14、さようなら、私
「――聖女、デボネア」
アルフィーナの首を抱きしめていたライオネット皇子は、涙に濡れた顔をゆっくりと上げた。
その眼差しは稲妻の如し、と吟遊詩人に詠われる鋭い眼光を蒼の瞳にみなぎらせ、聖女をにらみつける。
「貴様、いったい俺たちに何をした? この不条理な一連の出来事は、貴様が仕組んだことなのか?」
この追及に聖女が漏らした言葉はひとこと、
「ぶ、ぶひっ?」
ブタ丸出しである。
皇子をその胸に招き入れようとして、ヨダレをたらさんばかりの顔で両手を広げたままの体勢で凍りつく。
「刑吏!! 聖女を捕えよ! 我が婚約者アルフィーナに対して、甚だしい害意を向けた疑いがある!!」
「シェーッ!? ちょっ、なななな、なんでアタシが!?」
聖女はうろたえて、自分の額をまさぐった。
いつも身につけているはずの、翠玉のサークレットが存在しない。
さっき、ヒイロの弓矢によって砕かれたのだ。
ようやくそれに気づいた聖女の顔がサーッと青ざめる。汗が滝のように流れ、全身がくがくと震えだした。
「ま、マジ? ぜぇーんぶバレちゃってんの? もう〝強制〟解けちゃってンの? ライオくんをアタシのモノにする計画もパァ?」
「気安くライオなどと呼ぶな! 無礼者が! 俺をそう呼んでいいのはただひとり――アルフィーナだけだったものを!」
もはやアルフィーナが中継するまでもない。心の声がそのままリアルの声となって外にダダ漏れている。
アルを断頭台に送った刑吏二人が、聖女を乱暴に押さえつけた。死刑執行を淡々と行っていたはずの二人の顔に、怒りの色がある。不本意な仕事を強制された怒りであろう。
(よくも我々に、アルフィーナ様を殺させたな!!)
そんな叫びのような心の声がアルにも届いた。
──さて。
最後の仕上げだ。
アルは、己の心の声を聖女にだけ直接届けるよう魔法を調整した。
『99回殺されたお返しよ。思い知っていただけたかしら、聖女様』
『んげっ!? だ、誰っ? まさか、アルフィーナの幽霊ッッ!?』
恐怖のあまり目を剥いた聖女を見て、アルはため息をつく。
もっと頭が切れる相手だと思っていたのに。
人をハメるのは得意でも、ハメられるのは苦手のようだ。
まったく――唾棄すべきブタ野郎。
『どれだけ汚い手を使おうと、人の心までは手に入らないのがよくわかったでしょう?』
『はあ!? 綺麗事いってんじゃネーわよ幽霊のくせにッ! このアタシのビボーと魔法を使えば、どんなオトコだって──』
『ハイハイ。じゃあ、死ぬまで男漁りやってなさいな。色ボケ聖女様』
それも、長くはもたないだろう。
皇帝陛下をはじめ、名だたる皇族・貴族に魔法をかけ、意のままに操ったのだ。間違いなく極刑が下る。
けじめはつけた。
旅立ちの時だった。
「行きましょう、ヒイロ」
遠見の魔法を打ち切ってブタの姿を視界から消すと、アルは忠実な少年に声をかけた。
「心残りはございませんか。アルフィーナ様」
「──――」
黙然と目を閉じて、アルは自らの心の声を刻んだ。
さようなら。
お父様。お母様。
娘の不孝をお許しください。今までありがとうございました。
さようなら。
我が弟カルル。
お別れするのがとっても辛いけれど、元気で。
シルヴァーナ公爵家の未来を頼んだわよ。
さようなら。
我が友・キスリング。
あなたとはもっとお話しできれば良かったわね。
これからも殿下を支えてあげてね。
さようなら。
ライオネット殿下。
……いいえ。幼友達のライオ。
あなたの本音、ちょっぴり嬉しかったわ。
もう変なのに引っかかっては駄目よ。良い女性に巡り会ってね。
そして――
さようなら。
公爵令嬢アルフィーナ・シン・シルヴァーナ。
今まで、99回お疲れ様。
あなたは今日、ここで100回目の死を迎えた。
これからは、新しい人生を生きるのよ。
アルは再び目を開けた。
自らの肉声で、はっきりと告げる。
「行きましょう。──そして、生きましょう」
◆
大神歴845年7月26日。
ひとりの公爵令嬢が、歴史の舞台から姿を消した。
だが、それは──。
ずっと不幸だった少女が、真の幸せ――自由を手に入れた瞬間でもあった。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。
なろうでの連載はひとまず完結です。
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