散らぬ桜に託されたもの
──本日はよろしくお願いします。
「こちらこそ。……正直なところを申しますと、皆様のご期待にかなうお話ができるかどうか。物事の動機やきっかけなどというものは、得てしてごく有りがちな代物だと思いますよ」
──だからこそ伺いたいんですよ。亡き木下博士が、どのような意思によって「永遠の桜」を作り上げたか。あの偉業から半世紀が経ちますが、その明確な答えは、今に至るまで誰も知る者はいません。
「その通りですね。──私以外は、という注釈が付きますが。
けれども、それを偉業と言うならば、やはりそれに見合った壮大な目標や展望を、世間の方々は期待しているのでは?」
──そうとも限りませんよ。むしろ特異でない動機である方が、あらゆる分野における新たな何かを成し遂げるにあたり、大いなる希望になると思いませんか?
「なるほど、そんな見方もできるのですね。
では本題に入るとしましょう。……まずは、どこから話せば?」
──元来、植物研究を専門としていた博士が、特に桜の研究に特化し始めた理由などはご存知でしょうか?
「流石に生まれる以前のことですし、伝聞でしかありませんが……夫人と知り合うきっかけと、告白をして両思いになった場所が、大学の桜の木だったそうですよ。ベタでしょう(笑)」
──いや、まあ否定できませんが(笑)。
「ですよね(笑)。そのようなことがあって、夫人が以前から好きだった桜を、博士も好むようになって。後に生まれた娘にも、それにちなんだ名前をつけたくらいです。本名は出せませんから、ここでは仮名として、さくらさんと呼ぶことにしましょうか」
──可愛らしい、素敵なお名前ですよね。
「そう思われます? ですが……見ようによっては、その名付けが招いた不幸が『永遠の桜』に繋がったということになるんです」
──それは……どういうことでしょう。
「どう言えばいいか……『言霊』についてはご存知ですか?」
──ええと。良きにつけ悪しきにつけ、口に出すことでその事態を招くだとか、そういう?
「非科学的な話ですけれどね。実際、言葉というものは癒しにも凶器にもなりますから、扱いに気を付けなければいけないものではありますが」
──肝に銘じておきます。
「いえ、他意はないんですよ?(笑)」
──はは、すみません。……それで、その『言霊』を、木下博士が気にするようになった理由がさくらさんだと?
「ええ。古来から、桜の花は儚いものの象徴とされてきました。美しく咲き誇るさまは見事だけれども、長くは続かずに散ってしまう。散りゆく姿もまた目を奪われるものの、それはまた花の命の終わりでもあります。神話のコノハナサクヤヒメ然り、また、散るからこそ桜は美しい──そう詠まれた和歌さえあるほど。
少々意味は違いますが、『桜咲く』は吉報でも、散るのはよろしくない知らせでしょう?」
──学生時代に聞きたくない言葉の最上位に入るでしょうね。実は私も軽くトラウマが……
「あら、それは失礼を」
──いいえ(苦笑)。しかし、そんなお話をされるということは、さくらさんはお体が弱かったんですね。
「これといってどこが、というわけではなかったのですが。暑さや寒さには弱く、特に後者が体に良くなかったのでしょう。徐々に気温が下がっていく秋にも体調を崩しがちで……周囲と変わりなくいられたのは、それこそ春の、桜の盛りの時期くらいしかなかったと」
──……もしかして、それが『名付けが招いた不幸』ということなんでしょうか。
「少なくとも、木下夫妻はそのように解釈したということですね。成長するに従い、愛娘が寝込んでしまう時間が増えてからは尚更……もっともその話を聞いた時には、実に根拠に乏しい、自罰的すぎる思考だなあとしか思えませんでしたが」
──手厳しいご意見ですね。
「当時は若かったということです。やはり、親になって初めて分かるものもありますから。
それからの話ですが……本当に言霊があったのか、それが存在するという夫妻の強い想いが影響したのかは定かではありませんが。さくらさんは一年のうちほとんどの期間を、ベッドで過ごすようになってしまいました。けれどやはり、春にだけは──特に桜の頃は、まるで別人のように元気になったのです。ただただ不思議としか言いようのないことですけれど」
──お話だけなら、まるで桜の化身のような存在だったんですね、さくらさんは。
「両親もそう思ったのでしょうね。実際に何年もそんな様子が続いたとなれば。
そして夫妻は、特に博士はこう考えたのでしょう。『桜の花が咲いている間は、娘は床から離れて元気でいられる。ならば娘のために、年中決して散ることのない、常に花を盛りと咲かせる桜の木を、私は作り出してみせよう』と」
──それは……その、何と言いますか……
「荒唐無稽、非科学的。他にも色々な表現はできますが、少なくとも科学者の至るべき思考ではなかったと思いますよ。──結局のところは、かの山下博士も、さまざまな肩書以前に人の親だったということです」
──……ああ。それで最初に、「ごく有りがちな代物」だと仰ったんですね。
「ええ。さぞかし期待外れだったでしょう?」
──いいえ。偉大な功績を残された方も、世の人と同じ一人の人間だった。そんな事実を改めて知ることができたのは、とても嬉しいことです。
「そう仰ってくださるなら、お話しした甲斐があったというものです」
──ちなみに、さくらさんのその後についても、差し支えがなければ伺っておきたいんですが。
「あら。それこそあまり目を惹くものではありませんよ?」
──ですがやはり、ここまで話していただいた以上、気になるのは人情と言いますか。
「そう言われてしまっては断れませんね。
博士が『永遠の桜』を完成させたのは、さくらさんがちょうど二十歳を迎えた年でした。
博士の想いが天に届いたのか、それからの彼女は何とか一般的と呼べる程度に体力を取り戻し、軽い風邪程度にかかることはあっても倒れたりはせず、平穏な人生を送っていますよ。大学に通い就職をして、結婚後はたくさんの子供や孫も生まれて」
──それは何よりです。
「科学者でありながら、と言いますか、むしろ科学者だからこそ、と言うべきでしょうか。すっかり非科学的なものにも詳しくなってしまった博士は、『嫁いだ先の姓が幸いした面もあるかもしれないな』などとつぶやいていたこともあったとか(笑)」
──……それもまた……どうにもコメントに困りますね。この部分はカットさせていただいても?
「勿論、お任せします」
──では、そろそろこの辺りで終了ということでよろしいでしょうか。お時間をいただきありがとうございました。
「こちらこそ、お礼とお詫びを申し上げなければ。年寄りの昔語りなど、若い方にはさぞお聞き苦しかったでしょうに」
──とんでもない。この上なく意義深いひとときでした。
(着信音)
「ああ、ちょうど迎えが来てくれたようです。では、私はここで失礼させていただきますね」
──どうぞお気をつけてお帰りください。岩永美桜さん。