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22 靴職人令嬢、葡萄踏みに参加する

 この機会を逃してなるものか! とリルジェシカは必死に言い募る。


「お願いです! 行かせてください! こんな機会、次はいつ巡り合えるか……っ! それに、幸い顔見知りもいないようですし、万が一、誰か知っている方がいらっしゃっても、私の評判なんてすでに地に落ちていますし……」


「そういう問題ではないだろう!?」


 強い声音に、びくりと肩が跳ねる。


「あ、いや……」


 戸惑った声を洩らしたフェリクスの碧い瞳をじっと見上げる。


 フェリクスの言うことはわかる。リルジェシカの身元がばれないように、名前を呼ばないようにしてくれているのも。でも。


「ご迷惑をおかけしないようにします。少しだけですから……。だめ、ですか……?」


 呆れられるだろうかとこわごわと問いかけると、身体中の空気を絞るかのような深い吐息が聞こえてきた。


「あ、あのっ、待つのがお嫌でしたら先に――」


「それ以上は、さすがに怒るよ」


 厳しい口調に「すみませんっ!」と身を縮める。


 フェリクスがもう一度、諦めたように吐息した。


「きみを放っていったりするわけがないだろう? きみの靴作りへの情熱を甘く見ていたよ。わたしのことは気にしないでいいから、行っておいで」


「え……?」


 思いがけない許しに、ぽかんと口を開ける。


「ほ、ほんとにいいんですか……?」


「行きたいんだろう?」


「はいっ! 行きたいですっ!」


 フェリクスの言葉に、間髪入れずにこくこくこくっ! と頷く。


「では、行っておいで。わたしはきみを喜ばせるために来たのであって、哀しませるためにいるのではないからね」


 つないでないほうの手で、リルジェシカの頭を優しく撫でたフェリクスが、「だが!」と目を険しくする。


「いいかい? 気が済んだらすぐに戻ってくること! それと、当然のことだが、あまり見えないように注意を払うんだよ? それと、出た時にはちゃんとわたしの指示に従ってくれ」


「はいっ! お約束します!」


 大きくこくんと頷くと、「いい子だ」と言わんばかりに、もう一度、頭を撫でられた。大きな手のひらの優しさに、得も言われぬくすぐったい気持ちになる。


「ありがとうございます! 行ってきますね!」


 手を放したフェリクスにぺこりと頭を下げ、桶へと駆け寄る。桶のすぐ隣にはいくつかの簡素な椅子と水を満たした洗い桶が置かれていて、ここで足を洗ってから入るらしい。


 椅子に腰かけて靴を脱ぎ、身を屈めて丁寧に足を洗う。


 だが、足を洗っている間も視線が行く先は、桶の中で葡萄踏みをする村娘達の足元だ。すぐそばまで寄ったおかげで、足の形がよく見える。


 やっぱり、リルジェシカやセレシェーヌの足の形とは違う。


 頭の中で、セレシェーヌや女王ブロジェリーヌの靴作りのために作製した木型を思い描く。親子であっても、足の形は微妙に違っていた。


 女王から渡された文書では、甲が少し緩かったとか、小指の部分が少しきつかったなど細かな指示が書いてあったが実際に足を見たわけではない。リルジェシカは頭の中で木型から実際の足を思い浮かべる。女王にとって、一番履き心地がよい靴はどんな形だろう。


 椅子の周りに脱がれた靴を見るに、娘達の中には安価な木靴を履いている者もいるようだ。ふだん履いている靴の差が足の形にも影響するのか……。と、興味は尽きない。


 足を洗い、桶に入ろうとすると、中にいた娘の一人が手を差し伸べてくれた。


「ありがとうございます」


 スカートを軽くたくし上げ、ありがたく手を借りて桶の中に入る。足の下で、踏み潰された葡萄の実がぷちゅりと潰れた。


「ねぇ。あなた、たまに村に革の仕入れに来てる人よね? どこから来てるの? やっぱり王都から?」


 最初に手を伸ばしてくれた娘が、葡萄を踏みながら興味津々といった様子で話しかけてくる。


「ええ、王都から来ました」


「いいなぁ~! 私も王都暮らしをしてみたい!」


 リルジェシカも葡萄を踏みながら答えると、そばにいた別の娘達がからかうような声を上げた。


「あんたが羨ましいのは王都暮らしだけじゃないでしょ」


「ねぇ、あの素敵な人、あなたの恋人!? いいなぁ~! 王都でもあんな素敵な人はなかなかいないでしょう!?」


「へっ!? こ、ここここ……っ!?」


質問の内容を理解した瞬間、驚きのあまり転びそうになり、あわてて踏ん張る。


「ち、違いますっ! フェ……っ、あ、あの方は恋人なんかじゃありませんっ!」


 とんでもないっ! と千切れんばかりに首を振る。


「お優しい方なので、今日はたまたま手伝ってくださっただけで……っ!」


 言いながら、フェリクスに視線を向けると、じっとこちらを見つめる碧い瞳と、ぱちりと視線が合った。


 その瞬間、にこりと包み込むように微笑まれ、かぁっと頬が熱を持つ。「きゃ――っ!」と周りの娘達が黄色い声を上げた。


「いいなぁ……っ! 恋人になれなくたっていいから、あんな素敵な方とお近づきになりたい……っ!」


「あの笑顔を向けられたら、気絶しちゃいそう……っ!」


 その気持ちはよくわかる。リルジェシカも口から心臓が飛び出すかと思った。


 恥ずかしくて顔を上げられない。いや、もともと娘達の素足を観察するために来たのだから、うつむいているのは当然だ。


 誰にともなく心の中で言い訳しながら、リルジェシカはうつむいてひたすら娘達の足を見つめていた。


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