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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
壱・はるかと秋良
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伍・砂漠を越えて 前



 ふぅ、と息をつき、はるかは構えていた細身刀を下ろした。

 乱れた呼吸をおさめようと深呼吸を繰り返す。

 脱げた頭巾を再び被るが、それでもなお感じる上空からの熱射に汗が止まらない。

 左手で額の汗をぬぐおうとして、手の甲にいつの間にかできた傷に血がにじんでいるのに気が付く。

 それを猫のようになめとり一瞬固まった後、口に入った砂を懸命に吐き出している。


「ったく、何だってんだ今日は!」


 秋良はいらだたしげに砂を蹴り上げた。


 いつもならば、うかつに砂を口に入れたはるかを小馬鹿にしているであろう。

 しかし今日の秋良にその余裕はない。

 肩は乱れた呼吸に軽く上下し、両手に提げた小曲刀は茶色の液体が刃渡り全体に付着している。


 二人の足元には、同じ色の液体で固まった砂。

 そして周辺には人間の半分くらいの大きさもある大蠍(おおさそり)が五体、自らの体液にまみれ転がっていた。


 心の中でごめんね、とつぶやきつつ、はるかは刀を鞘に納めた。


「ほんと、なんでこんなに妖魔が多いんだろ」


 はるかの呟きと同じ疑問を秋良も抱いていた。


 急ぎの仕事で日中の砂漠を渡ることもある。しかし妖魔に襲われたとして、砂漠を往復するうち多くて三回程。

 砂漠の高温は妖魔にも厳しく、夜行性の妖魔が圧倒的数を占めている。

 それが今日に限っては、沙里の町を出てから休む間もないと言っていいほど妖魔の襲撃を受けていた。


 はるかは風に乗る砂が入らぬよう外套の襟を口元に寄せて呼吸を整える。

 記憶はなくとも身体に染みついているらしい剣術の心得がはるかを動かす。だが気持ちがそれに追いつかず、秋良ほどうまくは戦えない。


 そこの蠍との戦いもそうだった。はるかが中途半端な手傷を負わせて逆上した一体相手に苦戦しているうち、四体を片付けた秋良が駆けつけとどめを刺した。


 秋良には、無駄な動きが多いから余計に体力を消耗するのだ、と言われている。

 が、はるかにはどうして良いのかわからなかった。

 それにたとえ妖魔とはいえ命を奪うのにはやはり抵抗がある。


 はるかに課せられているのは、預かった荷物や護衛対象と、自分の身を守ること。

 秋良は徘徊する妖魔や金品を狙う野党を撃退する。

 そうしていつも運びや護衛の仕事をこなしているのだ。


 呼吸が幾分落ち着いてきた頃、はるかは外套の上から胸元の石を握った。


「あれっ?」


 そこにはいつもの硬い手ごたえはなかった。

 外套の襟を引っ張って中をのぞいたが、やはり見当たらない。


「えっ、えっ?」


 はるかは慌てて身体をぱたぱたと叩いた。

 かと思えば急にしゃがみ込み、砂の上に顔を近づけてくるくると回りながら移動していく。


 突然の奇行を前に声をかけるのもためらわれたが、秋良は一応念のため、答えのわかりきった問いを投げかける。


「探し物か?」

「あの石がないの! 戦っているうちに落としたのかも」


 うっすらと涙を浮かべて必死に砂の上を両手で探るはるかに、秋良は哀れみに近い視線を浴びせつつ血振りした双刀を腰の鞘に納める。

 はるかの後ろに回り込むと、首の後ろに下がっているそれをぐいっと引っ張った。


「馬鹿か、おまえは!」

「うぐっ!?」


 一瞬喉がつまり、たまらずしりもちをつく。

 首に張り付いた覚えのある革ひもを引っ張って回すと、探していた親指の先くらいの瑠璃石が現れた。


 はるかはたちまち表情を和らげ、その場に座り込む。

 その石を手のひらに載せて、存在を確かめるように見つめた。


 透き通った深い瑠璃色の丸い石。そのまわりに細い銀細工の帯が幾重か巻きついている。

 その一つに革紐を通して首に下げているのだが、妖魔と戦ううちに外套から飛び出して背中に回ってしまったのだろう。


「まったく、ただでさえ予定より遅れてんだ。しょうもないことで時間取らせんなよ」


 言うが早いか、秋良は足早に歩き出す。

 はるかは急いで石を元通り外套の中にしまって立ち上がり、小走りに秋良の後を追った。



 陽昇国(ひいづるくに)の東西に横たわる沙流砂漠(さるさばく)は、陸路で南北を往来するには避けて通れない難所だ。

 砂漠を通らず海路を行く方法もあるが、船で渡るにはまとまった金が必要となる。


 そこに眼をつけて始めたのが運び屋だった。荷物のみならず、人の運搬も請け負う。と言っても、運搬対象が人の場合はいわゆる用心棒だ。

 重い荷を運ぶ時には駱駝のひく砂船を借りることもある。

 これまで沙里(さり)琥珀(こはく)の間の二里半を何度往復したかもう覚えていないほどだ。


 しかし今日はこれまでになく難儀していた。

 時間には余裕を持って沙里を出たはずが、出掛けから妖魔に手間取りかなり足止めを食っている。


 さらに『急ぎの荷物で夕方まで』という条件付きの荷物のため、無理を承知での昼行軍だ。

 夏はとっくに過ぎ秋も半ばのこの時期だからこそ多少の無理は利くものの。

 それでも高い位置に昇りつめた太陽は、その光と熱で容赦なく二人を照らしつけている。加えて妖魔との連戦もあり二人はすっかり汗だくになっていた。


 秋良がいぶかしげにはるかを見る。


「そいつ、妖魔の餌かなんかが入ってんじゃあないよな?」

「これ?」


 はるかは懐から革袋を取り出した。口をしっかり紐で結わえた袋の中には、老人から預かった白い木箱が入っている。


「もし入ってたら、臭いとかするんじゃない?」


 言って、犬のように鼻を寄せてみるが何の臭いもない。なくさないように元通り懐に収める横で、秋良は小さく愚痴をこぼしている。


「ったく、あのじじい。こんな小さいもんてめぇで運べんだろが」


 文句を言うなら断ればよかったのに、と。はるかは喉まで出かかった言葉を飲みこんだ。

 きっとこう返されるに違いない。


『馬鹿、金四枚だぜ? 四金もあったら半月以上遊んで暮らせるだろ。まともに四金稼ぐには、どんだけ運ばなきゃいけないかわかってんのか?』


「……だよな」

「えっ、なに?」


 秋良が何か言っていたようだが、脳内で想像していた秋良の声に遮られてまったく聞こえていなかった。

 物言いたげな視線を向けた秋良だったが、今に始まったことではない。


「あのじいさんだよ。絶対ただ者じゃあないぜ」

「どういうこと?」

「あいつが中に入ってきたの、気づいたか? まったく音を立てず、気配も感じさせなかった」


 普段ならあるはずのない隙を突かれた。その悔しさが、突き放すような言い方をさせているのだろう。



細身刀(ほそみとう)】日本刀のような造りの片刃刀だが、扱いやすいようやや薄造りになっている。


大蠍(おおさそり)】沙流砂漠の妖魔の中でも出没頻度が高い。某有名ファンタジーに出てくる『おおさそり』よりは多分小さい。


砂船すなぶね】荷物の運搬に使用されるソリ。小さい物は人が、大きい物は駱駝が牽いて利用する。


【砂走り(すなはしり)】沙流砂漠出没頻度高の妖魔。後肢で立ち上がり首周りを囲むヒレを立てて威嚇する。そのままの状態で駆けまわることもできる。



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