50 近衛騎士、親方に怒鳴られる
「いまごろ何しに来やがった⁉ こんの馬鹿野郎が!」
品評会の日の朝、レブト親方の工房を訪ねた瞬間、フェリクスは罵声を浴びせられた。
「リルジェシカを泣かせたら皮をはいで靴にしてやるって言っておいたよな⁉ おとなしく皮をはがれに来たか⁉」
「ちょ……っ⁉ 親方っ、待ってくださいっ! わたしがリルジェシカ嬢を泣かせたって……っ⁉」
虚を突かれ、あわてふためいて尋ね返したフェリクスの言葉に、レブト親方の目が剣呑に細まる。
「ほおぉ、泣かせた自覚もないと来たか。いい度胸だ。生きたまま、じわじわと皮をはいでやるよ」
「待ってくださいっ! わたしがリルジェシカ嬢を泣かせるなんて……っ! そんなことをするわけがないでしょう⁉」
「あぁん! この期に及んでまだしらばっくれようってんのか⁉」
親方の眼光が磨き抜かれた針より鋭く光る。
「二日前、リルジェシカがどれだけ泣いたと思ってる⁉ あいつがあんなに泣くなんざ、腹立たしいがお前しか原因がないだろうがっ!」
「二日、前……」
親方の言葉に胸がざわつく。
確かに、二日前のリルジェシカはどこか様子がおかしかった。
元婚約者のダブラスに会い、ふたたび婚約を求められたせいかと思っていたが……。
気にはなりつつも、フェリクスも訪ねられない事情があったのだ。
トリスティン侯爵からの申し出を正式に断るまでは、これ以上、人の噂にのぼるような行動は慎もうと決心し……。
この二日間、リルジェシカに逢いたい気持ちを抑えこんでいたのだ。
今朝、ようやくトリスティン侯爵に断りと詫びを入れることができ、リルジェシカを品評会が行われる王城まで送って行こうと、セレシェーヌの許可を取って迎えに来たのだが。
「リルジェシカ嬢はもう王城へ向かったのですか⁉ もし、わたしが無自覚にリルジェシカ嬢を傷つけてしまったというのなら、ちゃんとリルジェシカ嬢から事情を聞いて謝ります!」
「口ではなんとでも言えらぁ! リルジェシカはここにゃあいねぇよ! 今日は屋敷から直接王城へ行くって言って……」
「わかりました! 屋敷ですね⁉」
「あっ! てめぇ……っ! まだ話は終わってねぇぞ!」
親方の制止も聞かず、工房を飛び出す。
いったい自分がどんな罪を犯してしまったのか、さっぱり見当がつかない。
だが、リルジェシカが泣いていたと聞いて、じっとしていられるわけがない。
飛び乗った馬を駆り、工房からさほど離れていないマレット男爵家へと向かう。
もしリルジェシカがすでに屋敷を出ていたら、王城まで追いかけるつもりだ。
人通りが少ないのをよいことに、馬に拍車をかけて先を急ぎ。
「っ!?」
マレット男爵家の門前まで来たところで、フェリクスは道に落ちているものに気づいてあわてて手綱を引いた。
急停止を命じられた馬がいななき、前脚で宙をかく。馬が体勢を戻すのも待たずに鞍から飛び降り、落ちていたものを拾い上げ、フェリクスは息を吞んだ。
「なぜ……っ⁉」
落ちていたのはリルジェシカの右の靴だ。他の靴職人ではありえない左右非対称の特徴的な形は間違いようがない。
なぜ、リルジェシカの靴が片方だけ落ちているのか。
嫌な予感に胸が轟く。
リルジェシカの姿を求め、首を巡らせたフェリクスの視界に。
通りの先をやけに急いで走る荷馬車が入る。
荷馬車が走っていること自体は珍しいものではないが、速さが変だ。まるで、ここから一刻も早く逃げ出したいと言わんばかりに。
考えるより早く、身体が動く。
リルジェシカの靴をポケットに突っ込み、鞍に飛び乗る。
「急げっ!」
フェリクスの叫びに応じて馬がいななく。
いくら急いでいようと、荷馬車と馬では勝負にならない。幌で覆われた荷台がぐんぐんと迫る。
あともう少しで横に並べそうだと思ったところで。
「嫌……っ!」
リルジェシカの悲鳴を耳にした瞬間、フェリクスは疾走する馬上で抜剣した。