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肆・良夜 前


 微かに水分を含んだ朝の大気に、山際からのぞく朝陽が染みわたっていく。遠くにかすむ山陰から、眼下に広がる平野、森へと。陽光が領域を広げていく様を、氷冬(ひとう)は砦の屋上から眺めていた。

 山腹に埋もれるように造られたこの砦は、迫出した岩や樹木に覆い隠され外部からは見つかりにくい。逆に砦側からは谷側の様子が良く見える。自然に守られた天然の要塞だ。

 ひとりたたずむ氷冬を一陣の風がすり抜けていく。それを待っていた氷冬は口を開く。


「術士は見つかったか、羽久(はく)

「いえ。各地からの情報を追ってはいますが、まだ」


 答えたのはひとりの竜人族、氷冬の腹心・羽久だ。風と共に忽然と姿を現した彼は、氷冬の後姿に片膝をついて頭を垂れた。氷冬と同じく銀竜の部族出身である。

 思わしくない報告。だが氷冬は表情も声色も変えず伝える。


「一刻の猶予もない。急いでくれ」

「はっ」


 やや強めの風が吹き抜ける。それが止んだ時、氷冬は再びひとりになっていた。


 かつての戦いの際に魔竜士団に……いや、夜天に力を貸していた女の術士がいた。その存在があったからこそ、結界を破り守護石を破壊することができたのだ。女は魔竜士団の前には姿を見せず、氷冬も遠目に一度だけその姿を見ただけだった。

 女は夜天(やてん)の死と共に姿を消し、その後消息がつかめていない。


 竜谷(りゅうこく)を封じる結界が破られたときに、夜天が『協力者』と言っていた者。当時守護石を守る結界を破った『彼ら』に、その女が含まれているのか。女は、深羅(しんら)とも繋がりがあるのか。

 いずれにせよ、つきとめなくてはならない。

 守護石を守る結界は効力を失いつつあるとはいえ、魔竜士団の力だけでそれを破ることができなかった場合は力のある術士が必要となるだろう。力を借りるならば、深羅以外の者が望ましい。


 氷冬は山向こうに隠れた緑繁国(みどりもゆるくに)へ視線を送り、砦内へと階段を下りていく。

 良夜(りょうや)が目覚めてから、丸一日が経とうとしている。意識を取り戻した後、数時間後には自ら起き上がれるほどにまで回復した。時折全身を痛みが襲う発作は、深羅が置いて行った薬ですぐに治まる。

 長い時を魔界溝の奥で眠った弊害。確かにその可能性は大いにあるだろう。だが、深羅により目覚め、深羅の薬に頼る状態。これではまるで人質に取られているようではないか。

 良夜を見つけ出してくれた恩はある。それでも、氷冬は深羅を信用することはできずにいる。なにかが氷冬の中で警鐘を鳴らすのだ。


 氷冬の規則正しい靴音が廊下に響く。士団長の部屋へ向かう彼を、見張りの士団員が呼び止めた。


「士団長は食堂へ向かわれました。皆に顔を見せたいと……」


 士団員の語尾が消えた。氷冬が微かに眉をひそめたからだ。その緊張を解いたのは氷冬の一言だった。


「そうか」


 短く答え踵を返す。

 良夜には魔竜士団の現状を完全には伝えていない。体調が万全になるまではと、先の戦の結末を簡潔に知らせただけにとどめていた。他の者にもきつく口止めをしてあるが、士団長の命と沈黙を破る者が出る可能性もある。

 氷冬は足早に食堂へと向かった。






「自由を求めて竜谷を出た。それは皆同じだろう。俺もそうだった。だが、自由を得るための方法は、本当に(いくさ)しかなかったのだろうか」


 広い食堂には大きく長い角卓が複数並ぶ。その中央に座り語る良夜を取り囲むように、ちょうど食堂にいた二十名余の士団員が座している。

 ひとりが良夜にたずねた。


「我々の真なる故郷は魔界だ。守護石を破壊しなくては、その扉は開かれないのでは?」

「守護石を破壊しては、双月界は崩壊する。魔界へ向かうために払われる代償が大きすぎる」

「我らは不当に地下に追いやられた。安住の地を求めて何が悪い!」


 声高に叫んだひとりに続き、賛同の声が広まっていく。

 魔界の竜を祖とする竜人族は守護石が失われても生きながらえる。夜天はそう言っていた。

 魔界へ近づいたときに、双月界とは異なる力で満たされる感覚。それを士団員たちも体感した。だからこそ、新天地として魔界を求め戦ったのだ。


 良夜は少年の面影を残すその顔を、声を上げた者へ向けた。強い光を持つ金色の瞳に射抜かれ、驚きに声は鎮静していく。良夜の瞳に在るのは怒りではない。深い悲しみを湛えていたのだ。


「竜人族全体の、何倍もの命が犠牲になるんだ。戦う力のない子供や、動植物も全部。仮に天界に(とが)があったとしても、彼らに罪はないだろう」

「いまさら……」


 端の方に座っていた細身の赤竜(せきりゅう)がぽつりと言う。


「双月界に竜人族の居場所はないだろ」

「そうだ、ここまで戦ったんだ。魔界に行くしか道は残されていない!」


 良夜は、かつてずっと飲み込んだままでいた言葉を告げる。


「誰も魔界に踏み入ったことがないのに、ほんとうに魔界に安住の地があると言い切れるのか?」


 良夜の言葉に、誰もが口ごもる。

 そうだろう。その根拠は夜天の言葉ひとつなのだ。だからこそ、士団長を継いだあの時。夜天を信じて戦う皆を前に、己の中に封じていた言葉だった。

 卓に手をついて、良夜はまだ重い身体を立ち上がらせて言う。


「兄……夜天は、守護石を破壊し魔界で自由を得ようとした。全員が、それを心から望んでついてきたわけじゃあないだろう?」


 静かに紡がれる良夜の言葉に、不服そうにしている者、戸惑いを隠せない者。彼らの顔をひとりひとり見つめながら、良夜は続ける。


「竜谷を出て、双月界の風を、日差しを浴びて。広がる空を見て、それまで強いられていた不自由を知った。怒りや憎しみを覚えた者もいるだろう。だけど、共通してみんなが欲しいと願ったのは『自由』だったんじゃないか?」


 遠くから、床を打つ長靴の音が近づいてくる。長い眠りにつく前と変わらないそれを感じながらも、良夜はためらうことなく続ける。


「俺は、他を全て犠牲にしてまで得る自由が魔界にあると、夜天ほどに信じることができない。夜天に導かれるまま望むものではなく、みんながそれぞれ望む『自由』が何なのかを考えてほしいんだ」

「士団長」


 氷の声色に全員が振り返る。

 道を開く士団員の中、氷冬は速度を落とさず卓に歩み寄った。良夜の前で足を止めて言う。


「ご報告したいことが。少々お時間をいただきたい」


 氷冬の言葉にうなずくと、良夜は立ち上がり後に続いた。



【竜人族と魔竜士団】種族内で黒龍、銀竜、赤竜、褐竜、翠竜の五つの部族に分かれている竜人族だが、魔竜士団が決起した際に竜谷に残った者もいる。魔竜士団として竜谷を出た者たちは一度も谷へは帰っていない。


人物紹介・魔竜士団


【夜天】竜人族を束ねる黒龍族の長老の家系に生まれた先の士団長。魔界を目指すため魔竜士団を結成。幹部組の中では最年長。


【氷冬】若くして銀竜族の部族長を継ぐはずだったが、受継いだ長刀・凍刃氷牙とうじんひょうがと共に竜谷を出る。夜天亡き後や良夜失踪後、副士団長として団をまとめてきた。


【至道】巌衝篭手みねひらのこてを継承した褐竜最強の戦士。夜天、氷冬とは幼馴染。多くを語らないが頼りになる存在。


【良夜】夜天の弟であり、上の三人より二十年分若い。魔竜士団長として戦い行方知れずとなっていた。夜天から受継いだ黒龍の武具、冥闇斬閃めいあんざんせんは見つかっていない。


【翠竜】翠竜族に伝わる武具、鳴神槍なるかみのやりを継承させるためにのみ育てられた。戦の中で陽昇国に捕らえられ魔竜士団を脱し、今は翠と名乗っている。


【羽久】氷冬を補佐するべく、幼い頃から氷冬の家に仕えて来た銀竜。夜天に、というよりは氷冬に従って竜谷を出た。

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