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参・栞菫の記憶 前



 そこは部落の中心から少しだけ外れた静かな場所だった。今、秋良は巨木の根元に腰を下ろし。はるかはその隣に座っている。


 上から降り注ぐ若草色の木洩れ日が、開かれた綴帳(つづりちょう)の表面を光と影で彩っていた。見開きでちょうど両手を広げた大きさのそこに書かれているのは、少し子供っぽい丸く崩れた文字の羅列。

 秋良の鳶色の眼がそれを順になぞっていく様を、はるかが期待を込めて見守る。 


 綴帳に書かれている文面はあまりにも拙かった。秋良がそれを理解するのには本人からの補足を必要とした。

 ところどころに見られる繊細な文字列は、聞き出した内容を秋良が補足として書き足したものだ。『白昼夢の引き金となったもの』も書き加え。簡潔に『引き金』と『内容』に絞り、手帳の最後の数枚を破り取ったものに書き連ねていく。


 一番最初に見た白昼夢は、琥珀(こはく)の街はずれにあった小屋で炎狗(えんく)と対峙したとき。


「あの深羅(しんら)とかいう妖魔のじじいが呼びだした炎狗の炎がきっかけか」

「うん。その炎を見たとたんに眼の前が真っ白になって、炎狗と、炎と、たくさんの人が逃げるのが見えたよ」


 白昼夢の内容は、炎狗の火によって焼かれる大地と逃げ惑う人々だ。


「この後に見てるものと状況が似てるから、どっちも戦場の記憶なんだろうな」


 秋良があの老人の妖術に倒れたとき。無数の見えぬ刃に手足を切り裂かれた。その大量出血が原因で起きている。


「この時見たのは、父親の死。胸を貫かれての出血……」


 珠織人(たまおりびと)の長・(ひじり)呉羽(くれは)栞菫(かすみ)の父である彼が戦で瀕死の重傷を負った。倒れた身体からの出血が重なって記憶が呼び起こされたのだろう。


「あの時は、ほんとうに怖かったんだよ。秋良ちゃんが死んじゃったらどうしようって」


 秋良は炭筆(すみふで)を動かしていた右手を止める。顔を上げると、はるかはその時を思い出したのか少し潤んだ目でこちらを見ている。

 当時は、確かに秋良自身も死が脳裏をよぎっていた。それを引き戻したのも、無意識ながら彩玻光(さいはこう)で傷を癒したのも、はるかだった。

 当時の記憶とともに胸の内に溜まる感情の重み。秋良は無理矢理ため息で逃しながら、綴帳に視線を戻す。


「お前の感想はどうでもいい。次に見たのは暁城(あかつきのしろ)で、金色の瞳が引き金か」


 妖魔六将の一人、緋焔(ひえん)が城内に侵入したときのことだ。緋焔と同じ金色の瞳を持つ黒髪の少年と森の中を行くという内容だ。

 はるかはうなずいて、少し上を見上げるようにして記憶をたどる。


木霊森(こだまのもり)の中でも、同じようなものを見たよ。木洩れ陽を見上げた時に。夢の中では木が大きくなかったから、この森とは違う場所だと思う」

「梢から差す陽の光が引き金になったのか? 次は……」


 陽昇国(ひいづるくに)の守護石があった場所で、緋焔と白銀(しろがね)の戦いの最中にも白昼夢が発生している。

 はるかは秋良の横から綴帳をのぞき込んで言う。


「白銀の玻光閃(はこうせん)を見た時のだね。昔の戦場で戦う白銀も、玻光閃を使ってたから」

「時系列で言うと、琥珀の小屋で見た父親の死後、か」

「そう、だね。倒れて動かなくなった、お、父様?」


 はるかの歯切れが悪くなる。記憶と実感のない状態で呉羽を父と呼ぶことに抵抗があった。理由はそれだけではなかったが、はるかは先を続ける。


「と、助けようとしてる栞菫をかばって、白銀が……」

「魔竜士団の『雷神』と戦う、か」


 はるかが再び言葉を切らせたのを継いで、秋良が言う。言いながら、綴帳に視線を落としたままではるかの表情を盗み見る。白昼夢の凄惨な光景を思い出しているためか、ただでも白い頬から血の気が引いていた。


 秋良は無言のまま綴帳の文字を追い、破いた紙の方に書きまとめ始める。

 最後の白昼夢はつい数日前。竜人族との戦いが引き金となり発現した。このとき初めて白昼夢の中で『雷神』と(みどり)の姿が同一人物として結びついている。それまで漠然とした映像しかなかったのは、栞菫が記憶の奥底にしまいこんでいたためだったのだろうか。


「秋良ちゃん?」


 声を掛けられて、秋良は手を止め顔を上げる。


「気をつかってくれなくても、私は大丈夫」


 真剣な表情で、はるかが言った。顔色はまだ蒼白ながら、まっすぐに秋良を見つめる。紫水晶の瞳に、強い意志が宿っていた。

 秋良はふいと眼をそらすように綴帳へと戻しつつ答える。


「別に気遣いなんかするか。集中してるんだから黙ってろ」

「ふふ、はーい」

「へらへらすんな!」

「……はい」


 秋良なりの優しさが嬉しくてこぼれた笑みを怒られ、はるかは大人しく座して待つ。


 その次に書かれているのは最後の記憶。

 これは、秋良も数日前にはるかから聞いた内容だった。

 白昼夢ではなく、意識を失っている間に夢として見た過去の記憶だ。

 魔竜士団長と栞菫が行方知れずとなった決戦を控え、暁城・月影の間での翠とのやりとり。そして、栞菫の想い。


 書き終えた秋良は、しばらく綴帳本文と抜粋を見比べる。

 この中で唯一、何者が判然としない人物がいた。


「過去の戦の記憶に関してはいいとして、この黒髪金眼の奴は誰なんだ?」

「十六、七歳くらいの男の子だったよ。栞菫から見て少し高いくらいの目線だったから、栞菫も同じくらいの歳だと思う」

「同じくらいったって、珠織人はそんくらいの見た目で百年以上過ごすんだろうが」

「あ、そうか」


 当の珠織人であるはるかが、斎一民(さいいつのたみ)の秋良に指摘される状況。はるかの記憶力は、出会ったばかりの頃からすると改善されていると思ったのは買い被りだったようだ。

 暁城で栞菫として過ごした時間が、はるかを変えたと思っていた。ところがここに来てなお沙里にいた頃と変わらないやり取りが交わされているのだ。

 その事実が、本人も気づかぬうちに秋良の心中で漣立っていたものを鎮めていく。


【炎狗】炎そのものの身体を持つ犬型の妖魔。魔竜の乱時にも戦場に現れた。


【炭筆】細長い炭に布や紙を巻き付けたもの。鉛筆のように使える。庶民には墨と筆よりも普及している。


【玻光閃】近衛隊長に伝わる秘伝の技。代々受け継がれる名刀『薄宵虹月』によってのみ繰り出すことができる。


【珠織人の年齢】珠織人は十五歳を迎えるまでは順当に年を重ねていく。そこから身体の変化が緩やかになり最盛期の状態で二百五十年を経て、残りの五十年はまた順当に老いていく。斎一民は我々人間と同じ。



白昼夢出現回

【壱・はるかと秋良】碌・老人と狗 前・後

【参・焔禍】弐・焔禍 後

【参・焔禍】捌・守護石を廻り 前

【肆・過去と未来】伍・木霊森 前

【肆・過去と未来】碌・襲撃 後

【肆・過去と未来】漆・雷渦の記憶 前


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