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10、(皇子視点)婚約者に死刑を言い渡した、その夜。

 私はライオネット・ライオーン。


 世界有数の大国・ライオーン帝国の第一皇子であり、ゆくゆくはこの帝国を背負っていかねばならない立場だ。


「殿下の御手に入らぬものなど、この世界にはないでしょう」

「その地位、その富、その美貌、そして武勇」

「あなたに並ぶ者といえば、隣国のヤヴンロック王子くらいのもの」

「あなたこそ、世界一の英雄です」


 ――そんな風に、皆は言う。


 確かに地位はある。富もある。美貌も、自分ではよくわからぬが、人が言うにはあるのだろう。武勇も、ヤヴン王子と同等と言われるのは腹立たしいが、あるつもりだ。


 だが――自由がない。


 私は知っている。


 自分が、好きな女ひとり抱くこともできない「不自由者」であることを。


 自由であることが幸福の条件であるならば、一介の平民にすら劣る。


 それが私――いや「俺」、ライオネット・ライオーンなのだ。





 婚約者の死刑が決まった、その日の夜。


 自室にこもっていた俺の部屋のドアを、ノックする者があった。



「ライオネット殿下。わたくしです。聖女デボネアです」



 ドア越しに聞こえるか弱い声に、俺はため息を漏らす。


 こんな夜更けになんの前触れもなく皇族の部屋を訪れるなど、無礼も甚だしい。本来なら衛兵に止められているはずだ。


 だが、この王宮に――いや、この国に、聖女に逆らえるものはいないのだ。


 そう、たとえ俺であれ、皇帝陛下であれ。


「入りたまえ」

「失礼いたします」


 しずしずと、純白の法衣の裾を揺らして聖女が入室する。


 儚げな瞳が、俺の目をまっすぐに捉えた。


「こんな夜更けに申し訳ありません。ご迷惑でしたでしょうか?」


 ああ、迷惑だとも。本当なら即刻首をはねてやりたいところだ。


 そう思うのに、俺の口から出てきた言葉は――。



「聖女の訪問を迷惑だなんて、そんな風に思うはずがないだろう。会えて嬉しく思う」



 これだ。


 こんな心にもない、歯の浮くような台詞が俺の口から零れ出てしまう。


 いったい、俺はどうしてしまったというのだ?


 心の病にかかってしまったとでもいうのか? あるいは妖術? いにしえに滅んだと言われる魔族の術にかかっているとでもいうのか?


 魔導師ユリナール殿が生きていたなら、この謎を解明できただろうに……。


「もったいないお言葉ですわ殿下」

 

 聖女の紅い唇が、醜く吊り上がる。


 絶世の美少女と言われる彼女だが、俺は彼女を美しいと思ったことは一度もない。すべてが「造り」のように見えるのだ。すべてに「媚び」がまぶされているように感じるのだ。


 俺は「本物」を知っている。


 このような「造った美貌」ではなく、自然なありのままの心が生み出す真実の美しさを知っている。


 ああ、アルフィーナよ。


「それで聖女よ、こんな夜更けに何の用だ?」

「僭越ながら、殿下が落ち込んでおられるのではないかと思いまして。もしわたくしとお話になることで少しでもお気が紛れるのならばと、参上いたしました」

「そうか。ありがとう」


 お前の顔を見せられてますます気が滅入ってしまったよ。


「すでに婚約破棄されたとはいえ、かつてのご学友、幼なじみである方が死刑判決を受けたのです。心中お察しいたしますわ」

「私はもうアルフィーナのことを幼なじみとは思っていない。聖女であるあなたの暗殺を企み、隣国王子と通じているなど、許すことはできない」


 絶対に信じない。


 あのアルフィーナが、暗殺などという卑怯なまねをするものか。


 隣国王子とは――どうなのだろう。


 ヤヴンロックと、俺と、アルフィーナは、同じ学院で学んだ仲だ。


 学院時代二人が親しくしていたいう話は聞いたことがないが、アルフィーナの魅力にかの放蕩王子が気づいていたとしても不思議ではない。


「さすがライオ様。立派なお言葉です。それでこそ、次期皇帝の立場にふさわしい将器というもの」

「ありがとう」


 気安くライオと呼ぶな。なれなれしい。


「しかし、それにしても今回の取り決めはあまりに過酷ではありませんか? まさか、元婚約者自身の手でアルフィーナ様を処刑を執行せよだなんて」

「何?」


 聞きとがめると、聖女はしらじらしく目をキョトンとさせた。


「聞いておられませんか? 今日の皇帝裁判の後、法務局にて決定がなされたのです。アルフィーナ様の斬首刑は、ライオ様自身が執行されるということを」

「……」


 すぐには声が出なかった。


 どうせこの女が手を回したのだろうが、俺自身の手でアルを処刑せよなどと……。


 愛する女性を、俺は、この手にかけねばならぬというのか?


「それは、望むところだ」


 内心は激しく動揺しているのに、俺の口から出るのは冷たい声だけだ。


「大罪人である公爵令嬢を処刑し、帝国臣民に皇室の権威と法秩序のなんたるかを知らしめようではないか」

「ご立派ですわ、ライオ様。……ですが、ご無理はなさらないでくださいね」


 聖女は、俺の手にその手を重ねてきた。


「おつらい時は、わたくしの胸をお貸しいたしますので。さあ――」


 その時、俺の胸に、突如として「不自然な情熱」がわきあがった。


 聖女を抱きしめて、奥にある寝室へと連れ込んでしまえ――という、今まで心のどこにも存在しなかった不可解な感情がわきあがり、俺の体を突き動かそうとしたのである。


 ――嫌だ。


 それだけは、嫌だ!


 俺が抱く女は、この世界で、ただひとりと決めている!!


「お心遣い痛み入る。だが、今宵は貴女も疲れているだろう。早く部屋に戻るといい」


 手を振り払うと、聖女は微かに口元を歪めた。


「ぶひひ。無駄なテーコーしちゃって。ライオくんかっわぃぃ~ん♥」

「何か言ったか?」

「いいえ? 何も」


 スカートを楚々とつまんでお辞儀をして、聖女は退室した。


 俺は洗面所へ行くと、彼女に握られた手をゴシゴシと水で洗った。何度洗っても、不潔な気がする。媚びが、汚泥が、俺の手にまとわりついている気がする。皮膚が赤くなるまで、手を洗うのを止められなかった。


 アルフィーナが手を握ってくれたなら、俺はきっと、この手を洗わないだろう。


 だが、もう、俺が彼女の手を握ることはない。


 彼女が俺の手を握ることはない。


 もう、二度とないのだ。



 ……アルフィーナ……!



いつもお読みいただきありがとうございます。


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