参・魔竜士団? 後
あらかじめ紐を緩めてあった刀を左手で外し鞘ごと放った翠の一撃。仰向けに倒れ立ち上がらない男に全員の視線が向いた。
その隙に秋良は包囲から抜け出す。
雑魚が相手とはいえ、翠の実力の一端くらいは見ることができるだろう。秋良は傍観を決め込むことにした。
翠は先刻までと変わらぬ様子でたたずんでいる。腰から外した刀を逆手に持ったまま。鞘に結ばれた紐は鍔に絡められ、結び目を解く様子もない。
右手で、柄を握りなおす。切っ先を下ろし後方に引き、斜にとめる。それは白銀と同じ構えだった。
やっと我に返った首領が剣鉈をかざし叫ぶ。
「なにをしている! 全員かかれ!」
首領の怒声に、はるかを囲む三人も刀を抜いた。ひとりがはるかの腕を捕まえようと手を伸ばす。
「おとなしくしろ……っと!?」
はるかはするりと手を逃れ、逆にその腕を引きながら男の背中側に逃れる。均衡を崩した男の身体を盾に囲みから抜け出す。
「この餓鬼っ!」
男はすぐに体勢をたてなおしこちらをにらむ。
秋良の見よう見まねで囲みは脱したが、三対一の状況にかわりはない。
外套の上から、胸元をぎゅっとつかむ。
布越しに触れた確かな硬い感触。それまで高く速く鳴り続けていた鼓動は、風が止んだ水面の静けさを取り戻していく。
「早く捕まえて人質にしねぇと頭に怒られるぜ」
「一斉にかかるぞ」
刀を振りかざした男たちが気勢を声に発し向かいくる。
はるかは腰の刀に手を伸ばしつつ右足を引いて低く構えた。その頭上を太刀の刃が水平にかすめていく。
振り下ろされたふたりめの長刀は刀の鞘で受け止める。相手の力を流しながら、刀を絡めとるように上へと振り上げた。長刀は弧を描き男の手を離れる。
相手の攻撃に対する素早い反応。適切な判断。そこに、はるかの意志は存在しない。
考えるよりも先に身体が動きはじめ、次いで決まって襲いくるもの。心が、身体から分離してしまったのではないか――そんな感覚と恐怖。
――身体に宿る力を恐れないで
蒼のなかで聞いた声が内に響く。ぐっと歯を食いしばり沸き起こる恐怖心を押し込める。
跳ね上げた反動で鞘の抜けた刀を、踏み込みと同時に打ち下ろす。長刀を奪われた男の額が割れる。返す刀で左から迫る男の脇腹を、背後に襲いくる太刀の男のみぞおちに柄を、次々と打ち込む。
振り向きざまの一閃。首筋にそれが決まると、男は太刀をとり落とし。すでに倒れている仲間と同様地面に横たわった。
はるかは知らず止めていた息をゆっくりと吐き出す。構えていた刀を、刃が向くように正しく構え直す。うずくまりながらうめく三人を、はるかは恐る恐る見下ろした。
こーん……
「――っつ~……ぅ」
はるかは頭を両手で抑えその場にしゃがみ込んだ。抜けた鞘は、回転しながら高く跳ね上げられていた。自重で戻ってきたそれが、はるかの脳天に命中したのである。
「なにやってんだ、あの馬鹿」
うずくまるはるかを遠目に、秋良は一歩分右へ移動する。空いた場所に剣鉈の首領がもんどりうちながら転がり込む。そのまま道端を越えて草むらへ消えた。
それが最後だった。
自称魔竜士団たちは翠を中心にひとり残らず地面に転がった。起き上がってくるものはいない。
再び腰に刀を提げる翠に対し、秋良は感嘆と悔しさの入り混じった視線を向ける。その割合は、もちろん悔しさの方が勝っていた。
月並みな表現だが、大人と子供の戦いである。
白銀のように型のできた剣術ではないものの、身のこなしは並大抵の者には真似できまい。
真偽のほどはともかく、男たちは魔竜士団として近隣に名をとどろかせる程度の実力は持っている。それをひとりで、あっという間に片付けたのだ。抜刀せず、荷を負ったままの立ち回りであったにも関わらず。
実際は、秋良の方へ寄ってきた者もいた。それは適当にあしらい蹴り戻したところを翠に叩き伏せられていた。それを差し引いても実質翠が倒したのは七人。
秋良からして雑魚と言わしめる相手ではあるが、翠と同じ時間でねじ伏せることが可能かといえば――。
秋良は舌打ちし、懐を経由した右手を横一線に薙ぐ。
一筋の閃き。自らに向けられたそれを見ながら微動だにしない翠の耳脇を掠める。数本の黒髪を舞わせた秋良の飛苦無は、翠の背後に立つ街道沿いの木立に消えた。
高い金属音。飛苦無を叩き落としたのは若い男だった。抜き身の小刀を手に、一瞬振り返ったその右目。あるべきものの代わりに根を広げる大きな傷痕――。
それに気を取られ動きを止めたわずかな隙に、男の姿は見えなくなっていた。秋良は翠の横を抜け木に駆け寄る。
身を隠すものはこの木以外にはない。にもかかわらず、男の姿はおろか痕跡さえも見つけることができなかった。
「――……」
背後から翠の声がかすかに聞こえ、秋良は驚き振り返る。
鳶色の瞳とぶつかる緑玉色の瞳。それはすぐに翠によりそらされた。行く道の先へ歩き出しながら。今度ははっきりと秋良に告げる。
「急ごう。ここを離れた方がいい」
翠の歩く先には、ようやく立ち上がったはるかがいる。
彼女は頭をなでながら、痛みを発生させた原因である鞘を拾い上げていた。近づく翠に気がつき、情けない笑みを浮かべる。
その様子を見ながら秋良は落ちている飛苦無を拾い上げた。
先刻の翠の態度。秋良に追求されるのを避けようとしていたように感じられた。
「早く行こう、秋良ちゃん!」
はるかの大きな声に思考が遮られる。
秋良は拾い戻した飛苦無を、元通り外套の中の革帯へしまう。地面に転がる野盗どもを避けながら足早に歩き出す。
秋良との距離が近くなると、はるかはこれまでと同じように軽い足取りで歩き始めた。その後ろを翠が、そして少し離れて秋良が行く。
前方へ続く街道は緩やかに湾曲しながら北へ向かっている。その先に、深い緑色をたたえる森の一端が見え始めていた。
森が近づくほどに、はるかの足取りは軽く弾んだものになっていく。砂漠を渡る道のりで、砂煙の向こうに街が見え始めたときの彼女と同じだ。
はるかが初めて運び屋の仕事についてきたとき。秋良は護身用に刀を与えた。砂漠で妖魔と遭遇し、倒せはしなかったものの素人とは思えない動きを見せたのだ。
今から思えば、稀石姫として幼い頃から教育を受けていたのだろうから、当然と言えば当然である。
だがすぐに刀を振るうことを恐れるようになった。その頃のはるかに比べれば。先刻のあれはなかなか様になっていたと言えるだろう。
それでもまだ、覚悟が足りない。
意識したのか、たまたまなのか。野盗たちを叩き伏せた攻撃はどれも峰打ちだった。
これから先、緋焔や深羅といった妖魔六将を相手に戦うことになるのだ。
そんな秋良の杞憂を知らず。数間先を行くはるかは、青空を横切る鷹を見上げてはしゃいでいる。
ひとつため息をつき、秋良は視線を転じた。
はるかと秋良のちょうど中間あたりを歩く翠の後ろ姿。秋良の瞳に自ずと鋭い光が宿る。
常に表情を変えないこの男。
なにを考えているのかわからない。必要以上のことを語ろうとしないだけになおさら。
秋良は翠に対し疑念を消すことができなかった。根拠はないが、しいて言うならば勘だ。なにか後ろ暗いものを抱えている者のにおいがする。
それに、眼に傷のある男を見て発した翠のつぶやき。
はっきりとは聞こえなかったが、秋良の聞き違いでないのだとしたら。
翠はこうつぶやいていた。
竜人族――と。
【飛苦無】秋良が時折使用する。小型の細長い両刃刀。肩から斜め掛けした革帯に数本忍ばせている。
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人物紹介その二
これからの物語に間接的に関係してそうな人たち。
【呉羽】故人。珠織人の長『聖』であり、栞菫の父。魔竜の乱で敵将『雷神』の手にかかる。
【泡雲】珠織人。三長老のひとり。翠の直属の上司にあたる人。秋良に対する不穏な予言を口にしていたが……。
【李】珠織人。栞菫付きの侍女。おっちょこちょいで妄想癖あり。お守りは渡せたのか……?
【吉満】秋良をひいきにしている沙里の情報屋。昼は酒屋。息子や親族も皆商人で顔体型がクローン並に類似。




