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拾・過去と今 中


 気が付くと見上げていた天窓ごしの満月は消え。少し薄雲に陰った蒼月(あおのつき)と星の浮かぶ青褐色の海は、濃紺の梢に縁取られている。月影の間に立っていたはずの身体は森の中に座っていた。

 さっきまで見ていた現実さながらの夢のせいで、今いる場所が木霊森(こだまのもり)だと気づくまで時間がかかった。


 そう。夢、だ。さっきまで、眠っていた『はるか』が、『栞菫』の記憶を夢として見ていたのだ。


 次第に、ぼんやりとしていた意識がはっきりとしてきた。

 座ったまま周囲を見回すと、すぐ隣で仮眠していた秋良に気付いたが遅かった。


「あ、ごめん」


 もっと早く気付いていたら、起こさないように気をつけたのに。

 ばつが悪そうに上目遣いで秋良を見る。そんなはるかを、秋良は驚いた表情で見返した。


「お前……目が覚めたのか」

「うん。夢を見てたよ……いたいっ」

「のんきなもんだな。えぇ!?」


 秋良の拳が振り下ろされた頭を涙目でさすり、はるかは秋良を、そして(みどり)を見た。


「えっと、私……どうしたの?」


 説明を求めるはるかに、翠が端的に答える。


彩玻光(さいはこう)を使い至道(しどう)たちを退け、それ以降気を失ったままだった」


 それでようやく思い出す。

 突然呼び起こされた過去の記憶を見たその後、一度意識が途切れた。その後は、夢を見ていた。


 翠と栞菫の、地下牢での、そして月影の間での対話。


 今までは栞菫(かすみ)の記憶を、彼女の視界を通して見ているだけだったのに。あんなに、想いが伝わるほど、栞菫と一体になったような感覚は初めてだった。


 ふと、翠が向ける気づかわしげな視線に気が付く。夢――栞菫の記憶の中、広間を去る前の彼の視線と同じそれに、はるかは元気な笑顔を見せた。


「心配かけてごめんね。私は大丈夫だから」


 たとえどのような過去があろうと、はるかにとっては今の翠が彼の全てだ。

 想い、体調、記憶に関することもすべてひっくるめての『大丈夫』と。

 込めた気持ちが、うなずきを返す翠に伝わっているといい。

 そう思いつつ、はるかは秋良を振り返る。


「秋良ちゃんも、迷惑かけてごめんね」

「お前の迷惑はさんざん被ってきたから、今更だな」


 ちょっと怒った風に秋良は言う。そんな憎まれ口が出るということは、今は機嫌がいいに違いない。


 はるかは胸元に提げられた瑠璃色の石を服の上から握る。

 夢のような形ではあるものの、感じることができた過去の自分。

 いつかは、取り戻せる日がくる。

 強く願えばいつかはかなうのだと、祈るような思いで蒼月(あおのつき)を望む。かつて栞菫がそうしていたように。








 研ぎ澄まされた槍が立ち並ぶがごとく、切り立った岩肌。

 各所に点在する光苔が足元を碧く照らす。時折吹くゆるい風が、苔の胞子を拾い空中できらめかせる。

 天を仰げばどこまでも深い闇。遠く点々と仄かに灯る光は、星ではない。蛍石(ほたるいし)という発光性の鉱石だ。天の闇は空ではない。すべてが岩に囲まれ、一条の光も差さない。それがこの竜谷(りゅうこく)だ。


 竜谷に生まれそだった竜人族にとって、それが世界の全てだった。

 この地を護ることが双月界を護ることにつながる。魔界へ対する防護の要として与えられた誇るべき務め。

 氷冬も、そう思って生きてきた。あの日、黒龍の夜天(やてん)から聞かされるまでは。


「それは……それは、本当なのか」


 氷冬(ひとう)が驚愕と共にこぼした声は、高くそびえる岩壁が生み出す峡谷の風に吸い込まれていく。

 そこは竜人族ですら滅多に訪れることのない竜谷のはずれ。場所としては隣国の火燃国(ひもゆるくに)に近い。深く地を裂く魔界溝から吹き上げる風が峡谷に巻き上がり続けている。本来反響すべき音はすべて、風にからめとられ消えていく。


「俺がお前に嘘をついたことがあったか? 氷冬」


 そう言う幼馴染の真意を、氷冬は彼の姿に見出そうとする。

 夜の闇よりも深く、満天のきらめきをちりばめた艶やかな黒髪。その下にある、吸い込まれそうな銀色の瞳。夜天の眼には、決意の強さがにじんでいる。


 夜天の言う通り。この幼馴染がそのような冗談を言う人物ではないと、氷冬も承知している。しかも冗談にしては悪質すぎた。


「竜人族の任も、竜谷の存在も、全て偽りだったなどと――」


 氷冬自身も、二千年以上受け継がれてきた大任と竜神の血を誇りに思い――いや、物心つく前からそう聞かされ、疑うことなくいた。

 いくら夜天の言葉とはいえ、にわかには信じがたい。


 だが夜天は、氷冬の紺碧の瞳を正面から射抜き、宣告する。


「間違いない。長老もそう口を割った」

「長老殿は知っていたのか!?」

「長老がひとり長命だったのは、一族の監視役を兼ねていたのだろうな」


 言いながら、夜天は近くの手ごろな岩に腰を下ろした。氷冬を見上げる銀の瞳には、抑えた怒りが渦巻いている。

 長老は竜人族の祖のひとりだった。竜人族の寿命は三百年から長くて四百年。だが長老は竜人族がこの竜谷へ移り住んだ時から一族を導き続けていた。いや、欺き続けていた、と言うべきか。


「かつて俺たちの祖先は双月界の――ひいては竜人族にも関わる『秘密』を知った。誇りを重んじる竜人族に耐えがたい事実であったがため、天界へ反旗を翻したそうだ」

「反旗だと?」

「天界へ通じると伝えられている天裂塔(てんれつのとう)を襲撃したらしい。結果は明白だろう? こうして俺たちは双月界と魔界の狭間に拘留されている」


 夜天の言葉に驚く一方で、氷冬の中の冷静な部分が納得する。


「竜谷全体を包む結界は妖魔の侵入を防ぐためではなく、竜人族を外界に出さぬためのもの。魔界との境界を守護する任、というのは……敗北した事実を繕うためか?」

「その通りだ」

「かつて祖先を駆り立て、今なお竜人族を竜谷へ縛り続ける『秘密』というのは、一体何なのだ?」

「それだけは長老は頑として語ろうとしなかった。だから氷冬」


 夜天は立ち上がり、正面から氷冬を見つめた。


「俺はこの虚構の牢獄を出る」

「なんだと?」


 氷冬は驚き、それまでの習慣もあってこう続けた。


「長老殿がそれを許すと――」

「死んだよ」


 静かな夜天の声が氷冬の言葉を遮る。夜天には憤りも悲しみもなく、むしろ穏やかな表情で言い換える。


「長老は、俺が殺した」


 氷冬は言葉を失った。まったく予期していなかった言葉の数々。驚きに紺碧の瞳を見開き、幼馴染の顔を見つめるしかできなかった。



【蛍石】闇の中で蛍のように明滅して見えることから名付けられた鉱石。光の色が蒼月のそれに似ていることから、蒼月の欠片という説もある。かつては双月界のいたるところで採掘されたが、現在の地上ではごく限られた場所にしか見られない希少な石である。


【天裂塔】天界へ通じると言われている雲突く高さの塔。創世の頃から双月界に存在すると伝わる。塔の頂上は常に雲で覆われており、その先端を見ることはできない。



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