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34 靴職人令嬢、昼食を差し入れてもらう

「……嬢っ! リルジェシカ嬢っ!」


「ひゃいっ!」


 突然、そばで名前を呼ばれて、リルジェシカはすっとんきょうな声を上げた。


「あ、れ……? フェリクス様……?」


 手にしていた木型とのみを作業机に置いて振り返り、小首をかしげる。


 品評会のことを教えてくれた後、フェリクスは王城に戻ったのではなかったのだろうか。


 現実に返ってきた途端、鼻が食べ物のいい匂いを捉える。同時に、くーきゅるるるるっ! と身体が猛烈に空腹を訴えた。


「ひゃあっ!」


 あわてて両手でおなかを押さえるが、おなかはきゅるきゅると鳴り続けて止まらない。


 と、フェリクスがこらえきれないと言わんばかりにぶはっと吹き出した。


「す、すみません……っ」


 人前でおなかを鳴らすなんて、はしたないと思われたに違いない。恥ずかしさに顔が燃えるように熱くなる。


 このまま消え入りたいのに、おなかはまったく鳴りやまない。


 蚊の鳴くような声で謝ると、ようやく笑いを治めたフェリクスがかぶりを振った。


「いや、こちらこそ失礼した。ずいぶんおなかがすいているみたいだね。ちょっとひと休みして昼食にしないかい?」


 フェリクスが両手に持っていた盆を軽く上げる。そこにはパンと湯気を立てるシチューの木皿が二つずつ載っていた。


「は、はいっ! でもあの、これは……?」


 おいしそうなご飯を見ているだけで口の中に唾があふれてくるが、果たしてこれはリルジェシカが食べてもよいものなのだろうか。


 おずおずと尋ねると、フェリクスが柔らかな笑みを浮かべた。


「実は、わたしもまだ昼食をとっていないんだ。王城に戻る前に腹ごしらえをしたいと思って、レブト親方に近所の店のおすすめを聞いたんだが……。ひとりで食べるのも味気ないし、よかったら一緒に食べてくれないかな? お代のことは気にしなくていいから」


「えっ!? そんな悪いですよっ! ちゃんと……っ」


 申し出は嬉しいが、おごってもらうなんて悪い。果たして足りるだろうかと不安を覚えつつ、手荷物から財布を取り出そうと手を伸ばすと、作業机にお盆を置いたフェリクスに、きゅっと指先を掴まれた。


「よかったら、遠慮しないでおごらせてほしい。……せめてこれくらいは、きみにいいところを見せたいんだ」


 どこか苦みを帯びたフェリクスの声に、きょとんと首をかしげる。


「フェリクス様は、いつだって素敵だと思いますけれど……?」


 心に思い浮かんだ言葉をそのまま呟くと、フェリクスの動きがぴたりと止まった。かと思うと、突然、右手で顔を覆ってそっぽを向かれる。


「まったくっ、きみは本当に……っ!」


「フェリクス様……?」


 ふだんから何人もの女性に褒められているだろうフェリクスにとっては、リルジェシカの言葉など迷惑だっただろうか。


 おずおずと呼ぶと、顔から手を外し、盆を作業机に置いたフェリクスが、リルジェシカを覗き込むようにわずかに身を屈める。


「では、わたしの顔を立てておごられてくれるかい?」


「は、はい……っ」


 じっ、と碧い瞳に見つめられ、反射的に頷く。とフェリクスがさらに身を寄せてきた。


「あの……っ!?」


 緊張に思わず身体を固くする。


 まるで抱き寄せるかのように、近衛騎士の制服に包まれたフェリクスのたくましい胸板が眼前に迫り。


「……髪に木屑きくずがついているよ」


 笑んだ声とともに、そっと髪にふれられる。


「ふぇっ!?」


 間の抜けた声が洩れ、言われた内容を理解した瞬間、さらに頬が熱くなる。


「す、すみませんっ! 木型を削るのに夢中になっていて……っ! じ、自分で取りますから!」


 わたわたと両手を動かし、取ろうとするが、フェリクスが近すぎてうまく動かせない。


「じっとしていて」


 リルジェシカが戸惑っているうちに、フェリクスの手が優しく動いてリルジェシカの髪や服についていた木屑を払っていく。


「うん、もう大丈夫かな」


「あ、ありがとうございます……」


 恥ずかしくて顔が上げられない。もごもごとお礼を呟くと、


「では、食べようか」


 と、優しく手を引かれた。


「は、はい……。あっ、ちゃんともうひとつ椅子を用意したんです!」


 前にフェリクスが靴を依頼してくれたあと、もしまた依頼人が来てくれた時のために予備の椅子を用意したのだ。といっても、レブト親方の工房にあった椅子を借りているだけだが。


 作業机に向かい合い、お互いにパンの皿とシチューの皿を前に置く。


「本当にありがとうございます」


 改めてお礼を言い、ふたりで食前の祈りを捧げてから食べ始める。


 木のさじでまだ湯気の立つシチューをすくい、ひとくち口に入れた途端、思わず喜びの声が洩れた。


「ん〜っ! おいしいです!」


 きのこやかぶが入った優しい味わいのシチューが少し癖のある羊肉に絡んで、とてもおいしい。屑肉くずにくではなく、しっかりと形があるお肉を食べられたのはいつぶりだろう。


 もぎゅもぎゅとお肉を噛み締めているだけで、幸せがあふれてくる。


 こんがりと焼けたほのあたたかいパンをちぎると、刻んだベーコン入りのパンだった。


 リルジェシカの一番大好きなパンだ。


 ひとくち大にちぎって口へ運ぶと、ベーコンの塩気と小麦のほのかな甘さが相まっていくらでも食べられそうな気になってくる。


 無心でもぎゅもぎゅと食べていると、ふはっ、と向かいのフェリクスが吹き出す声が聞こえた。


「す、すみませんっ」


 そんなにがっついていただろうかと、あわてて謝る。


「あんまりおいしくて、つい夢中で食べてしまって……っ」


「いや、おいしそうに笑顔で食べている姿があまりに愛らしくて……。喜んでもらえたようで嬉しいよ」


「あい……っ!?」


 驚いた拍子に、ろくに噛まずに飲みこんだパンが喉に詰まる。


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