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21 靴職人令嬢はお祭りに参加したい

「お馬さんってすごいですねぇ」


 革なめしの工房を出たリルジェシカは、フェリクスが馬の背に積んだ革の束を見て感嘆の声を上げた。


 くらの後ろには、先ほど仕入れたばかりの鹿革と牛革がまとめて縛りつけられている。


 ひとりで来た時には、王都に行く荷車を探し、頼みこんで荷物を積ませてもらわなければならないことを考えると、一緒についてきてもらって本当に助かったと思う。


 リルジェシカひとりでは重くて持ち上げられない量でも、たやすく持ち上げるフェリクスの頼もしさには、感嘆するばかりだ。


「フェリクス様! 本当にありがとうございます!」


 縛りつけた革が荷崩れしないか確認していたフェリクスが、ぺこりと頭を下げたリルジェシカに、穏やかに笑いかける。


「いや。この程度はなんともないよ。それより、毎回こんなに重い荷物では、きみが大変だろう? よければ、これからも革の仕入れの際には一緒させてもらえると嬉しいな」


「いえいえいえっ!」


 フェリクスの申し出に、泡を食ってかぶりを振る。


「フェリクス様に毎回、そんなご迷惑をおかけするわけには……っ!」


「だが、もしまたザックとかち合ったりしたら大変だろう?」


「それ、は……」


 憎しみのこもった視線を思い出し、無意識に身体が震える。今まで、蔑みの視線を投げつけられたことは数多くあれど、刃のような憎しみのまなざしは向けられた経験がない。


「すまない。嫌なことを思い出させてしまったね」


 うつむいた頭を慰めるようにフェリクスに撫でられる。


「少し時間を潰してから帰ろうか。あちらが何で来たのかは知らないが、王都への帰り道で追いついても困るだろう?」


「なら、広場にでも寄っていったらどうですかい? 今日から葡萄酒の仕込みが始まるんで、ちょっとした催しをやってますぜ」


「葡萄酒の仕込み!?」


 親方の言葉に、弾かれたように顔を上げる。


「それってつまり、村の娘さん達が、素足で葡萄を踏んでるってことですよね!?」


「んん? ああ、そうだが……。靴を履いた足じゃ踏めねぇからな」


 リルジェシカの食いつきっぷりに、親方が戸惑ったように頷く。


「娘さん達が、素足で……っ!」


 貴族の令嬢ほど厳しく禁じられているわけではないものの、平民であっても若い娘が素足をさらすのはあまりよろしいものではないとされている。


 葡萄酒の仕込みはその中の数少ない例外だ。創世神話では、神が原初の泥を踏み固めてこの世界を作った際、神の足跡からさまざまな植物が生まれたのだとうたわれている。そして、神は偶然、葡萄の実を踏んだ際、そこから葡萄酒の作り方を見出し、世界を踏み固めた後、葡萄酒で疲れを癒したのだと。


 そのため、どこの村でも、その年に収穫した葡萄を仕込む最初の日には、うら若く清らかな乙女達が桶に入った葡萄の実を足で踏み潰し、仕込みの下ごしらえをすることになっている。


 ふだんは滅多に見られない若い娘さんの素足を観察できる機会は、今しかない。


「フェリクス様! あの……っ」


 思わず長身のフェリクスを振り仰ぐと、みなまで言うより早く、柔らかな笑顔にぶつかった。


「かまわないよ。寄っていこうか」


「ありがとうございますっ!」


 答える声が否応なしに弾む。


「だったら、馬はまだしばらくここにつないでいったらどうです? こんな立派な馬を広場に連れて行って、何かあっても困るでしょう」


「では、お言葉に甘えさせてもらおう。行こうか、リルジェシカ嬢」


「えっ? あの……っ!?」


 手をつないだフェリクスに腕を引かれ、戸惑った声が飛び出す。


「にぎやかな声が聞こえるし……。広場はあちらのほうかな?」


 焦るリルジェシカとは裏腹に、フェリクスはごく自然な様子で歩き始める。手をつないでいるリルジェシカはついていくほかない。


 モレル村には何度も来ているので、迷うことなどないのだが、フェリクスは万が一にでも迷ったらと心配しているのかもしれない。フェリクスの優しさには感謝するが、手をつなぐのはやはり少し恥ずかしい。誰に見られるかわからない屋外ではなおさらだ。


 旅の楽士でも来ているのだろうか。リュートの音が聞こえるほうへ近づくにつれ、村人の姿が多くなる。


 軽快な音楽に、リルジェシカの心も自然とわくわくと浮き立ってくる。


「あっ! あれですね!」


 村人達がぐるりと周りを囲む広場の中央を指さし、リルジェシカは弾んだ声を上げた。


 ただ土を踏み固めてならしただけの広場の中央では、直径が大人の男の背丈ほどもある巨大な桶が置かれ、四、五人の村娘がスカートの裾をふくらはぎまでたくし上げて、足踏みしている。


 軽やかなリュートの旋律に合わせて手拍子をする村人達の顔は、収穫の喜びに輝いている。


「……ここからじゃ、よく見えませんね……」


 桶と、広場を囲む村人達の間には、そこそこの距離がある。村娘達の足を晒さないためかもしれないが、桶の縁が高いこともあって、足元まではとても見えない。


「あそこに行けたら……」


 しゅん、と肩を落として呟くと、そばにいた若い男がリルジェシカを振り返った。


「なんだぁ、嬢ちゃん。嬢ちゃんも葡萄踏みをしたいのか? 見ねぇ顔だが、加わりたかったら入ってくれていいんだぜ?」


「いや、リルジェシ――」


「えっ!? 私も入っていいんですか!?」


 何か言いかけたフェリクスの声を遮るように、男の言葉に食いつく。


「私も入りたいです! ぜひ! ぜひぜひぜひっ!」


「おうっ、いいぜ! 嬢ちゃんみたいな可愛い娘さんが踏んで作った葡萄酒なら、神様だってお喜びになるだろうさ」


 「おーい! 飛び入り参加だぜ!」と男が声を上げると、周りの村人達から拍手と歓声が湧き起こる。


 リルジェシカが勇んで桶のほうへ進もうとすると、「待つんだ!」と、焦った声のフェリクスにぐいとつないだ手を引かれた。


「ひゃっ!?」


 あまりの勢いによろめいた拍子に、とすりとフェリクスにぶつかる。


「きみの気持ちはわかるが、いくらなんでも衆人環視の中、きみに素足をさらさせるわけには……っ! もしお父上が聞かれたら、わたしがついていながら何と言うことを! と呆れられるに違いないっ!」


「あのぅ、お父様でしたらきっと、『いいよ、行っておいで』とおっしゃると思いますけど……?」


 きょとんと首をかしげると、フェリクスが信じられないとばかりに碧い目をみはった。次いで、頭痛がすると言わんばかりに凛々しい面輪をしかめて額を押さえる。


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