拾・過去と今 後
竜人族はその能力により五つの部族に別れているが、夜天は黒龍の部族に生まれた。幼少の頃から、次期族長にふさわしく人を惹きつけ統率力に秀でていた。反面性格は穏やかで、率先して争いを起こすことなどなかった。
氷冬は銀龍。部族は違えど、夜天とは幼少の頃から二百年に及ぶ付き合いだ。夜天のことはわかっているつもりだった。
その夜天が、長老を手に掛けるとは。
信じていた全てが、真実により突き崩された。それゆえの暴挙なのか。しかし夜天の様子を見る限りでは、そうとも思えない。
戸惑うばかりの氷冬に、夜天はやんわりと笑みを浮かべた。
「いつも冷静なお前の、そんな様子は貴重だな」
「夜天、お前は……」
一体なにを考えているのか。まったく読むことができない。
二の句を継げない氷冬の前で、夜天は峡谷の上に広がる闇を見上げた。
「真実を知ってしまった今、この地に留まる理由もない。全て知った部族長たちも止めはしないはずだ。今まで抱かされていた偽りの誇りはこの竜谷に捨てていく」
とつとつと語る夜天の声を、風が巻き上げていく。
「竜血の誇りまで捨てるわけじゃない。お前も感じるだろう、氷冬。竜神は元来魔界にいた神だということを。こうして魔界との境界に近づくほど、魂が震えるだろう? この身体に流れる血が、故郷を求めているんだ」
夜天の言う通りだ。竜谷の地層深く下った時に感じる、郷愁にも似た感覚。それは地上を。双月界を知らずにいるためだけではないと。理屈ではなくこの血で理解している。
今、己の想いを語る夜天の横顔は、宝物を見つけた少年のように輝き始めていた。
「俺たち竜人族を……いや、双月界すら弄ぶ天界にこれ以上好きにはさせない。俺は魔界を解放する。魔界こそが、俺たちの帰るべき場所なんだ」
夜天の銀色の瞳は、頭上を支配する闇の先に何を映しているのか。その瞳が、氷冬の視線を正面から捉えるべく向き直る。夜天の挑戦的な表情は、氷冬をして初めて目の当たりにするものだった。
「俺と一緒に来るか?」
投げかけられた問いに、氷冬は即答できなかった。夜天が事も無げに語ることが、容易に成し得るものではないとわかっていたからだ。
それでもなお、氷冬は夜天と共に歩む道を選んだ。夜天を筆頭に同志を募り、計画は勧められ――時は訪れた。
竜谷に在った竜谷を封じていた結界を破り、魔竜士団と名付けられた一団は双月界へ進軍する。
その戦の中、夜天の命は失われた。
だが志まで失われたわけではない。
氷冬は閉じていた瞳をおもむろに開く。
それまで思いを馳せていた過去にかわり映し出されたのは、寝台に横たわる少年だ。
夜の深い闇よりも深く、満天の星空のごとくきらめきをちりばめた艶やかな黒髪。兄である夜天の面影と、その遺志を継ぐ者。
そして今となっては彼こそが、氷冬が戦う理由そのものだった。
氷冬は掛けていた椅子から立ち上がり、静かに士団長の部屋を出る。
鈍色の石で組み上げられた廊下の先、待ち構えていた巨漢が氷冬の姿を認めて向き直る。氷冬の長靴が響かせる規則正しい音が半間まで近づいてから、至道は声をかけた。
「良夜は?」
「相変わらずだ。まるで死んだように眠っている」
歩調を緩めず進む氷冬に合わせて至道も歩き出す。氷冬に比べて緩やかに感じる足運びだが、双方の速度は変わらない。
「腕の具合はもういいのか?」
氷冬は横目に至道の肘のあたりを見た。
ちょうど氷冬側にある至道の右腕。肘のわずか下の箇所をぐるりと取り囲む傷を、包帯をするでもなく晒している。その傷を中心に広がっていたはずの火傷はすでに跡形もない。
自らの傷をちらと確認し、至道は小さく嘆息して言う。
「派手に動かすと千切れるらしい」
「そうか。しばらくは安静だな」
押し黙る至道に、氷冬は団員が見ることはないに等しい小さな笑みをこぼす。
「そう焦ることもない。雪辱を晴らす機会はすぐに訪れる」
緑繁国の守護石破壊の計画は、多少の狂いはあったものの順調に進んでいる。稀石姫と魔竜士団の目的が相反する以上、遅かれ早かれ戦うことになるのだ。
「今は存分に戦えるまでに身体を休めておけ」
氷冬は至道にそう告げて、自室へ向かう通路へ分かれた。
かねてより稀石姫の力は脅威だ。今は力を自由に振るえないようだが、至道も油断があったとはいえ撤退を強いられている。
気にかかっていることがもうひとつ。
竜谷と双月界を分断する結界を、外側から破った『協力者』の存在だ。当時『協力者』と接点があったのは夜天のみ。誰ひとり、副士団長の氷冬ですらその素性を知らない。夜天も最後まで語ることはなかった。
唯一の手がかりとして氷冬の記憶に残っているのは、ひとりの女の姿だ。戦の最中、夜天が術士風の女と人目を忍んで会っているのを見たのだ。
それに、ただ一度だけ。夜天が口を滑らせたことがあった。
――彼らが結界を破る
『協力者』はひとりではない。深羅がそのひとりなのか。夜天が長老に真実を語らせるに至ったのは、『協力者』からの情報があったためではないのか。
夜天亡き今、確かめる手立てはない。深羅本人に確認したところで、真実が聞き出せる保証もない。
氷冬は深羅に嫌悪ともいうべき感情を抱いていた。特別理由があるわけではない。しいていうなれば氷冬の直感、ともいうべきものが根拠だった。
深羅と関わることが、良くない結果を招く予感がしてならないのだ。
――良夜が目覚めてさえくれれば……。
そのために、素性の知れぬ深羅に頼らねばならぬ現状を、氷冬は歯がゆく思うのだった。
【年末年始の更新についてのおしらせ】
お読みいただきありがとうございます。
誠に勝手ながら、年末年始お休みをいただきます。
2022年の更新は今回を最後とさせていただきます。
次回の更新は2023年1月13日(金)より再開いたします。
本年はこの物語にお付き合いいただき、本当にありがとうございます!
来年もどうぞよろしくお願いいたします!




