8、新・人生への旅支度
アルフィーナの公開処刑は、2週間後の7月20日に執行されることになった。
それまでに、身代わりに処刑されてもらう「人形」を作成しなくてはならない。
祖母の書庫からヒイロに持ってきてもらった魔法書を熟読し、アルフィーナはノートに人形の材料を書き出した。
「白斑蝶の羽根。暁星のしずくの欠片。それから、アシュレイの花びらかぁ……」
前二つは祖母の森からいくらでも採取可能だが、最後のひとつがやっかいだった。
「私が採取してきましょうかっ?」
お望みとあらばすぐにでも! と腕まくりするヒイロを見て、公爵令嬢は苦笑する。
「そう簡単にはいかないわ。このアシュレイという花は、その名の通りアシュレイ子爵が管理する庭園にしか咲いてないの」
「御身のためなら、たとえ火の中、花の中!」
「隣国ヘヴンローズとの緊張が高まっているご時世、警備も厳重なはずよ。ヒイロにはこれからも世話になるんだから、あまり危険なことをして欲しくないわ」
「なんとお優しい! ……では、どういたしましょう?」
アルフィーナはしばらく考えてから答えた。
「やっぱり、庭園の持ち主に頼むのが一番確実よね」
「とおっしゃいますと、アシュレイ子爵に?」
「子爵家の跡取りであるキスリングとは、学院時代の同級生なのよ。仲が良かったとは言えないけれどね」
学院首席の優等生だった彼と、剣術と馬術の成績ばかり良くて座学はサボってばかりだったアルフィーナは、まさに水と油。規律などその辺の石ころにしか思っていない公爵令嬢と、規律をそびえ立つ巌のように思っている子爵は、ことごとく対立してきたのである。
それだけに、逮捕に現れた時に聞いた「心の声」には驚かされた。
(アルフィーナ嬢がコソコソ暗殺を企むなんて、絶対にありえない! ガサツなのは事実だけど、陰湿さとは縁遠い人。陰湿なのはむしろ聖女のほうなのに。まったく、陛下も殿下も、何故このような軽挙に出られたのでしょうか!?)
天敵だったあのイヤミなガリ勉メガネに、まさかこれほど評価されていようとは……。
ともあれ、嫌われていなかったのは幸いだ。
さっそくアルフィーナは彼に面会を申し込む手紙を書いた。公爵令嬢という地位に配慮して、アルフィーナには普通の死刑囚より多少はマシな待遇が与えられている。衛兵の監視付ではあるが、部屋での面会が認められているのだ。検閲を受けた上で差し入れも許されている。
◆
二日後――。
塔の一階にある部屋で、アルフィーナは「皇子の右腕」と言われる俊才キスリング・アシュレイと対面した。
対面の机に座るなり、キスリングは冷たく光る眼鏡を指先でクイと押し上げた。
「まさかこの私に面会を申し込まれるとは、いったいどういう風の吹き回しでしょうか。公爵令嬢アルフィーナ。いえ、今は死刑囚アルフィーナでしたね」
(やっほい♪ ヤッホイ♪ アルフィーナ嬢とご面会~♪ ほっほいヤホホーイ♪)
「……」
しょっぱなから飛ばしてるわねえ……。
顔面はムッツリ不機嫌なのに、心の中ではひとりでやっほいダンスを踊っている。彼の心の内がビジュアル化されてアルフィーナには伝わってくるのだが――やっほいやほほい♪ ひとり舞踏会が始まっている。
まぁ、ブヒヒーンと鳴かれるよりはマシだと思うことにしよう。
「わざわざ来てくれてありがとう。実はあなたに頼みたいことがあって」
「フッ、今更命が惜しくなりましたか? 減刑の嘆願など無駄なことですよ」
(あなたが死刑を免れるならこの身はどうなっても構わないのに。僕ったら無力!)
「……あ、あはは……」
やっぱり、調子が狂う。
「ね、ねえキスリング? その前に、ひとつ聞いてもいいかしら?」
「鬱陶しいなあ。さっさと言ってください」
(ハイ! よろこんで!)
どこの居酒屋なのよ。
「私とあなたって、その、学院時代仲が良いとは言えなかったわよね?」
「ええ、公爵令嬢にあるまじき野蛮なふるまい、目に余りましたからね」
(そのギャップがたまらなかった! ずっとずっと愛してた!)
「っ!?」
絶句したアルフィーナの頬が真っ赤に染まった。
キスリングの整った顔はいっそう不機嫌になり、
「なんですか、そんなに驚いて。まさか自覚がなかったとでも?」
(赤くなった頬も可憐だ! くう、あなたが皇子の婚約者でさえなければ……)
「い、いやいやいや、だって、いつも口げんかばかりしてたと思うんだけど?」
「あなたが規律を乱してばかりいたからです。まったく目障りでしたよあなたは」
(あなたが規律を乱すたびに嬉しかった。注意するという名目でおしゃべりできるから)
「そ、そうよね? 私ってば、あなたに嫌われてたはずよね? ねっ?」
「今こうして顔を見るのも嫌ですが何か?」
(注意と、チューって、似ている。……は、破廉恥だぞっキスリング! 付き合うならまずはお散歩からだろう!?)
頭が痛くなってきた。
帝国では並ぶ者がない秀才であることにくわえ、この容姿である。彼がモテないはずはなく、これまで多くの令嬢、貴婦人たちに言い寄られていたはずだが、浮いた話ひとつなかった。一部では「皇子とデキているのではないか」という悪質な噂をささやくものまでいたのだ。
それがまさか、アルフィーナへの恋心を抱いていたが故であろうとは――。
「ああ、お祖母様。事実は神話より奇なり、なのですね……」
「窓を向いてしゃべらないでください。失礼な人だなあ」
(もっとその凛々しいお顔をよく見せてください。この目に焼き付けておきたいのです)
「…………」
悪役令嬢は途方に暮れた。
新たな人生を切り開くためとはいえ、こんな小っ恥ずかしい思いをしなくてはならないとは……。