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伍・木霊森 前



 その樹は創世の頃より今もなお双月界(そうげつかい)深く根を伸ばす。

 根には大地の生命力を秘めたる水を蓄え、幹には双月界の歴史を刻み、葉を抜ける風は安らぎを与える力を宿す。

 その森はこれらの樹々によりつくられ、森の守護人とともに護り続ける。天地守護(あめつちのしゅご)環姫(たまきひめ)より託されし守護の石柱を。

 すべての悪しきものを拒む、聖なる地。

 木霊森(こだまのもり)――。





「よいしょっ、と」


 はるかは掛け声と同時に巨大な根の上に跳び乗った。

 長く張り出した根は、地面から三尺も高さがある。大蛇のごとく横たわる根から続く幹も相応の巨大さ。大人五、六人が手を繋いでようやく抱え込めるのではないだろうか。


 今、はるかが乗っている樹の幹はまっすぐ天を衝いている。しかし周囲には、曲がりながら伸びているものもあれば、倒れたり折れたりしているものもある。どれにも共通しているのは、尋常ではない大きさだった。

 樹だけでなく、根の合間から伸びる羊歯(しだ)のような植物や、個性ある色や形の傘をもつ茸類も。はるかたちの背丈と同じくらいの丈にまで成長しているものさえある。

 その中を歩いていると、まるで自分が小さくなってしまったような錯覚を覚えた。


 すぐ隣に密接している樹は、根元の部分で折れてずいぶん経つようだった。

 空洞になっている幹の中を、上からのぞきこんでみる。黒く陰る洞の底に水が湛えられていた。水面には森の天井となっている枝葉と、そこを通して注ぐ淡い緑の光が映る。

 身体を起こし、鏡像の元を仰ぎ見た。どこまで高くそびえているのか、重なり合う葉に隠され、晴れているのであろう空までは見通すことができなかった。


 湿った土と草木の香りが入り混じった森独特の空気を、はるかは大きく吸い込む。

 根も幹も、そしてその生命を繋ぐ大地も。全てが緑色に染まった世界。

 天の若葉色から、大地や樹肌を染める苔色まで。濃淡様々な緑で構成されていた。


 常樹(とこのき)街道を外れて木霊森へ入ってから、丸二日が過ぎようとしていた。かつて巡礼の儀に訪れた呉羽(くれは)栞菫(かすみ)の歩みをたどりながら、ひたすら森の中心部を目指している。

 同じ道をたどることで、栞菫の記憶を取り戻す糸口がつかめれば……ということだったが。


「これのどこが『道』なんだよ」


 悪態をついたのは、はるかに続いて同じ根に登った秋良だった。

 巨木の根が縦横無尽に走り、地面と呼べる範囲はごくわずか。進むには、長く伸びた根を迂回しわずかな隙間を縫うように蛇行するか、根の起伏を乗り越えながら直進するか。あるいは樹上で枝を伝っていくしかない。

 そんな道行きが、森に入ってから今まで延々と続いてきたのだ。これがまだ数日続くのかと思うと気が滅入る。


 かつて秋良も、陽昇国(ひいづるくに)を目指したときに森の外からは見たことがあった。

 実際足を踏み入れた時には、これほど神秘的な場所なのか、と正直感動を覚えたものだ。

 だがその感動が持続したのも最初の数時間だけ。今は道行きの困難さに付随する負の気持ちが上回っている。


 一方はるかは、いまだにその感動が持続しているようだ。精神的にぐったりしている秋良を振り返ると、明るい笑顔で言う。


「道がなくても、楽しいからいいじゃない」


 はるかは再び見えない天を望み、天蓋のように覆う枝葉を見上げた。葉が重なった部分の濃い緑と、陽の光が透けた明るい緑。その両方を彩る太陽のきらめき。おそらく地平へ向けて傾き始めたのだろう。葉と葉の間からのびる幾筋もの光の線は、黄金色に変わりつつある。

 人の手では決して創ることのできない美しさがそこにあった。


「――?」


 紫水晶の瞳を細め頭上を見つめていたはるかの顔から、ゆっくりと笑顔が消えていく。

 緑に和らいだ陽光を浴びる視界は唐突に薄れ。風にさざめく葉の隙間からこぼれるだけだった光が、強く、白く。急速に視界全体を埋め尽くす。


 まぶしさから視界を取り戻したその眼には、数秒前と似た木漏れ日の光景が映る。

 誰かの声が聞こえた気がして、頭上から正面へと視界を転じた。

 はるかの意志によるものではない。おそらく当時の、栞菫の見たものがそのまま見えているだけなのだ。


 そこは木霊森ではないようだった。

 柔らかな下草に覆われた平坦な地面に、間隔をあけてたたずむ樹々。


 光と、風と、緑――ああ、この景色は。


 はるかにも見覚えがあった。暁城(あかつきのしろ)に妖魔六将が現れたとき。緋焔(ひえん)の金色の瞳により引き起こされた記憶。

 もし、そのときと同じ記憶ならば――。


 予想は的中した。

 何かを探すようにさまよう栞菫の視線は、ひとりの少年の姿に留まる。

 黒髪の少年。こちらへと向けられた金色の瞳は、柔らかな笑みを浮かべていた。

 彼はこちらへ――いや、栞菫になにごとかを語りかける。

 声は聞こえない。風が強く、木々や草を揺らす音だけがずっと耳元で鳴っている。

 少年は栞菫の手を引いて、森の奥へと駆け出した。


「はるか。おい!」


 ぐいっと肩をつかまれ、はるかは現実に引き戻された。

 驚きに見開かれたはるかの大きな瞳に、秋良の真剣な表情が映る。


「あ……秋良ちゃん」


 先導のため数間先を進んでいた(みどり)が、秋良の声に戻ってくる。


「どうした?」

「ううん、なんでもない。ちょっとぼーっとしただけ」


 はるかは翠に笑って見せた。今見せられた白昼夢に気を取られているからか、力ないものになってしまっていた。

 翠は無言ではるかを見つめていた。秋良も、口を挟みはしなかったが『ただぼーっとしただけ』にしては不自然だったことに気付いている。


「少し早いが、このあたりで休もう」


 提案したのは翠だった。はるかは驚いて首を横に振る。


「大丈夫だよ。まだ歩けるから」

「昨日までのうちに、予定よりも進んでいる。まだ先は長い」

「でも……」


 ふたりが言い合っているうちに、秋良は野営できそうな場所を探し始めていた。

 休めるなら休みたいと思っていたところだった。もちろん、そんなことは到底口には出せないが。

 ちょうど根元の土が崩れ浅い洞穴のように掘れている場所を見つけると、秋良は戻りながらはるかへ言う。


「まだ目的地まで半分しか来てないんだ。あまり調子に乗っていると後が続かなくなるぞ」

「だからぁ! 私は大丈夫なのに……陽が落ちるまでは先に進もう?」

「却下」

「えぇー!」

「最初からお前に選択権はない」

「秋良ちゃん、ひどい……」


 恨みがましくつぶやきながらも、はるかはおとなしく秋良の後についていく。その後ろを、数歩離れて翠が続く。


 今日の野営地に決まったその場所で、少し早めの夕食をとる。拓帆で用意した保存食だ。必要分しか購入していないため、はるかにとっては物足りなさを感じる量だった。



【木霊森】植物全てが巨大に育った森。双月界が作られた時からあるため。彩玻動を取り込みやすい性質の植物のため。様々な説があるが解明はされていない。


【栞菫の記憶】鍵となる光景を見た時に、はるかの中で再現される。いつ何がきっかけで起こるか本人にも予測できない。


【保存食】旅に携行できるよう加工されたもの。干肉や干魚、干飯などが主。拓帆は港町なので今回は魚介多め。

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