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壱・森の民 前



 巨木の枝葉が幾重にも折り重なる天蓋が、若草色から千歳緑までの陰影を織りなしている。隙間を縫って差し込む柔らかな陽光に秋良は眼を細め、視線を前方に戻した。

 木霊森(こだまのもり)へ入ってから、五日が過ぎようとしている。似た光景が延々と続く森の中は、心構えも準備もない者が足を踏み入れようものなら方角を見失ってしまうだろう。

 そんな中、(みどり)は迷うことなく先導している。もちろんそれが合っているのか、秋良には確認する術もない。


 翠から二(けん)ほど離れた後方を行く秋良はすっかり辟易していた。

 当初の予定では五日強で守護石のあるという中心部へ到達するはずだった。しかし魔竜士団との戦いや、時折出現する妖魔による足止めで遅れが生じている。すでに秋良の心中は目的地にたどり着きたいという一念が占めていた。


 一方はるかは、秋良と翠のちょうど中間あたりを未だ楽しげに進んでいた。珍しい花を見つけてはこっちに、小動物を見つけてはそっちにと、ふたり以上に歩数を稼いでいる。

 その体力と、同じ景色を飽きずにいられるのは尊敬に値すると、まっすぐ歩くよう促すのも放棄して秋良はしんがりを進む。


 相も変わらず縦横無尽に地を這う巨木の根を乗り越えて進む道のり。腰の高さまである根の上に登り、再び前を見た秋良は眼を疑った。

 はるかの姿が見えない。先を行く翠の背中は変わらず前方に見えている。前触れもなく、音もなく。はるかだけが忽然と消えたのだ。


「はるか?」


 秋良の呼びかけに返事もない。緊張を含んだ秋良の声に、翠が振り返る。

 はるかがいたはずの位置へと秋良が駆け出す。根から跳び下り二歩。そこで急きょ踏みとどまる。

 右側から、喉元に突き付けられた(やじり)。かけていたため前傾になっていた身体を、秋良はゆっくりと直立へ戻す。

 狙いをつけた喉元から離れることなく鏃が追う。つがえられた矢、その先に引き絞られた木製の弓。構えているのは子供。そう見紛うほどの身の丈だったが、秋良はその姿をまじまじと見つめた。


 肌は白に近く、うっすらと緑がかって見える。華奢な身体。弓矢を構える両腕は折れそうなほどに細く、そのくせしなやかな強靭さを感じさせた。同様の表皮に包まれた脚の形状は鹿などの獣に近い。

 裸の上半身に斜に掛けられた帯や腰に独特の文様が織り込まれた布を用い、四肢の先にある指は細長く節くれだっている。

 先のとがった長い耳。鼻があるべきところには小さな起伏しかない。青々と艶やかな束感のある髪は草の葉束そのもの。放射線状に細く長く伸びる先のとがった葉には、白い筋状の斑がある。

 猫に似た形状の瞳は、陽の透けた葉と同じ明るい緑色。その中で縦に絞られた瞳孔が、鏃越しに秋良の喉元を狙い定めている。


 いつの間に間合いに入り込まれたのか。左側にもひとり、細長い草の葉を思わせる流線形の刀を秋良に向けている。

 翠も同様に、こちらは三人に囲まれていた。皆、似通った姿をしているが、頭部から伸びる葉の形状がや瞳の色が異なっている。これが翠から聞いていた草人(くさびと)なのか。


「お前たち、どこから来たか」


 たどたどしい言葉が樹上から降ってきた。


 見上げると、巨木の一番低い枝に立つふたりの間に、蔓性の植物に巻き取られたはるかの姿があった。口元も蔓に巻かれ声を出せずにいる。

 姿が消えたように感じたのは、一瞬にして自由を奪われ枝の上にさらわれたからだろう。


 翠が質問者以外の者にも届くように答える。


暁城(あかつきのしろ)の使者としてこの地を訪れている。長老にお目通り願いたい」

「あかつき、のしろ……?」

「この通り、文を預かっている」


 背負っていた荷物袋を下ろそうとする翠に、取り囲んでいた三人が武器を構え直す。一度動きを止めた翠は、彼らを刺激しないようゆっくりと袋から取り出したものを掲げる。


 両端を折りたたんだ白く細長い封書。表には昇陽と四枚羽をかたどった赤い紋章が記されている。

 問いの主はじっとそれを見つめている。見上げるほどの高さ、しかも秋良により近い位置から。よほど視力が良いのだろう。

 縮れた羊歯の葉を持つ彼は、はるかを挟んで隣に立つ捻じれた葉の者とうなずき合った。そして再び口を開く。


「それ、渡す。本物、確かめる」

「それはできない。長老に直接手渡すよう言われている」


 翠は静かに、はっきりと断った。

 枝上のもうひとりが言う。


「近頃、この森荒らす、者いる。お前たち、仲間か」


 すると翠の隣にいる珠状の葉が沢山ついた蔓を持つ者が、黄色い猫の瞳を鋭く細めて言う。


「守護石、壊す。悪いやつ。竜人族(りゅうじんぞく)


 翠は首を横に振り、捕まっているはるかを見上げた。


「守護石巡礼に稀石姫(きせきのひめ)をお連れしている。姫を解放し、村まで案内してもらえないだろうか」

「嘘じゃない、証拠。見せろ」


 秋良の中でそのやり取りに対する苛立ちが限界を迎えつつあった。

 こちらを頭から疑ってかかっている相手に、何を言っても無駄だろう。翠も主張を曲げようとしない。あれでは押し問答だ。

 ただでさえ自分より翠を囲む人数の方が多いことに気が立っていた秋良は小声で言った。


「お前ら、俺たちが竜人族だと?」


 そのとき、右にいる射手の弓矢がかすかに振れる。秋良はそちらに狙いをつけた。


「竜人族にそんな矢の一本や二本で太刀打ちできると思ってんのか?」


 語尾と同時に射手をにらみつける。相手が気圧された一瞬の隙に動く!

 喉元を狙っていた矢をつかみ押し下げる。反射的に引かれるのに合わせ押し、体勢を崩したところへ右腰の小曲刀を抜きつつ背後へ回り込む。

 左にいた剣士が気づいたときには刀の間合いから外れており、射手は後ろから羽交い絞めにされていた。喉元には秋良の小曲刀があてられている。


「おっと、動くなよ」


 秋良の言葉に、振り上げようとした剣士の刀が止まる。

 全員の視線がそちらに向く。翠が制止の声を上げようとしたそのとき。


「待たれよ!」


 老人の、しかし良く響く声。

 声の主は、はるかが捕まっている巨木の根元に立っていた。先に彼らが現れたときと同じく、忽然とそこにいた。

 襲撃者たちと似た細い節くれだった身体だが、茶色く乾いた肌は樹皮だ。頭部は細く分岐した枝に細かな針状の葉を茂らせ、根を貼りつけたような髭があごを覆っている。全身を包む長衣は、他の者たちよりも立派な紋様が織り込まれていた。

 左手に持った節が渦巻く長い杖を足元に突く。それはまさに木の化身とも言うべき老人の姿だった。



【二間】一間は約2メートル。二間で約4メートル。


【草人】天地守護環姫により創られたとされる六種族のひとつ。木の彩玻動を宿し木霊森に暮らす。元来木霊森を出ずに暮らしていたため、その姿は他種族には目新しいものである。魔竜の乱時に同盟国として参戦していた斎一民以外の諸国の中には、戦の際に斥候や伏兵として草木に紛れ活躍する姿を知る者もいる。

 草人の髪にあたる葉の部分、今回登場した彼らはオリヅルランやアジアンタム、グリーンネックレスなどがモチーフとなっている。

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