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弐・妖将参戦 後


 深羅(しんら)の背後から飛んだもうひとつの影は、至道(しどう)へと向かっていた。至道は覆いかぶさった岩から抜け出したものの、それきり。砂礫を全身にまとい起き上がることもできずにいる。

 その頭上へ迫る影。影から放たれた真紅の光を、至道は歯噛みしつつ見つめるしかできない。激突する――そう思われた赤光は、至道の両脇に砕け散った。

 ふたつに斬られた真紅は灼熱の焔。それを両断したのは、淡く発光する刀だった。


 霞む至道の眼に飛び込んだのは、闇にも輝く蜂蜜色の髪を舞わせた後姿。彼は思わずその名を口にした。


稀石姫(きせきのひめ)……」


 はるかは至道を背にかばう形で立つ。右手には彩玻光(さいはこう)まとう細身刀を携えている。

 正面に対峙した炎の主。その姿に、紫水晶の瞳は驚きに見開かれる。


「へっ、そっちからわざわざ出向いてくれるとはなぁ」


 楽しささえ含んだふてぶてしい物言い。

 先程斬り伏せた炎と同じく燃えるような真紅の髪。大胆不敵な表情を作る、まなじりのつりあがった眼。内包した灼熱の感情を凝縮した金色の瞳が、はるかをねめつける。


「ようやく、貴様と直接戦れるってわけだ」


 にやりと笑む、緋焔(ひえん)

 陽昇国(ひいづるくに)で最後に見たときは、白銀(しろがね)の玻光閃に肩口から深く傷を受けていた。今はその名残もない。

 はるかは小さな唇を引き結び、細身刀を正眼に構えなおした。


 天頂に浮かぶ蒼月(あおのつき)を、再び黒雲が覆い隠す。

 月明かりが(かげ)っていく中、闇を照らす光炎――握りしめた緋焔の右拳から、紅蓮の焔が生まれたのだ。

 焔のゆらめきを映しこんだ金色の瞳が、刀を構えるはるかの姿を捉える。


「さぁ、一気にかたをつけてやるぜ!」


 緋焔の声と共に、その拳を包む焔が身の丈を越すほどに燃え上がった。

 後方に引いた右腕が、水平に弧を描いて振るわれる。拳に宿る焔が鞭のようにしなり、伸び迫った。

 獲物を捕らえんとする大蛇のごとく牙をむいた焔は、はるかを一息に呑みこむ。

 そう緋焔が確信した刹那、はるかの身体は燃え盛る炎をすり抜けた。縦に一閃した刀が炎を裂き、道を作ったのだ。


 消えゆく残り火の中、はるかは左側から空を切るわずかな音を聞く。上体を反らしつつ身をひるがえした。

 まさにその瞬間、緋焔の回し蹴りがはるかをかすめゆく。鋭く宙を薙ぐ下駄に、逃げ遅れた金茶色の髪が幾筋か闇に舞う。

 逆足で下段に回された二段構えの蹴りを跳んでかわし、はるかは刀に送り込んだ彩玻光を光球へと変えて放つ。

 衝突の証に弾けるまばゆい光。しかし光球は炎と共に霧散した。緋焔の火球が彩玻光を相殺したのだ。


「おらぁっ!」


 気合と共に炎まとう拳が繰り出される。はるかは刀身を左手で支え、彩玻光の出力を上げて光の領域を広げた。

 緋焔の拳は、はるかの刀――その表面をおおう彩玻光によって受け止められる。炎拳は彩玻光の障壁が阻む。だが熱気は障壁を通してなお、はるかの皮膚にじりじりと伝わってくる。

 彩玻光の出力を上げようにも、守護石が破壊されこの地の彩玻動流が乱れている今、これ以上は無理だ。


 するり、と刀の角度をわずかに変えながら緋焔の横へ回り込む。力方向の変化に一瞬遅れた緋焔がこちらを振り向くと同時に、はるかは刀を半回転させて上段へ振りかぶった。


「させるか!」


 緋焔が振り向きざま拳を振り上げる。誘われ足元から巻き上がる炎。火炎渦での攻防一体の一撃は空を撃った。


「!?」


 はるかの姿はすでにない。先刻のふりかぶりは牽制だった。攻撃と見せかけて後方へ跳んで間合いを取ったのだ。

 緋焔の黒く短い上衣の裾を、焔が発生させた上昇気流が所在なくなびかせている。


「てめぇ……この緋焔様に舐めた真似してくれるじゃねぇか!」


 緋焔は怒りを込めた下駄で渦を蹴り消した。焔と気流が消えるが早いか、はるかめがけて疾走する。


 下駄が地を打つ音が近づく中、はるかはわずかの間に整えた息を短く吸い込む。ぐっと唇を引き締め、襲い掛かる炎撃を光刀で防ぐ。

 次々と襲い来る緋焔の攻撃に、はるかは徐々に体力を削られていくのを感じていた。


――武器を持っていない相手が、こんなに戦いにくいなんて。


 相手が得物を手にしていれば、それに向かって思う存分攻撃ができる。

 しかし素手では……こちらの攻撃は直接相手を傷つけてしまう。

 魔竜士団員を相手にしたときのように、術で動きを封じるには詠唱の時間をとらせてもらえない。彩玻光で攻撃を仕掛けようにも、炎で打ち消されてしまう。


 緋焔の実力は、白銀との戦いにおいて十分に見せ付けられている。

 しかも今、彼から感じる力はそのときよりも倍増しているように思えた。緋焔を封じていた陽昇国の守護石が破壊され、完全な力を取り戻したためなのだろう。


――緋焔に立ち向かうには……。みんなを守るためには……。

 刀を振るうしかないの? たとえ、相手の命を奪ってでも――?


 その迷いが、はるかに隙を作った。


「あっ!?」


 布のこげる匂い。左腕に灼ける痛みが走る。

 彩玻光の展開がわずか間に合わず、遮断できなかった炎の先端が白い肌を焦がした。

 わずかひるんだその刹那、緋焔の渾身の拳が炸裂する。

 噴出する焔の勢いが上乗せされて繰り出される拳圧に、はるかは防御にかざした刀もろとも吹き飛んだ。

 ほかより頭ひとつ迫り出した岩に背中から衝突し、はるかは自らが崩したその岩の破片に埋もれた。


「――!」


 それを視界の隅に捉えた(みどり)は、斜め上段から一際大きく鳴神槍(なるかみのやり)を振るった。狐面が一歩退いたと同時に地を蹴りはるかの助勢に向かう。

 翠が離れていくのを、狐面は追おうとはしなかった。しかし――。


 駆ける翠は、本能の知らせるままに身をひるがえした。右の頬と耳に走る鋭い痛み。浅からぬ切り傷を残したのは、脇をすり抜けた旋風だった。かわすのが遅ければ、首がなくなっていただろう。

 旋風は翠の背後で弧を描き、狐面の右手に戻った。旋風となって空を滑っていたのは狐面の二日月刀だったのだ。

 足の止まった翠と狐面の間合いは、翠が走る直前に戻されていた。


 やはりこの狐面の男、並の使い手ではない。倒す以外、自由になることはできないということか。


 翠は狐面に向き直った。はるかへの助勢を諦めたわけではない。

 そのために、全力を持って目の前の敵を倒すのみ。



【緋炎】陽昇国の守護石に封じられていた妖魔六将のひとり。自らを封じた環姫を憎むあまり、現身である稀石姫を逆恨む炎の拳術使い。


【白銀】陽昇国の近衛隊長であり、栞菫の幼なじみ。銘刀・薄宵虹月から放たれる玻光閃を駆使し、緋焔を退けた。今はお留守番中。


【狐面】妖魔六将の一味。骨皮のみかというほどの細身で、朱流線模様の白い狐面で顔は隠されている。通常の刀より細く強い弧を描く二日月刀を遠近自在に操る。



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