表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/140

漆・雷渦の記憶 後



 秋良は、はるかの身体を支えながら視線は前方へ。息を殺して成り行きを見守る。


 解放され地面へ倒れた(みどり)は、咳きこみながら身体を起こす。

 至道(しどう)はぐらりと傾いた身体を踏みとどまらせた。左手で押さえた右上腕。肘のすぐ下より先の傷口から大量の血が流れだしている。傷を中心とした右上半身に火傷が広がっていた。光の爆発によるものだ。

 火傷自体はさほどの傷ではない。それでも失った右腕の痛手に十分な相乗効果を与えているのだろう。今の至道は翠へとどめを刺す余裕はないようだった。


「至道様!」


 ひとりの竜人族が至道へ駆け寄る。はるかの意識が失われたことで術が解けたのだ。

 もうひとりは秋良の方へ向かう。秋良は小曲刀を握る左手に力を込めた。しかし竜人族は、秋良から離れた位置に伏している同胞の元へと駆けていく。


 至道は支えようとする部下を左手で制し、その手で脇腹に刺さったままの刀を引き抜いて捨てた。傷口から、新たに鮮血が流れ出す。

 しかし強固な意志を示す至道の表情は揺らがない。ともすればふらつきかねない身体を両の脚で支えながら、数歩奥へ踏み出す。

 足を止め、自らの右腕を拾い上げた至道は翠を振り返る。


「次は、(たお)す」


 翠をにらんでいた至道の視線が、はるかへも向けられた。

 ほんのわずかな時間、直接向けられたのではないにもかかわらず。秋良は息を呑んだ。


 直後の爆音。音の元を秋良が振り返る。竜化した竜人族が伏していた場所で、彼らが現れた時と同じく土と石が巻きあがっていた。もうひとつ、翠の近くでも。

 めくれ上がった勢いで跳ね上がる石土が地面へ降り注ぎ終わる頃、至道たちの姿は跡形もなく消え去っていた。


 秋良は詰まっていた呼気の塊を一気に吐き出し。はるかを抱えたまま、どっかりと地面に座りこむ。

 張りつめていた緊張が解け、身体の各所が痛みだす。見ると竜の爪による鉤裂き傷が腕や肩に残っていた。


 目の前には、いたるところめくれ上がり陥没した地面。転がる数本の巨木の姿は傷ましく、もはや原型をとどめていないものすらあった。

 遮るものがなくなった頭上には、いくつもの小さなきらめきをちりばめた藍色の海が広がっている。黒い木陰で切り取られたそこからこちらを見おろす蒼月(あおのつき)。ひそやかな光が、秋良に降り注いでいた。


 気の抜けた様子でそれを見上げていたのはわずかな間だった。

 秋良は小曲刀を鞘に収め、はるかを地面へ横たえた。疲弊のためか身体が重く感じられる。放っていたはるかの刀を回収し、そのまま翠の方へ行く。


 倒れた巨木の根に腕を押し付けて立ち上がった翠は、そうしているのがやっとのようだ。

 秋良に気付いた翠はわずかに顔を上げ、黒髪の間から深い緑玉の瞳を向ける。発せられた声は喉を締められていたためにかすれていた。


栞菫(かすみ)は?」

「気を失ってはいるが、無事だ。あの至道ってやつ、すぐには戻ってこないだろうな」


 秋良自身の希望も込めた予測の言葉だったが、翠はうなずいた。


「しばらくは。だが、落ちた腕は一日あればつながるだろう。動くようになるまでは数日――また、必ず現れるはずだ」


 秋良は驚きを通り越して呆れていた。どれだけ強い生命力を持っているというのか。


「まるで化物だな」


 思ったまま口に出してから思い至る。先ほどの至道の言葉――


――裏切り者の翠竜(すいりゅう)――


 それならば合点が行く。

 暁城(あかつきのしろ)で牢の解錠を拒んだ翠が『珠織人(たまおりびと)にしか開けられない』と言っていたこと。街道で竜人族をすぐに見分けられたこと。翠が竜人族だからこそだったのだ。


 しかし、はるかが術を発動する前のあの状況は――。


「おまえが竜人族だってことが、知れたあたりからだ。はるかの様子がおかしくなったのは」


 秋良は淡々と事実だけを告げた。責めるつもりはない。ただ、はるかへ告げておくことで回避できたのではという思いは少なからずあった。


 翠から帰ってくるのは沈黙だけ。秋良の言葉に対しどのような思いを抱いているのか、相変わらず表情からうかがい知ることはできない。


 竜人族としての過去は、珠織人とともにある翠にとっては不要なものなのだろうか。

 告げずに済むならば口にしたくない。そのような忌むべき過去が、この男にもあるのだろうか。

 と、ふとよぎった考えに秋良自身驚いた。


――なにを馬鹿な。


 ほんの一瞬自分と重ねかけたそれを、頭の隅に追いやる。他人に干渉するなと自らに戒めつつ、翠へ問う。


「前に琥珀(こはく)で起きた状況に酷似してる。彩玻動(さいはどつ)とやらがまた暴走したということか?」


 もしそうなら、はるかはまた自力で目覚めることができない状況ということ。つまり、暁城に戻らなくてはならないということになる。

 だが翠は緩やかに首を振って否定した。


「違う、とは思うが……断言はできない」


 それも珠織人ではない故のことなのだろう。翠は口元から流れた血の跡を手の甲でぬぐいながら、打ち捨てられた刀を拾いに行く。


「ともかく、この場は離れた方がいい」


 翠のその言葉には秋良も賛成だった。新手が現れる可能性だってある。至道たちが知るこの場所に長くとどまるのは得策ではない。

 秋良は翠に背を向け歩き出しながら言う。


「なら少しでも距離を稼いだ方がいいな」


 身体的には今すぐにでも休みたいところだったが、そうも言っていられない。静かに横たわるはるかの横を過ぎ、戦いの直前までいた樹の根元へ向かう。

 樹は幸い被害を受けていない。その足元に置かれた荷物も無事だった。三人分の荷物をまとめ抱え上げると、秋良は樹の下から出る。


 翠は、はるかのすぐ隣にいた。横たわる主の傍らに膝をつき、じっとその姿を見つめている。

 頭を垂れるその姿は、 至道の翠に対する怨恨に巻き込んでしまったことを悔いているのか。竜人族であるということが、はるかに動揺を与えてしまったかもしれないことを詫びているのか。


 どちらにしろ、今すべきことはそんなことではない。

 秋良は自分の荷物以外を翠のそばへ放り落とした。それから、はるかを背負うべくその身体を抱き起す。助けるためか代わるためか、伸ばされた翠の手を軽く払いのける。


「おまえは自分とはるかの荷物を持って歩け。少しでも回復してもらわないと、戦力にならないからな」


 そう言って、はるかを背に乗せた秋良は足を踏み出した。数歩進んで足を止め、振り返る。


「早くしろよ。おまえが先に立たないと道がわからないだろ!」


 荷を持ちこちらへと歩き出した翠は左足を引きずっていた。だが、彼の言う通りの回復力が竜人族に備わっているのであれば、気にすることではないはずだ。

 秋良の横を通り過ぎる翠の口から、短い言葉がかけられた。かすれた声は小さく聞き取りにくかったが、秋良に届くには十分だった。


「すまない」


 かすかなつぶやきに返す言葉を見つけることができず。秋良は数歩離れた翠の背を追って歩き出した。



人物紹介その三

もしかしたらもう出て来ないかもしれないけど陽昇国の人たち。


【時雨】珠織人。三長老のひとり。お団子頭が目印のおっとりさん。内政担当。


【朧】珠織人。三長老のひとり。長いあごヒゲの怒りんぼ。軍務担当なので白銀の直属の上司。


【侍従長】珠織人。規律に厳格な女性。三長老ですら恐れるとの噂も。李の上司。できない子ほどかわいい。


【萌葱】珠織人。諜報隊の自称エース。まだ若く魔竜の乱時は子供だった。過去はどうあれ翠を慕っている。


【浅葱】珠織人。萌葱の一歳違いの弟。あわてんぼうの兄の手綱を握る。過去はどうあれ翠を尊敬している。


【絹代】始まりの町、沙里で野菜売りをしているシングルマザー。はるかを娘のようにかわいがっていた。


【陽菜太】絹代の息子。はるかの親分。はるかは緋焔戦撤退時町に寄り、絹代と陽菜太にぼんやりと事情を話している。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ