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玖・雷神 前



 竜神化した(みどり)を前に、至道(しどう)は動くのをためらっていた。

 銀色に輝く鳴神槍(なるかみのやり)は、一定間隔で全身に紫電を巡らせている。それは戦いの時を待ちわび高鳴る鼓動を思わせた。透明な電気石を抱いた流線形の穂先には一対の副刃が備わっている。

 斬突両撃に長じたその槍を振るい戦場を駆けた雷神の名は、かつて味方すらも戦慄させたのだ。


 翠も、夜闇に明滅する鳴神槍を手に動かずにいた。

 もう二度とこの力を――この槍を手にすることはないと、そう決めていた。


 それなのに。


 冷たい鳴神槍の表層に自らの鼓動が響き、巡る。まさに失われた身体の一部が戻ってきたかのような一体感。

 竜神化により解放された竜気は全身を満たし、傷を癒し、奥底から無限とすら思えるほどの力を湧きあがらせる。


 かつて翠竜(すいりゅう)として戦っていた時は、昂る闘志が湧き起こるままに槍を振るっていた。戦いの中に己の存在価値を見出すために。しかし同時に心を占めていたのは底知れぬ空虚。それを埋めんとすべく、また戦いへ身を投じていた。


 今も身体にはこれほどの闘志が湧き出しているというのに。

 心は凪いだ水面のごとき静謐(せいひつ)に満ちている。


 はるかと秋良のふたりに気付かされた。

 珠織人(たまおりびと)のためにと力を封じていた。それはただ、己の罪から逃れるための免罪符がわりに過ぎなかったのだ。

 もう逃げたりはしない。

 今度こそ。珠織人の、栞菫の、そして己の道を切り拓くために。


 翠は伏せていた双眸を至道に向けた。鳴神槍が放つ青白い雷光に、暗緑色の瞳が明るむ。その中に映っていた至道が動く。


「があぁぁぁっ!」


 岩石の拳が上方から弧を描き、斜に振りおろされる。

 散る雷光。巨大な岩拳を鳴神槍の長柄が受け止めていた。至道の剛力に柄がしなるより先に、半歩身を引いていなす。

 拳撃を受け流され生じた至道の一瞬の隙に、翠は鳴神槍を素早く反転させた。石突が至道の腹部を突く。が、至道は身じろぎもしない。


「貴様の力など――」


 至道の言う通り。この程度の突き、通用しないことは承知の上。反動を利用して至道との間合いを取るためのものだ。開いた距離は鳴神槍の間合い。槍を再反転させ、遠心力を加えた上段からの斬撃を降らせる。


 衝突音――金属と岩がぶつかり合い、再び雷光が舞う。

 至道の左腕に生じた岩盾が、翠の攻撃を防いでいた。間髪入れず反撃に繰り出される右拳に空を打たせ、穿つ鳴神槍の突き。今度は防いだ岩盾から破片が散る。


「むっ!?」


 予想を上回る衝撃に至道が驚く間もなく。翠自身が反転する力を乗せ、右からの水平斬。右腕の岩甲が受け止めるも、再び表層の岩が砕けた。


 竜神化したことにより、翠の力は増幅されている。しかし同じく竜神化した至道に、純然たる『力』では到底及ばない。

 それを補うのは翠が鳴神槍を振るう速度と遠心力。そこに翠自身の力を乗せることで至道をわずかに圧していた。


「おのれっ!」


 至道は鳴神槍を岩甲に受けながら右拳で地面を打つ。近距離の足元から襲いくる岩矢を、翠は後方に跳んで逃れる。が、岩矢は翠の動きを追う。着地と同時に地を蹴り、宙返りと共に槍を一閃。穂先と柄で岩矢を叩き落とす。

 間合いを詰めてきた至道に、翠は鋭い突きを繰り出した。


 幾度目かの岩と雷の衝突。響く金属音と、閃く雷光。

 地面と岩を操る術との連携を生かし、至道は翠との間合いを詰めようとする。しかし翠の鳴神槍がそれを防ぐべく先んじて攻撃を仕掛ける。

 互いが互いの間合いを奪い合い、相手の攻撃の隙を突いて反撃する。どちらも譲らぬ攻防が続く。


「これが……竜人族の闘い――」


 秋良は驚愕と戦慄の中で我知らずつぶやいた。翠の速さ、そして至道の破壊力。それらたるや、秋良の想像を絶するものだったのだ。


 はるかは、闘いに見入る秋良を後方へ下がるよう誘導する。この位置では近すぎて危険だった。そうしながら、戦う翠の姿に視線を送る。


 彼の手にある鳴神槍は紛れもなく、先代(ひじり)であり父であった呉羽(くれは)の胸を貫いたあの槍だった。

 そして翠の漆黒の髪を塗って天を衝く麒麟のごとき角。その失われた右角は、呉羽が砕いたものだ。

 風凛(ふうり)が呼び覚ましてくれた記憶の中で見た。翠竜の首を狙ったはずの呉羽の一刀が、右角を根元から砕いていた。太刀筋が逸れたのは鳴神槍により胸を貫かれたためだ。


 今までに、何度も脳裏に再現されてきた呉羽の最期。見るたびに、哀しさがこみ上げる。それを『はるか』として感じていることが、余計に苦しかった。

 風凛たちの近くへ秋良を連れ戻したところで、水籠に冴空(さすけ)が取りすがるようにしているのを見つけた。


「どうしたの?」


 地面に秋良を座らせながら訪ねると、冴空は泣きそうなほど必死な顔で振り向いて言った。


「風凛様が……何かおっしゃっているようなんでさぁ。でも、うまく聞こえなくて――」

「わしには何も聞こえぬぞ。お前の勘違いではないのか?」


 松野坐(まつのざ)に言われ、冴空は返す言葉もなくうつむいた。勘違い、早とちりは冴空の専売特許なのだ。

 はるかは、冴空のあまりに必死な様子に不安を覚えた。風凛は先見の力がある。何か察知したのかもしれない。だが彼女は今力を使い果たし、言葉を他者に伝えることすら困難なのだ。

 はるかは、風凛の言葉を確認するために駆け寄る。


 その瞬間、大きな激突音が響く。全員が発生源――翠と至道を振り向いた。


 翠が上段から振り下ろした鳴神槍を、至道が右の岩拳で受け止めている。二寸ほど食いこんだ鳴神槍の副刃を、腕を薙いで払う。地を打つ拳が岩の棘を次々隆起させる。わずか傷を受けつつもかわした翠は、追尾してくる石弾を鳴神槍で撃ち落とす。


 再び至道が間合いを詰めてくる。そう思っていた翠は、足を止めた。


 至道は動かなかった。

 力無く下ろした右腕の先から、一滴、また一滴と赤い液体が滴り落ちる。それは右腕を覆う装甲を伝い、至道の右肘からにじみ出ていた。


 小曲刀を刺した場所だ。そう気づいた秋良は思い出す。夜の木霊森で最初に至道たちと戦ったときのことを。意識を失ったはるかが、彩玻光を放って至道の腕を落としたのは、まさにその箇所だった。

 そして今、度重なる鳴神槍の攻撃を受け止め続けた右腕の傷が再び大きな痛手として至道を苦しめているのだ。


 しかし翠とて無傷ではない。それに竜神化によりある程度回復してはいるらしいが、それ以前に受けた傷も癒えきってはいないようだ。


 秋良たちの脇を、剛風が吹きぬけた。翠と至道が、竜気を開放した瞬間に発生した一瞬の嵐。風圧だけで皮膚が焼けるような錯覚を起こす。

 その中心にいるふたりの竜神は、互いが互いの武器を構え相対する。


 闘いが長引けば、どちらにとっても不利。

 次の一撃で、勝負が決まる。

 痛いほどの沈黙。緊張に高ぶる鼓動を感じながら見守る秋良の視線の先、二人が動いた。


 一切の小細工も策も弄せず、至道は岩に覆われた右拳に、翠は鳴神槍に、全身全霊を込めた一撃が交錯する。

 激しい雷光。鳴神槍の放つ青白い閃光に、二人の姿が霞む。

 金属と、鉱石がぶつかる堅く高い音が響きわたった。



【聖】珠織人の長にあたる位の呼称。現在は娘である栞菫が継いでいる。


【呉羽】先代の聖。魔竜の乱で翠竜に討ち取られ戦死。


【二寸】一寸は約3cm。6cmほど斬りこんだくらいでは、至道本体には到達していない。


【竜気】双月界を巡る生命波動であり、珠織人にとっては彩玻動と呼ばれるものに近しい。竜人族の体内に取り込まれた波動は竜気となり、岩や雷などを操る能力の源となる。

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