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捌・思惑

 四角く切り出された鈍色(にびいろ)の岩が整然と並ぶ壁を、備え付けられた松明の灯りが照らし出す。左右の壁、床、天井。すべてが同じ岩で組み上げられている。

 窓のない長い廊下に、短い間隔で規則正しい靴音が響く。白雪の髪が、松明の橙に染まっている。

 突き当りにただひとつある木製扉の前に、男がふたり。警護の任に当たっている彼らは、足早に近づく氷冬を見て姿勢を正した。距離が詰まるのももどかしく、氷冬(ひとう)は尋ねる。


「士団長はこちらか」

「はい。ですが……」


 部下の前を通り過ぎ扉に伸ばしていた手を止める。氷冬は濁した言葉の先を促す視線を向けた。警護の男は緊張に乾く喉をこじ開けて告げる。


深羅(しんら)、殿も……室内に」


 氷冬の瞳に怒気が渦巻く。視線を向けられていた男は、凍てつく鋭さが全身を貫いたような錯覚を覚え身を固くする。

 だがそれは一瞬で過ぎ去った。すでに氷冬の青褐色の瞳は深い海底の静けさを取り戻している。

 

 氷冬は再び扉に手を掛け押し開いた。

 室内は廊下同様の石造りで、右手の壁際に寝台がひとつ。部屋の中央に置かれた小さな卓と椅子。それ以外に調度品はない。

 卓の上にある三又の燭台に灯る灯りが、椅子に腰かける人物を照らしている。その姿には目を向けず、氷冬はまっすぐ寝台へ歩み寄った。響く足音に扉の閉じる音が重なる。


 燭台からわずかか届く灯りの下ではあるが、寝台に横たわる姿は鮮烈に氷冬の眼に映る。

 夜闇よりさらに深く、満天にきらめく星の輝きを思わせる艶やかな黒髪はそのままだというのに。敷布に消え入りそうな肌は、健在だったころの姿を重ねることができないほどに白い。

 まだ幼さを残しつつも凛々しく皆を率いていたその顔は少なからずやつれている。外傷はひとつもない。目の前に存在する少年は紛れもなく、探し求めていた士団長・良夜(りょうや)の姿だった。

 氷冬は彼の無事に安堵し、その傷ましい姿に思わず眼を細めた。


「どこで見つけた?」


 その口から小さなつぶやきが漏れる。鋭く視線を転じた氷冬の瞳が、燭台の光を映し一点を見据える。


「我らが長年かけても探せなかった。どこにいたのだ」


 このときはじめて氷冬の視線が椅子に座る人物を捉え、歩み寄る。

 渋茶色の外套で全身を覆った小柄な老人は、部下が震えあがる氷冬の眼光をものともしない。さすが妖魔六将と言うところか。

 目深に被った頭巾の奥は燭台の灯りも届かない。唯一あらわになっている口元の皺が動き、しわがれた声が氷冬の問いに答える。


火燃国(ひかがるくに)の大溝の奥を、さらに深く降ったところに」

魔界溝(まかいこう)か」


 大陸の西端にある火燃国。魔竜師団の領国である地響国(ちなるくに)とは東側で隣接しているが、両国の国境をまたいで大地溝帯が横たわっている。全長は千里にも及ぶ。深部が複雑に入り組んでおり、地底のどこまで続いているのか確認されていない。その一部が魔界まで通じているという噂が名の由来となっていた。

 魔竜士団も探索を行ってはいた。だが広大な魔界溝のすべてを確認できてはいない。特に魔界溝の火燃国側は溶岩帯が多く難航していた。そのような場所から、この老人はどのようにして良夜を探し出すことができたのか。


 氷冬のその疑問を問うより早く、深羅が口を開いていた。


「士団長殿はこのままでは目覚めることはあるまい」


 その声を聞く最中。氷冬が瞬きをした直後に深羅の姿は消えており、前から聞こえていたはずの声は後ろから届く。


 深羅は蝋燭の落とす影から影へ、音もなく移動していた。寝台で死んだように眠る少年へと伸ばされた手が、止まる。

 くっくっと楽し気な忍び笑いを漏らす喉元には白刃が添えられていた。


「抜刀の音も気配もなく。さすがは副士団長殿」

「『協力』には感謝している。だがここでの勝手は許さん」


 氷冬は深羅が手を引いたのを確認し、長刀を収めつつ問う。


「目覚めぬとはどういうことだ」

「姿を消す理由となったあの光が原因か、はたまた失踪後に理由があるのか」


 氷冬は百二十年前の戦を思い出す。

 良夜と稀石姫(きせきのひめ)との戦いは突然の終局を迎えた。

 残された力をすべて注ぎ込んだであろう、双方の一撃。それらがぶつかり合った瞬間、彼らを光球が襲いふたりは消えた。

 あの光はなんだったのか。

 魔竜士団からのものでも、連合軍からのものでもなかった。調べも及ばず、深羅の口ぶりでは彼もまだ解明できていないようだった。


 深羅は蝋燭の灯りが揺れる室内を、外套の裾を引きずり歩く。殺風景な部屋のわずかな闇を捉え足を踏み入れた。


「次は目覚めさせる方法を見つけて進ぜよう」


 言葉が終るか終わらないかのうちに、深羅の姿は闇に消え入り見えなくなった。残っていたわずかな妖気もやがて消え、氷冬はその闇を貫いていた視線を伏せた。

 寝台へ歩み寄り、眠る良夜を見つめる。呼吸数の以上に少ない良夜の眠りは、仮死状態に近いのではないだろうか。

 ついこぼした氷冬の吐息はかすかに震えていた。


 たとえこのような状態でも、生きていてくれた。まだ魔竜士団の命運は尽きていない。そして――


――良夜と、魔竜士団を頼む……


 この胸に焦げ付いて離れない、先代士団長最期の願い。良夜と魔竜士団が、生きる理由としてこの身を現世に留まらせるのだ。


 そのとき扉越しに遠く聞こえた大勢のざわめきが、氷冬の心を副士団長のそれに冷ます。

 足早に部屋を後にする。しばらく廊下を進み、広間へと出た。一角に団員の人だかりができている。


「何事だ」


 氷冬の声が、広間に静けさを呼び戻す。団員の壁がふたつに割れ、氷冬の進む道を作る。その先に騒ぎの原因があった。


「どういうことだ?」


 氷冬も驚きを隠せなかった。

 いるはずのない人物と起こりがたい事象。ありえない光景がそこにあったからだ。


 床に座り込んだ至道(しどう)が腕の治療を受けていた。

 切断された腕の接合――とはいえ、神水で清めた切断面を合わせ包帯で固定するだけだ。後は竜血(りゅうけつ)に宿る回復力に任せるのみ。傷は残るが、戦いに支障ないほどに回復するだろう。


 だが、問題はそこではない。

 氷冬の、至道を見おろす視線は彼の名にふさわしい光を湛えている。


「説明しろ、至道」


 静かな声。そこに含まれたかすかな苛立ちを察知し、至道は唇を引き結んだ。

 無言のままでいる至道に、氷冬は言葉を重ねる。


「緑繁国の守護石確保に向かったお前が、何故そのような姿でここにいるのかを聞いている」


 氷冬の尋問に、成り行きを見守っている団員達がすくみあがる。

 答えは聞かなくてもわかっていた。だが、それでは示しがつかない。団の規律を保つために、わかりきっている答えを氷冬はあえて求めるのだ。


「……すまん。言い訳はせん」


 ただそれだけ、至道の口から絞り出すように告げられた。


 至道が言わないと言えばそれ以上はどうあっても語らないことを、周囲の者も、そして誰より氷冬がよく知っていた。

 厳しいままの表情で、氷冬は踵を返した。そして、肩越しにわずかに振り返る。


「後で仔細の報告を。傷が癒え次第、雪辱を果たせ。それまでは他の者を向かわせる」


 硬質な声色が響き、それはすぐに規則正しい靴音に変わった。

 広間の奥へと向かいながら、氷冬は人知れず拳を握り締める。

 至道が裏切り者の処分に向かってしまったその気持ちは、氷冬も痛いほどわかる。先の師団長を、いやそれ以前に友である夜天を、討った相手なのだから。

 だがそれでも。魔竜士団の、夜天の遺志を果たすことを優先させなくてはならない。

 それが、魔竜士団に――氷冬に残された誓約なのだ。

【火燃国】大陸の東端、地図で見ると緑繁国の右上にある天翼族が治める国。魔竜の乱では守護石を守りきった。


【地響国】緑繁国が唯一繋がる風翔国の北に位置する、大陸のほぼ中央にある国。竜人族が治めており、魔竜の乱では真っ先に守護石を失った。


【魔界溝】千里(約40km)に及ぶ大地溝帯。創世の時、天地守護・環姫と妖魔六将との戦いの際に裂けたもの、と記録されている。


【神水】地響国の地底湖に湧く、竜神の加護があるとされている泉の水。治癒効果はない、ただの綺麗な水。

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