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玖・蒼月の追憶 後



 竜人族(りゅうじんぞく)の領国、すなわち守るべき守護石がある土地は地響国(ちなるくに)である。

 しかしその実、竜人族が暮らすのは妖魔が住まう地下界――いわゆる魔界と地上との境目。魔界溝の一部が竜人族の暮らす『竜谷(りゅうこく)』だった。

 竜谷へは外から立ち入ることも、内から出ることもかなわない。それは竜谷そのものが強い結界に覆われ、双月界と魔界の境界を守る要として機能しているからだ。竜人族が六種族中最強の戦闘能力を誇るがゆえに、天界より命ぜられた。そう竜人族の中では伝えられている。

 竜人族は竜谷の守護を任ぜられた名誉と、その身に流れる古の竜神の血を誇りとし。受け継がれてきたしきたりを順守することに重きを置いているのだ。


 その中で『翠竜(すいりゅう)』と呼ばれていた男は、ひとりだった。

 周囲に竜人族がいなかったわけではない。それでも、物心ついた時から常に独りだった。


 翠竜の部族は竜人族全体の意向に反し、地上の他種族と結界越しに交流を持っていた。その行為が竜人族を貶めたと、翠竜族は他部族の総意で滅ぼされたのだ。

 木に属する彩波動(さいはどう)に干渉する力を持っていた翠竜族でただひとり、偶然生き残っていた赤子は一命をとりとめた。

 その命を繋いだのは、翠竜族に伝わる鳴神槍(なるかみのやり)である。竜人族の各部族には、それぞれに受け継がれてきた武具がある。その使い手としてだけ生を許されたのだった。


 罪を犯した部族の名を背負い、常に罪人と同等の扱いを受けていた。

 竜人族であることも、翠竜の名にも感じるところはなく。戦いの中に在るときだけが、己の存在を強く認識することができた。自分を自分たらしめるのは常に戦いだけだった。


「戦うことのできぬ戦士の生に何の価値がある」


 なぜ死に急ぐのか、という栞菫(かすみ)の問いに『翠竜』と呼ばれていた男は答えた。

 栞菫は微笑みを崩さず首を横に振る。


「種族よりも、肩書よりも先に。あなたも、私も、双月界にある命のひとつ。ここに生きて存在しているだけで尊く大切なものだと、私は思っています」


 目の前の少女が紡ぐ言葉に、返す言葉が見つからない。初めて聞かされる価値観に戸惑う。

 竜人族においては、他種族との間は決して平等ではない。竜人族こそが最も強く偉大な種族であると、特に齢を重ねた者ほどその意識が強かった。

 それを翠竜は他人事のように見ていただけだ。己の命すら、他の竜人族と平等ではなかったのだから。


 栞菫はまっすぐな視線を翠竜へ向けて言う。


「今回の戦で、交流の少なかった種族も手を取り合い困難に立ち向かっています。これを機に私は双月界を変えたいのです。種族の壁も争いもなく、誰もが穏やかに暮らせるように」

「竜人族との戦に勝利して、か?」

「いいえ。竜人族も、です」


 翠竜は再び絶句した。

 無理だ。同種族間でさえ処刑という名の殺戮が行われるというのに。加えて戦の相手すらも共に、だなどと。


「そんなものは幻想でしかない」

「そうですね。確かに、幻想かもしれません」


 一言で切り捨てられたにも関わらず、栞菫は小さく笑って言った。


「それでも。強く信じれば、いつかは必ず叶うと信じています」


 自らの言葉を、心から信じているその眼。


「簡単なことではないというのはわかっています。でも、諦めません。それは父の夢でもありますから」


 それを自らの手で成し得ようとする強い意志。


「これが、私の戦う理由です」


 彼女の、寂静の内よりあふれる強い光を宿した瞳。全てを見透かすような紫水晶の瞳で、射抜かれる。


「あなたは、何のために戦っているのですか?」


――戦う、理由?


 そんなことは一度も考えたことがなかった。

 戦うためにのみ生かされ、戦いの中で生きてきた。それがすべてであると教えこまれ、それを疑うこともなく。


 戸惑う翠竜に、栞菫は言葉を重ねる。


「これまであなたは、戦うことを自ら選んできたのでしょう?」


 命ぜられるままに戦場へ向かい、鳴神槍を振るう。それがためにある命だと、呪いのように聞かされてきた言葉。それしか道はないと――


――いや、違う。道はないと言われるままに考えることを放棄し、戦いに身を投じることが楽だっただけではないのか。

 竜谷の中、訓練時以外は牢獄のような場所で過ごしてきた。戦が起こり、己のすべてを解放できる場所を得た。その充足感に酔いしれ、自ら戦いを求めていたのではなかったか。


「私は、あなたに新たな道を選んでほしくてお願いにきたのです。どうか私の夢を叶えるために、あなたの力を貸してください」


 栞菫の願いに、すぐに答えを返すことはできなかった。

 

 生きてきた中で、これほどひとつのことに逡巡したことはなかった。

 一週間近く――出された食事にも手を付けず、時折語られる栞菫の言葉を聞きながら考え続けた。

 それまでのこと。これからのこと。自分自身のことを。

 その間、栞菫も何も口にすることがなかった。


 考えた末に選択した。栞菫の望む世界のために、歩き始めてみることを。

 そのときはまだ、その世界が本当に訪れることを望んでもいなかったし、信じてもいなかった。

 ただ、目の前の少女がどこまで夢に近づくことができるのか――なぜこれほどまでの、魂の輝きとも言うべき光を持っているのかを見極めたいと、そう思ったのだ。


 栞菫は翠竜の答えに、やつれた頬に満面の笑みを浮かべてうなずいた。

 そして、はっと両手で口元を覆う。


「私、すっかり失念していました。あなたのお名前は?」

「名は与えられなかった。周りからは『翠竜』と、部族の名で呼ばれていた」

「翠竜……翠の竜、ですか。ならばその一文字から『(みどり)』というのはどうでしょう?」


 自らの思い付きが気に入ったのか、少しばかりはしゃいだ様子の栞菫は幼く見えた。


 それから『翠』としての新たな生が始まった。

 敵であった者が、珠織人(たまおりびと)の中で過ごすというのは容易なことではない。

 その環境は、竜人族の中にあるのとさして変わらず苦にはならなかった。だがかつての己とは違い、そのままで良いとは思わなかった。


 呉羽(くれは)を討ち取った勢いに乗じて、魔竜士団本隊が陽昇国(ひいづるくに)へ攻め入った時。

 翠は自ら志願し戦へ向かった。竜人族の中でも強い力を持つ黒龍を中心とした本隊に苦戦を強いられるも、当時の士団長である夜天(やてん)を辛勝ながら鳴神槍で討ち取った。

 それを最後に、翠は竜人族であることを捨てる決意をした。もともと『竜人族』というものに対しなんの感慨も持ち合わせておらず、自身が竜人族と強く自覚していたわけでもない。

 それでもあえて、これから自分の行く道のために。竜人族としての力も鳴神槍も使うまいと決めたのだ。


 士団長を討ち取った功績もあり、戦で空席となった諜報隊長の後任に就くこととなった。諜報隊は目をかけてくれていた泡雲(あわくも)の管理下だったこともあったのだろう。

 反対の声ももちろんあったが、栞菫や白銀(しろがね)の協力もあり徐々に『翠竜』としての己は払拭され『翠』として認められていった。


 かつてを思うと、今の自分であることが信じがたい。

 翠竜を捨てたことに後悔などあろうものか。言葉などでは言い表せないほどの気持ちを、栞菫と珠織人に対して抱いているのだ。

 栞菫の――珠織人のために『翠』としての自分が在る。

 あの時答えることができなかった戦う理由が、今は明確に己の内にあるのだ。


 見上げていた蒼月(あおのつき)が、風に流れて来た薄雲に陰る。注いでいた月光は弱まり、蒼く輝いていた森の中は濃藍(こいあい)に塗り替えられていく。

 翠は視線を落とし、秋良の傍らで眠る少女を見つめた。


 進むべき道を照らしてくれていた栞菫は今、自分の姿を見失っている。

 この手で、彼女の進む道を切り拓く。彼女が自分を取り戻すまで――。


 

【竜人族の部族】竜人族内はさらに五つの部族に分かれている。黒龍、銀竜、赤竜、褐竜、翠竜、それぞれが彩玻動に干渉し操れる属性を持つ。また、各部族に属性操作をより強力にする武具が伝承されている。公開されているうち、褐竜は地の力と篭手を、翠竜は雷の力と槍を受け継ぐ。


【翠と泡雲】眼が見えない分、様々なものを『見る』ことができる泡雲。だからこそ翠の改心が偽りではないことを見抜き、翠の帰化を後押しした。もしかしたら、その先にあるこの旅に彼が必要であると感じ取っていたのかもしれない。


【諜報隊と翠】翠が諜報隊長になったことに一番反発していたのは、戦で隊長を失ったばかりの諜報隊だった。特に副官であった翡翠と浅葱はせめてもの反発と『様』ではなく『殿』で呼んでいた。今では信頼すべき隊長となった翠だが、今更感と翠本人の許可もあって呼称は『翠殿』のままになっている。


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