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参・栞菫の記憶 後


 ごまかし笑いのはるかをさておき、秋良は炭筆(すみふで)の先で紙面の一箇所をつつきながらひとりごちる。


「手を取り合ってきゃっきゃはしゃぐような仲……それなら、暁城(あかつきのしろ)に戻った時に、見かけたり話にあがったりするんじゃあないのか?」


 秋良が暁城にいた期間はわずかだったが、それらしい人物がいたようには思えない。

 秋良の言葉に、はるかも首をかしげる。


「うーん、暁城にはいなかった、と思う。それっぽい話も聞かなかったと思うけど……」

「じゃあ珠織人(たまおりびと)じゃあない、のか?」

「でもきっと、栞菫(かすみ)にとっては大切な人なんだと思う」


 はるかは首から提げた瑠璃色の石を陽の光に透かして見たりしながら言った。


「どんな人なのか、名前も思い出せないけど。その人のことを思い浮かべると、胸の奥がじんわりとあたたかくなるような感じがするの」


 それとよく似た感覚を、はるかはよく知っていた。この瑠璃石を見つめているとき、手のひらに、胸に抱いたとき。優しいようで悲しく、どこか懐かしいような心地になる。


 はるかの指に掴まれ、天に向けて掲げられた瑠璃色の石。若草色に輝く木洩れ日をその身に取り込み、深く淡い蒼色の光が内にさざめく。

 石の内部と外界を繋ぐ外壁から、少しずつこぼれ出るその光。石の周囲に螺旋を描く二条の銀細工に映り込んだそれは、銀自体が発する反射光とあいまって瞬き、空気中へと溶け込んでいく。


「そうだ、『大切な人』!」


 突然大きな声を上げたはるかに、秋良は反射的に紙面から顔を上げた。

 手にしていた瑠璃色の石を右手に握り締めたはるかは、やや興奮した面持ちで秋良を見つめ返す。


「気を失って夢を見ているときにね、『大切な人が死んじゃうかもしれない』って思ってたの。『大切なあの人』って思ってるとき、一瞬だけその人が浮かんだ気がするよ!」

「で、そいつは何者なんだ?」

「え、うーん……」


 はるかは眉根を寄せて瞳を閉じる。しばらく思い出そうと努力するが、やがて首を横に振った。


「だめ。名前も、どこの人なのかも。全然思い出せないよ」

「まぁ、お前の記憶力には期待してないけどな」

「ちがっ! たしかに覚えるのは苦手だけど、これは『きおくそーしつ』だもん」

「別の機会にまた白昼夢でわかることもあるか」


 はるかの訴えは聞こえないふりで言うと、秋良は手の中にある綴帳(つづりちょう)をめくる。次の頁にもまだ続きがあった。


「あ、これはね。ここのとってもおいしいお水が湧いている泉に連れてってもらった時に見えたんだ」

「またこいつかよ」

 どこかの森……先に彼が登場している白昼夢と同じ場所なのだろうか。泉のほとりで黒髪金眼の少年と栞菫が並んで座っている。その様子は、ふたりが親密な仲であると想像させる。しかし――


 秋良は眉根を寄せ、その箇所をもう一度読み直してから言った。


「お前この書き方じゃあ、黒髪の奴と栞菫を離れた場所から見ているみたいに取れるぜ」

「? 間違ってないよ」

「はぁ?」

「ふたりが楽しそうにお話しているのが見えたの」

「ちょっと待て、そりゃおかしいだろ。お前の目線で見てるのに何でお前が見えるんだ?」

「へ? えーと……」

「ん?」


 そのとき秋良は何気なく視線を落とした先、手帳の左側の頁の隅に何かが描かれているのを発見した。顔、のように見えなくもないが、かなり異形の生き物に見える。


「あっ! それは」


 慌てた様子で口ごもるはるかに、秋良の視線が答えを促す。困ったような笑いを浮かべ、消え入りそうな声がその正体を告げる。


「秋良ちゃんの似顔えっ!」


 語尾にかぶせて、綴帳による強打がはるかの顔面に炸裂した。








「な――これは!?」


 扉を開けた氷冬(ひとう)は絶句した。

 室内を包む黒い光――いや、闇の氾濫。見ているこちらの意識すらも吸い込まれそうなほどに深い闇の帯が、床の中心から次々と沸き起こり所狭しと暴れ狂う。

 その闇は床に描かれた法術陣から発せられていた。ほの紅く輝く法術陣の上には、寝台に横たえられているはずの良夜の姿があった。


 思わず駆け寄ろうとした氷冬をさえぎる影。それは薄汚れた茶色の外套をまとった小柄な老人の姿だった。


「まだ術は成っておらぬ」

「貴様、良夜(りょうや)に何を……」


 背に負った長刀の柄に手をかけた瞬間、深羅(しんら)の姿は部屋の奥へと移動していた。床に向けて両手をかざし、そのしわがれた声が何事かをつぶやく。

 法術陣は石床に染み込むかのごとく消え去り、同時に室内を満たしていた闇も掻き消えた。


 氷冬は良夜の元へ駆け寄る。深羅は目深にかぶった頭巾からのぞく口元を笑みの形に歪めて言った。


「士団長殿を目覚めさせるための秘薬と術を捧げさせていただいた、というところかな」


 良夜の傍らにひざまずいた氷冬は、そんな深羅を睨みあげる。


「そうだとしたら、礼を言わねばなるまい。だが、ここで許可も無く勝手な振る舞いをすることは許さん」


 竜人族ですら恐れる、氷海のごときその瞳を受けても深羅は動じない。一歩後ろへ退き、蝋燭の灯りが届かぬ位置へ移動する。


「しばらくは薬が必要となる。それを毎日一粒飲ませるようにな」


 その姿と声は次第に薄れ、いつもと同じように闇の中へと融けていった。小さな丸卓の上に、手に収まる大きさの革袋だけが残されている。


 氷冬は良夜の上半身を抱き起こした。

 夜の深い闇よりも深く、満天の星空のごとくきらめきをちりばめた艶やかな黒髪。髪がふりかかる白い肌。夜天(やてん)を失ってから、氷冬は良夜にその面影を重ね見ていた。

 こうして瞳を閉じていると面差しは夜天によく似ているのだ。閉じられた瞼の奥、夜天の瞳は暗天を照らす月から降る銀光のようであった。


「う……」


 良夜がかすかなうめきと共にと同時に身じろぐ。

 その下に閉じられたまぶたが緩やかに開かれる。面差しは似ながらもその瞳の色は兄弟で異なっているのだ。

 久方ぶりに見た良夜の瞳は以前と変わらない。夜の闇を裂き地平を照らす、朝日の輝きのごとき金色をしていた。



【瑠璃石】はるかが大切にしている石。砂漠で秋良がはるかを見つけた時は銀細工の腕輪だった。今は石を固定している交差螺旋の部分しか残っておらず、銀細工の部分に革紐を通して首からさげている。


【はるかの画力】幼児並み。しかも独特のセンス。



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