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明らかな双月の下、遥かなる地へ  作者: 蝦夷縞りす
壱・はるかと秋良
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肆・運び屋 前




 風と自分の回転で乱れた長い金茶の髪を、籠を持たない右手で簡単に整えて歩き出す。

 買物だけでなく、仕事を持って帰ったとなれば秋良に褒めてもらえるだろうか。


 意気揚々と歩いているとすぐに老人との間に距離があいてしまい、はるかは歩調を緩めた。

 老人が片足をかばうように歩いていることに気付かなかった自分を内省する。

 はるかに並んだところで老人が訊ねる。


「それでは、はるか殿が運び屋なのかね?」

「ううん、私は『いそうろう』だから、お手伝いみたいなものかなぁ」


 はるかは老人を誘導しながら、さらに狭い奥路地へ入っていく。隣につくように歩きながら、老人の様子を改めて観察した。


 並んでみると、思っていたよりも背が小さい。

 腰が曲がっている分を考慮するとしても五尺一寸ちょっとあるはるかの肩を越えるくらいまでしかなかた。


 そのためか、身にまとった茶色の外套は引きずるほど長い。ちょっと見ただけでは顔がほとんどわからないほど深くかぶった外套の頭巾。

 今の時間はまぶしく感じるほど陽が照っているわけでもない。そんなに目深に被る必要もない気がするのだが。


 よく考えてみると、沙里の町では見かけたことがない人物であることに思い当たる。


「おじいさん、どこから来たの?」

「わしは糸潮(いとしお)の村から来たんじゃ」

「おじいさんひとりで? 大変だったでしょう」


 糸潮は沙里(さり)の南東にある海沿いの漁村だ。距離にすると二里ほどしかないが、当然経路には妖魔も出現する。

 しかも老人のこの足で、一人でここまで来るのは簡単な事ではないはずだ。


「沙里に運び屋があると聞いての。どうしても砂漠の向こうに運んでほしいものがあるのじゃよ。ところで、運賃というのはどのくらいかかるものなのかのう」

「えっと……」


 はるかは麻の衣服に縫い付けてある小物入れから、小さな綴帳(つづりちょう)を取り出す。

 何枚か紙をめくり、色紙で端に印をつけておいた頁には秋良の走り書きとはるかが書き足した仮名が書かれている。



       運搬料(うんぱんりょう)


   重さ一(せき)につき二(ぎん)運搬保守料(うんぱんほしゅりょう)三銀。

   先払い(さきにもらう)

   半額先払いの(はんぶんさきにもらう)場合、残金は届け先で(のこりは)受領書に署名(なまえを)

   もらってからの支払い。


 紙面に記された文字をなぞりながら読み上げ終わり、はるかは老人を見上げたが隣にいない。

 後ろを振り向くと、細い路地の両脇に続く石壁の途中で老人は立ち止まっていた。そこにある扉を見つめていた老人は、はるかの方を見て微笑んだようだった。


「ここが店じゃな」

「あっ」


 覚書を開いたり読んだりしているうちに通り過ぎてしまったらしい。はるかは綴帳をしまいながら老人の横に駆け寄る。


「さっ、どうぞ!」


 照れ隠しもあって、元気に木戸を押し開けた。戸の表に掛けられている木札が戸とぶつかり乾いた音を立てる。札にはこう記されていた。


『      運び屋

 沙流砂漠(さるさばく)越えの荷物運搬・護衛はこちらまで』


「ただいまぁ」


 はるかの声が石壁にわずかに反響する。返事はない。


 中に入ると、ひんやりとした空気が肌に触れる。それだけ屋外の気温が上がってきたということだろう。

 外の熱を遮断するため、窓は明かり取り程度の細く小さなものが天井近くの壁にいくつかあるだけ。

 そこから差し込む陽光が室内を照らしている。


 入ってすぐの部屋は一間半四方ほどの広さだ。中央には石造りの四角い卓があり、木製の椅子がふたつ、対面に置かれている。

 その奥の壁、並んだ細窓の下は一面本棚になっており、びっしりと書物が並んでいる。


「秋良ちゃん?」


 いつもこの時間は角卓の向こうの椅子に腰かけて本を片手に、はるかが帰ってくるのを……厳密に言うと朝食を運んでくるのを待っているはずなのだが。


 籠を角卓に置き、はるかは左手奥の部屋をのぞき込んだ。姿は見当たらず、数歩踏み入る。


「あきらちゃー……だっ!?」


 何の前触れもなく頭頂部に落ちた強い衝撃に、はるかはたまらずうずくまる。

 両手で頭を抱えたまま後ろを見ると、すらりとした影が部屋の入口の逆光に浮かび上がっていた。


「秋良ちゃん、痛い……」


 立ち上がり、抗議の涙目で秋良を見上げる。

 秋良は、はるかの頭上に墜落させた厚い本を肩に乗せて溜息をついた。


「遅い! 市に行って帰ってくるだけで、どうやったら半刻もかけられる?」


 橙に染めた麻の衣服に身を包んだ秋良は、戸口に寄りかかった。


 男性にしては背は高くないが、細身で顔が小さいため実際よりも背が高く見える。

 半袖からしなやかに伸びた腕は浅褐色に日焼けし、細かな古傷がいくつも白く痕を残しているのが見えた。

 その口の悪さと暴力的な手足を封じて大人しくしていれば、見目は美少年なのだが……。

 それが実は少女であることを知っているのは、本人とはるかだけである。


「俺が四半刻で帰って来いって言ったの、聞こえてなかったか? それとも、その賢いおつむで忘れたか?」

「だって……」


 はるかは言い訳しようとして、黙り込んでしまった。あきれ切った様子で、秋良ははるかを見下ろした。


「大方、犬か猫でも見つけて餌付けしようとでもしてたんだろ」


 図星を疲れて顔に赤みが差すはるかを尻目に、秋良は表口のある部屋へ向かう。秋良の後ろで無造作に束ねた長めの黒褐色の髪を、はるかは追いかける。


「あのね、お客さんを連れてきたの」

「客だって?」


 秋良の問いかけにうなずき、はるかは入口を見た。秋良もその視線を追う。


 半分開いたままの表戸から、徐々に強みを増してきた陽光が差し込んでいる。が、連れだって来たはずの老人の姿はない。


「あれ?」

「なんだよ、誰もいな……」

「お邪魔しておりますぞ」


 突然の声。秋良が鋭く振り返る。

 角卓の端、二つ置かれた椅子のひとつに茶色の外套の背中を丸めて老人が腰かけていた。


「なんだぁ、そこにいたんだ」


 はるかが安堵の笑顔を浮かべ、両手を胸の前で合わせた。これで老人がいなったら、またもや秋良に殴られるところだった。


「ほらねっ、お客……」


 秋良の顔を見上げたとたん、はるかは声を失った。勝気な性格が表れた秋良の眼が、驚くほど鋭く老人を捉えている。


糸潮いとしお】沙里の南東、小さな湾にある漁村。漁と畑で自給自足の暮らしをしている者が多い。


綴帳(つづりちょう)】いわゆるノート。一般に出回っている物は荒漉きの紙を紐で綴じているものが多い。


一間半(いっけんはん)】3mくらい


四半刻しはんとき】一刻は二時間。四半刻は三十分。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 綴帳を読むのに夢中でお店を通り過ぎちゃうはるかちゃん、ちょっとおっちょこちょいだけど、一生懸命な雰囲気もあって、秋良さんが皆から誤解されてるのも気にかけていて……ホントにいい子!こういう子…
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