にすらわからない。無尽蔵に近い魔力を蓄えるゲートのようなコアは、塵世と逆世を完全に混同させるための“爆弾”でもある。そして今、それは爆発寸前にまで高まっていた。
サイドハックはなんとか上半身と下半身を繋ぎ直した。だが、すでに不完全だ。これではアルボルシューが一人でセミトスを迎撃することになってしまう。
誰よりも強い兄に託せば、たとえセミトスでも撃退できる――しかし、あの爆弾を安易に暴れさせてはならない。
そう考えたサイドハックは覚悟を決め、右手で兄の頬に触れた。
刹那、感電したかのようにアルボルシューは震える。手から流れ込む膨大な魔力――言うまでもない。サイドハックは致命傷を癒すことよりも、兄に魔力を託し、不完全であっても“虹の神の融合”を選んだのだ。
二人の魔力が融合を始めた瞬間、遠くで戦うアルサイド、パールニ、ボエトル、スーズリオは異変に気づいた。それぞれ交戦を断ち、二人のもとへ急行する。
アルボルシューとサイドハックの融合に気づいたセミトスは、血のように赤い瞳に恐怖を映したのか、裂けるように見開いた。次の瞬間、体内のゲートで空間を捻じ曲げる。
サイドハックを襲ったのと同じく、アルボルシューの背後から真っ黒な手が伸びた。黒い爪には紫の魔力が血管のように走り、腕へと絡みつく。
その爪の威力は破壊の剣には劣るが――セミトスの絶技、骨噬邪炎・魔能の矢に迫る。両断されずとも、この不意打ちは即座に立ち直れる類ではない。
だが、なお僅かにサイドハックの魔力を取り込んだアルボルシューは、ゆっくりと左腕を後ろへ伸ばし、光と炎で結界を編んだ。
爪と左手の間に、わずか一ミリ。オレンジの炎で築かれた“壁”のような巨大なバリアが、確かにその攻撃を止めた。
そこへアルサイド、パールニ、ボエトル、スーズリオも到着し、もはや体の四分の一ほどしか残っていないサイドハックへ、静かに敬意を示す。
ザンカフロスら他の悪魔もセミトスに付き従って来ていたが、アルボルシューの異変に気づいたのか、あるいはセミトスの威圧に呑まれたのか――その動きは止まった。
アルサイドはサイドハックへ声をかける。そこには悲しみと悔しさが滲んでいた。
「兄よ……これからは、共に悪魔たちを蹴散らそう。」
パールニは、この傷を水で修復できないことを悟り、涙をこぼしながらも周囲の兄弟たちの治療に専念した。
サイドハックを完全に取り込んだアルボルシューは、先ほど炎の棺に納めていたオーズマの亡骸を吸収し始める。同時に、他の虹の神々もバリアを展開し、右手をアルボルシューの肩へ重ねた。
セミトスは渾身の力を振るっても、厚みを増し続けるバリアは貫けない。ゲートを使って同じ奇襲を何度も繰り返すセミトスは、再び惑星のような巨躯へと復元していく。それこそが、彼が最も誇らしげに破壊力を誇示する姿だった。
呼応するように他の悪魔も絶技を放ち、虹色を照らす“小さな星”のようなバリアを攻撃し続ける。だが、その攻撃は同等の反撃によって相殺され、次々に無効化された。
バリアの内側には、もはやアルボルシューの姿しかない。虹の神は今ここに――一人となった。
まだ弟たちの力を完全には融合しきれていない。それでも、この虹の盾は、塵世における最強の元素結界だ。あらゆる魔力攻撃には属性がある。幻の魔力には及ばぬとしても、元素の神たる七柱が融合した魔力は、塵世において守護神の力以外に比肩するものがない。
先ほどまで白いローブと赤い鎧をまとっていたアルボルシューの装束は、吸収の過程で木神・水神・地神・風神・闇神・光神の象徴光を纏い、基調は赤のまま、虹色が雲のように漂う眩い鎧へと変貌した。
虹の盾は一度大きく広がり、すぐに収束していく。やがてアルボルシューの身体とほぼ同じ大きさに落ち着いた。
虹の光が静まると、目も顔も髪も肌も――何もかもアルボルシューとは異なる。だがその姿は、違う形で生まれた兄弟たち全員の特徴を宿していた。
炎神アルボルシュー――いや、今は“虹の神”と呼ぶべきだろう。溢れ出す魔力は、攻撃するまでもなく、周囲の悪魔の攻勢を“無視できる”ほど圧倒的だった。
「よくこの姿を見るがよい、逆世の悪魔め。悪魔ならソロムネスと共に、還れぬ奈落へ堕ちていけ。」
虹の神となったアルボルシューは、彩光の鎧を揺らしながら右手をセミトスへ差し伸べる。
「轟天」




