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玖・雷神 後



 両者の闘いを見守る者たちは、皆一様に。緊張という名の糸に絡めとられ動けずにいた。

 その眼前で、鳴神槍(なるかみのやり)から発する青白い雷光と、衝突による砂礫の爆風が巻き起こる。鳴神槍の余波が、砂塵の中で時折明滅しているのが見えた。雷気の小炸音と風音は徐々に小さくなっていく。

 再び静寂に包まれた夜の木霊森(こだまのもり)深部に、一陣の風が吹く。巻いていた砂塵は風にさらわれ、対峙するふたりの竜神が姿を見せた。


(みどり)く……」


 はるかのつぶやきは、かすれて消える。翠は前方に傾いだ身体を、鳴神槍で支える。槍を持たぬ手が押さえた腹部には、二本の岩矢が貫通していた。


「――っ!」


 立ち上がろうとした秋良は、全身の痛みに耐えかねて地に両手をついた。正面に向けたままの視線の先で、影が揺れた。


 至道(しどう)の巨体が、地面へ引き寄せられる。重力に抵抗し膝をつく。

 倒れるのはまぬかれたが、岩片が崩れおちる。数枚の岩片に吸い寄せられるがごとく、至道の岩甲は鱗のように次々とはがれていく。岩片が地面へ落ちるのを待たずに粉々に崩れ去る。

 いびつに隆起した岩が包む、大槌さながらに肥大していた右腕から完全に岩が消え、地面に巌衝篭手(みねひらのこて)が乾いた音を立てて転がった。篭手があるべき至道の右腕は、肘より上を残して岩片と共に失われたのだ。

 それと同じく、翠を貫く岩矢も崩れて消えた。


「ぐ……」


 至道の食いしばった歯の間から呻きが漏れる。

 柳茶色の髪から天を衝き伸びていた一対の岩角もすでになく。至道は残された左腕で自らの膝を掴み立ち上がろうとする。

 黒く小さな瞳は、額に降りかかる髪の間からなお闘志を絶やすことなく翠を見据える。


 見返す翠との視線上に突如割り込んだ、空を裂く銀光。

 翠はすかさず反応し、激しい金属音が鼓膜を震わせる。

 弧を描いて襲った一太刀。翠は鳴神槍の柄で受け流しながら後方へ跳び退る。


 至道の眼に映ったのは、黒い長羽織の裾をはためかせる後姿。荒野と化した神木周辺を流れる風が、その白雪の髪を震わせた。今しがた振るったはずの長刀は、鞘に収められたまま左手に握られている。

 至道の瞳に宿された殺気は驚きに変わる。本人も意図せぬまま、現れた男の名が口からこぼれた。


氷冬(ひとう)

「奴は、来ていないのか」


 薄氷張る湖面を思わせる静けさを湛えた声色。その裏にみなぎる怒りを、至道は確かに感じ取った。

 氷冬が言う『奴』とは、深羅(しんら)のことだ。稀石姫(きせきのひめ)が結界を解いた頃合いを見計らって、至道が守護石を地上に晒す。その守護石を破壊する術は、深羅が施す手筈となっていた。

 ところが今、守護石は破壊されるどころか深羅の姿すら見えない。


「もとより妖魔など当てにはしていなかったが……」


 もう少し早く訪れるべきだった、と氷冬は己の判断にも怒りを向けていた。そうすれば至道の腕は失われずに済んだかもしれない。


 そんな胸の内はまるで表情には出さず。氷冬は涼しい表情で正面に立つ男を見据えた。


「久しいな、翠竜(すいりゅう)


 翠は無言のまま、正面に立つ旧知の顔に力をこめた眼差しを向ける。氷冬の切れ長の眼に宿る深い紺碧の瞳は、それを事も無げに受け流す。


「まだ未練がましく生きながらえているとはな。所詮は裏切者どもの血が流れている、か」


 嘲りの色を濃く滲ませたその言葉に、翠はまったく動じることはない。鳴神槍をひとつ振り、紫電をくすぶらせるそれを構え直す。


「今は、生きる理由がある。死ぬわけにはいかない」


 この局面においてなお、翠の表情も声も揺るがず、感情を捉えがたい。しかしその言下には、確固たる決意と志が秘められている。


 翠の言葉に、氷冬はわずかに秀眉を上げた。

 ただひとり生き残った翠竜族の男。翠竜族にしか扱えぬ鳴神槍を振るうべく、戦いのみを教え込まれ、それしか知らぬゆえに戦に身を置く。言わば竜人族の『武器』として育てられた男だった。

 それがいつの間にか、心を持つようになったと見える。


「おもしろい」


 氷冬は小さくつぶやき、黒い長羽織を脱ぎ捨てた。


 視界の端にわずかうつりこむ、稀石姫の姿。今翠竜が仕えるこの女が、生きる理由を、心を与えたということなのか。

 稀石姫たちの周囲は、率いて来た精鋭十人が囲みその輪をゆっくりと縮めている。あちらは部下にまかせておけばいいだろう。己が成すことはひとつ。


 刀の柄に手を掛けた氷冬に、至道が身を乗り出す。


「待て、氷冬! 俺はまだ――」


 至道の言葉を氷冬は刀の鞘で制した。氷冬の瞳が至道のそれとぶつかる。わずかばかりの穏やかさを含んだ冬海色の瞳に、至道はそれ以上言葉を継げなかった。


 氷冬は長刀を抜き放ち、鞘を捨てた。正面へ返した瞳は、氷海のごとく凍てつく厳しさで翠を射抜く。

 この男――翠竜は、敵に捕らわれ投降したばかりか夜天の命を奪った。その罪は死してなお余りある。


「その生きる理由とやらも、貴様もろともここに切り捨ててやろう」


 銀竜族に伝わる長刀・凍刃氷牙(とうじんひょうが)を中断霞に構え、氷冬は竜気を解き放った。


 氷冬の後姿に、至道はひとつ残された拳を血のにじむほど握りこむ。

 今ここで我らの妨げとなりえるのは翠竜ひとり。翠竜を仕留め、稀石姫を捕らえる。今はまだ覚醒して力も記憶も失っている。稀石姫が覚醒する前に成さなければ。

 魔竜士団の目的――夜天(やてん)夜天の遺志を遂げるにはそうするしかない。そのために、氷冬は何を惜しむこともなく戦うのだろう。


――だが、それでは氷冬が……!


 至道は力不足な己と、友の覚悟を見守るしかない状況への憤りをこめて左拳を地へ叩きつける。拳からほとばしる竜気が、氷冬の数間先に岩棘を無数に生む。

 氷冬へ向けて駆け出していた翠は、岩棘を跳んでかわす。が、執拗に次々生まれる棘に負われ、氷冬に近づけない。


 至道との戦いで傷を負っている今、氷冬が竜神化する前に叩く必要があった。氷冬が引き連れてきた竜人族もいる。戦いが長引けば、はるかたちも危ない。

 完全に棘をかわし切った時、翠はそれをあきらめねばならなかった。


 氷冬の頭部でほの青く冷たい輝きが生まれた。透き通った、刃を思わせる氷の角。

 彼を取り巻く空気中の水分は氷の結晶へと変じ、蒼月の光を反射しきらめきながら一箇所へと集まる。氷冬が構えた凍刃氷牙の刀身へと。

 長刀を包む氷は氷塊へと化し、粉々に砕け散る。氷粒の輝きの中、鋼の刀身は芸術とすら言える造形美を備えた氷の刃へと変じていた。


「く――かはっ!」


 氷冬は突如身体を折った。口から吐き出された少なからぬ赤が地面を濡らす。


「氷冬……!」


 援護のため残っていた竜気を使い果たした至道が苦しげにうめく。

 氷冬は――病にむしばまれたその身体は、もはや竜神化に耐えられる状態ではないのだ。


 凍てつく刃の奥、手の甲で血を拭った氷冬の口元に冷笑が浮かぶ。

 彼が嘲るのはこれから死に行くであろう敵か、それとも己自身か――低く静かに響く声が、闘いの時を告げる。


「さあ、はじめよう」



【凍刃氷牙】竜神・氷刃竜の血を受け継ぐ銀龍族が守る長刀。翠竜族の鳴神槍、褐竜族の厳衝篭手と同じく、力のある戦士が持つことで竜気を最大限に解放。使い手を竜神化させることができる。


【夜天】魔竜士団の士団長であり、良夜の兄。至道、氷冬とは幼なじみ。特に氷冬は副士団長として夜天の遺志を直接受け継いでおり、並ならぬ思いを抱いている。



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