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壱・雷対氷


 緑繁国(みどりもゆるくに)の七割を占める木霊森(こだまのもり)は、双月界創世から三千年以上根を下ろし続けて来た。中心に座する神木は草人(くさびと)のみならず、森に立ち入ることのできない他種族の間にすら、伝承として語り次がれていたほどの存在だった。


 しかし今。神聖な森の風情は、完膚なきまでに破壊されてしまっていた。

 その滑らかな苔に覆われた雄大な幹は無残に砕けた。複雑に絡み合った根と、それが織りなす水籠を残すばかりだ。

 水籠内に在る風凛(ふうり)の足元から発せられる白緑色の光。空を覆い始めた黒雲を割って降りそそぐ蒼月(あおのつき)の光。ふたつの光が照らし出すのは大きくえぐられた大地のみ。


 巨大なすり鉢状に陥没した地面のほぼ中央に位置する水籠の根の下に、未だ立ち上がることのできない秋良がいる。すぐ横では、はるかが秋良の傷を癒すため彩玻光(さいはこう)を送り続けていた。

 冴空(さすけ)は風凛の水籠に寄り添い、長老の松野坐(まつのざ)は、苦しげながらも守護石を樹木の結界で護り続けている。


 守護石を挟んで対角の方向では、至道(しどう)が膝を屈している。

 竜神化しての激しい戦い、そして失った右腕。ほとんど力を使い果たしたのだろう。残された左腕を地面につき、身体を支えるのがやっとの様子だ。


 その全員の視線が一点へと注がれている。

 静寂が埋め尽くす場を、風の音だけが通り過ぎていく。風が上空の黒雲を引きちぎり、蒼月が姿を現した。

 地上へ降り注ぐ青い光を跳ね返す閃きふたつ。

 氷冬(ひとう)氷刃凍牙(とうじんひょうが)(みどり)鳴神槍(なるかみのやり)がぶつかり合い、高い響きが空を震わせる。


 水平に振るわれたはずの鳴神槍は紫電を散らし、氷冬の足元をえぐった。槍を抜く間もなく、氷冬の刀が下段から斜に斬り上げる。

 翠は槍を支えに身体を跳ね上げた。宙返りの頂点を過ぎると同時に槍を抜き、着地するなりの一突き。

 氷冬の中心を狙ったその一撃も、氷冬の脇をすり抜けた。


 翠の攻撃は、刃を合わせた氷冬のわずかな手首の返しと身体の動きで逸らされてしまう。

 氷冬と翠の膂力(りょりょく)は同等。翠自身の力に遠心力が上乗せされている鳴神槍の攻撃を、勢いそのままいなす。攻撃の機を完全に見切らねばできることではない。


 再び襲い来る氷刃凍牙。槍の柄で受け止め、翠は距離を取った。


――はずが。


「甘い」


 氷冬がぴたりとついて来ている。鳴神槍の間合いの内――それはすなわち氷刃凍牙の間合い。

 一瞬にして空気が冷える。

 それは翠の緊張のためだけではない。氷刃凍牙により発した冷気は、その刀身へと集結していく。


氷霧砕閃(ひょうむさいせん)!」


 袈裟懸けに斬りおろされる氷刃凍牙の刀身から、ほとばしる凄まじい冷気。

 とっさに鳴神槍の柄を、襲い来る刃と自らの身体の間に滑り込ませる。

 がきん、と金属よりも鈍い音と衝撃。氷刃凍牙が刃にまとった氷が散る。鳴神槍で刃を止めているにも関わらず、冷気を宿した衝撃波が翠を襲う。

 空気中の水分がことごとく凍りつき、その結晶が蒼月の光を受けてきらめく。冷たくも美しい冷気と、激しい衝撃が翠を後方へ吹き飛ばす。一回転し受け身を取る翠の髪や服は、乾いた音を立てて凍気に侵されていく。

 地に足を踏みしめ、鳴神槍を頭上に掲げた。迫る氷冬の太刀を受け止める。槍の表層を覆っていた氷が砕け舞う。氷の向こうで、氷冬が薄く笑む。


「どうした。雷神の力はこの程度か?」

「くっ――」


 氷冬の刀を弾き飛ばし、間合いを取ろうとした翠は動けなかった。

 足元が地面からはびこる氷柱に絡め取られていた。先刻からの度重なる冷気に、皮膚感覚が鈍り気づくのが遅れたのだ。


 不覚。銀竜は水分を凍らせる力を持つ。そして――


「地中にも水分はある。油断したな、翠竜」


 氷冬は再度氷霧砕閃を振り下ろす。

 鳴神槍で防ぐのは間に合わない――!


 氷の結晶による大爆発が、ふたりの姿を月光の乱反射で覆い隠す。


「翠くん!」


 思わずはるかが叫んだその声の余韻があるうちに、地面から紫電が立ち昇る。放電が空気中に舞う氷を霧散させた。

 同時にその中から氷冬が飛び出し、数間離れた位置に着地する。


 槍での防御が間に合わないと察知した翠は、足を封じている氷柱を鳴神槍で破壊した。同時に発生する雷光の出力を最大にし氷冬の刀を一瞬止めたのだ。自ら作り出したその機会に、槍を振り上げ反撃に転じる。

 しかし氷冬は弾かれた不十分な体勢ながら、その攻撃すら刀で受け止めた。

 翠のこめかみから鮮血が伝う。氷冬の刀がかすめていたのだ。


 ふたりの闘いは、見る者に呼吸さえ忘れさせる切迫感を感じさせた。


「あいつ……」


 秋良のつぶやきに、傍らで秋良を支えていたはるかが振り向いた。彼女の視線の先では、未だに激闘が続いている。

 氷冬の猛攻に翠も応戦してはいるが、手数は明らかに氷冬のほうが多い。翠に反撃の間を与えまいとしているかのようだ。


「勝負を、急いているのか……?」


 秋良の瞳は、氷冬を追っていた。はるかは、戦いの直前を思い起こす。


「竜神化したとき、あの人、血を……」

「ああ。それに、この猛攻。長く戦うことは、できないんじゃあないか?」


 前方で繰り広げられる戦いを見つめる秋良は、ともすれば手放しそうになる意識を必至で捕まえているようだった。呼吸は浅く、声もか細く頼りない。彩玻光による治療で出血は止まっているものの、その傷や失血は癒えていないのだ。


「秋良ちゃん、あまり無理しないで」


 はるかの声に、秋良は長く息を吸って吐く。


 仮説が正しければ、戦いを長引かせることができれば翠に勝機が生まれる。

 だが今、翠の攻撃は氷冬の刃を退け、反撃のための機を生み出すことしかできない。一方氷冬の攻撃は、わずかずつではあるが確実に翠に傷を負わせている。

 至道戦ですでに浅からぬ傷を受けた翠が、どこまで氷冬と今の状態を保つことができるだろう。


 はるかは、ふと視線を背後へ向けた。

 何かが聞こえた――いや、何かを感じた気がしたのだ。

 しかし背後にあるのは風凛の水籠と、傍らに立つ長老と冴空――。


 冴空は風凛の水籠に取りすがり、その透明な皮膜に先のとがった大きな耳をぴったりとつけている。先刻も、風凛が何か伝えようとしていると訴えていた。

 はるかが声をかけようとした瞬間、冴空の猫に似た瞳が大きく見開かれる。


「大変でやす! すぐにこの場を離れないと――」


 そう言ってはるかの方を振り向いた冴空の表情が固まった。

 いぶかしむはるかの腕を、秋良の手が掴んだ。


「おい……あれ――」


 はるかは秋良の顔をのぞき込み、その視線の先を追った。

 思わず立ち上がる。数歩進み出たその姿を眩い光が照らす。日中のような明るさに照らされた地面に、はるかの影が伸びた。それは次第にはるかの側へと縮んでいく。

 斜め上空から降る巨大な――窪地の大半を埋め尽くすほどの光球が頭上へ迫っていた。



【緑繁国】中央大陸の東端に位置する、草人の国。草人は古くから木霊森の中だけで暮らしており、魔竜の乱以降は海沿いの街道に沿って街が造られ斎一民が暮らしている。


【木霊森】守護石のある草人の住む森。通常の何倍もある巨大な樹木や植物が茂っており、それが国名の由来にもなっている。


【彩玻光】珠織人が用いる術。稀石姫である栞菫の彩玻光だけが癒しの力も持ち合わせている。


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新章なので人物紹介も

◆主人公組


【秋良】陽昇国で砂漠を渡る運び屋兼賞金稼ぎをしていた斎一民。過去を誰にも告げず男のふりをしている。至道の攻撃から冴空をかばって重傷中。


【はるか】砂漠に落ちているところを秋良に拾われた。実は珠織人で、しかも千年に一度の稀石姫・栞菫だった。記憶と、核を取り戻したい。


【翠】陽昇国の諜報隊長。無口無表情。竜人族の翠竜として鳴神槍なるかみのやりを振るい敵対していた過去を持つ。元上司に苦戦中。




◆魔竜士団


【夜天】故人。竜人族を束ねる黒龍族の長老の家系に生まれた先の士団長。魔界を目指すため魔竜士団を結成。幹部組の中では最年長。


【氷冬】銀竜族に受け継がれる長刀・凍刃氷牙とうじんひょうがと共に竜谷を出、魔竜士団の副士団長を務めてきた。負けられない。


【至道】巌衝篭手みねひらのこてを継承した褐竜最強の戦士。夜天、氷冬とは幼馴染。翠との戦いで右腕を失い観戦中。


【良夜】兄の夜天から魔竜士団長を継ぎ、栞菫と戦い行方知れずとなっていた。謎の少女から助力を受けて砦を抜け出した。向かう先は……。




◆木霊森


【冴空】オリヅルランの葉髪を持つ草人の若者。弟子入り志願で秋良に付きまとっていた。風凛の声を誰よりも聞くことができる感応力の持ち主。


【松野坐】樹木トウヒの身体を持つ草人の長老。草人たちの中で魔竜士団を経験した数少ない人物のひとり。守護石を結界で守っている。


【風凛】星見巫女ほしみのみこと呼ばれる神秘的な女性。水籠の中に浮かんでおり五感を持たない。彼女の声は星を通して心に直接響く。


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