表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/140

漆・襲来 中



――なんのために戦っているんだ?


 至道(しどう)の脳裏に、良夜(りょうや)の言葉がふとよぎった。


 正面に対峙する翠竜(すいりゅう)、だった男。

 かつてはわずかな感情も意思も宿していなかったその緑玉の瞳は、確固たる意思を秘めている。至道の視線を受け止めてなお、揺るがぬその瞳。


 (みどり)――と呼ばれていたか。

 この男にも、命を賭してすら戦うに値する『戦う理由』があるのだろう。


 だが、一族を裏切り、夜天(やてん)の命を奪ったその罪が消えることはない。

 鳴神槍(なるかみのやり)を受け継ぐ戦士として、翠竜族の罪から許された。その恩を仇で返し離反し、敵として至道の前に立ち塞がっているのだ。


 至道の中に迷いは無かった。


 共に戦う同志のために――彼らと、己の望む未来のために。

 相手が誰であろうと、邪魔をする者は全て打ち倒す。


「勝ち目が無いとわかっていてなお、刀を捨てぬか」

「……」

「容赦はせぬ。全力で行くぞ!」


 翠は至道の声に、刀を握る手に力を込めた。

 二人は同時に地を蹴った。


 一瞬にして詰まる翠と至道の間合い。

 至道の掌底が空を裂く音と共に迫る。翠は右から回りこみつつかわし、下段から斬り上げた。高い金属音。足元から伸びた岩の棘が翠の一閃を弾く。

 自らが生んだ岩棘を至道の拳が砕く。なお勢いの衰えないそれは、翠の身体があった位置を穿つ。

 横に跳んだ翠は着地した脚で地を蹴った。横薙ぎに払われた刀身は至道の首元を狙う。が届かない。右半身を引いた至道の左肩を掠めたに過ぎず。至道は引いた腕を上から斜に振り下ろす。

 翠は左足を後方に引き身をひねる。かわしたその足で跳び退った。翠の身体を掠めた至道の右手は、止まることなく地面へ向けて振り抜かれる。その腕には褐竜(かつりゅう)族最強の戦士と認められた者に継承される巌衝篭手(みねひらのこて)。至道の竜気を受けた篭手が大地を穿つ。爆ぜた地面からまくれ上がった破片が翠を追った。


「――!」


 翠は刀を振るい出来得る限り叩き落とす。ただの破片ではない。大小のひとつひとつが尖鋭型に変じている。

 至道が翠の行方を追って視線を上げるまで、ほんの数瞬。翠の姿は視界から消えていた。


(ねずみ)のように逃げ隠れるか」


 蔑みの色を込めた至道の声を、翠は離れた位置で聞いていた。神木の外周を護る樹々のひとつに背を預け、微かな吐息をもらす。

 左頬には至道の拳圧による切り傷がある。かすっただけでこの威力。力では圧倒的に至道に分がある。褐竜の能力で自在に操る岩や土も厄介だ。刀でさばききれなかった石刃が腕や脚を掠めて傷を生んでいた。


 翠は至道の様子を探る。至道はその場から動かず、じっと待っている。周囲の音、空気の流れ、震動。わずかな変化も逃さぬよう集中しているのだろう。それでも、こちらには気づいていない。

 先日、草人(くさびと)に連れられ木霊森(こだまのもり)内を移動したとき。森に紛れるよう草人の加護を受けた。効力がまだ残っているのだろう。ならばありがたく使わせてもらう。

 身を隠していた樹の根を蹴って、翠は動いた。


「ぐっ――!?」


 至道の右肩に刃が食いこんだ。直後、至道は払うようにその右腕を振るう。その場にいたはずの翠の姿はなく。至道の肩に浅からぬ朱線を残し、再び木々の気配へ溶け込んでいた。


 全く気配を感じなかった。地面に竜気を巡らせていたにもかかわらず。樹上からの攻撃だったのだろう。正面から戦おうというつもりは失せたか。


「小賢しい!」


 怒気をはらむ至道の声に、その身を包む空気が震える。


――竜気の解放……!


  至道の全身がうっすらと黄金色の闘気をまとい始めるのを、翠は樹上から確認した。至道の竜気が全て解放されてしまえば、今の翠に勝ち目はない。

 翠は勝負に出た。枝を蹴り、重力と脚力に加速された刃が至道に迫る。刺突は至道の背をえぐった。首元を狙ったはずのそれは、横から飛来した数弾の石つぶてに軌道を逸らされたのだ。

 脇腹を下から打ち上げる至道の一撃。直撃は避けたものの均衡を崩した翠の腹に、左拳の直打が繰り出される。身体を突き抜けるような衝撃と共に、翠は後方へ吹き飛んだ。


「余計な真似を……!」


 竜気を放ったままで至道がにらんだのは、遠巻きに待機していた部下の方だ。石つぶては部下の手によって放たれたものだった。


 足元で繰り広げられる竜人族の戦い。それを呆然と見つめていた冴空(さすけ)は、ふと我に返る。

 草人の特性を活かし、誰にも気づかれることなく枝から枝へ。さらには外周を護る樹々の領域に入り込んでいる神木の枝へ。至道たちから死角になる位置の幹をするすると下っていく。そのまま神木の入口を塞ぐ蔓にささやき、開いた隙間から身を滑り込ませる。

 下り坂を転がるように現れた冴空に、松野坐(まつのざ)が歩み寄った。


「お前、生きておったのか……!」

「え……あ……」


 冴空はしどろもどろに視線を伏せた。どう言うべきか迷いながら、恐々と視線を上げる。大空洞の中央には、幼い頃に一度だけ見た光景。心に焼き付いたまま、変わらず水籠に揺れる風凛(ふうり)の姿があった。

 あれほどに待ち望んだ再会。それなのに。仲間の死に行く姿を前に、今なお生きながらえているなどと――後ろめたさから冴空は再びうつむいた。

 そんな冴空の心情は知らず、秋良が詰め寄る。


「おい、上はどうなってる!」

「あ……竜人族が、攻めてきて……その――至道、とかいう奴が……」

「至道……やっぱり、あいつが来たのか」


 先刻から聞こえる地響きは、翠と至道の戦いによるものだろう。


「戦況は!?」

「それは、そのぅ……」

「はきはき喋れ、さっさと!」


 いらだつ秋良にどやされ、冴空は大きな猫様の眼を見開いて上ずった声で言った。


「翠というお人が、竜人族にすっ飛ばされてやんした!」

「――!」


 秋良は後ろを振り返った。はるかはこちらのやりとりも聞こえない様子で、一心に血文字による呪を書き連ねている。


「結界はまだ解けないのかよ」

“あと少し――”


 風凛の言葉をさえぎって、これまで以上の大きな地響きがとどろく。震動、いや地震と言うべき規模の揺れ。樹の根からこぼれた岩や土塊が崩落してくる。


“これは……”


 風凛の言葉を成す旋律が不安に揺れた。


“皆、私のそばに――!”


 いっそう強く響いた風凛の音色に、はるかをのぞく全員が従った。

 風凛を擁する水籠に宿る光が輝きを増し、広がっていく。すぐに水籠の透明皮膜を越え、半球体に領域を伸ばす。

 風凛のすぐ近くに立つ秋良と草人たち。水籠の背後にいるはるかまでが光に包まれたとき。大地が裂けたのではないかと思わせる爆音が起こった。風凛の白緑色の光に包まれ、届くのは音のみ。外側がどうなっているのか見えず、震動すら遮断されている。

 爆音。樹の裂ける、神木の悲鳴。崩れ落ちる音。呪を書き終え、はるかが唱える祝詞は外の音にかき消され誰の耳にも届いていなかった。


「――」


 最後の(ことば)とともに、はるかは宙に浮かぶ赤い呪に両手を触れた。


 突如起こったまばゆい光。秋良は光源を振り返る。風凛の背後一体から発する光はあまりに強く、視界は白の中にかすんでいった。



【翠竜族の罪】竜人族がまだ竜谷の守護の任を信じていた頃。竜谷は外界と繋がる場所がいくつかあり、翠竜族は結界越しに多種族と交流していた。外界との接触を断っていた竜人族全体の意向に反したとして、当時赤子だった翠以外の者は滅ぼされた。


【裏切り・夜天の命を奪った罪】鳴神槍の使い手として魔竜の乱を戦っていた翠竜は、当時の聖(珠織人の長)である呉羽(栞菫の父)を討った後、珠織人に捕らえらえた。栞菫の説得により『翠』として珠織人側に降った後、魔竜士団長であった夜天を討ち取った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ