捌・響心 前
その一撃は突然だった。
――速い!
斜め頭上から振り下ろされる至道の右腕。強固な岩石の武装で二倍にまで膨れ上がっているにも関わらず。至道の拳は以前の戦いより遥かに速い。
跳んで避けた秋良のいた地面が、至道の拳に砕け散る。上空へ向けて放たれる石礫。大小の石が鋭利な刃をもって秋良の手脚をかすめていく。
秋良は着地の勢いのまま身をかがめる。横へ抜ける至道の左手。その風圧が秋良の頭部すれすれを抜けた。右腕の追撃が来るより早く、秋良は低い姿勢のまま背後へ跳ぶ。左手の小曲刀を鞘に収め、着地した右足で前へ踏みこんだ。
右腕を振り切った至道は、背中をこちらへ向ける形になっている。逆手に握った右の小曲刀に左手と全体重を沿えて、がら空きの背中へ突き立てた。
「――!?」
予想していなかった硬質な音と手ごたえ。無防備だったはずの至道の背中は、堅い岩に覆われていた。
驚愕により生まれた隙に、至道の裏拳が炸裂する。
「くそっ」
直撃する寸前、腕が振るわれる方向へ跳び威力を削いだ。左肩がじんと熱くなるが大きな痛手ではない。崩れた体勢から、左手を地面について跳ね上げ着地。同時に至道へ向けて駆ける。
迫る岩石の右腕をかいくぐり、至道の脇腹に一閃。届かない。刃が届く前に肌は岩に覆われてしまう。
秋良は再び距離を取る。息こそ上がってはいないものの、こめかみから汗が伝う。
その様子に至道が淡々と告げる。
「斎一民の身でどこまで体力が持つか、見ものだな」
秋良は心の中で舌打ちした。こちらは攻撃ひとつ避けるのも紙一重だが、至道は余裕を見せている。
――なぜ、このような危険に、わざわざ飛び込むような真似を?
再び浮かんだ疑問を、秋良は胸の奥に押しこめた。
今は集中し、先刻見出した勝機に賭けるしかない。
秋良は再び大地を蹴った。
至道が巌衝篭手を内包した右手の岩塊で地面を打つ。一直線に至道へ向かっていた秋良は、足元から迫出す岩槍を横へかわし。踏み切った足で上へ高く跳ぶ。横合いから押し寄せる岩津波から逃れるためだ。
――至道が次の手を打つ前に……!
滞空中、秋良は肩から斜め掛けした革帯から飛苦無を数本抜き、放つ。
岩により武装している至道にとって、それは無意味に等しい。剛腕がたやすく払いのけたそのとき。
至道は秋良を見失っていた。
再び視界に秋良をとらえたのは、地面を滑るように懐に潜りこまれた直後だった。
「これでどうだ!」
秋良が胸めがけ突きあげた右の小曲刀は、弾かれる。至道の胸を岩が覆ったのだ。しかし――
「むぅっ!?」
至道は驚きの声を上げた。右腕の上腕に、秋良の左小曲刀が突き立っていた。至道の岩甲が腕以外の部分を覆うとき、腕を包む岩の一部が退く。それを秋良は見逃さなかったのだ。
秋良の左手に確かに伝わる、岩ならぬ手ごたえ。刃は深く至道の腕へ突き立っていた。
引き抜き、退こうとした刹那。秋良の全身を衝撃が突き抜けた。岩の杭に身体を打ちあげられた秋良は、空中で体勢を立て直し着地する。着地の震動が腹部から胸部に響く。内臓と肋骨に傷を負ったらしい。
痛みに耐え兼ね膝を折る秋良に、至道が距離を詰めた。
秋良を捕らえるべく迫る巨大な岩の掌底。身を翻し逃れる。地面を握りつぶす至道の右拳。秋良が突いた傷は再び岩に覆われ、岩と岩の隙間から赤い液体が滴っていた。だが、至道は傷をまったく意に介していないように見える。
「――!」
着地したと思われた秋良の身体は均衡を崩す。軸足の乗った地面が陥没したのだ。刹那、腕を掴んだ猛烈な力が身体を引き上げた。勢いそのまま宙へ放られる。回転する視界の中、至道の足元で岩棘が無数に発生するのを秋良は見た。
岩棘は秋良の着地点めがけて放たれる。いくつも迫りくる、大人の拳ふたつ分はあろうという棘。接するより早く着地できるか――着地点の地面すら操作される可能性がある。
――ともかく着地しつつ回避する以外にない!
着地の直前、秋良は気づいた。
――この後ろ……!
それが秋良の行動をわずかに鈍らせた。
ちょうど、はるかは足止めしていた竜人族を昏倒させたところだった。秋良を探し振り返った紫水晶の瞳が大きく見開かれる。岩棘が迫る秋良の元へ駆けだすが――
間に合わない。
切り立つ崖を削り取った破片のごとき岩棘の群れ。秋良の皮膚をかすめ、肉を貫く。
四肢や腹、各所に棘が突き立ち、放射状に砕け散った。破片は傷を広げながら飛散する。
噴き出す自らの血が宙を舞う中、秋良は地面に身を沈めた。
時がゆっくりと流れるように見えるその光景。わずか二間後方に立つ冴空が、驚愕に白くなった顔で見つめていた。
「秋良ちゃん!」
はるかが駆け寄り、仰向けに倒れた秋良のかたわらにかがみこむ。秋良は少しも動く気配がない。
左手の甲に右手を重ね、そっと秋良のみぞおちあたりへ当てた。すぐに彩玻光を流しこむ。はるかと秋良の接点に生まれた淡い光は、癒しの力を持って秋良の全身へと広がっていく。
そこから、秋良の彩玻動がまだ巡っているのを感じる。
――よかった。でも……
秋良の身体はひどい有様だった。かすめた棘による裂傷がいくつもできている。棘が刺さり破裂した傷は左腕と肩、右腿、腹部に二か所。彩玻光での治療ですら、出血が収まるまでには時間が必要だ。
「もう邪魔をする者はいなくなったか」
至道の声に、はるかは顔を上げた。こちらを見おろす至道の鋭い眼光。そこには怒りも憎しみも含まれず。任務を全うせんとする使命だけが宿っている。
「それとも、お前が相手になるか。稀石姫」
はるかはぐっと唇を引き締め見つめ返す。
至道の言うとおり、守護石の破壊を防げるのは今や自分ひとり。だが、秋良を放っておけば命に関わる。
――どうしたらいい?
考えの行きつく先に、はるかは唇をかんだ。
陽昇国守護石の間で、妖魔六将と対峙したとき。白銀や秋良に戦いを任せきりだった自分に、あれだけ打ちのめされたというのに。今また、こうして祈らずにいられない。
――翠くん……!
はるかの視線は向けた先で釘付けになった。
気づいた至道が背後を振り返った先。
立ち上がった翠が、戦意を失わぬその眼で至道を射抜く姿がそこにあった。
【斎一民】創世の頃、天地守護・環姫が生み出した六種族のひとつ。いわゆる人間。突出した能力は持たず寿命も短いが、どの種族とも子を成すことができ繁殖力が高い。人口も双月界で一番多い。伸びしろも多く、鍛錬により他種族と渡り合うほどの戦力を持つ者も稀に見られる。
【巌衝篭手】竜人族・褐竜に伝わる武具。体術を得意とする褐竜は大地の彩玻動と同調し操る。その力をより強大に引き出すが、武具を駆使するにはそれに見合った力量が求められる。
【彩玻動】双月界を巡る生命派動。珠織人は自らの体内で彩玻光へと変換し攻撃や癒しの力とする。
【妖魔六将】創世の頃、環姫に討伐された六人の強大な妖魔が守護石へ封じられたと語られていた。現に陽昇国の守護石破壊により緋焔と名乗る人型の妖魔が現れた。緋焔の解放を誘導した深羅と名乗る老人の姿の妖魔との二名が確認されている。




