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伍・冴空



風凛(ふうり)様!」


 冴空(さすけ)は腰に提げた矢筒から三本の矢を重ね抜き、番えた。

 猫に似た陽透葉色の瞳がにらむ先。落下する氷槍は七本。うち二本の軌道は水籠を逸れる。狙うは残り五本!

 引き絞られた矢を放つ。三本の矢はそれぞれが鮮やかな放物線を描き、鋭く空を翔ける。

 氷槍は五本全て空中で砕かれた。二本の矢が、氷槍同士重なり合う点を穿ち四本を落としたのだ。


 安堵の息を吐いたのも束の間、冴空の周囲が暗く陰る。見上げると、すぐ頭上に氷刃竜(ひょうじんりゅう)の胴が迫っていた。


「わわぁあ!」


 とっさに、意識のない秋良の身体をつかんで引っ張る。ふたりのいた場所を氷刃竜の腹が打つ。その勢いに砕けた岩と共に、秋良を抱えたままの冴空は空中に弾かれた。

 数瞬後に地面へと転がったが、たいした痛みではない。


「あ……後ちっと動くのが遅かったら……」


 冴空の心臓は破裂しそうなほど激しく脈を打っている。


 氷刃竜は全身に冷気をみなぎらせ、地上すれすれをうねり滑空する。通り抜けざま砕かれた岩が、はるかと松野坐(まつのざ)へと迫った。


 冴空が声を上げるより早く(みどり)が動く。それによって生まれた、わずかな、しかし致命的な隙。

 宙に舞った赤は、傷口から迸る鮮血。

 狐面が袈裟懸けに斬り下ろした二日月刀が、翠の肩口を斬り裂いていた。

 それでも。翠が放った雷撃は岩を砕き、はるか達は守られた。

 それを確認した翠は身をひるがえす。受けた傷に怯むことなく狐面に立ち向かっていく。


 翠の肩から伝う赤は、冴空の眼に焼きついて離れなかった。このまま続けば、戦況はどんどん不利になっていくだろう。


 冴空は支えていた秋良の身体を力なく降ろした。その手で、大地を掴む。全身が震える。さざなみのような震えは大きく広がっていく。

 目の前の光景が重くのし掛かってくる。脳裏には、竜人族に討たれ倒れていく草人たちの姿が浮かんだ。


――また、目の前で命が失われていくのか。自分は何もできないまま。


“そんなことは、ないはずです”


 心に響いた、淡く儚い音色。

 冴空は反射的に遠くを振り返る。同様に淡く儚い光を放つ、水籠の中に漂う風凛の姿を。


「風凛様……?」


 幻聴かと思った。その音色はいつも以上にか細く、今すぐにでも消え入りそうだったからだ。


“よかった。やはりあなたには、届くのですね”


 双月界に対する親和能力に秀でた草人(くさびと)の中でも、冴空は特にその能力に長けている。

 神木の外にいる者には感じ取ることができないはずの風凛の声を、冴空は幼い頃から聞くことができたのだ。

 だからこそ、冴空になら――いや、冴空にしかできないと、風凛は思っていた。


“冴空、よく聞いて。この水の満たされた部分のすぐ上に、木の根が密集した部分があるのはわかりますね?”


 言われて、冴空は眼を凝らした。常人の目には水籠がある程度にしか見えぬ距離。だが鷹同等の視力を誇る草人の眼は、しっかりとその位置を確認できた。


“この奥に、私の力を使うための『鍵』があります。それを射抜いてほしいのです”

「あっしが……そんな、あっしには」

“できるわ。今だって、氷の槍を全て砕いて守ってくれた。あなたに足りないのは、自分を信じることだけ”

「自分を、信じる」

“今まで、誰も知らないところで人一倍弓の訓練をしてきたでしょう? 何に対しても一生懸命で……そんな自分を、あなた自身が好きになって、信じてあげなくては”


――そうか。


 冴空は気がつく。

 強くなれば、自分が嫌いな『弱い自分』ではなくなる。ずっと、そう信じこんでいた。

 だが、並ぶ者がいないほど強くなれたとして。自らがその強さを信じることができなかったら?

 結局、自分は弱いままで、そんな自分を好きになることなどできないだろう。


 いかなる時も、結局全てを左右するのは自分の心なのだ。


 冴空は知らず強く握りしめていた右拳を開き、矢筒に伸ばす。その感触に思わず視線を向ける。

 先刻、氷刃竜と岩に弾かれた時か。矢はことごとく折れ、満足なものは一本しか残されていなかった。

 片膝をついた体勢のまま、その一本を取り。矢筈(やはず)を弦に番える。これ以上ないほどの緊張が冴空の全身を縛り上げていく。


――残された最後の矢。外してしまったら、後はない。


 かすかに震える両手で、弓を引き絞る。

 水籠を包む根の上部、隙間さえ見出せないほど密集したその奥。


「この、中に『鍵』が……?」


 全く見通せないものを射る不安に、声までもが揺れる。


“大丈夫、あなたには感じられるはず”


 そうだ、見えないなら感じるしかない。根の奥に意識を集中させる。

 かすかだが、風凛から感じるものに良く似た暖かな力がある。根に隠されて見ることができなくても、確かにそこにあるのを感じる。

 (やじり)を向けるが、いつもと同じ。震えて狙いが定まらない。


――これまで培ってきた時間と、力を信じる。


 そう心で念じていても、自分がこの大役を成すことができるなどと、到底信じることができない。

 だが――。


“冴空になら、できるわ”


――そう言ってくれる風凛様の言葉なら、信じることができる。


 息を止めた。震えが収まる。

 目標を見定める陽透葉色の瞳と鏃、射るべき点が直線上に重なったその時。

 弓弦の音が弾けた。


 冴空の放った矢は、鋭い音を立て空を切る。

 地を削りながら宙を滑る氷刃竜が急上昇するうねりの一端をすり抜け。

 魔術陣を護る薄い闇に囚われ、撃ち返される氷槍の群れを縫い。

 冴空が狙いを定めた一点へと吸い込まれた。


 直後、上空から耳をつんざく大気の悲鳴が響き渡る。

 上空の黒い輝きを宿した魔術陣の中心から、一条の禍々しい赤黒い光が降りた。それは直下にいた氷刃竜の胴を貫き、まっすぐに守護石跡の穴へと吸い込まれていく。

 氷刃竜は低く唸り、苦悶に身をよじりながら地面へ落下する。

 その様を、そして術光を呑みこみ闇たぎる魔界への穴を見下ろし、深羅(しんら)が叫ぶ。


「術は成れり! 彼の世界から魔獣どもを呼び寄せるのじゃ!」


 冴空は矢を放ったままの体勢で息を詰めて見守る。もはや周囲の一切の音が聞こえていなかった。

 そして水籠からも、沈黙しか返ってこない。


「や、やっぱし、あっしには……」


 冴空が涙ぐみ怯んだその時――。


 風凛の水籠内に白緑色の光がよみがえった。

 光は一瞬にして彼女の姿を覆い隠すほどに膨れ上がる。ついには透明な皮膜を突き破り、水と共にあふれ出した。



碌の章は少し短め。ここで折り返しです。


更新のたびに足を運んでくださるみなさま、いつもありがとうございます!


長い物語を、ここまで読み進めてくださったみなさまも。

一気読みして更新分まで追いついてくださるみなさまも。


本当にありがとうございます!

この場を借りてお礼もうしあげます。


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