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捌・響心 中



 どれだけの時間、意識を手放していたのだろう。天に向いた(みどり)の視界に、蒼月(あおのつき)が浮かんでいるのが見えた。

 不覚を取った。結果を急くあまりに、自らが招いたこの状況。


 至道(しどう)が咆哮と共に両拳を地面に叩きつけ。そこを爆心地とした広範囲に地面がめくれ上がり、噴き上がり、一気に深く陥没した。

 宙に浮き上がった岩は大小無数の棘へと変じて翠を襲う。身体を貫いた棘が翠の全身をさらい、勢いを加速する。翠の背後には尖塔を向ける頑強な岩の槍――。


 槍に貫かれ、意識を失った翠が再び覚醒したとき。貫いていた槍は消え、翠の身体は無数の傷口を晒していた。敵を貫き、砕け散ることで傷口を広げる。かつて戦場で目にしたことのある至道の技だ。

 翠の上衣を染める白縹(しろはなだ)の薄い青は、今や大半が赤黒く濡れている。


 投げ出された四肢に力を入れ、身を起こす。全身に受けた傷は多少塞がりつつある。口からそれなりの量の血が吐き出された。が、それきり。内臓に受けた無数の傷も、出血が治まるほどには回復したということだろう。

 決して浅い傷ではなかった。だが、今は動けないほどでもない。自らに流れる竜の血に感謝と罪悪感を同時に抱く。


 至道は――まだこちらに気付いていない。完全に竜気を解放し、竜神化している。


 竜人族の身体に流れる、竜神の血。その血に宿る力――竜気を解放することで、古より受け継がれる竜神の力の片鱗を発揮することができる。

 血の薄い者は、戦闘本能を全面に表わした竜神の姿――すなわち竜へと変貌する。竜化することで戦闘能力が格段に上がると同時に、自らの意思は消失する。


 だが、血の濃い者は違う。

 竜神の真の姿により近い、神と竜の力と姿を兼ね備えた姿へと昇華する。竜神の持つ万物の力は、竜人族の各種族にひとつずつ受け継がれている。今翠の眼前に立つのは、地の力を宿した竜神・巌衝竜(みねひらりゅう)の姿を模したものだ。竜神そのものの比ではないだろうが、身体能力はおろか、地を操る能力も格段に上がっている。


「それとも、お前が相手になるか。稀石姫(きせきのひめ)


 至道が告げる。それを受けたはるかの瞳が、こちらへ向いた。


――どうする。考えろ。


 驚きと喜びが混在するはるかの視線を追って、至道が振り向く。

 翠は両の脚で全身を支え、手にした刀柄を握る手に力を込める。


――まだ、戦える。奴と、竜神化した至道と渡り合うには……


「竜神化して見せるがいい」


 唐突に、至道が切り出した。


「このままでは貴様に勝ち目はない。そのままの姿で、その刀で、竜神化した俺を相手に勝てると思っているのか」


 竜神化し、鳴神槍(なるかみのやり)を手に戦う。至道相手でも互角、いや、負けはしない。


――だが、それだけは。


 もう二度と、竜人族としての力は使うまいと自らに戒めた。

 それが、『翠竜(すいりゅう)』としての罪を負う『(みどり)』の進むべき道なのだ。


 答える代わりに翠は地を蹴る。


 銀光、そして金属音。翠の斬り上げは岩の右腕に弾かれる。翠は間髪入れずに上段、中断と繰り出す。正面から受ける至道。

 至道と翠の間に赤が舞った。攻撃を防がんとする至道の岩甲が覆うより翠の剣速わずか上回り、至道の皮膚を切り裂いているのだ。肉を断つ前に岩甲が覆い太刀筋を逸らされ、深手には至らない。


 至道は岩石に肥大した右腕を振るう。無造作にも見える動作。その大きさと重量から想定できない俊敏な一撃。

 今しも刀を振るわんとしていた翠は、上体を大きく反らしてかわす。均衡の崩れた身体をねじりつつ地面をひとつ転がり、前へ跳ぶ。翠の身体があった位置を巨大な槍岩が突き上げた。岩槍を背に着地した翠は、再び至道へ疾走する。


 斬撃は当たれども決定打はなく。こちらは至道の攻撃を避けるのも必死だ。このままでは傷を負っているこちらが先に体力を消耗し、いずれ至道の攻撃に捉えられるだろう。


――勝つ必要はない。至道を、止めさえすれば。


 黒に近いほど深い緑玉の瞳に決意を宿し。翠は刀を振り抜いた。






 ひとり……秋良(自分)ひとり。


――ああ、またこの夢……。


 村中歩き回ったが、幼い自分以外は誰もいない。

 いや。いなくなった――というのも、正しくはない。見知った顔は、村のいたるところにある。


 ある者は手足がなく。

 ある者は横に、ある者は縦に寸断され。

 ある者は原型もとどめないほど――。


 誰も――誰ひとり、生きている者はいなかった。


 今にも振り出しそうな厚い黒雲に覆われた空。

 その下にある村のたたずまいは、いつもと変わらない。ただ身体にまとわりつく空気は鉛のように重い。息もろくにできないほど。

 それを両手でかき分けるようにして、走る。

 足も、なにかがまとわりついているかのようで。普段ならつまずかないような草や石に足を取られるたび、幾度となく倒れ。

 それでも、走り続ける。


――そこに居ると、わかっていたのはなぜだったろう。


 村の外れ。

 築かれた、動かぬ人の山。

 その中央にたたずむ、自分以外に村で唯一の命ある存在。

 振り向いた、その、姿は――


 息をのみながら秋良は眼を開けた。

 急速に呼び戻された意識に、思考がついていかない。

 全身には未だ鉛のごとき空気がのしかかっている。視界はぼんやりと霞んでいる。それ以外もすべての感覚が低下していた。

 そのくせ、やけにくっきりと。身体中をさいなむ鈍くも鋭い痛み。


 傷みが、思考の回転を正常値まで引き上げていく。

 秋良は今更ながら地面に横たわっていたことに気づいた。起き上がるために動かそうとした腕は、少しも反応がない。腕はおろか、全身の、指先の一本までがまるでいうことをきかない。

 秋良の耳に、小さなつぶやきが聞こえてきた。


「あっしが……あっしをかばうために、兄貴は……兄貴が、あっしを……」


 声の方へ視線だけを向ける。

 うずくまった冴空が、同じような内容をうわごとのように繰り返している。秋良が冴空の命を救うために、身代わりになった、と。


――そんなんじゃない。


 声にはならなかった。

 秋良は思い出す。至道の技をまともに受け、倒れたのだ。


――そうだ、至道は?


 至道を探す秋良の瞳に、はるかの姿が映った。傍らに座り込み、両手を秋良のみぞおちに押し当てている。少しづつだが傷みが和らいでいるのは、彩玻光(さいはこう)の癒しの力か。

 手元からの光を受け、はるかの紫水晶の瞳は明るく輝いている。その視線を追った秋良は、はるかの瞳に浮かんだ苦しげにも悲しげにも取れる色の理由を知った。



【竜人族と竜神】竜人族の祖は魔界の竜神とされている。天地守護・環姫の手により悪心を清められ、妖魔六将の討伐に貢献したのが黒竜の祖。

黒竜と、彼が従える銀竜、赤竜、褐竜、翠竜の武具は各々の名を冠し現在に伝わっている。


【竜神・巌衝竜】大地を操る力を持つ竜神。至道が駆使する武具・巌衝篭手はこの竜神の力を秘めたもの。武具を継承する者だけが竜神化できる。

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