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55 靴職人令嬢は近衛騎士と結ばれる

 導かれるままに城内を歩き、フェリクスがようやく足を止めたのは、リルジェシカも見知ったセレシェーヌの私室に通じる無人の廊下だった。


「その……。開けてみてもいいかな?」


「は、はいっ! もちろんですっ!」


 雲の上を歩くように、ふわふわと夢見心地に足を動かしていたリルジェシカは、遠慮がちなフェリクスの言葉に、我に返ってあわてて頷く。


 リルジェシカの手を放したフェリクスが木箱を包んでいた布を取り、ふたを開ける。


 途端、碧い瞳がみはられた。


「これが、きみがわたしのために作ってくれた靴……! 履いてもいいかい?」


「は、はい……っ。男性用の靴は初めて作ったので、ちゃんとできているか不安なんですが……」


「きみが作ってくれたというだけで、わたしにとっては宝物だよ」


 甘やかに微笑んだフェリクスが木箱からそっと牛革の短靴たんかを取り出し、履き替える。


「これは……っ!」


 履いた途端、フェリクスの顔が変わる。


「な、何か変ですか!? きついとか、履き心地が悪いとか……っ!?」


 泡を食って身を乗り出した途端、リルジェシカはフェリクスに両手を腰に回され、抱き上げられた。


「ひゃあっ!? フ、フェリクス様っ!?」


 抱き上げたままくるくると回られ、すっとんきょうな声が飛び出す。


「すまない。喜びが抑えきれなくて……っ」


 すとん、と床に降ろしてくれたフェリクスが晴れやかな笑顔を浮かべる。


「これはセレシェーヌ殿下や女王陛下がきみの靴に夢中になるのもわかるな。いままでの靴とは比べ物にならない履き心地のよさだよ!」


「ほ、ほんとですか!? よかったぁ……っ」


 安堵の息をついた瞬間、ぎゅっとフェリクスに抱きしめられた。


「本当にありがとう、リルジェシカ嬢! いや、靴のことだけじゃない。わたしの求婚を受け入れてくれて……っ!」


 髪に顔をうずめるようにして告げられた言葉に、思考がふたたび沸騰する。


「ゆ……っ」


「ゆ?」


「夢じゃ、ありませんよね……?」


 熱に浮かされたように思考がふわふわとして、まだ信じられない。


 フェリクスも、リルジェシカを想ってくれていて……。結婚を、申し込まれたなんて。


 不安を隠せず問うと、わずかに身を離したフェリクスの面輪に、柔らかな笑みが浮かんだ。


「夢なんかじゃないよ。わたしも、夢かと思うほど幸せだけれど」


 甘やかに微笑んだフェリクスの大きな手のひらが、リルジェシカの頭の後ろに回る。かと思うと。


 凛々しい面輪が近づき、ちゅ、と軽くくちづけられる。


「っ!?」


「これで、夢ではないと信じてもらえるかい?」


 碧い瞳がリルジェシカを覗き込むが……。答えるどころではない。


 全身を駆け巡る熱に気を失いそうになり、ふらりとよろめくと力強い腕に抱きとめられた。


「リルジェシカ嬢っ!? もしかして、無理がたたって体調が……っ!?」


「ち、違いますっ! いえっ、無理をしたのはそうかもしれませんけれど……っ」


 フェリクスに抱きしめられているのだと思うだけで、心臓が口から飛び出しそうになる。


 あわあわと応じると、形良い眉がきゅっと寄った。


「十日足らずで女王陛下の靴だけでなく、わたしの靴まで作ったんだ……。やっぱり、無理をしたんだね? わたしの靴は後でよいと言ったというのに……」


「で、ですけれど……っ」


 くらくらと思考がまとまらぬまま、潤んだ声を紡ぐ。


「トリスティン侯爵令嬢とのご婚約の噂を聞いて……っ。私の恋心は絶対に実らないのだと……っ! 伝えることもできないのなら、せめて、一針一針、想いをこめて縫った靴をお祝いにお渡ししたくて……っ!」


 告げた瞬間、息が詰まるほど強く抱きしめられた。


「まったく、きみはもう……っ! そんなに愛らしいことを言われては、抑えが利かなくなってしまうだろう?」


「フ、フェリクス様!?」


 フェリクスが手加減して抱きしめてくれているのはわかる。が、ばくばくと心臓が鳴り響いて壊れてしまいそうだ。


「すまなかった。わたしが至らぬばかりに、きみに無理を……」


 泥のように苦い声にろくに動かせない頭をふるふると振る。


「ち、違いますっ! 私が勝手にしたことで……っ」


「だが」


 フェリクスの声が硬さを帯びる。


「今回の件で、きみの靴作りにかける情熱を甘く見ていたと痛感したよ。まさか、十日で三足も作ってしまうとは……。これは、一日も早くきみのご両親にもお会いして、正式に婚約を結ばないとね。でないと、心配でわたしの胃に穴が空いてしまいそうだ」


「お、お父様はいまはまだ所領に行ってらして……っ。というか、本当に私でいいんですか……? しがない男爵家で、借金まで背負っていて、令嬢のくせに靴作りなんてと呆れられている私で……」


「もちろんだとも」


 大勢の貴族達の前では言い出せなかった不安を口にすると、即座に力強い声に否定された。


「わたしは靴作りに夢中になっているきみにかれたんだ。いきいきと靴作りに打ち込むきみがまばゆくて、その力になりたくて……。何より、さっきも言っただろう?」


 リルジェシカを真っ直ぐに見つめたフェリクスが、甘やかに微笑む。


「わたしが愛しているのはきみだけだ、リルジェシカ」


 名前を呼ばれただけで、ぱくんと鼓動が跳ねる。


「それよりも、きみこそわたしでいいのかい? 爵位も継げぬ次男坊で、きみの借金を肩代わりできるほどの財力だってない。しがない近衛騎士だ」


「そんなこと!」


 千切れんばかりにかぶりを振る。


「私はフェリクス様が……。フェリクス様でなければ嫌です!」


 ダブラスと婚約していた時は、相手を想うだけで切なくなったり、反対に心がふわふわと浮き上がるようなこんな気持ちなんて、まったく感じたことがなかった。


 だというのに、フェリクス相手だと……。


 言葉ひとつで居ても立っても居られぬほど不安になったかと思うと、まなざしひとつで鼓動が跳ねて、自分で自分の心が制御できなくなってしまう。


 初めて味わう感情に翻弄ほんろうされて、溺れてしまいそうだ。


「リルジェシカ」


 感情がたかぶってまなじりに浮かんだ涙を、フェリクスの骨ばった指先がそっとぬぐう。


 頬を包んだ手のひらに導かれるように顔を上げると、碧い瞳とまなざしが重なった。


 これからの明るい未来を示すかのようなよく晴れた空の碧。


「愛している。一生きみを大切にして、幸せにすることを誓うよ」


「わ、私も……っ! 私もフェリクス様が好きですっ! だから一緒に――幸せになってくださいっ!」


 ありったけの勇気をふりしぼって告げると、凛々しい面輪にとろけるような笑みが浮かんだ。


「ああ。一緒に幸せになろう」


 リルジェシカ、と愛しげに呟いた唇が降りてくる。


 柔らかなくちづけを、リルジェシカは胸にあふれる喜びとともに受けとめた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 二人共おめでとう。゜(゜´Д`゜)゜。 [一言] 帰宅後のお母様の反応を想像すると、めちゃくちゃ楽しいです♡ 違う意味でドキドキしながら娘を待っているでしょうからねぇ。
[一言] 真面目で可愛らしい二人の姿にほっこり みんなに祝福される幸せな二人の姿をもう少し読みたかったです 
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