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壱・森の民 後



「双方、武器を収めよ」


 樹木の容姿をもつ老人の声に、襲撃者たちは素直に従う。秋良も捕らえていた者を解放し小曲刀を鞘に収めた。


「申し訳ないことをした。最近は魔竜士団が森に踏み入ることが多く、皆気が立っておる」


 言いながら、彼は手にした杖で大木の幹を軽く叩いた。

 はるかを捕らえていた蔓がゆっくりと枝から降下し、老人の隣に立たせるように解放した。身の丈四尺ほどしかない他の草人に比べ、木の老人は並ぶはるかの背丈とそう変わらない。

 彼は細く節くれだった枝の指を持つ手で、はるかの小さな両手を握って言う。


「先の戦で我ら草人もずいぶん地に還った。若い者たちはそなたの姿を知らぬ。非礼を許してくだされ、栞菫(かすみ)殿」


 はるかは何が起きているのか把握しきれていない様子ながら、彼の柔らかな声にうなずいて見せた。


 (みどり)がふたりのいる樹の下へ近づき、礼をする。


緑繁国(みどりもゆるくに)長老、松野坐(まつのざ)様。暁城(あかつきのしろ)の使者として、泡雲(あわくも)様から文を預かってまいりました」

「泡雲殿か、懐かしいのう。かしこまらずともよい、文を預かろう」


 促されるまま面を上げた翠に、松野坐の顔が強張った。


「おぬしは……」

「こちらです」


 翠は陽昇国(ひいづるくに)の紋が押された封書を松野坐へ差し出す。受け取る松野坐の手は、わずかではあったが震えていた。

 封書を開き、書面に目を通し終えた松野坐は長く息をついた。


「事情はよくわかった。ここまでの道のりで疲れておるだろう。我らの里で休まれるがよい」


 そう言う松野坐の重い表情に、他の草人(くさびと)達は不安を感じたのか互いに顔を見合わせている。そんな彼らに松野坐は杖をかざして命じる。


「この方たちを里へお連れするのだ。失礼のないようにな」


 緑繁国の七割を占める広大な木霊森(こだまのもり)。その中心、守護石の元に人知れず暮らす種族が草人である。

 創世記にも記された六種族のひとつであり、秋良も書物で目にしたり噂に聞いたことはあったが、実物を間近に見るのは初めてだった。


 誤解が解けた草人たちは非常に友好的なふるまいを見せた。話に聞く限り出会い頭の扱いは、魔竜士団の侵略に対する恐怖の現れだったようだ。

 彼らの誘導でまっすぐに森の中心を目指す。驚くべきことに、彼らが草葉のこすれ合う音のような声でささやくだけで、行く手を阻んでいた木々の根が道を開けてくれるのだ。


 やがて草人たちは足を止めた。巨大な樹と、茂みと、複雑に絡み合う蔦類に覆われた壁が行く手を塞いでいる。

 先ほど翠と交渉していた縮れ羊歯の草人と、秋良に捕まっていた細い白班葉の草人を残し、他の者たちは木霊森へと戻っていった。巡回兵として見回りを続けるのだという。

 縮れ羊歯の草人が草葉のささやきで語りかける。目の前の蔦が生き物のように身をねじりながらほどけ、密集している茂みを掴み開く。

 身をかがめてようやく通れるほどの小さな隧道を抜けると、一気に視界が開けた。


「わぁ! すごい」


 はるかが感嘆の声を漏らす。


 そこは暁城の城門内と同じほどの広さがありそうな広大な空間だった。外側はぐるりと、いま抜けて来た場所と同じく厚い植物の防壁に囲われている。上空もまた、まばらにそびえる巨木の枝葉が幾重にも重なる天蓋が覆う。


 だが里の中は暗く陰るどころか、若葉色に輝く光に包まれていた。光が届く足元は、これまでのような巨木の根が隙間なくひしめく地面ではなく、柔らかな草に覆われている。

 無数に点在する巨木の腹に開いた大きな洞の入口は布で仕切られ、見上げた上にも枝ごとに同様の穴がある。草人が出入りする様子から、それが彼らの住まいであろうことが見て取れた。


「おい、ぼーっとすんな」


 秋良の声に視線を戻すと、ひとりだけ列から離れていた。はるかは慌てて小走りに追いつく。

 草人に連れられて向かった先は、里の中心に位置する最も大きな樹の根元だった。太い蔓性の木が共生しており、幾重にも木肌を取り囲んでいる姿は圧巻である。


「長老、いる。入れ」


 縮れ羊歯の草人が根を上った先で、洞の入口に提げられた織物の仕切りを持ち上げて促す。草人仕様の小さ目な入口に身をかがめて中へ向かう。


 洞内は想像していたよりも広々としていた。十間四方はある。

 薄暗くはあるが上から光が差している。八尺ほどの高さがある天井付近にいくつか空いた穴が明かり取りとなっているのだ。その穴から、樹肌に絡んでいた蔓木が内壁にまで伸びてきており黒い木肌に流線形の模様を描き出していた。

 箪笥(たんす)に机、棚などの家具は全て背が低く、木を荒く削った質素なものだ。それがかえって味わいを感じさせる。

 中央に敷かれた敷物は、草人たちが身に着けているものと同じ織物だ。

 秋良にはそれが草木の繊維に同じく草花で染色して織られたものだとわかった。敷物の奥に腰を下ろしていた松野坐が立ち上がり言う。


「よくぞ参られた、稀石姫(きせきのひめ)。お姿を隠された後は大変だったようじゃが、ご無事で何よりじゃった」


 松野坐は三人を敷物の上に座るよう促す。全員が円を描く形で腰を下ろした時、外から小さな声が聞こえた。


「しつれい、します」


 入ってきた草人は、巡回兵の草人と似た姿をしているが髪葉に白い花のつぼみがある。身に着けているのも腰巻ではなく女性的な衣服だった。

 彼女は四角い木盆で運んできた椀を、客人と松野坐の前に置くと一礼して退室した。


「たいしたもてなしもできぬが、霊泉に湧いた水で喉を潤してくだされ。我らには一番の馳走じゃ」


 言って松野坐は一気に椀の中身を飲み干した。

 あまりにおいしそうなその様子に、はるかは早速椀を持ち上げる。中に入っているのは透明な変哲もない水のようだ。ところがひと口含むと、ほのかな甘みと柔らかさが口の中に広がる。

 一心に水を飲むはるかをほほえましく見守りつつ松野坐が口を開く。


「さて。守護石の巡礼ということじゃが、道が開くまでには一日半ほどある。それまで里でゆるりと過ごしてくだされ」

「どういうことだ?」


 尋ねたのは秋良だった。

 守護石の元に到着したらさっさと用事を済ませて森を出られると思っていただけに、その声もやや不機嫌じみている。

 松野坐は年の功なのか意に介した様子もない。


「この地の守護石は、本来の結界の外側をさらなる結界により護られておる。先の戦乱の際に、栞菫殿が施してくださったものじゃ。それは蒼月(あおのつき)白月(しろのつき)の位置によって開かれるようになっておる」

「そんなに頑丈なのに、結界を張りなおす必要があるのかよ」


 秋良が思わずこぼすと、松野坐が樹皮の額にしわ寄せて唸るように答える。


「守護石自体の結界はまた別のもの。これはかなり弱っており、いつ守護石が決壊してもおかしくない状態なのじゃ。里に近づこうとする魔竜士団は木々を動かし惑わせているが、いつこの場所にたどり着かれるか……」


 どうあがいても一日半は待たなくてはならないということか。魔竜士団が再び訪れる前に儀式を終わらせてしまいたいと考えていた秋良は短いため息をついた。

 そんな秋良の心中を知らず、はるかは左隣から秋良の袖を軽く引いて言う。


「秋良ちゃん、それ飲まないんだったら飲んでもいい?」


 巡礼の儀を執り行う当人がずいぶんと気楽なものだ。

 秋良は横目でにらみ、椀の中身を一滴残らず飲み干してやった。




【四尺】一尺は約三十センチ。草人たちの平均身長は約百二十センチ。長老の松野坐は約百五十センチ強


【草人の言語】草人たちの言葉は、他種族には草葉が風に揺れるような音にしか聞こえない。その声で彼らは草木と対話し強力を得ることができる。


【草人の食生活】草人たちは植物と同じく陽光と水を糧にして生命を維持している。他種族と違い鼻がないのは皮膚で呼吸をしているからである。


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