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碌・星華舞う



 まぶたを通してなお感じられる強い光。秋良の意識は闇の奥からゆっくりと浮かびあがる。


 白く輝く――朝の光……?

 それは、幼い頃に毎日見ていた。風翔国(かぜはしるくに)の、あの村の――


――いや、そんなはずはない。


 風凛(ふうり)の星見の力を受けた影響なのか、過去の断片が意識を惑わせる。


――ここは緑繁国(みどりもゆるくに)で……今は、そうだ。上空から巨大な光球が……!



「――!?」


 一気に呼び覚まされた記憶と意識に、秋良は跳ね起きた。どのくらい気を失っていたのか。こちらを照らす光は窪地の中遠く、風凛の水籠から発せられている。


 秋良は、指一本動かせなかったはずの身体で立ち上がる。はるかの彩玻光(さいはこう)による治療でもふさがりきらなかった傷だった。それが出血が治まるほどにまで癒えている。

 この暖かくも鮮烈な――はるかの彩玻光にも通ずる光の成せる業なのだろう。


 かたわらにいる冴空(さすけ)は、魂を抜き取られてしまったかのように白い光に魅入っている。

 いや、冴空だけではない。その場にいる全員が動きを止め、視線は光源である水籠へと注がれていた。


 風凛の柔らかな衣服が風をはらむ。鳴子状の装身具が揺れ、金属の鈴なる音を奏で。星見巫女(ほしみのみこ)は光の中心に舞っていた。


「星よ――」


 装身具の響き以上に涼やかなその音色は、紛れもなく風凛自身の紡ぐ声。静かながらも妖魔六将の術による地鳴りすらも凌駕する。


「私に与えられた星見の力により命じます。『星』の巡りよ、あるべき流れを遡れ。そして双月界(この星)を乱すものを、在るべき『星』へと導きなさい」


 気の遠くなるほどの年月、閉じられたままだった風凛のまつげが震え、開かれた。

 空色の瞳に白い光が差したその瞬間。白は風凛を中心とした放射状に力を強め、世界は白に塗り替えられていく。


 窪地は輝きの海へと姿を変えた。白いうねりに、明滅する白緑色の光が帯状にからみ同調する。ふたつの光と鳴子の音色が奏でる輝きの協奏曲は、窪地の上にいる者たちをも呑みこもうと手を伸ばす。


 深羅(しんら)が我に返ったとき、もはや視界は白に阻まれていた。その奥にいるはずの朱鷺乃(ときの)煌樹(こうじゅ)がどうなっているのか知るすべもない。

 窪地の深部にいるであろう星見巫女の姿を輝海の奥に睨み、深羅は右手をかざした。


「邪魔はさせぬ!」


 かざした手が闇を放つより速く、その腕は輝きに呑み込まれた。

 腕が消えた。見えなくなったのではない。言葉通り消えてなくなったのだ。

 それに驚く間もなく、深羅の姿は白の中へとかき消える。


 心地よい安らぎをもたらす白い輝きは、秋良の深部へと侵入し、押し込めていた記憶を優しく強引にこじ開けた。


 幼き日のつつましくも平穏な暮らし。

 小さな村の暖かな人達。

 優しい兄の笑顔。


 あの男が、全てを壊した。榛色(はしばみいろ)の髪と青藍の瞳を持つ男――。


「――!」


 やめろ、と叫んだ声は音にならなかった。

 声が届いたか否か、きらめきの渦はその手を緩やかに退きはじめる。

 秋良は力無く両膝を地面につき、両の手で自らの衣服の胸元をきつく握りしめた。心に、炭で灼けた火箸を突きたてられたようだ。


 そのすぐ横で、乾いた音が響き渡る。うつむいたまま視線を動かすと、そこには放り出された弓が地面に跳ねて転がっていた。

 弓の主を求めて力無く視線をさまよわせる。秋良の視界に、光の中心へと駆ける冴空の後姿がぼんやりと映りこんだ。


 ゆるゆると威力を弱めた渦は、最後には小さなつむじ風のように、宙に浮かんだ風凛を取り巻いている。

 それは鳴子の鈴鳴りを響かせながら巫女の衣服を舞わせ、静かに風凛の身体を地面へと降ろしていく。

 風凛が地面に降り立つ。同時に光の渦は空気に溶けて消え。かわりに彼女の背後から、夜の闇を裂いてやわらかな光が降り注ぐ。夜が明けたのだ。

 曙に染まる東の空からの光。その中で風凛の身体はゆっくりと。時の流れが緩やかになったと錯覚させるほどにたおやかに、地面へと崩れ落ちた。


「風凛様っ!」


 駆け寄った冴空はかたわらにかがみこんだ。のばされた両手は、ためらい動きを止める。

 神聖な彼女の身体に、自分の手が触れてはいけないという怖れがそうさせたのだ。だが、それをわずかに打ち負かした衝動が、冴空を突き動かした。


 震える両腕で、風凛の上体を助け起こす。

 籠内を満たしていた液体に塗れた彼女の身体は冷たく、想像していた以上に細い。

 閉じられたままのまぶたに、冴空はかつてないほどの不安に駆られ、再び風凛の名を呼んだ。


「風凛様?」

「さ……すけ……今、双月界の危機を遠ざけ……あなたの、おかげです」


 風凛の唇から、かすかな音が紡がれる。うっすらと開かれた空色の瞳に光はなかった。自らを助け起こしている者の姿すら映っていないのだろう。

 冴空の陽透葉色の瞳は、知らず浮かび上がった涙に潤んだ。


 風凛は絶え絶えに言葉を続ける。


稀石姫(きせきのひめ)――そこに、いますね」


 はるかは、支えんとする(みどり)の手をやんわりと振りきって駆け寄った。

 横たわる風凛の体には、彩玻動が残されていない。わずか一滴も残さず絞り出された抜け殻のごとき痛々しい姿。はるかは眼をそらすことができず風凛を見つめる。


「彼らと、その術は、在るべき『星』へと還りました。それ、は……一時しのぎにしか――必ずまた、彼らはここへ来る……早く……核を――」

 風凛の言葉に、はるかは強い意志を込めてうなずいた。


「見つけます。絶対に」

「秋良、さん――あなたの、探している人は……生きて、います」


 遅れて歩み寄って来ていた秋良は、突然の言葉にその意味をすぐに飲み込むことができず立ち尽くしていた。


「けれど――存在は、無いの……です」


――兄が。春時が生きている。


 風凛の言葉が、先刻穿たれた心の穴を再びえぐった。

 しかも、生きているが存在は無い、とは……?


「あなたが、求め続ければ、たどりつく――あきらめずに……」


 風凛は長く息を吐くと、ゆっくりと瞳を閉じた。

 もう、まぶたを、唇を、わずかに動かすことすら辛いのだ。それでも、彼女は言葉をとめることはしなかった。


「冴空……私は、ずっと――もうどのくらいか、わからないほどずっと、この日を待ち望んでいました。

 ようやくあなたが……星読で見た『解放者』が、この世に生を受けてくれて、嬉しかった――。やっと、この日が、『役目』から開放される時が訪れるのだ、と……」

「風凛様――あっしは……あっしは、こんな……」


 冴空は涙につかえる喉を無理にこじ開けて声を絞り出す。しかし、それ以上は言葉にならない。

 ただ、強くありたいと願い――その強い自分を……風凛に誇ることのできる自分になりたかった。


 こんな――風凛がこんな姿になることなど、微塵も望んでいなかったのに!


 冴空は身を張り裂きあふれんばかりの叫びを呑みこんだ。かわりに震える声でつぶやく。


「あっしは、風凛様が望むあっしに、なれ……っしたか……?」


 風凛は最期に残された力で、わずかに。確かにうなずいてみせた。


「ええ。ありがとう……」


 その旋律だけを残し、風凛という存在は影すら残さず陽光の中に溶け込んでいった。

 淡く輝く白緑色の光がひとつぶ。小さく残り、ふわりと舞い落ちていく。

 指先に乗って余りあるほどの小さな光の粒を、冴空はいつかのように両手でそっと受け止めた。

 冴空の手の中で、光は薄れ小さくしぼみゆく。

 消えてしまう前に冴空は両の手で包んだ。光がまだそこにあるように、それがどこかへ逃げてしまわないように、冴空は両の手を痛いほど握り合わせきつく眼を閉じた。


 神木を隔ててさえも、あんなにすぐ近くに聞こえていたのに。

 風凛の涼やかな心の音色は、もうどこからも聞こえてくることはなかった。


【風翔国】斎一民が治めていた国。魔竜の乱で最初に守護石を破壊された。斎一民は各国に散り、街や村を作り暮らしている。


【星】星見巫女の『星』はいくつかの意味を持つ。ひとつは双月界や魔界のように『世界』を指す。ひとつは生命に宿る『宿命』のようなもの。

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