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逆説・竹取物語

作者: 黒猫屋倫彦

竹取物語の翻案です。

後に奈良時代と呼ばれる時代、都で「絶世の美女」として噂のかぐや姫、いつもぼんやりしている貴族の男。かぐや姫目線の竹取物語の行く末は……

(※2022/03/22 誤字修正・ルビ追加・「召し使い」と「使用人」の混在修正・その他微修正)

(※2022/03/24 誤字修正)

随分とぼんやりとした男のようね――これがかぐや姫と呼ばれる少女の、御簾(みす)越しに対面する高位貴族の男についての感想だった。

男の名は中臣史(なかとみのふひと)。彼の亡き父は当時皇太子だった先帝と組み乙巳(いっし)の変というクーデターを起こした、先帝にとっては最大の功労者だ。しかし、その事実上の長子――本当の長男は僧籍に入ったため――である史には、先の帝・天智(てんじ)帝の(たね)による不義の子という噂があり、母の氏をとって「車持皇子(くらもちのみこ)」と揶揄(やゆ)する者も多い。そのような陰口をたたかれてはいるが、兎にも角にもこの日の本国で最も権力を持つ一族のプリンスであることに変わりはない。

そんな彼が、このようなぼんやりとした男であるというのは、いかにも不思議なことだった。無論、父から継承した立場に溺れる馬鹿息子、というのも珍しいことではない。しかし彼は――何というか、そのような愚かさに由来する注意散漫さとは違う、世間離れしたような妙な雰囲気をかぐや姫に感じさせていた。実際、むしろ彼は切れ者として知られていた。それが、彼に御簾越しに対峙する少女、かぐや姫の興味を引いた。

「中臣様……私、あなたと少し話がしたいわ。」

かぐや姫ははっきりと通る声で言った。これは、後に奈良時代と呼ばれる時代に生きる貴族の女性としてはあり得ないことだった。しかし彼女ら「竹取」一家――正しくは「讃岐(さぬき)」という古い家名があったが、そのように呼ぶものはほとんどなく半ば侮蔑(ぶべつ)の入った「竹取」の名で呼んだ――は元々庶民の出であり、かぐや姫の養父がたまたま砂金を発見し経済的に成功したため貴族の身分をカネで買ったこと、そして高齢の彼には後継となるような男性の親類はなく、貴族の身分を手に入れたのはただひたすらにかぐや姫を輿(こし)入れするためだということは誰もが知るところであったので、たまにこの絶世の美女(と噂される少女)が身分にそぐわない突飛(とっぴ)なことをしたとしても、低い出自ゆえのご愛嬌(あいきょう)とお()(こぼ)しされていた。それにしても、いくら何でもいきなり過ぎないか? と中臣史のお付きの者達は驚いた。それはそうだ。そもそも皇族でもなければ大貴族でもない、ただの新興貴族の娘である彼女が政界の大物と言って良い主人に軽率に話しかるだけでも驚きなのだから。

しかし当のかぐや姫本人は気にせず、言葉を続けた。

「お話って言っても、誤解しないでね。もうあなたと結婚するって決めたっていうわけじゃないわ。そう……つまり……ちょっとあなたの知性を確かめたいってこと。」

ぼんやりとしたプリンスは、かぐや姫の方を見ているのか見ていないのか分からない状態で答えた。

「はい、よろしいですよ。たとえ、もし私のことが気に入らなかったとしても、権力で無理矢理あなたを私のものにする、なんてことは考えていませんから。」

そのようなことをあっけらかんと言ってしまう史もまた、当時の貴族としては非常識な人間のようだった。

「ふふふ、それを聞いてますます安心したわ。では、まずあなたに問いたいこと。誰かを想うと相手の夢に出てしまう、というのは本当だと想う?」

周りの者は妙なことを質問したというよりは、主人の文学的な才を確かめようとしているのだろうと受け取った。

「夢、ですか。思うに、それはある種の幻に過ぎません。夢に出る、などということが本当に起こっているのでしょうか。むしろ、夢をみる人が心の奥底に相手の想いを受け取って、それを心の世界に投影した結果自らの夢に役者として出演させてしまう……そういうことなんだと思います。」

まあ所詮夢ですけれどね、と付け加え、ぼんやりプリンスの史は今度は部屋の隅を飛ぶ虫に意識を飛ばした。

かぐや姫は笑みを浮かべて返した。

「あら、面白いことを考えるのね。夢は心の問題だなんて。夢の世界ではちゃんと色々なものが存在して、五感で感じられるのだから、寝ている間に魂が他の世界に行っているものだと思っていたのだけど……」

「感じられるものは存在する、というのはいささか乱暴な考えですね。目の前に見えるもの、触れるもの、聴こえるもの、全て天魔の出した幻でないという保証はありませんよ。たった一つのものを除いて。」

かぐや姫はワクワクしながら尋ねた。

「ねえ、そのたった一つって何かしら?」

史は急に我に返ったようにハッとして答えた。

「あ……いえ、大したことじゃありません。それは……自分が今ここに居る、ということです。これだけは絶対に覆せない。三千世界の全てが仮に幻だとしても、それを幻かもしれないと疑う自分が今ここに居るということは覆せません。御仏の説いた、色即是空、空即是色の教えの穴です。」

かぐや姫は唾を飲んだ。この男は……ぼんやりとした様子で何という面白いことを考えているのだろう。仏法――この世界の真理に穴があるかも知れないだなんて!

「うふふ、私、またあなたとお話ししたいわ。今日みたいに二人でお話しするのはどう? もちろん、私の部屋に招待するわ。でも、私の部屋に来る時は必ずこの紙に書かれた『呪文』を唱えてから来て頂戴ね。『この人』という人に会わせて欲しい、とだけ唱えればいいわ。分かったかしら?」

史の従者達はとんでもないことを言う少女に思わず膝立ちになったが、主人たる史がそれを抑えた。

「ええ、私もあなたとまたお話ししたいと思っていたところです。あなたのような面白い問いを立てられる女性がこの世界にいるだなんて思いもしませんでした。会えない間も文を送りましょう。」


◆◆◆

こうして二人は文通を交わす仲となった。

二人の手紙は、最初は和歌であったが、そのうちに漢詩となり、やがては漢文となっていった。

あるときは、このような「世界の果て」に関する文を交わし合った。

――史様、世界の果てには一体何があると思いますか?

――人間が考え得ることの限界、すなわちこの世界の果てではないでしょうか。だから人は世界の果てを認識できない。そう思います。

――この世界は中心に須弥山(しゅみせん)があって、果てに鉄囲山(てっちせん)があるのではないの? あるいは下の果てなら金輪際(こんりんざい)でしょうけれども。

――世界は、我々が思う以上に広いものだと思います。この世界の外に九百九十九個の世界があり、それを私達が住む世界とあわせて小千世界、小千世界が千個集まって中千世界、中千世界が千個集まって大千世界、その第千世界には娑婆(シャバ)と名付けられています。ですが、阿弥陀如来がいらっしゃいます極楽浄土はそのさらに西にあると言います。そして、過去も未来も世界です。あり得たかも知れない、ほんの少し違った「今」もまた世界でしょう。たとえば今朝雨が振った世界、降らなかった世界、北風が吹いた世界、南風が吹いた世界、東風が吹いた世界、西風が吹いた世界、つむじ風が吹いた世界、風が吹かなかった世界。その全部が世界です。

――世界は無限にあるというの?

――いいえ、世界は極めて大量ではあっても有限の物質で構成されています。だから、この世界はきっと有限です。千、万、億、兆、那由他(なゆた)阿僧祇(あそうぎ)、無量大数、不可説不可説転……などでは言い表せないほど大きな数ですが、有限です。そのうち、私達が認識できる世界はさらに限られています。その(きわ)が、世界の果てなのだと思います。

またあるときはこのような政治に関する文が交わされた……

――史様、我が国の国体はいかにあるべきとお思いになりますか?

――帝を中心とした国であるべきです。ただ、公卿は入れ札(選挙)で入れ替えがある方が望ましいと思います。

――それは貴方のような大貴族でも落ちぶれるべきだということかしら?

――民草のための政治ができぬのであれば、先祖にどれだけの功労があろうと落ちぶれてしかるべきです。逆に優れたものであれば庶民からしかるべき地位に昇ることも。そして選ばれた公卿達が自らの中から最も優れたものを太政大臣なり摂政なりの名目で指導者として(まつりごと)を行い、それを帝が追認する……よっぽどのことがない限りは。これが望ましい政体です。

――よっぽどのこと、とは?

――大義なき戦争を行うこと、民草を飢えさせること、他の公卿の過半数がその指導者がやめるべきだと上奏しているにもかかわらず当人が地位に居座ろうとしているときなどです。その際には帝の聖断が必要です。

――史様はそのような国体を作るおつもりなのですか?

――いいえ、これは私の理想ですが、おそらくこのような制度を作るには千年はかかりましょう。はるか西、大秦(ローマ)国ではかつてそのようにして元老院という貴族の集まりが帝を決めていたそうですが。

このようにふたりは哲学、科学、政治について数ヶ月にわたって筆でおしゃべりを続けた。そして、二人が会う約束をした日がやってきた。


◆◆◆

史は、屋敷に行くと言われた通り『呪文(合い言葉)』を唱えた。すると、かれは召し使いの控え室へと通された。

「はて……?」

史は不思議に思ったが、とりあえず待つことにした。

それからしばらく経った頃――突然、男の召し使いに肩を叩かれた。史は思わずあわて、しどろもどろになりながら男に話しかけた。

「な、何でしょう? 私は中臣史という者なのですが……」

男は妙に高い声でクスクスと笑った。見ると、少女のように美しい顔の美丈夫だ。いや、むしろ……

「何を仰っているのです? あなたが会いたいと仰っていたかぐや姫がここに居るというのに。」

召し使いの男の正体は、男装したかぐや姫だった。かぐや姫は少年のようにも、少女のようにも見える顔をほころばせた。

「初めて見るかぐや姫の顔はどう? あなたにとって私は絶世の美女かしら?」

「なんと、あなた様でしたか……それにしても……その……」

「なあに?」

かぐや姫は史を壁際に追いやり、手をついた。所謂(いわゆる)後の世に言う「壁ドン」である。

「すごく……大きいんですね。」

そう、座した状態、それも御簾越しではわからなかったが……この少女の背丈はとにかく大きい。男性でもここまで背の高いものはそうそうおるまい。少女の胸が――布か何かでつぶしているのであろう、まっ平らにはなっているが――そこまで低身長ではない自分の、丁度目の前にある状況に史はドギマギした。

「こんな背高女は化け物みたいで嫌かしら?」

「いえ、むしろ逆です! あなたのことが益々好きになってしまいました!」

史は顔を赤面させながらも真っ直ぐにかぐや姫の目を見て言った。彼女はクスクスと笑った。

「ふふ、ありがとう。私、そんなにまっすぐに言われると照れちゃうわ。」

そう言うかぐや姫の声は、お付きのものたちと共に御簾越しに聞いた声より落ち着いた、少女らしいと言うよりは大人の女性のようなアルトヴォイスだったが、不思議と耳に心地良かった。

「それより、これから少し私に付き合ってほしいのだけれど……あ、付き合うってそう言う意味じゃなくてよ。」

「ええ、分かっています。で、何をお付き合いすればよろしいので?」

「ちょっと、連れて行きたいお店があるの。着いてきてくれるかしら?」

「ええ、喜んで。」


◆◆◆

史がかぐや姫に連れられて行ったのは、都の外れにある小さな小屋であった。そこには何人かの男達がいて、好き好きに酒を飲みながら飯を食っていた。あまり良い酒ではないようだったが、皆美味しそうに飲み食いしていた。

男の一人がかぐや姫に話しかけた。

「よう、タケオ! よく来たな。」

かぐや姫は男口調で答えた。

「おう、また竹取の成金貴族の屋敷から酒持ってきたぞ。この前の支払いは銭の代わりにこれでいいよな?」

「へへっ、ありがてえや……そっちの男は?」

「ああ、俺の客だ。貴族だけど貧乏なボンクラ野郎だからあんましかしこまる必要はねえ。」

史は空気に飲まれ、ただでさえぼんやりしているところ全くどうしたら良いかわからず思考停止していた。

「ここは一体何ですか?」

「ああ、ここはね。いわゆる闇市みたいなものよ。私達が密かに造った酒とかを売っているの。」

「へぇー、これは驚きですね。まさかあなた方が密造酒を作っていたとは。」

「まあ、このお酒もそうだけど、砂金の他にも色々あるのよね、讃岐家が貴族の身分を買えるほどお金を集められた理由は。でも、とりあえず今日はお酒を飲んで欲しいの。」

「はぁ、分かりました。」

二人はそれぞれ盃を手に取り、乾杯した。

「「乾杯」」

二人とも一気に飲み干した。この時代にしてはかなり強い酒らしく、喉を通る時に焼けるような感覚があった。

「なかなかいけますねこれ。」

「そうでしょう? さあ、もっと飲んでよね。」

史は周りの者どもがタケオことかぐや姫の女口調を疑問に思わないかヒヤヒヤしたが、それは杞憂だった。

「貴族の兄ちゃん、面白いだろう? タケオは酒が進むとオカマ口調になるんだよ。こんなデクノボウみたいな図体してよう。」

「デクノボウじゃないわ。酷い!」

「ガハハ、お前さんみたいな大女がいたら一度お目にかかってみたいもんだぜ。」

まさに今その類い稀なる大女、それも都中がとりこになる「絶世の美女」にお目にかかっているとはつゆほども知らない男たち。

「私はあなた達のこと大好きよ。いつもこうやって楽しいお話を聞かせてくれて、ありがとう。」

「なーに言ってやがんでえ! こちらこそこんな辺ぴな所まで来てくれて感謝してるぜ。ほら、今日は俺が貧乏貴族の兄ちゃんの分まで奢ってやるからじゃんじゃん飲めよ。」

「あ……でも……」

「なに、いいってことよ。代わりに将来出世したら10倍にして返してもらうぜ!」

「……はい、わかりました。」

「それじゃ、改めて乾杯だ!」

「「乾杯」」

こうして、男装したかぐや姫を囲みながら夜は更けていった。


◆◆◆

次の日、史は二日酔いに悩まされながらも屋敷へと戻った。そして、昨日の不思議な出来事について考えた。(あれは夢だったのか?)

しかし、その考えはすぐに打ち消された。なぜなら、かぐや姫からの文にあの夜のことが書かれていたからだ。

――拝啓 史様 この度は私の我が儘(わがまま)を聞いてくださり誠にありがとうございます。とても楽しゅうございました。

史が文を読み進めると、続きにはこう書いてあった。

――史様にお願いしたいことがあります。どうか、これからもこの私と会っていただけないでしょうか?

史はその手紙を読み、しばらく呆然としていたが、やがて心を決めたように返事を書いた。

――かしこまりました。いつでもお会いします。

こうして、二人の密会は続いた。哲学青年と男装少女の、男女の関係ではなくどこまでもフラットな友達同士の関係。そんな時代に似つかわしくない現代的な関係は、お互いに心地良いものだった。ある時、二人はお互いの境遇を語り合った。

「へえー、史はお坊ちゃまなんだね。」

それは、二人でまたあの店で飲むことになった時のこと。

「ええ、まあ一応……父はすでに他界していますが、一族の中では僧籍に入った兄を除けば直系の長子ですので。」

「立派なお父様が今のあなたのためにたくさんのものを遺してくれたのね。うらやましいわ。私は実の親の顔は知らないんだもの。」

「あ……失礼……私の気が利かなくて……」

かぐや姫はクスクスと笑った。

「大丈夫よ、私気にしてないから。私を育ててくれたお爺さんとお婆さんを実の両親のように思っているもの。」

「……そう言えば、あなたの出自を聞いていませんでしたね。民草はあなたのことを月の姫君などと(ふそぶ)いていますが。」

「うーん……それ、半分ウソ、半分本当なのよ。」

「えぇっ! それはどう言うことなのでしょう!?」

史は阿呆のように口をポカンと開けて尋ねた。

「昔々、この日本国のはるか西、唐土(もろこし)の先に大月氏と言う国があったの。大月氏は匈奴(きょうど)という恐ろしい遊牧民に追われてさらに西、天竺の近くに逃れてそこにクシャーナ朝と言う国を建て御仏をそれは篤く篤く敬ったわ。世界で初めて仏像というものを作った国なのよ。」

迦膩色迦(カニシカ)王が治めた国ですね。しばしばその名を仏典で目にします。それが、あなたとどのような関係が……?」

「だけど、盛者必衰(じょうじゃひっすい)の理。クシャーナ朝も繁栄ののちに滅びた。でもね、その国の王族は諦めなかったの。彼らは再び東に戻り、虎視眈々と王朝の復活に向けて活動を続け、やがて大陸の東の果てにある渤海(ぼっかい)国に到達しそこに潜伏したのだけれど、そこにも居られなくなって鯨海(けいかい)とか北海(ほっかい)と呼ばれる海を渡りこの日本国がある蓬莱の島に辿り着いた……」

「なるほど、つまりあなたは大月氏が残した唯一の生き残りの子孫だと……。」

「ええ、そういうこと。だから私は月の姫。私は血を絶やしてはいけないし、王朝復興のため出来るだけ高貴な身分の相手と婚姻すべし、って言われていたんだけどねえ……」

「歯切れが良くないですね。」

「私は王家だけ復興しても意味ないと思うのよ。そもそもクシャーナ朝があったのってもう何百年も昔のことよ。唐の僧の話によると、クシャーナ朝の民はその後に建てられた国と完全に同化しているらしいし。お爺さんとお婆さんも私と同意見で、今のこの国での暮らしが気に入っていて王家復活にあまり興味がないの。だから、別に誰と結婚してもいいし、最悪結婚できないならそれはそれで尼寺に入っても……なんて、ね。」

「そうなんですか? ……『月の姫君』が意外ですね。」

「あら、そういうあなたはどうなのかしら? 『車持皇子』様。」

史は露骨に(ふく)れっ面をした。

「私は間違いなく父・鎌足の息子です。母に不義はありません。」

「まあ、証拠はあるの?」

「私は指の形がちょっと特殊なのですが、亡くなった父もそうだったのです。そして、先帝陛下がそうだったという話は聞きません。それに……父を知る召し使いに聞いたところ、私と父は食べ物の好みがまるっきり同じなのです。」

「あはは、それならきっと親子ね。」

「まあ、言いたい人には好きなように言わせていますけれどもね。」

「ふーん、そっかぁ。大変だなあ。」

かぐや姫は他人事らしく適当に返事した。

「……ところで、かぐや姫はどうして男装しているのですか? やはり、その方が何かと都合が良いからでしょうか?」

「ええ、そうよ。だって、私みたいな美少女が殿方の中に混ざっていたら変じゃない。」

「ああ、確かに。」

史は内心納得しかねたが――これだけ高身長で声も低ければ、胸さえどうにかすれば女装した男と思われても無理はないと思えたので――すぐに別の疑問が浮かんできた。

「でも、それだけではないでしょう。男装する理由は。あなたは……姫は自由を求めておいでだ。」

「うふふ、そうよ。この世界は女が生きるには――特に私みたいな『ちょっと変わった』女が生きるには――あまりにも窮屈だもの。」

かぐや姫は遠い目をして言い、やがて盃をクイッと煽った。

「ふう、そういえば、あなたは普段どんな仕事をしているの?」

「主に、帝の代理として外交を担当しています。あとは、宮廷内の雑用を少々。」

「へぇ~。やっぱり偉いんだねぇ。そっか、だから私がクシャーナ朝とか渤海国って言ってもすぐ理解できたのね。」

「いえ……実は、あなたのことを月の都の人間ではないかと疑った時期もあったんですよ。何しろ月から来たのならば、唐土のことを知っているはずですから。」

「あはは、それは無理もないわよね。でも残念ながら、私のいた所はこの地上。父の出自は大月氏の王族、母は渤海国が商人の娘、そして私自身の生まれは日本の東国。ついでに私を育ててくれたおじいさんとおばあさんの出身もそこよ。」

「なるほど、それではあなたは月の都からの使者ではないようですね。」

「そうね。でも、いつか本物の月の民が現れるかもしれないわ。それはきっと例えば……あなたのような人なのでしょうね。」

「……へっ?」

史は、目の前にいる少女の言葉が意外だった。

「なぜ、と言うような顔をしているわね。でも、あなたは私が知るこの国の人の中で一番浮き世離れした人。まるで地上の民ではないみたい。」

「そんな……買いかぶりすぎですよ。」

「そのあなたが、この国の社会を形作る側にいるっていうのがまた皮肉ね!」

「むぅ……。」

史は、かぐや姫に自分の奥底を見透かされているようで少し悔しかった。だが、同時にこの不思議な女性にさらなる好感を抱いたのも事実であった。

「さて、今日はありがとうございました。」

「うふふ、また呑みましょうね。あ、そうそう。今度私、お見合いするの。」

史は息を飲んだ。

「……はて。尼になってもいいと先ほど言ったその舌の根も乾かぬうちに?」

「それは最悪そうなってもいいかなっていう、まあ言葉のアヤよ。それで、今まであなたも含めて、何人かと御簾越しに個別に会ってたんだけど、一部しつこい奴らがいてね……有望そうな男どもを数人集めてまとめて面談して、適当な無理難題を言って追い返そうと思うの。」

「ああ、そういう感じなんですね。」

「でも、もしそこにあなたがくるなら……無理難題も無理ではなくなるんでしょうね。」

かぐや姫が、その場に史に来て欲しいのは明らかだった。

「やめておいた方がいいですよ。私は凡人です。あなたをただのつまらないありふれた貴族の女にせずにいられる自信がない。」

「でも、少なくとも他の男と一緒になったり、独身を貫いたりするよりは退屈せずに済みそうよ。ま、気が向いたら来てね。予定は次の朔日(新月の日)だから。」


◆◆◆

「お見合いパーティ」の日が近づくにつれ、史は憂鬱な気分になった。かぐや姫当人も望んでいるし、自分自身もフィーリングの合う彼女と一緒になることは悪いことではない。行かない理由はない、はずなのだが……彼はどうしても姫をそのような眼で見ることはできなかった。あの少年のような笑顔を、彼女から奪うことを史は恐れていた。

そんなことを考え額に皺を寄せながら紙に筆を走らせていると、背後から声がかかった。

「よっ、史。どうしたんだ? いつも間の抜けた顔のお前さんが、そんな真剣な顔になって。」

声を掛けたのは、同期入省の中納言・石上麻呂(いそがみのまろたり)であった。

「……」

「ついに仕事に本腰を入れる気になったか、と言いたいところだが、お前さんはぼけっとしてるときの方が頭が回ってるからな。」

「それは褒めてるのですか、貶してるのですか。」

「無論、褒めてるさ。あ、そうそう。お前さんには関係ないことだけど、俺、今度お見合いするよ。」

見合い、という言葉を聞き史はドキリとした。

「へえ、そうなんですね。相手は?」

「聞いて驚け。今都中で噂になっている絶世の美女、かぐや姫だ。」

「へぇ~、そりゃすごいじゃないですか。」

史は平静を装いながら答えた。

「男を何人か集めての風変わりな形式なんだがな。今度のお見合いは今までお目見えした男どもの中でも選りすぐりの『有力候補』、『有資格者』だ。」

まるで麻呂のウキウキした気分が周りの空気にあふれ出ているようだった。

「御簾越しにしか会ったことはないが……俺にはわかる。きっとかぐや姫はあの鈴のような声に似合う小さなかわいらしい見た目をしているのだろうな。」

かぐや姫の真の姿を知る史は苦笑した。本人にしてみればあの高い声をわざわざ作って話をするのは窮屈に思っているのだし、立ち上がればその背は史や麻呂を見下げるほどであり、御簾の後ろに隠された顔はまるで少年のような不敵な笑みを浮かべているのだ。

「噂は噂。かぐや姫もそんな姿とは限らないでしょう。」

「はは、違いないな。でも、夢を見るのは俺の自由。それに……」

石上麻呂は自信家らしい笑みを浮かべて言った。

「竹取……おっと、讃岐家の砂金の出所は俺にも興味があるしな。」

史は露骨に不機嫌になった。そう、かぐや姫が絶世の美女でなかろうと、古の王国のお姫様であろうと、そんなことに関係なく、口に出さないだけでただただ金に興味のある男は掃いて捨てるほどいるのだ。砂金の出所についてかぐや姫は史にも教えていなかったが、予想はついていた。すでに砂金が採掘し尽くされた川の川底から大月氏の古い知識でさらに砂金を掘っているのであろう。あまりにも聡明過ぎるが故に逆に凡人にはぼんやりとしているようにしか見えない史にとっては、この程度のことは想像に難くなかった。言い換えれば、砂金はかぐや姫の頭の中に(おそらく)あるのだ。それを知らずこの国のどこかにまだ大きな砂金の粒がゴロゴロと沈んだ川があるのではないかと考える欲深な男達が、史にはどうしようもなく哀れに思えた。

史が黙って下を向いていると、石上麻呂は言った。

「まあ、そうむくれるなって。いいか、史。」

「……何でしょう?」

「世の中には、どうやったって手に入らないものがある。俺は、それが欲しいんだよ。」

「手に入らないもの……」

「そう。たとえば、ほら、こいつ。」

石上麻呂は懐から算木を取り出した。算木とは算盤が伝わる前から使われていた計算ツールであり、財務を生業とする役人である石上麻呂にとっては必須の商売道具だった。彼は史の文机の上に算木を雑に置いた。

「お前さん、前に言ってただろ。小さな升目がお互いに条件を以てお互いと干渉し合う図で擬似的な『世界』を計算によって作ることができる、そしてそれは賽子(さいころ)を積み上げたような立体の世界にも拡張できるだろう、ってさ。」

現代的に言うならCGやバーチャルリアリティの原理であるが、史の頭の中にはそれが完全に再現できており、また史程ではないが頭脳明晰かつセンスの良い石上麻呂はその一端を理解していた。

「算術で作られた仮想の世界、それは『それだけでは』絵に描いた餅だろう。でも、腹は満たしてくれなくても心は満たしてくれるかも知れない。気の置けない間柄の友人と呑んでいるなら、ものすごく精巧に描かれた餅の絵は肴に、話のタネになるだろう。」

石上麻呂は、その口元を歪めて笑った。

「そうやって話しているうちに、男はもっと高い次元にある世界に目を向け始める。この現実世界にある、最大の謎が知りたくなる。」

「最大の謎?」

史は愛想笑いをしながら石上麻呂を促した。

「女さ。男にとってはどんな謎より深い、永遠の謎。それが女だ。そのなかでも、都で一番謎に包まれた女、かぐや姫に心が引かれるのは無理ないこと。金もあるに越したことはないが、謎の女・かぐや姫に勝る宝物じゃない。」

「永遠の謎……確かにそうかも知れません。」

史は悩んだ。実際のところ、かぐや姫は自身にとっても謎の存在であり、新鮮な存在だった。かぐや姫の正体を知っているからこそ、史はその美しさや優しさに感動すると同時に、その正体を知った今となっては、その魅力や神秘性を客観視できている自信があった。しかし、かぐや姫の真実を知らない者たちにとって虚像としてのかぐや姫がどれほど魅力的な存在であるかも、容易に想像できた。

「あ、そうそう。俺の他にかぐや姫に会いに行く面子(メンツ)を一人だけ知ってるんだが……」

「誰です?」

「右大臣、阿部御主人(あべのみうし)だ。」

「ふむ……阿部大臣ですか……」

阿部家は有力氏族であり、財力は天下一の「大財閥」だ。古参貴族の中では最近急速に力を付けてきた彼らを嫌うものもいるが、竹取こと讃岐の家はそれ未満、形ばかりの新興貴族。むしろ話が合うところもあるだろう。金に飽かせて海外の珍品を買いあさる趣味もあり、遙か西の民族・大月氏出身のかぐや姫にとってはそういった品々にノスタルジーやシンパシーを感じる可能性もある。

「大臣は財力と政治力に併せて頓智(トンチ)もきくからな。今のところ、俺の最大の敵だ。」

「……」

「ま、やるだけやるさ。友人が『永遠の謎』を手に入れられるよう、(かげ)から祈っていてくれよ。」

その場から去る石上麻呂の背を、史は目で追った。


◆◆◆

その月の朔日、中臣史は讃岐家の屋敷の前に牛車を停めていた。心の中のモヤモヤ感は晴れなかったが、意を決して車を降り、お見合いパーティに参加することにした。

最初に史に声を掛けてきたのは友人の石上麻呂だった。

「おいおい、お前さん俺がかぐや姫殿のことを話したときはまったくそんな素振りは見せなかったのに……『有資格者』だったのか! こいつぁいいや!」

「ええ、まあ……」

適当にお茶を濁していると、また別の者に声を掛けられた。

「おや、これはこれは中臣君に石上君……ご機嫌(うるわ)しゅう。」

「ええっ、大伴大納言様……これはこれは。」

そこにいたのは大納言・大伴御行(おおとものみゆき)という男だった。彼は史や石上麻呂より一回り年上の世代であったが、軍属から一念発起し文官として史達と同期入省し大納言にまで昇った異色の経歴の持ち主であった。そのため、界隈では「親父キャラ」でよくいじられていた。

「大伴のおっさんも小娘とのお見合いにご参加とは……親父殿もむっつりですな。」

「ははは、何を言うか石上君。私はこう見えても、かぐや姫には興味津々だよ? なんせ彼女は天上人という噂だからね。」

そう、大伴は元々とにかく変わったものが大好きな、年齢に似合わず少年の心を忘れない男なのであった。

この大伴の親父殿もかぐや姫を気に入りそうだしかぐや姫も気に入りそうな性格だな、そう思うと史は少しだけ不機嫌な表情を作り頭を振った。

「いやあ、大伴殿には是非とも、私ども若人(わこうど)とかぐや姫との橋渡しをしていただきたいですな。」

石上麻呂は、その大きな口元を歪めて笑った。

「はは、まあ今のうちだよ、そんなことを言っていられるのは。石上君。かぐや姫はきっと私を気に入るだろうからな。」大伴は自信満々に言い放った。

「ほう、それはなぜ?」

「決まっているじゃないか……かぐや姫のような絶世の美女は、美男子が大好きなのだから。」

「おい、おっさん!」

麻呂と史は苦笑した。

「はは、冗談、冗談! まあ、例えそうだとしても私が選ばれる自信はあるがね。」

「自信たっぷりですね。」

「ああ、そうさ。私は君たちより若くはないが、年の功で大人の男の魅力というものを見せてやるまでよ。」

鼻息荒く言い放つ大伴。そこへ、阿部御主人がやってきた。

「やあ、貴方たちもかぐや姫のお眼鏡にかなったんですね。」

「おう、阿部の大臣様のお出ましか。」

「これはこれは、阿部様。」

「どうも……」

どいつもこいつも、個性的で面白そうな男達ばかりだ。かぐや姫の嗜好(しこう)が垣間見える。

「まさかこんなところで皆さんとお会いするとはね。ま、これも何かの縁でしょう。」

阿部御主人が言った。

「確かにそうかもしれませんな。」

「ええ。」

「それじゃ、せっかくなので皆で一緒に参りましょうか。」

「いや、その前に……僕の下調べによると、『有資格者』は少なくとももう一人いるはずだ。中臣さんがこの場に来たのは意外でしたが、少なくとももう一人、ここに来る男がいます。」

阿部が金を使って行った調査。信憑性のあることだ。

「ほう、それは誰ですかな?」

「まあまあ、慌てなさんな、親父殿。」

「誰ですか?」

「随分食いつきがいいな、史。お前さんらしくもない。」

「あ、いや……単純な好奇心です。」

「好奇心、ねえ……」

石上麻呂は何か違和感を抱いているようだった。

「僕の最大の恋敵、その名は石作皇子(いしつくりのみこ)殿下。」

さらりとその場にいる3人を無視するような発言をした阿部だったが、3人にはそれ以上に石作皇子の名が気になった。

「まさか……皇族まで出てくるとは。」

大伴大納言は冷や汗を流した。

「ふふん、皇族といえど序列は下位。財力は僕の方が上。勝ち目は十分にあると言えるでしょう。」

「おい、史! お前さんはどう思うんだ?!」

石上麻呂が訊いた。

「えっ!? 私ですか?」

「もう一人の『皇子』として思うところはないのかね? 『車持皇子』君。」

大伴に「皇子」と呼ばれ、史は露骨にムッとした。

「かぐや姫は、皇子などという肩書きに興味を持たないと思いますよ。」

「ほう、その心は?」

「……この面子を見ればわかるでしょう。」

「ははは、違いないな。誰も彼も一癖も二癖もある男ばかり。かぐや姫は長く続く安定を選ぶより自分の直感を信じる型と考えるのが自然だ。」

「誠に。」

「ならば益々僕の勝ち目があるというもの。」

やがて石作皇子が合流し、一同はかぐや姫の待つ部屋へと通された。


◆◆◆

「この度は、皆様お集まりいただきありがとうございます。私より直接お礼させていただきます。高位高官の皆様におかれましては異例のことと思われますが、下賎の生まれゆえ何卒(なにとぞ)ご容赦ください。」

皆はかぐや姫の美しい声、丁寧な物言いに聞き惚れていたようだが、普段のもっと低い声とラフな口調を知っている史にとっては滑稽でしかなかった。

「……そして、私に求婚してくださった皆様には重ねて感謝申し上げます。」

一同は貴族身分の人間らしく、声も立てずに上品に笑った。

「しかし、私はこのままでは皆様のお申し出をお受けすることはできません。形ばかりの貴族に過ぎない私にはもったいないほどに、皆様は優れた方々ばかりですので。」

すると、求婚者の中で一番身分の高い石作皇子が問いかけた。

「ほほう、すると汝は如何にして我らのうちから伴侶となるべき男を決すか?」

皇族だとしても随分古めかしい文語調の言い回しの問いにかぐや姫は若干動揺したが、それを隠して答えた。

「はい、皆様にはそれぞれ私の申し上げる品をお持ち戴きたいのです。その『正しさ』を以て、結婚相手を決めさせて戴きとう存じます。」

一同は一瞬どよめいた。石作皇子はすました顔で。大伴御行はわずかに驚いたような顔で。阿部御主人は自信ありげな顔で。石上麻呂はやれやれといった顔で。そして中臣史は――ぼんやりした顔で。

成る程(なるほど)畢竟(ひっきょう)、我等が持参する品々により、その者の人格なり人間性なりを汝が推し量らんと?」

石作皇子の言葉にかぐや姫は微笑みながら答える。

「はい、その通りでございます。」

「ははは、こいつぁ面白くなってきたぜ。」

「うむ、実に興味深い話だ。」

石上麻呂、阿部御主人が言った。

「して、汝は何を望む?」

「はい、まず石作皇子殿下には『仏の御石の(はち)』を。」

皇子はふむ、と頷いた。

「次に中臣史殿には『蓬莱の玉の枝』を。」

史は御簾を貫くかぐや姫の鋭い視線を感じた。同時に、彼にもこのお題を聞いてピンとくるものがあった。

「阿倍御主人殿には『火鼠の皮衣』を。」

「心得ました。」

阿部は自信たっぷりに胸をたたいた。

「大伴御行殿には『龍の首の珠』を。」

大伴はハテ、とあごをひねった。

「最後に石上麻呂殿には、『(つばめ)の子安貝』をお持ちください。」

「へえ、こいつはまた……なかなかに難しいものを指定なさりましたなあ、お姫様。」

石上麻呂は軽口をたたいた。

「期限はございませんが、当然、遅くなればなるほど不利でございます。それでは皆様、何卒お願い致しますね。」


◆◆◆

史はこの奇妙な『求婚ゲーム』の裏に隠された意図を読み取っていた。

(つまり、これはかぐや姫の私への試験なんだ)

かぐや姫が自分以外の求婚者に課した品物について、『燕の子安貝』以外すでに史にはおおよその見当がついていた。

「『仏の御石の鉢』、『蓬莱の玉の枝』、『火鼠の皮衣』、『龍の首の珠』、『燕の子安貝』……いずれも伝説上の宝物だ。これらの品々はどれも、実在するものではない。」

年長者の大伴はこう発言した。史以外は宝物の正体がつかめていないようで、うんうんと頷いている。

「然り。これらは尽く、実在せざる、架空のものなれば。」

「じゃあ、何が本物で何が偽物だって言うんだ?!」

石上麻呂が皇子に食ってかかるように言った。史はそれに答える。

「かぐや姫が求めるものは、これら伝説の品物じゃありません。かぐや姫が欲しいのは、それらに対する『知識』そのものですよ。」

「……! なるほど、そういうことか……」

大伴は納得したようだった。

「かぐや姫はただ珍しい宝物が欲しい俗物じゃないってことか……ニクいねぇ。」

石上麻呂は無精ひげをなでた。

「はは、どちらにせよ、僕が一番有利だね。これから古今の和書漢籍を買いあさって『火鼠の皮衣』について徹底的に調べるよ。」

阿部はそう言いながら去って行った。

「私も軍の人脈を中心に『龍の首の珠』について知る者がないか調べるとするか。」

「予も仏家に『仏の御石の鉢』につき諮問して知識を得ん。」

「そんじゃ、俺も『燕の子安貝』について知り合いに当たってみるよ。」

三人とも口では協力し合っているようなことを言っているが、内心お互いに出し抜かれまいと必死であることは明らかであった。

「しかし、この分だと俺みたいな権力も金も人脈もない奴が一番損だな。まったく、親を恨むぜ。」

「私だって中臣の家の長子とは言え、そんなに権力も金も人脈もありませんよ。」

「まいったなぁ……」石上麻呂は史の顔を見合わせた。


◆◆◆

かぐや姫は自室に戻ると、ため息をついた。

「はあ、どうしたものかしらねえ……。」

史が来てくれたことは嬉しかったが、他の人達へのお題はあれでよかったかしら、とアンニュイな気分になった。

「まあ、なるようになるだけよね。」

かぐや姫は気を取り直し、史への文を書くことにした。次の密会のためだ。

「えーっと、次はいつ会いましょうか、と。」

「またあのお店に行きましょう、と。」

「明後日はいかがでしょう、と。」

「うーん、なんか落ち着かないな。」

お見合いパーティという大博打、その半丁がまだ出ていないためであろう、かぐや姫は身の置き所がない感じが持続していた。

さて、その手紙が史の下へ届いたのは翌日のこと。彼は簡潔に返事を書いた。

――かぐや姫様。明日あなたの屋敷に参ります。男装してお待ちください。一緒にあの店で呑みましょう。

そうして翌晩にかぐや姫と史が落ち合い、店で呑み始めると、かぐや姫は愚痴をこぼし始めた。

「宝物、本当に持ってこられちゃわないかな……少し心配よ。」

史は優しく微笑んだ。

「大丈夫です、私の方から少し『イジワル』を仕込んでおきましたから。」

史はあのお見合いパーティの後、他の候補者たちとどのようなことを話したかかぐや姫に教えた。

「つまり……」

「モノを持ってきたら本質を突いていないと難癖をつければいいのですし、向こうが頓智(トンチ)を利かせたならばモノを持ってこいと言えばいいのです。」

「あはは、流石ね、史。」

「いえ、ほんの思いつきで……」

「あんたもちょっと真人間に近づいてきたってことね。」

「そうなのでしょうか……」

「そうよ。」

「ありがとうございます。」

「そう言えば、史に出したお題は……」

「ええ、分かっています。以前お手紙で語り合ったあの件ですね。」

「うん、そうよ。」

「少しばかり仕込みが必要ですので、少々待っていてください。」

「分かったわ。」

「そしてたまには、また呑みましょう。」


◆◆◆

それから1年ほどか過ぎたころ、一人目の男が讃岐邸を訪れた。石作皇子である。

「予は『仏の御石の鉢』を見つけたり。己が目で確かめられよ。」

この皇子の妙な喋りは、ある種の職業病である旨をかぐや姫は史から知らされていた。曰く、朝廷の中で石作皇子の立場は微妙なものだという。皇子としてはあまり恵まれない環境から、巧妙な手段でのし上がり、今は次の帝に内定している皇女に取り入り、いずれは摂政の地位を狙っているそうだ。そのような立場ゆえ、不注意で要らぬ言質を取られぬよう、言葉が文語のようになってしまう、そうかぐや姫は聞いていた。

皇子様も大変ね、と心の中でため息をつくかぐや姫。そんな彼女の手元に、召し使いが『仏の御石の鉢』を運んできた。

「予が自ら天竺まで旅して得た、真の『仏の御石の鉢』なるぞ。さあ、予は汝の(つま)として相応しきか否か。答えたまえ。」

かぐや姫の手のひらの上にあるのは、石でできた、整った形の、真っ黒な、やや小ぶりな器。それは傷一つなく、よく光を反射し、美しく輝いていた。

「殿下……」

かぐや姫はゆっくりと口を開いた。

「衣鉢を継ぐ、という言葉がございます。」

「……」

皇子は黙っている。

「仏家は、師から弟子、弟子から孫弟子へと、その衣鉢を受け継いでいくのです。衣鉢とは、袈裟(けさ)托鉢(たくはつ)のみならず、その教えをも意味しています。全ての僧の師を辿(たど)っていけば、最終的には御仏に行き着くのです。」

「ああ、成る程……」

皇子はうつむいた。

「つまり、全ての僧侶が使う、全ての器は、『仏の御石の鉢』として『生きて』いるのです。この器は僧侶が托鉢に用いていたにしては綺麗すぎます。申し訳ありません。私は、殿下の伴侶になることはできません。」

皇子の手の甲に、ぽたりと水滴が落ちる。それはいうまでもなく、涙であった。

「はあ、あかんなぁ、わしは。」

「やっと、素の言葉を聞かせてくださいましたね。」

「せやね。こんなん他人(ひと)に聞かせたの、暫く(しばらく)ぶりやわ。」

「最後に、殿下の飾らない心を見せていただき、ありがとうございました。」

「はは、あんさんのせいで……いや、あんさんのおかげでやね、わしの人生全部虚飾で終わらずに済んでよかったということにしとこか。ごめんな、ひどい虚栄心の塊みたいな器押しつけてもうて。」

そして、石作皇子は涙を拭いそっと屋敷を去っていった。


◆◆◆

それからさらに十数ヶ月経った頃、今度は阿倍御主人が屋敷にやってきた。

「僕が唐土から取り寄せた『火鼠の皮衣』、かぐや姫様もきっと喜んでいただけると信じています。」

阿部は自信有り気に言うと、かぐや姫は品物を受け取ろうとする召し使いを制し、阿部に言った。

「まずは、それがどのようなものか説明してください。」

「はい、そもそもですが、火鼠などという動物は存在しません。電気うなぎ、電気なまずという生き物はいるそうなので、電気ねずみならば存在する可能性はありますが。」

阿部はそう言いながら、自らの手の上に何かを乗せている。

「これは、とある地方に伝わる『火打ち石』です。」

確かに、その手には、小さな四角く平べったい、石片のようなものが乗っていた。

「これを、こうやって……」

阿部は『火鼠の皮衣』とされる布に火をつけた。全く燃えない。

「これは動物の革ではありません。ある種の鉱物です。石綿(アスベスト)、と言うそうです。」

阿部は『火鼠の皮衣』をさらに火であぶるが、燃える気配は一向にない。

「石だから燃えない……当たり前ですね。しかし、これを皮革の代わりに使うことで、火にも耐える衣服や(よろい)、手袋などが作れる。つまり、機能的には『火鼠の皮衣』と言って差し支えないでしょう。さあ、かぐや姫様。この『火鼠の皮衣』、お気に召しましたか?」

阿部は『火鼠の皮衣』を再び召し使いに渡そうとするが、またしてもかぐや姫はそれを制した。そして、かぐや姫は残念そうな顔をしながら――どのみち御簾が邪魔をして阿部には見えないのだが――言い放った。

「これは、そのような用途に使ってはいけません。おそらく、これは毒でしょう。」

「……何故、そう思うのです? これを売った商人も、そんなことは全く言っていませんでしたが。」

「私は石綿というものが存在することは以前から存じ上げていました。」

阿部は驚いて目を見開いた。

「これは全体としては柔らかいですが、繊維の一本一本は硬い石。そのような線維が、全部ひと続きで壊れることがないのならば良いのですが、ごく短い繊維の混入は避けられません。つまり、この布は極めて小さな、言うなれば石の針が大量に混じっているのです。」

「なるほど、それはわかりました。しかしそれが毒とどのような関係が?」

かぐや姫は続ける。

「そんな微細な石針が、呼吸と共に肺に入ればゆっくりと、しかし確実に肺を刺して、いずれは穴が開くことは想像に難くありません。」

現代医学の知識によると、理論は(おおむ)ね正しかったが実際は穴が開くよりは癌が発生したり胸水が貯まることなどの方が問題であった。いずれにせよ、この時代にそのように論理的にものを考え危険を察知したかぐや姫の科学的センスは飛び抜けて優れていると言えた。これも、史との手紙のやり取りで頭脳が(きた)えられた結果だった。

「女性にそのような危険が疑われる品を渡そうとする、その思慮の浅さ。私はあなたと結婚することはできません。」

「そうですか……残念だなあ、これ結構高かったのに。捨てるのももったいないので、火事から逃げるための非常用としてしまっておこうかな。」

「ええ、私もそれがよろしいかと思います。流石に、焼け死ぬよりは肺病の方がマシですからね。」

阿部は苦笑いしながら『火鼠の皮衣』を漆塗りの入れ物にしまい、それを手に去っていった。


◆◆◆

さて、阿部御主人がかぐや姫のもとを訪ねていたその頃、大伴御行は龍を探して海へと乗り出していた。軍にいた頃の知り合いの伝手(ツテ)によると、どうやらこの一帯には昔龍が出たことがあるらしいと聞いてのことだった。

仮に何かの見間違いだとしても、それが龍の正体なのだから包み隠さずそれを伝えれば良い、かぐや姫は聡明な娘なのでそれできっとわかってくれる――そう思い、彼は屈強な船乗りや海兵達を何人も雇い、舟を出した。

「あの辺りが潮の流れが速いからお気をつけください。」

「ああ、すまぬな。」

船乗りの助言を聞きながら、御行は慎重に進んでゆく。すると、前方の海面が盛り上がり、巨大な影が現れた。

「おい、あれを見てくれ! きっと、これが噂の龍だ!」

「はっはっは、まさか本当に現れるとは。」

船乗りたちは口々に囃したて、大伴は破顔する。龍と思われた怪物は、現代的に言うと、それは巨大なワニの一種のようであった。この時代、ワニというとサメを意味する言葉であったが、ここで言っているのは四本足のついた、爬虫類(はちゅうるい)の方のワニである。どうやら突然変異を起こした個体が東南アジアから泳いでやってきたらしい。

「ゴツゴツして、まるで岩のような肌だな。」

龍改めワニを見て、御行は言った。

「まあ、こんなところにウロチョロしているんだ。ただの動物ではないだろう。とりあえず、捕獲を試みるか。お前達、頼むぞ。」

「よしきた。」

そう言って漁師達は縄を投げたが、その縄は簡単に引きちぎられてしまった。

「うわぁ!? なんて力だ!」

「落ち着け! 急ぐことはない。無理矢理にでも捕まえようなどと思うな! 自分の身の安全を第一に考えろ。」

「一旦離れます!」

軍人としての経験も豊富な大伴は冷静な判断を下し、配下を落ち着かせた。

すると急にワニが大暴れしだした。ワニの背中には巨大な(もり)が刺さっている。ワニの後ろには自分達が乗ってきたのとは別の漁船があり、見知らぬ男達が乗っていた。男達は淡々とワニを入り江に追い込み、やがて仕留めた。それはあっけないものだった。

「やあ、あんたがた。危なかったべ。龍は俺たちが仕留めたからもう大丈夫だ。」

「私は都の貴族、大伴御行という者だ。お前達は何者だ?」

「俺たちはここの沖にある島の漁師だべ。龍が出た、と聞き退治しにきただ。」

大伴の部下の一人が言った。

「なぜ龍を退治しようなどと思った?」

漁師の一人が答えた。

「このあたりには数十年に一度、南の国から悪い龍がやってくるのでそれを退治して神社にその肉をお供えする風習が伝わっているだ。俺たちは言い伝えられているとおりに退治したまでだべ。」

「うーむ。すごいな。ところで、ものは相談なんだが、その龍の『首の珠』を譲ってはもらえないだろうか? 無論、できる限りの礼はする。」

「ダメだ。この獲物は神様にお供えする神聖な供物。たとえどんなに金を積まれてもよそ者には譲れねえだな。」

「まあ、それもっともな話だな。ところで私は元軍人で、今も号令を掛ければかつての部下を何百人も集めることができる。」

「武力で脅そうったってだめだぞ。言い伝え通りにしなかったせいで神様に(バチ)を与えられた方がよっぽど恐ろしい。それに……」

「それに?」

「龍の首に珠のようなものがついているなどという話は言い伝えにも聞いたことがないぞ。情けで今これから龍を解体するところは見せてやるから、自分の目でも確かめるといい。」

実際、大伴は龍の解体に立ち会ったが「珠」――この時代の語彙ならば真珠や珊瑚、宝貝などの「海産の宝石」と言いかえてよいだろう――らしきものはついぞ見当たらなかった。

「かぐや姫の言う『龍』はこれとは違うのだろうか……あるいは(メス)の卵や(オス)の白子のことを言っているのか……?」

大伴は考えるうち、ある恐ろしい考えに行きつき、恐怖した。

「かぐや姫……なんと恐ろしいことを……」

龍とは……帝の象徴ではないか! そのことに思い当たった大伴は、思わず身震いした。恐れ多くも『龍』の首に架けられる『珠』……三種の神器が一つ、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)にほかならない。かぐや姫はクーデターをそそのかしているのだ。

「私には、そのような恐ろしいことはとてもできない。主と、愛した女と、どちらかを選ぶことなど。つまり、元々『龍の首の珠』はかぐや姫の元に持参しても、持参しなくても不正解なのだ。」

自ら導き出したこの答えを、大伴はかぐや姫に文で伝えた。すると、かぐや姫から返事が返ってきた。

――大伴様、あなたの出した答えは『正しい』としてよいでしょう。しかし、なぜ私の元へいらっしゃらず、辞退されるのですか?

そう、結婚候補の中で初めて、ある程度満足できる答えを出したにもかかわらず、大伴はかぐや姫との結婚を辞退したのである。

――私はあなた様が恐ろしいのです。たとえ言葉の上だけだとしても、主君殺しという大罪を男にそそのかす大胆不敵な小娘が。私はあなたの本当の姿を垣間見た気がします。どうか、私から武人としての矜恃(きょうじ)を取り上げないでください。今後、私からあなた様にお目にかかりに行くこと、文をお渡しすることはもうないでしょう。せめて、蔭ながらあなた様の婿となる方の健闘をお祈り致します。

はたして、その文のとおりに阿部が自分から進んでかぐや姫にかかわることはもうなかった。


◆◆◆

こうして3人が脱落するまでに2年以上かかった。

一方、史はというと、自分の所有地に秘密の工房を作り、職人を集め、自身もほとんどそこに寝泊まりしていた。だがその間も、史はかぐや姫と文を交わしあい、2、3ヶ月に1回程度の頻度であの店で密造酒を飲んでいた。本気でかぐや姫と結婚したいと思っている他の候補者からすればうらやましい限りの話だが、当人達は特に燃え上がるような男女の情愛などもなく、淡々としたものだった。

「別に『蓬莱の玉の枝』なんか本当に作らなくてもいいのよ? それこそ適当にその辺から拾ってきた枝でもあなたなら屁理屈を付けて宝物にすることなんか簡単でしょう? 私はそれを追認するだけ。」

「いや、それではあまりにも……他の候補者の方々に申し訳が立たないのです。」

史はそう言って、いつものようにぼんやりとした様子で明後日の方向を向きながら盃を空にした。

「私が文句のつけようのない正解を提示できなければ、自分の方がより素晴らしい宝物を持参できるという者が我こそは我こそはと大挙してくるかも知れません。」

「たとえそうだとしても……あなたみたいな高位の貴族が婿になるなら諦めてくれると思うけれどな。」

「それに……」

「それに?」

「これはあなたへの贖罪(しょくざい)の証しでもあります。」

「何の罪? 私はあなたに何の罪も負わせたことはないわ。」

「……あなたの未来を奪うことへのです。あなたを平凡なお姫様にしてしまうことへの。だから、せめて私が『蓬莱の玉の枝』を完成させ、あなたを私のものにするまでの間、私達はこのままでいましょう。自己満足に過ぎないのかも知れませんが。」

「……この心地よい時間も、いつかは終わるのね。」

かぐや姫は酒で頬をほんのり桃色に染めながらうなずいた。

その時、史を呼ぶ声がした。

「おおい! 史!」

「ああ、ここです。麻呂!」

手を振る史。その目線の先にいたのは、石上麻呂だった。

かぐや姫は心臓が口から飛び出すかと言うほど驚いた。うつむいて顔を隠し、押し黙ってしまう。

そんな彼女に、史がそっと耳打ちをする。

「大丈夫、相手はあなたの顔も、本当の声も知りません。堂々としていれば女だと言うこともばれないでしょう。」

いわれてみれば、そのとおり。自然に振る舞おうとするが、どうにもギクシャクしてしまう。

「やあ、久しぶりだな、史。お前さんに文でお呼ばれして来てみたはいいが、面白い店だな。」

「ええ、庶民が呑む店です。私や麻呂みたいな『貧乏貴族』が呑むには丁度いいでしょう。」

「それでそちらのお連れさんは?」

史は咳払いしてかぐや姫を紹介した。

「この者は、『タケオ』といいます。さる貴族の屋敷に仕える使用人で、私の呑み友達です。あなたに会わせたかった人です。」

「どうも、タケオです。今後ともよろしくお願いします。」

かぐや姫は心持ちいつもより声を低くしながら挨拶した。

「ほほう、兄ちゃん、座っててもでかいな。」

「よく言われます。」

「阿倍の親父さんなら迷うことなく軍に誘うだろうな。」

「ははは、そうなるでしょうね。」

「君、軍に入る気はないかい?」

「いえ、ボクはどちらかというと学問の方が……」

男装のかぐや姫は困惑気味に答える。それを聞いて、石上麻呂はある考えに至った。

「ははーん、なるほど。そういうことか。タケオ、お前さん、史にそそのかされたな。」

まあ、当たらずとも遠からず。かぐや姫が史との文通によりこの世界の様々なことについて思案する様になったことは事実だ。

「ええ、まあ……」

いつの間にやら史から盃を受け取り呑み始めている石上麻呂。首を振り、心底残念そうな表情を作った。

「かーっ、こんな美丈夫を捕まえておいて哲学の沼に引きずり込むとは犯罪行為にも等しいぞ。」

そう言って、かぐや姫の肩をポンと叩いた。

「でも、面白いだろう? こいつも、学問の世界も。」

「え、ええ……。」

「史の頭の中には哲学も天文学も数学も政治学も何もかもがある。徳の高い仏僧ですら知らないようなことすらな。俺も史のおかげで、自分の商売道具の算木が世界を作ることすらできる道具だと気づくことができた。史の頭脳は、かぐや姫の求めた5つの宝に勝るとも劣らない、この国の宝だ。」

「おだてたって何も出ませんよ。」

「ははは、大丈夫だ。お前さんにたかる気はないさ。それより史、この店のおすすめは何だ?」

そんなこんなで、3人は楽しく呑み夜は更けていった。

「おい、史!」

「う~」

「だめね、完全に酔い潰れているわ。」

呑んでいる途中から、すでに「タケオ」は女口調を石上麻呂に隠してはいなかった。

「ったく、仕方ねえな。よし、史はオレが連れていくよ。」

「あら、私だって力には自信あるけど?」

「いや、こういう時くらいは任せておきな。」

そう言うと、石上麻呂は史を抱きかかえて店を出ようとする。

「じゃ、またな。タケオ。」

「あ、はい、是非!」

かぐや姫があわてて礼を言うと、石上麻呂はニカッと笑って店を出て行った。


◆◆◆

「おーい、史。」

史の屋敷に着いた石上麻呂は、召し使いを呼び史の部屋へ運ばせた。肩を揺すり声をかけるが、返事がない。

「しょうがねぇなぁ。」

石上麻呂は史の頬を叩き、水を飲ませた。

「かぐや姫殿が心配してたぞ。」

その言葉を聞き、史の酔いは一気に醒め、我に返った。

「……いつ気づいたのです? 『タケオ』がかぐや姫だと。」

「やっぱりな。いや、完全な確証はなかったんだが、なんとなく、な。」

「たとえ女だと気づいても、あの絶世の美女と『大男』を結びつけるなど普通はあり得ないでしょう。」

「バーカ。かぐや姫を見て気づいたんじゃないさ。お前さんの反応を見ていたんだ。まるっきり、かぐや姫について話してるときと同じ顔をしてやがる。お前は少しかぐや姫に(なら)って人の情を学んだ方がいい。」

「そういうものですか。」

「ああ、そういうものだ。」

「流石は聡明で知られた中納言・石上麻呂。」

「よせやい、お前さんに聡明なんて言われたら、イヤミみたいに聞こえちまう……しかし、お前さんが少しは真人間に近づいているみたいで、友人としてはうれしい限りだ。」

「……かぐや姫が鈴を転がすような声の小柄で世間知らずの美少女ではないと知って、あきらめて私に譲ってくれるのですか?」

「まさか! 俺は本人を目の当たりにして、かぐや姫が益々好きになった。けどな……」

石上麻呂は頭を()きながら続けた。

「俺には相思相愛の二人を引き離すなんて野暮なこたぁできねえよ。これも人の情だ。」

「……すみませんね、麻呂。」

「とはいえ、俺もかぐや姫に惚れた身、贈り物を何も持たずにすべてを終えるのも(シャク)だ。いずれお前さんがかぐや姫に宝物を差し上げるとき、結婚祝いにおあつらえ向きの『燕の子安貝』を贈らせてもらおう。」

「それはありがたいですが、どうやって手に入れられるんですか?」

「『蓬莱の玉の枝』の用意が調うまで、まだ時間はあるんだろう? それまでにはなんとかするさ。」

「あ、ちょっと……」

石上麻呂はそう言い残し、屋敷から出て行ってしまった。

「やれやれ、相変わらずですね。」

史はそう呟き、ため息をつく。

「まあいいか、私は私の仕事をするまでだ。」


◆◆◆

「ふぅん、なるほどねぇ。」

史からの手紙を読み終えたかぐや姫は、そう言ってため息をついた。

「これで、後は史の『蓬莱の玉の枝』の完成を待つばかり。それと同時に……私達の関係も次の段階へ変わるのね。」

かぐや姫にも史と同じように結婚に対する不安はあった。確かに、史と一緒になることを求めたのは自分自身だ。だが、それは「今の史」を見て決めたこと。結婚しても、史はきっとかぐや姫をできるだけ自由にしてくれるだろうが、今のように男装して気軽に呑みに行くなどということは望めないだろう。

「でも、それでいいのかもしれないわね……」

かぐや姫はそうつぶやいた。

「私達が結ばれるためには、どちらかが妥協しなければならない。私が史と結ばれれば、今まで通りの自由はない。かぐや姫としての私の自由はなくなる。でも、それは史も同じこと。どちらが幸せかなんてわからない。人は二つの人生を生きることはできないのだから。だけど、少なくとも史は幸せになれるはず。2人を祖とする貴族の家系――ある意味で『新しい大月氏』が始まって、私の先祖達も満たされる。みんな満足できる、予定調和。」

かぐや姫は小さく微笑んだ。

「……またあの店に行って呑もうかしら。今宵は独りで。独り酒ができるうちに。そろそろ新しいお酒も引き取ってもらわないといけないし。」

かぐや姫は立ち上がると、夜空を見上げた。

「今夜は満月ね……。」

その白い頬に、そっと一筋の涙が流れた。


◆◆◆

それから数ヶ月後。

――『蓬莱の玉の枝』が完成しました。つきましては都合の良い日時をお教えください。

史から届いた手紙を読んだかぐや姫は、読んだばかりの手紙を抱きしめた。しばし余韻を感じていると、手紙を閉じて文机に向かい返事を書いた。

――史様、宝物完成おめでとうございます。次の満月の晩にお越し下さい。

それから時はあっという間に過ぎた。その間にかぐや姫は史以外の候補者達やその他の関係者達に招待状を送り、『蓬莱の玉の枝』のお披露目の場をあつらえた。

そして、いよいよ満月の晩がやってきた。史は約束の時間に、かぐや姫の屋敷にやってきた。召し使いの一人が案内する。

「さあ、どうぞお入り下さい。皆様すでにお待ちです。ただ……」

「……何か問題でもおありですか?」

「いえ、石上麻呂中納言様がまだおいでになっていないのです。」

石上麻呂は普段時間に五月蠅(うるさ)い性格であったため、史も妙だなとは思ったが、まあ何か用事があるのだろうと深くは考えなかった。

「それより、集合場所はあの『試験』が行われた、大広間でいいのかな?」

「はい。今お連れします。」

大広間には、かぐや姫の養父・養母である(おじいさん)(おばあさん)、自分と石上麻呂を除く3人の候補者、すなわち石作皇子、阿倍御主人、大伴御行の他、屋敷の召し使いの中でも身分の高いもの、地域の有力者などが所狭しと座っていた。

少しして、かぐや姫が御簾の内側に入る気配がして、いつものようにかわいらしい作り声で話し始めた。

「中臣様、今宵は私が求めました『蓬莱の玉の枝』をお持ち戴いたとのこと。どうか、私にも拝見させて下さい。」

「はい、こちらが私の作りました『蓬莱の玉の枝』でございます。」

不比等は宝物に架けられた薄い布を剥いだ。

そこには、いくつもの漆塗りの黒い枝で作られたオブジェがあった。

「……説明を、お願いします。」

かぐや姫は冷静を装ったが、史が注意深く聞くとワクワクした気分を隠しきれていなかった。

「これは、生命の樹でございます。この樹の先端にはかぐや姫様、あなたがいます。」

枝の一番高いところには「讃岐弱竹輝夜姫さぬきのなよたけのかぐやひめ」と書かれた小さな人形があった。

「その下には、お父様とお母様がいらっしゃいます。」

確かに、輝夜姫の人形の下には「父母」と書かれている。史は枝に指を這わせる。

「その下には祖父母が、さらに下には曾祖父母が、こうやってたどっていくと、『猿』の枝と合流します。猿は人間様より毛が三本少ない、などと申しますように、我々人間とは僅かに毛三本ほどの違いしかありません。そのさらに下では『犬』『猫』『牛』『馬』など、毛が生え乳で子を育てる生き物が合流します。」

「つまり、これが人間の祖先ということですか?」

かぐや姫の問いに、史は答えた。

「そうです。」

「それでは、なぜこの樹は『蓬莱の玉の枝』なのですか? 『蓬莱』とは一体どこにあるのかもわかりませんのに。それがこのような形で目の前に現れたことに、驚いております。」

「ええ、そうでしょうね。私が指し示したいのはこの枝は大宇宙の真理の一端を現しているということです。それはとても玄妙で、不可思議で、深遠なこと。そう簡単には理解できなくてもおかしくはないのです。まずは私の説明を最後までお聞き下さい。」

史はゴホンと咳き込み、話を続けた。

「この『蓬莱の玉の枝』は、言い換えるならば『生命の樹』とでも言いましょうか。我々の住む蓬莱の島を含む極めて巨大な世界における全ての生命の真理を現すものです。太古の昔、この世界に生命が誕生しました。しかし、その環境は大変過酷なものでした。最初に生まれたのは小さなカビやコケのようなもの。神話に言う、最古の神々、別天津神(ことあまつかみ)の一角、ウマシアシカビヒコヂ神に比定られるべき生命です。」

史は「蓬莱の玉の枝」の幹の根元をなでる。そこには、宇摩志阿斯訶備比古遅(ウマシアシカビヒコヂ)神と力強く書かれていた。

「なんと! すべての生命の元は、カビと申されますか!」

その場にいた他の人々も大きくどよめいた。

「ウマシアシカビヒコヂ神は葦が芽を吹くように萌え伸びる神。育つ神であらせられる。その神から今存在するこの世界にあふれるすべての生命が生まれたのです。カビ、コケ、草、木、花、大樹。(むし)、魚、野の獣、空飛ぶ鳥、家畜、そして人。すべての生命はこの模型が示す『生命の樹』から始まったのです。」

かぐや姫は息を呑んだ。現代で言う系統樹という、進化の過程を示す図。以前からの文のやりとりで知っていたことではあるが、改めて史の口から聞くと、何という不可思議で、神秘的で、魅力的なお話! それなりに読んできたつもりの和書漢籍にもこのような話は載っていなかったというのに――だが、不思議と納得のゆく話でもあった。

「しかし……失礼。ちょっと良いでしょうか。史君、『蓬莱の玉の枝』、という割にはこの枝には『玉』の要素がないですね。」

そう言ったのは、外野からこの「結納」を眺めていた阿部御主人であった。それを聞いて、かぐや姫は気を取り直して史に問うた。

「そうです。これはまだ『蓬莱の枝』。『(宝石)』が足りません。」

史は優しげに微笑んだ。

「この枝は未完成です。今、これを完成させましょう。」

史の手には何やら小さなものが握られていた。

「これは私です。」

その物体には小さな人形が据えられており、「不比等(ふひと)」と記されていた。

「そしてこれをここに……」

史の人形は、カチリという音と共に、かぐや姫の人形とくっついた。すると、何と言うことだろう。枝の先端が割れ、小さな玉、宝石のようなものが現れた。

「これを、姫様に……」

召し使いを呼び寄せ、手渡しで玉を握らせる史。その玉はすぐさま、御簾の後ろに控えるかぐや姫に手渡された。

「手で割れますので、割って下さい。」

それは史が特別に配合した薬品の、透明な結晶であった。「巨女」かぐや姫の握力をもってすればそれを割るなどということは、造作のないこと。パキッ、と割れ、中から紙が出てきた。

そこには、ただ二言が書かれていた。

――子供。

――未来。

「おお!」

かぐや姫は涙を流して喜んだ。

「史! 私……!」

すでにかぐや姫は声を作ることもやめていた。

史は、今まで出したことがないくらい大きな声を張り上げ、かぐや姫に向かって言った。

「かぐや姫様! 私と結婚して下さい!」


◆◆◆

かぐや姫は、史の求婚に応えようとした。

「はい、私は中臣史様の申し入れを喜んでお受けし、あなたの妻として――」

その時である。

「たっ、大変だー!」

ある男が一同が集まっていた広間に飛び込んできた。讃岐家の召し使い達の制止も聞かず、無理矢理といった感じで入り込んできた。だが、史はその男の顔を知っていた。

「おや、あなたは石上麻呂の屋敷のものではないですか。一体どうしたのです?」

「へい、うちの旦那が崖から落ちて大けがをして今屋敷に運び込まれたんですが、もう虫の息なんです。」

「なんですって!」

御簾の影でかぐや姫が声を上げる。一同もざわつき始めた。

「とりあえず、石上邸へいきましょう! かぐや姫、あなたも!」

「ええ!」

かぐや姫と史は讃岐家の牛車に乗り、石上麻呂の元へと急いだ。牛車はさほどスピードの出る乗り物ではないが、上流階級の姫様らしい装束で長距離を歩くのは困難であったし、着替える時間も惜しいという史の判断であった。

しばらくして、石上麻呂の屋敷へと辿り着いた。

「麻呂! しっかりしろ!」

「石上様!」

床に伏せっている石上麻呂に声を掛けた。

「……ああ……これはこれは……史に、姫様……」

石上麻呂の顔が苦悶に歪む。

「無理はするな。静かに休んで……」

「……燕。」

「え、何よ、麻呂!」

「……お前らへ、結婚祝いだ。」

召し使いが恭しく史とかぐや姫に何かを献上した。それは、小さな白いものだった。

「……『燕の子安貝』さ……海燕(ウミツバメ)、と言う種類の巣は……食うと……身体にいいそうだ。」

「しゃべるな、麻呂!」

「……無頓着(むとんちゃく)男に、酒呑み女……この燕の巣……食って健康になって……家庭を……ぅ……」

「麻呂?」「石上様?」

「――」


◆◆◆

石上麻呂が亡くなって数日、史はかぐや姫の部屋にいた。

「私のせいだ! 私のせいだ! あんな馬鹿な贈り物合戦なんか始めたから!」

史はそれをたしなめた。

「彼が燕の巣を捕りに行ったのは、彼の自由意志です。確かに、きっかけは貴女の発言かも知れない。でも、だからといって無限にその責を負うというものでもありません。」

「でも! それでも! 私のせいで!」

かぐや姫は泣きじゃくった。

「私が悪いんだわ! 私が彼を死に追いやったのよ!」

「違います、かぐや姫。彼は……ただ、私達を喜ばせたかっただけなのです。」

「違う! 例えそうだとしても! 私は……」

「かぐや姫。」

「……?」

「彼は、あなたの幸せを心から願っていたんですよ。」

「……」

「あなたは、彼に幸せを返してあげましたよね? あの店で、男装姿で彼に会ったときに。」

「ええ。」

「だったら、今度はあちらがあなたに返す番です。」

「……」

「大丈夫ですよ、かぐや姫。」

「……」

「私達は、これからずっと一緒なんですから。」

「……」

「この悲しみも二人で分かつなら、乗り越えられる……」

だが、かぐや姫は泣くのをやめることはできなかった。時が過ぎていく。やがて、かぐや姫が口を開いた。

「史、ごめんなさい。しばらく、独りになりたいの。」

「……そうですか……」

「あなたが冷たい人間じゃないってことくらい分かっている。でも、悲しみの受け止め方、消化の仕方が違うの。私にはもう少し時間が必要みたい。」

「たとえ、しばらく距離を置いたとしても。私は、いつまでもあなたを待っています。」

「ありがと、史。」

「はい……。わかりました。」

そう言って、史は部屋を出て行った。かぐや姫は、ただその背中を見送った。


◆◆◆

それから月日が流れた。依然として、かぐや姫は史に会おうとはしなかった。だが、彼女の悲しみが全く()えないというわけでもなかった。

「……史に、会いたい気持ちがないわけじゃない。でも、まだ会えない。」

「なぜですか、姫様?」

かぐや姫の世話をする召し使いの一人が尋ねた。彼女は、かぐや姫とは気軽に話ができる間柄だったし、また史とも比較的仲が良かった。

「……史は、私のことが重荷じゃないかしら。」

「そんなことは!」

「ないとは言えない。それに、史はもう別の女の人に恋をしているかも知れない。」

「姫様、それは飛躍しすぎでは?」

事実、飛躍のしすぎであり、史はかぐや姫のような哲学的な女性でなければ満足はできなかったし、史のような変わり者を求めた女もまたいなかった。

「いいえ、飛躍なんてしていないわ。だって史は優しいもの。だから、もし私のことで苦しんでいたとしたら、きっと自分のことを責めているに違いないわ。」

「……」

「だからね、私はまだ史に顔向けできないの。史に、辛い思いをさせるかもしれない。」

「姫様は、それで良いのですか?」

「ええ。これが一番正しい選択だと思う。」

「本当に……そうでしょうか。」

「ええ。きっと。」

「では、私はそろそろ他の仕事を……」

こんな感じで、かぐや姫はらしくもなくウジウジと日々を過ごしていた。

そんな折、かぐや姫はある募集の噂を聞いた。

「宮中に仕える女官、ですか。」

「ええ、そう。しかも、帝の直属。」

「なぜまたそのようなこと……」

「働けば、また違う世界が見えてくるかな、なんて、ね。」

「なるほど……姫様は、史様に負けず劣らず変わっておられますから。」

「ふふっ……ありがとう。」

こうしてかぐや姫は宮仕えを決意した。

そして、いよいよ宮仕えが近づいてきた。

「姫様、大丈夫ですか? 姫様の身体に合った服はこれしかないですけど……」

かぐや姫は、新しい服に袖を通した。かぐや姫の非常に高い背丈に合わせた、特注品だ。

「まぁ、似合うじゃないですか。」

「そうかしら。」

「ええ、自信を持ってください。」

「うん……」


◆◆◆

かぐや姫は、ついに宮中にやってきた。しかし、そこに待っていたものは、彼女にとって想像もしていなかったものだった。

「……!」

「おお! かぐや姫よ! よくぞ参られたな。」

帝が直々に、出迎えてくれたのだ。

「陛下! そんな、私みたいな一介の女官のためにわざわざ……」

「いやいや、石作皇子から話は聞いている。あれも(ちん)の親類だからな。」

「皇子様……」

「うむ。彼からもかぐや姫の世話をきっちりするようにと、釘を刺されたよ。宮中の女官というと帝のお手つきに……などと思うものも多いだろうが、私が心の底から愛する女性は皇后・鸕野讃良(うののさらら)だけだ。」

「あら、ですが陛下は皇后陛下の他にもご夫人がいらっしゃるではありませんか。」

帝は頭を掻きながら決まり悪そうに答えた。

「そう意地の悪いことを言うな、かぐや姫。確かに朕は彼女らも愛しているが、燃え上がるような情熱的な愛は讃良だけのもの。他の妻達も妹のように可愛がっている。そういうことで一つ頼むよ。」

「では、私も妹と思われぬよう気をつけませんと。」

「まあ、姉と思うことはあるかもしれんがな。だが、それにしてもそちの背丈は大きいな。これほどの大女ならばむやみやたらと虐めるお局様もおるまい。」

かぐや姫はくすくすと笑った。

「それで、仕事内容は何をすれば良いのでしょうか。」

「うむ。我が子女らの教師達を手伝う雑用をやって欲しい。授業の準備や教科書作成の手伝い、資料整理などだ。空いた時間には本を読んだりして適当に好きなことを勉強していても良いぞ。」

まんとまあ、至れり尽くせりな環境であった。こんな好待遇で良いのかと、かぐや姫は内心戸惑った。

「分かりました。では早速、仕事に取り掛かりたいと思います。」


◆◆◆

それから、月日が流れた。かぐや姫は教師達の補佐役として、様々な仕事をこなした。

「かぐや姫先生、この漢字はどう読むんですか?」

「ああ、『鹿に金』ですか。これはね、『(みなごろし)』と読みます……こちらの『月に龍』と言う字は『(おぼろ)』と読みます。」

「へぇ~、そうなんだ。ありがとうございます。早速飼っている小鳥の名前にしますね。」

「かぐや姫先生、円周率は3って本当ですか?」

「正確な数字を求めるのは大変ですが、紙と算木があればさらに詳しいおおよその値は計算できますよ。このように鋭角が30°の直角三角形とそれに重なる扇形を考えて……三平方の定理を使って……この物語の紙面の関係で途中式は示せませんが、なんやかんやすれば『おおよそ3+1/7』であると証明できます。『おおよそ3』よりはかなり正確です。」

「おお! なんと美しい近似!」

まあ、どれもこれも史からの受け売りなんだけどね、と心の中で舌を出すかぐや姫。

「かぐや姫君、ちょっと本棚の一番上にある巻物を取ってくれんかね!」

「はい、先生。了解しました。それとこの資料を使うならこちらの資料も参考にされてはいかがでしょう?」

「ああ、君は気が利くねえ。助かるよ。」

そして、かぐや姫は瞬く間に宮中の人気者になった。その博学多才はもちろんのこと、背の高さが便利で膂力(りょりょく)もある彼女は教師達にも生徒達にも重宝された。

「でも『絶世の美女』って言う噂は全然聞かなくなっちゃったのよねえ。」

「ははは、みんな君の魅力はそんなところにはないと気づいたんだよ。」

そこにやってきたのは、帝だった。

「陛下! そんな恐れ多いこと……」

「いやいや、本当のことだ。朕もそなたが側にいてくれて、実に頼もしいと思っているぞ。」

「そうですか? 嬉しいなぁ……」

帝が褒めてくれたことで、かぐや姫はすっかりうれしくなった。

「そうだ、陛下。私、この間面白い本を見つけまして。」

「ほう、どんな本だ?」

「えーっと、確かこの辺に……」

かぐや姫は書庫の片隅から、一冊の古びた本を取り出してきた。

「ほう、『禰久呂能未古无(ねくろのみこん)』とな。」

「……すみません。間違えました。これは私の日記です。お見せしたかったのは、こちらの漢籍()です。」

そこには、「漢書・西域伝」と書かれた本があった。

「君は元々大月氏の王女だそうだな。その関係か。」

「いえ、今の私は新興貴族の娘。大月氏はすでに滅びた国ですし……」

「大月氏の復興を望むなら、朕も協力しようぞ。」

「いえ、滅んだ国の再興など望んではいません。だからこうして女官として働いています。ですが――」

「遠慮せず、何なりと申してみよ。」

「はい、では一つだけお願いがあります。」

かぐや姫は、帝に向かって言った。

「私の先祖が生きていた天竺のクシャーナ朝に強い憧れがあるのです。いつか天竺へ行って、この目で現地の様子を見てみたいと思っております。」

「ふむ、それはもっともなことだ。だが、東の果てにあるこの日の本の国から天竺はあまりにも遠い。船で行こうにも沈まぬか否かは運任せ。さらに西域には盗賊などの悪者も多く出るという。女性にはとてもではないがこなせる旅程ではないぞ。」

「私の場合に限れば、見た目には男性と偽っていくことも難しくはないです。」

「それにしたってとてつもない苦難の道に変わりはない。」

「ですからその……幾ばくか、お金の工面をして戴けましたら、などとですね……」

かぐや姫は自分より背の低い帝に上目遣いするため、わざわざ立て膝をした。

「いえ、一応自分でお金を貯める計画は立てているんですよ。でも、このような長旅は年を取ってからするのは辛いと思いますので、なるべく早くにできたらいいなぁ、なんて……」

「わかった、わかった、朕も一国の主。遣唐使1回分くらいの費用は私財から出そう。」

「あ、ありがとうございます! 陛下、大好き!」


◆◆◆

「ってわけで、大陸に行くことにしたの。」

かぐや姫は久しぶりに史を例の店に呼び、酒を酌み交わした。

「よかったですね。でも……これで私はふられたということでしょうか?」

かぐや姫はぶんぶんと首を振る。

「私が日本に帰ってきたら、結婚しましょう! 何年かかるかわからないけど……絶対帰ってくるから!」

「では、浮気しないで待っていますよ。」

そう常套句で答えると、かぐや姫はとんでもないことを言い出した。

「いえ、浮気して待っていなさい!」

「ええっ!」

「この国と、結婚したつもりになって、一心不乱に働きなさい! あなたの頭脳を国の役に立てないなんて、もったいなくて罰が当たるわ。」

「ははっ、すごいことを言いますね。」

「とにかく!」

かぐや姫は史の瞳を見つめた。

「私が帰ってくるまで、絶対に死んじゃ駄目よ。不老不死の薬を飲んででも生きていなさい。約束よ!」

「……わかりました。」

それからかぐや姫は危険に対処するための武術やサバイバル術、語学を必死に学んだ。元々博学多才の彼女のこと、どれもこれもあっという間に身につけていった。

そしてその翌年、博多の港からかぐや姫の乗った船が出航した。ここから唐土へ行き、情報を集めてから西域、そして天竺へ行くという。

「史、絶対に死なないで待っていなさい!」

かぐや姫は船の上からそう叫んだ。


◆◆◆

その後、かぐや姫が日本に帰ってきたという記録は伝わっていない。だが、大陸で死んだという記録も伝わっていない。彼女が一体どうなってしまったのか――それは誰にも分からない。

一方、中臣史については記録が残っている。残念ながら、彼はかぐや姫以外の複数の女性と結婚したことが分かっている。ただし――彼は親の鎌足が死の直前に与えられていた姓「藤原」を以て「藤原不比等」と名を変えていた。かぐや姫に対し、後ろめたいものを感じていた可能性はあるだろう。史改め不比等はその後明晰な頭脳を遺憾なく発揮し、この国の制度を完成させた。そして彼の子孫達はその後娘を皇室に嫁がせることで繁栄し、帝と寄り添うように続く名門一族「藤原氏」となった。その途絶えることない血脈は、まるで永遠の生命のようだった。


――完――

本作のような、基本ファンタジーなことが何も起こっていない竹取物語は珍しいかも知れません。

時代錯誤な描写は澁澤龍彦の「高丘親王航海記」リスペクトです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。 かぐや姫をファンタジーではなく、違和感なく歴史小説にするのがすごいですね。 [気になる点] 個人的なことですが、昔読んだとある歴史ファンタジー小説のせいで、どうしても藤原…
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