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弐・草人の里で 前



 外周と上空を幾重にも草木に守られながら、梢から差し込む明るい陽光に満ちた草人(くさびと)の里。

 秋良たちが里を訪れたときは、草人たちは樹上にしかおらず。中には隠れてこちらをうかがう者たちもいた。長老から達しがあったか、今は普段通りの生活に戻っているようだ。


 地上を行き来する草人達は、髪葉に花をつけている。花は飾りではなく身体の一部として茎と繋がっており、胸まで覆う衣服からして女性なのだろう。

 下草の上に座り籠の中の織物を仕分けているのは、蕾をつけた若い草人たち、その輪の中に、はるかの姿があった。彼女たちと談笑しつつ作業を手伝っている。


 恐るべき適応力、と言うべきか。

 はるかは人の心に抵抗を持たせず入り込む。本人の意識しないところで、自然とそれをやってのけるのだ。

 秋良はその様子を遠目に見ていたが、はるかに気づかれる前にと視線をはずした。


 胸の奥で、なにかがくぐもった音を立てている。


 秋良は早足で里の中心を離れた。里の外周に近づくほどに、下草の合間に生える茂みの割合が多くなっていく。

 蔦の壁に阻まれている里の端まで来ると、秋良は左腰の小曲刀を抜いた。弓型に湾曲し、装飾的な曲線を取り入れた刀身。木漏れ日を受けて輝く側面にも、簡素でありながら美しい紋様が彫り込まれている。機能的かつやや大振りな右の小曲刀とは対照的だ。

 右のものは何度か代替わりしているが、これだけはずっと、肌身離さず身につけている。

 それを見つめる秋良の視線は苦し気に細められた。


 忘れたわけではない。

 この旅は、そもそも自分のためのものなのだ。

 残されたこの刀が、唯一の手がかり。そして――


 かすかな物音。鋭さを取り戻した鳶色(とびいろ)の瞳が、音の元を探る。同時に音もたてず手近な樹に背をつけ身を隠す。ゆっくりと静かに、音なく小曲刀を鞘に収めた。


 秋良のいる位置よりも里寄りの木陰に現れたのは長老の松野坐(まつのざ)、そして(みどり)だった。話しながら近づいてくる。


「……じゃろう。泡雲(あわくも)殿からの……には……」


 部分的にしか声は聞こえない。やがて、かすかに会話が聞き取れる位置で松野坐は足を止めて翠を振り返った。


「……おぬしの口から、直接聞きたいのじゃ」


「竜人族であった過去は捨てました。この身も魂も、珠織人(たまおりびと)と共にあります」


 翠の、抑揚のない静かな声。だがその言葉に、深い緑玉色の瞳に。揺るぎない信念がこめられている。

 松野座は洞のようにくぼんだ眼窩の奥に光る琥珀色(こはくいろ)の小さな瞳で、翠をじっと見つめ返す。しばしの沈黙の後、迷いを含んだ唸りを上げて言った。


「わかった。泡雲殿と栞菫(かすみ)殿の顔を立てて信じよう。だが、おぬしがかつてこの地で奪った数多(あまた)の命のこと、忘れるでないぞ」


 そして松野坐ひとりがその場を離れ遠ざかっていく。翠はその後ろ姿に深く頭を下げた。


 秋良はひとり得心する。

 長老宅で松野坐は一度も翠を見ることがなかった。それは過去のことがあったからなのだろう。

 かつてこの地で、魔竜士団を相手に戦った珠織人と草人。翠竜として戦っていた翠。秋良もその話は、はるかから聞き出し知っていた。


――過去は捨てた


 翠のその言葉が、やけに頭の中に響く。

 秋良はぐっと唇を噛み、樹の影から出た。どうせ翠はこちらに気付いているだろう。

 案の定。翠は秋良の姿を見ても驚くことはなかった。

 唐突に秋良が切り出す。


「過去がそう簡単に捨てられると思うのか?」

「過去の自分は捨てた。だがその罪は忘れたわけではない。これからも背負っていくつもりだ」

「そうじゃねぇ……っ」


 秋良は強く吐き出しかけた言葉を飲み込んだ。

 こんなのは自分らしくない。他人のことに口を挟むなど。


 息をひとつ吸い、吐く。すっと下がった温度のまま、背を向けつつ秋良が告げる。


「なんでもない。とっとと行けよ。せっかくひとりでいるところに、踏み込んできやがって」


 秋良の背後で草を踏む音が遠ざかっていく。しかし、秋良の心中から(もや)が消えたわけではなかった。


 過去はそう簡単に切り捨てられるものではない。

 起きてしまったことは、どうやっても変えることはできないのだ。

 忘れようとすれば、記憶から薄れていくことはあるかもしれない。だがそれは紛れもない事実として、記憶に、身体に、残されていくのだ。

 たとえそれが、どんなに忌まわしいものだったとしても。


 秋良の左手は、無意識のうちに左小曲刀の柄を強く握りしめていた。

 それを逆手に引き抜く。振り向きざま手の中で回転させ順手に握り突き付ける。切っ先は近づいていた者の喉元に向けられていた。

 まだ数歩の距離があったにもかかわらず、間合いを一瞬で詰めた俊敏さ。水の流れを模ったような刀身の鋭い切っ先を前に、その者は成す術もなく立ち尽くす。


「何の用だ」


 胸の高さにある相手の顔を、秋良の瞳が冷たく見下ろす。

 視線の先にいるのは、ひとりの草人だった。白い筋状の班がある先のとがった細い葉髪に見覚えがある。秋良が人質に取った草人だ。

 秋良の問いかけに我に返ったのか、瞳孔が丸く開かれていた猫に似た瞳はゆっくりと縦長にもどっていく。その最中、彼は小さな口を開く。


「あっ……あの、その」


 幼い少年のような声。実際に若いのかもしれないが、草人ではない秋良には判別がつかない。しどろもどろ口ごもっていたかと思うと、突然後方に跳び退り地面に手をついて頭を下げた。


「兄貴! あっしを弟子にしておくんなせぇ!」

「はぁ!?」


 突然の展開に秋良は思わず頓狂な声を上げた。草人は構わず、というよりも余裕なくまくし立てる。


「あっしは草人の冴空(さすけ)と申す者。初めてお会いした時の兄貴のあの度胸。矢刀を向けられていながら、稀石姫(きせきのひめ)様をお助けするためにあっしを人質に取ったあの機転。今も草人相手に気配を察知するなど、並大抵の者にできる芸当じゃあ、ありやせん。弟子入りさせてくだせぇ!」


 秋良はすっかりあっけにとられていた。

 片言で話す他の草人とは違い、変な訛りがあるものの流暢な言葉の勢いと、なによりその内容に驚くばかりだった。

 所在なく空を突いていた小曲刀を腰の鞘に収めて、秋良は言う。


「断る」


 短い返事に、冴空は勢いよく顔を上げた。


「そんな! あっし、強くなりたいんでさぁ。兄貴のような強いお方に師事すれば、あっしだってきっと」

「本当に強くなりたいと思ってんのか?」


 必死に食い下がってくる冴空に、秋良が問う。一も二もなくうなずく冴空だったが、それを見おろす秋良の眼は冷たかった。




【草人の女子】髪にあたる頭部から伸びる葉に花を持つ。成長につれて蕾が大きくなり成人すると花が開く。里の男たちは皆戦士であり、木霊森や里の警護を担う。そのため里内のことは彼女たちが取り仕切っている。


【冴空】秋良を男として見込んだオリヅルランの葉を持つ草人の若者。果たして弟子入りできるのか?

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