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伍・木霊森 後



 もう陽は落ちたのだろう。もし空が見えたなら、西の方はまだ明るさを残しているかもしれない。木の下からはそれを確認することはかなわず、森の中は静寂と薄闇に包まれていた。


 土の上にひとりぶんの敷物を敷いた上にうつぶせになり、はるかは隣の背負袋から小さな革袋を取り出した。

 袋の口を開くと、はるかの顔が青白い光に照らされる。蒼月(あおのつき)のそれを思わせる光を放っているのは蛍石(ほたるいし)だ。暁城(あかつきのしろ)を出る時に持たされたそれをかたわらに置き、懐から愛用の綴帳(つづりちょう)を取り出す。敷物の上に置いて裏表紙側から開くと、炭筆でゆっくりと文字を連ねていく。


「なに書いてんだ?」

「わぁっ!」


 書くことに集中するあまり、秋良がのぞき込んできたのに気がづかなかった。秋良により手元を離れた綴帳を、はるかはものすごい勢いで奪い返す。

 少なからず驚きつつ、秋良が問う。


「見られたら困ることでも書いてるのかよ」

「そうじゃないけど……秋良ちゃんが見てもきっとわからないよ」

「そんなの見てみなきゃわからないだろ」


『きっとわからない』という箇所がしゃくにさわったのか、秋良はむっとした表情を見せる。


「いいから見せてみろって」

「あっ!」


 再び秋良の手に奪われた綴帳は、秋良が開いたとたんに姿を消す。

 綴帳は(みどり)の手により奪い返され、はるかの手に戻ってきた。


「人が見られたくないと言っているものをのぞき見るのは、いい趣味ではないぞ」


 静かに諭すような翠の口調が気に入らなかったのだろう。秋良は興醒めした様子で自分の寝床に戻る。

 その様子を横目にうかがいながら、はるかは翠に笑顔を向けた。


「翠くん、ありがとう」

「いや……」


 翠は先刻まで座っていた場所に戻り、思い出したように口を開く。


「記憶の、手がかりはつかめそうか……?」

「……えっと」


 はるかは返答に窮する。

 確固たる手ごたえは感じられないというのが正直なところだからだ。


 だけど、それでも――。


「ちょっとは、前には進んでるよ。きっと」


 ひとことずつを噛みしめるように。そう答えた。


 翠のうなずきに、はるかは同じくうなずきを返す。そして再び寝床にうつぶせになる。


 綴帳の開いた箇所には、今までに見た白昼夢の内容を書き連ねてあった。

 白昼夢が見せる光景が、栞菫(かすみ)の記憶の断片であるなら――その破片を集めてつなぎ合わせることで、栞菫の記憶により近づけるのではないか。

 ちいさなかけらたちではあるが、必ずそこから記憶を取り戻してみせる。

 そう心に決めて、旅の合間に時間を見つけては書き記してきた。


 今は手ごたえがなくとも。

 こうすることで、少しは前に進んでいるという実感が欲しかったのかもしれない。


 今日見た白昼夢の内容を記し終え、はるかは視線を上げて翠を見た。こちらを見ていたのか、翠と視線がぶつかる。


「大丈夫。記憶は戻るよ」


 言って、はるかは微笑む。それは誰より自身が望む願いでもあった。


 森に最後の光を投げかけていた太陽が姿を消してから二刻ほどが過ぎただろうか。

 先刻まで闇に包まれていた森に、ささやかな光が生まれ始める。

 東の空から登ってきた蒼月の光が、日中の陽光と同じく梢から差し込んでいるのだ。木霊森(こだまのもり)は今、藍色の濃淡に染められている。


 頭上遠くにある枝葉は、あれだけ密集しているというのに。どこに光の抜け道があるのか。葉と葉が示しあわせて、光の通り道を譲り渡しているのだろうか。

 寝ころんだまま天を仰いでいた秋良がふと横に視線を転じる。はるかは綴帳とにらみ合いを続けていた。


「おい、明日も歩くんだぞ。とっとと寝ろよ」


 はるかの返事を待たず、返す刀で翠を見る。本人も意識しないところで、自ずと向ける視線がきつくなっている。


「今日はお前が先に見張りやれ。時間になったら起こせ」

「私が最初に見張――」

「「おまえはいい」」


 割り込んだはるかの言葉に、奇しくも秋良と翠が同じ言葉を返した。

 はるかはその場に座りなおし、身を乗り出して抗議する。


「大丈夫だよ。見張りくらいできるもん!」

「そう言い張るから昨日やらせて、その結果をもう忘れたのか?」


 冷たく言い放つ秋良に、はるかは言葉を詰まらせる。

 秋良は溜息をつき、昨日の状況をあえて告げた。


「出ないとか言ってたはずの妖魔が現れたうえ、そんな状況にもかかわらずお前は起きずに寝てただろうが」


 木霊森は悪しきものを寄せ付けず。かねてから妖魔は立ち入ることがない聖域であった。

 ところが、彩玻動(さいはどう)の減少により森の力も弱まっているのだろうか。昨日は獣型の妖魔・長牙狼(ちょうがろう)が七頭ほどの群れで襲ってきたのだ。

 秋良と翠が妖魔に気付き撃退した。見張りに立っていたはずのはるかは、戦闘が終わってもなお熟睡したままだった。


「今日こそはがんばるから! ね?」


 はるかは助けを求めて翠を見た。

 翠は一瞬ためらいを見せたが、重い口を開く。


「一日目は交代の時間に起こしても一向に起きなかった」

「……ごめんなさい。おとなしく寝ます」






 秋良は何者かが近づく気配を感じ飛び起きた。

 樹々の間から地面へ向けて差し込み、天と地を繋ぐ蒼い月光の線。そこに浮かび上がる気配の主は翠だった。


「交代の時間か」


 秋良のつぶやきに対し、翠は問いを返した。


「身体は休まっているのか?」

「あ?」

「常にそんなに気を張りつめているのか」

「ああ……」


 起こす前に気配で起きたことを言っているのだ。

 なにが起きてもすぐ対処できるよう、浅く眠る習慣が身についてしまっている。頼れるのは常に自分のみ。

 秋良は一対の小曲刀を腰に提げ直しながら言う。


「これが普通だ」


 言葉尻には『おまえには関係ない』という色が含まれていた。

 が、ふと思い出し秋良は翠に問う。


「二日前、街道で襲って来た奴らがいただろう。あいつらとは別に、樹の近くにいた男――」


 言いながら、横目ではるかを確認する。静かな寝息を立てているのを見て、秋良は先を続けた。


「なぜ、竜人族だとわかった?」


 表情も変えぬまま無言の翠に、秋良は重ねて言う。


「俺が見た限りでは、斎一民(さいいつのたみ)と区別なんかつかなかったぜ」


 秋良の飛苦無(とびくない)を叩き落とし、一瞬のうちに姿をくらました。右目に大きな傷痕を持ったあの男だ。姿を確認したのはほんのわずかな間だったが、竜人族と判断するに足るものはなかったはずだ。


 秋良の射抜くような視線。それを受けとめる翠の瞳は少しも揺らぐことはない。しばしの後、秋良が短く息を吐き視線を外した。


「だんまりか。よっぽど秘密が好きなんだな」


 興味を失ったふうの声で言うと、秋良は両手をあげて身体を伸ばす。

 見張りのため、樹の根に囲まれた場所から外へと向かう。境界に立っていた翠とすれ違った直後、秋良は背中に小さなつぶやきを聞いた。


「近いうちにわかるだろう」


 秋良は思わず振り返った。が、秋良が見たのは離れていく翠の後ろ姿だけだった。



【綴帳】いわゆるノート。一般に出回っている物は荒漉きの紙を紐で綴じているものが多い。はるかが持っているのは砂漠にいた頃からの愛用品。


【炭筆】細長い炭に布や紙を巻き付けたもの。鉛筆のように使える。


【蛍石】蛍のように闇夜に光を放つことから名付けられた鉱石。かつては沢山採れたようだが、今は希少品。


【蒼月】双月界の名の由来となったふたつの月のひとつ。蒼く柔らかい光を放つ。もうひとつの白月は明るく冴えわたるように輝く。


【白昼夢】はるかの中に栞菫の記憶がフラッシュバックする現象。それが起きている間、はるかは無防備な状態になってしまう。


【長牙狼】名の通りの姿の妖魔。サーベルタイガーのオオカミ版。

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