参・沙里の町 後
前方に、目的としていた鮮やかな黄色の屋根が見えてきた。
『絹代の菜屋』と記された木の看板が吊るされた屋根の中には、さらに鮮やかな色であふれている。
所狭しと並べられたたくさんの木箱の中は、野菜や果物が詰められているのだ。
木箱の中に囲まれて忙しそうに商品整理をしているのは三十代の女主人、絹代だ。
屋台の前を訪れた人影に気付き、ぱっと顔を上げた。
店先に立っている少女の人懐っこい笑顔に、営業用ではなく微笑む。
「はるかちゃん、いらっしゃい!」
「おはよう、絹代さん!」
威勢の良い絹代の声につられて、はるかも元気に挨拶を返す。
絹代は鮮やかな黄色の果物を手に取って見せた。
「いつものやつでいいのかい?」
「うん」
はるかはこっくりとうなずいて、持っていた手提げの籠と銅の硬貨を四つ渡す。
絹代は受け取った籠の中に砂梨を四つ手際よく放り込むと、
「はいよ!」
はるかに籠を返し、もうひとつ砂梨を取るとはるかの手に直接手渡した。
「こいつはおまけ。帰り道食べなさい」
「でも……」
「いいから、持っていきなさい」
はるかは手の中の砂梨と絹代の顔を交互に見つめていたが、やがて満面の笑みでぺこりとお辞儀をした。
「どうもありがとう」
「いいのいいの。それより、うちに来て一緒に住まないかい? あんなとこに居たらいつか売り飛ばされちまうよ!」
真剣な表情の絹代に、はるかはあいまいな笑顔を返す。絹代は畳みかけるように続けた。
「あいつと一緒にいるせいで、はるかちゃんまで悪く言われてるじゃないか」
最近は以前より少なくなったものの、それでも三回に一度は誘われている。
沙里の住人でありながら懇意にしてくれる絹代の気持ちはありがたいが、はるかの返事も決まっている。
「大丈夫。秋良ちゃんはみんなが言うほど悪い人じゃないよ。この間も、砂漠で悪いことしてた人達を……捕まえたんだよ」
絹代に心配をかけまいと若干事実を曲げて言ってしまった。そんなはるかの罪悪感は知らず、絹代はため息を吐く。
「まぁ、それはありがたいけどさ。戦が終わってから平和になったって年寄りたちからは聞くけれども、ごろつきどもは一向にいなくならないんだから。組合の配送便が襲われたら、うちの商品も届かないからね」
「あっ、はるかだ!」
通りの方からの聞き覚えのある幼い声に、はるかは振り返る。
表通りと交差する路地から、七歳の男児が重そうな水桶を両手で持ったまま駆け寄ってくる。
「陽菜太、転ぶから走るんじゃないよ!」
「はるか、後で遊ぼうぜ」
絹代の声はまったく聞こえていないそぶりで、はるかの前で足を止め水桶を地面に下ろす。
陽菜太は絹代の一人息子だ。はるかによく懐いており、はるかにとっても良き友人である。
町の子たちの輪に入れずひとりでいたところ、はるかと出会ってからは一緒に遊びまわるようになった。
「うーん、仕事が入ってなかったらね」
「あんな奴の手伝いなんか、することないだろ」
陽菜太は膨れてそっぽを向いた。はるかはかがんで陽菜太と視線を合わせる。
「手伝いじゃなくて、私のお仕事なんだ。ごはんを食べて元気に遊ぶためには、自分のごはんを買うお金くらいは稼がないとね」
陽菜太はふくれっ面のまま、はるかをうらめしげに見ていたが、その後ろに絹代の見守る視線が向けられているのに気づく。
急に大人ぶった態度ではるかの肩にぽん、と手を置いた。
「それじゃあしょうがないな。わかるぜ、おれだって商人の息子だからな」
「うん、えらいねぇ」
「子供あつかいすんなよ、はるかの方が子分だろ」
頭をなでるはるかの手を恥ずかしそうに払う陽菜太に微笑んで、はるかは立ち上がり籠の取っ手を持ち直した。
「じゃあ帰るね。絹代さん、これありがとう!」
手を振り見送る二人に手を振り返して、はるかは来た道を戻る方向へ駆けだした。
帰路の途中、表通りの外れにある店で竹の皮に包まれた蒸飯をふたつ買うと、はるかはまっすぐに家に向かう。
「みんな、秋良ちゃんのことが嫌い、かぁ」
それはこの町に住み始めてからの一年半で何度となく思い知らされた。
確かに、人当たりが良いとはお世辞にも言えない性格。そして口の悪さ。敵を作りやすい類の人であることは、はるかにもわかる。
はるかが初めて秋良と出会ったとき、秋良は誰にも自分の領域に踏み込ませないという様子だった。
それは物理的にも、心理的にも両方の意味合いでだ。
本当に初期のころは、不用意に近づいて組み押さえられたこともあった。
お前の気配が薄いからだ、とその時は逆に怒られたものだ。
当時の事を思い出し、思わずはるかは小さく笑った。
今ではそんなことも起きないし、刺々しかった空気も徐々に和らいでいる気がする。
自分のことを話したがらないのは、相変わらずだが……。
名前はおろか日常生活にも困難するほど記憶を失っているはるかを、なんだかんだと文句を言いながらも秋良は根気よく教えてくれていた。
「ほんとは、いい人だと思うんだけどな……」
自分が何かやらかすたびにげんこつが降ってくるのだけは、ちょっとは改善してほしいところだ。
折から吹き抜ける風に、石畳の上の砂が舞い上がる。
「……っいたた」
砂が入る前に眼を閉じたつもりだったが、間に合わなかった。慌てて両手で押さえた矢先、誰かにぶつかった衝撃を覚えた。
「ごめんなさいっ」
とっさに謝り、均衡を崩した身体は地面に残っていた右足を軸に一回転させ態勢を取り戻す。
が、手にしていた籠の感触が両手から消えていることにここでようやく気が付く。
急いで両手と涙で砂を追い出し、あたりを見回す。
少し離れた石畳の上に転がった籠の横、茶色の外套をすっぽりと買った小柄な老人がしりもちをついていた。
「うあぁ! ごめんね、おじいちゃん。大丈夫?」
慌てて駆け寄り、老人を助け起こす。深くかぶった頭巾の下から温厚な笑顔がのぞく。
「なんのなんの、こちらこそ。店を探していて、前をよく見ておらんかったからの」
「どこも痛くない? よかったぁ」
ほっと息を吐いて老人を立ち上がらせる。ふと地面に横たわった籠が視界に入り、今度はそちらに跳びついた。
「うわ、中身は!?」
……無事だ。蒸飯も砂梨も。安堵の息を漏らしつつ、胸元の石をきゅっと握る。
何かがつぶれでもしていたら、間違いなく秋良の鉄拳を食らうところだった。
「時にお嬢さん」
老人の声に、はるかは立ち上がり振り返る。自分で自分を指さし、ぱっと笑って見せた。
「私、はるか」
「おお、はるか、殿か。『運び屋』の店がどこにあるのかご存知ですかな?」
その言葉に、はるかの顔色が変わる。
老人にさっと背を向け、うつむき加減に呟く中から『借金取り』や『仇討ち』と物騒な言葉も聞こえてくる。
不審に思う老人を前に、はるかはおずおずと振り返ると恐る恐るたずねる。
「えっと……秋良ちゃんが、何かご迷惑を?」
「? いや、そうではなくて、荷物を……」
その一言で、白いはるかの頬に朱が差した。菫色の瞳を輝かせて老人に問う。
「もしかして、何か運んでほしいものあるの?」
ずい、と詰め寄るはるかに気圧されながらも老人はうなずく。
「それなら、私についてきて。今、ちょうど帰るところなんだ」
【銅】双月界のお金の単位。日本円で100円くらい。
【砂梨】乾燥に強い低木に生る梨。甘くてみずみずしい。
【蒸飯】鶏肉の端肉で取った出汁で炊いた米。具は入ってないが旨味抜群。