参・魔竜士団? 前
宿の一階で待っていた秋良とはるかは、階段を降りてきた翠を見て面白いほどに対照的な姿を見せる。
一瞥したきり、翠の方を見ようともしない秋良。出発できるのが嬉しくてたまらないと言った様子のはるか。頬が緩みっぱなしのはるかは手招きで翠を急かす。
「はやくはやく!」
「ったく、うるさいって言ってんだろ」
呆れ半分にぼやく秋良を振り返って、はるかは言う。
「だって早く見たいんだもん、木霊森!」
「――!」
不用心なはるかの言葉に秋良は肝を冷やす。
いつどこに敵が潜んでいるかわからないというのに、あっさり行き先を口にするのか、この馬鹿は。
「おや。お客さん方、木霊森の方へ行きなさるのかね」
そう声をかけてきたのは宿の老主人だった。柔和そうな笑顔を浮かべる主人に、翠が応じる。
「なにか?」
「風翔国へ抜けるなら、南へ迂回して行きなされ。近頃の常樹街道は物騒でいかん」
「ぶっそう??」
はるかが訪ねると、老人は神妙にうなずいて見せる。そして三人のほうへ歩み寄り声を潜めて言った。
「魔竜士団が現れて、身ぐるみはがされるんじゃ」
「まりゅ……!」
大きな声を出そうとしたはるかの口を秋良が塞いだ。秋良の鳶色の瞳も、驚きに見開かれている。
「危険は避けて南の笹葉街道から行きなされよ」
それだけ言って主人は入ってきた客の対応を始め、それ以上話を聞くことはできなかった。
三人は宿を出る。陽昇国を出たときよりも増えた荷物は、袋に入れて各自背負っている。中には長旅に必要な物資が入っていた。
はるかはその重さにさえ心が弾む。今までは沙里・琥珀間の砂漠を渡る二里半の往復のみ。旅と呼ぶにはあまりに短い距離の移動しか体験したことがないのだ。
たとえ荷物が少々重くとも、足取りはいつもより軽い。表通りの人ごみを縫ってすいすいと歩いていく。
そんな浮かれ気分のはるかを捕まえんと秋良が思った矢先。はるかの腕を翠が捕まえた。
「目立つ行動は控えるんだ」
ささやく翠の真剣な表情に少し驚きつつも、はるかは素直にうなずいた。
それを確認し、翠は手を離す。
金茶色の髪に、紫水晶の瞳。砂漠では目立っていた容姿だが、大陸に住む斎一民は色素の薄い者も少なくない。
それでも、人目を引くようなことは避けるべきだ。敵の手の者もどこに潜んでいるかわからないのだ。
言おうとしたことを先取りされた秋良は消化不良の顔をしている。が、自らの中の疑問を解決すべく翠に告げる。
「魔竜士団が出るって言ってたな、宿のおやじ。戦の後、消えたんじゃあないのかよ」
戦が終わったのは百二十年ほど前のこと。生まれていなかった秋良にとって戦に関することは伝え聞く程度なうえ、敗走した斎一民内に残る情報は少なかった。故郷を失い、自分たちの暮らしを立て直すことで手一杯だったのだろう。
翠は後ろから秋良が追いつくのを待ち、並んだところで歩き出す。
「魔竜士団は存続している」
秋良にだけ届く大きさで話しながら、視線は少し先に行くはるかを見失わぬよう追っている。ふたりの会話は通りを行き交う商人や旅人の喧騒に飲まれお互い以外には届かない。
「先の戦を終わらせるため、栞菫が魔竜士団の士団長と戦った。しかし決着はつかぬまま、双方が行方不明となったのだ」
「行方不明……」
その後、秋良が砂漠で見つけるまでの百二十年。はるかはどこでどう過ごしていたのだろうか。
秋良の疑問を知らず、翠は先を続ける。
「魔竜士団も珠織人も、統率者の捜索のため一時停戦となった。その後魔竜士団は目立った動きを見せていない」
翠が珠織人の名を出すたびに感じる違和感。秋良は引っ掛かりを覚えたが、理由を見つけられないまま胸にしまった。
「なるほどな。統率者の不在で追いはぎまがいの団員が出てるってことか」
「魔竜士団は誇りを重んじる竜人族で構成されている。そのようなことは考えられない」
「秋良ちゃん、翠くん! はやくー!」
町の出入口にある石門にたどり着き、はるかが大声で呼びかけてくる。
それを無言で見つめる翠に、秋良は小さくため息をついてみせた。
「言われたことすぐ忘れるからな。あいつ。お前もそのへん覚えておいた方がいいぜ」
秋良は小走りに石門へ向かう。もちろん、はるかを小突いて黙らせるためである。
その姿を見送りながら、翠は前途の多難さを本旨とは違うところで感じていたのだった。
拓帆の街から大陸内部へと続くふたつの街道。
南の笹葉街道は、拓帆の南門から南西へ向かう。海岸沿いにある海綱の町を経て海沿いを西へ向かい、風翔国へと続く。
西門から伸びる常樹街道は北西へ向かい、山間にある杉根の街を経て風翔国へ。
大陸最東端の港である拓帆から船に乗る者、船旅を経て拓帆から大陸内部へ向かう者はいずれかの街道を利用する。海綱も杉根も特産物が豊かであり、商人の往来も多いのだ。
しかし今、常樹街道をゆくのは三人だけであった。
はるかは飽きもせずはしゃいでいる。さすがに街を出たばかりの騒々しさはなくなったが、それでも花や虫を見つけてはあっちへそっちへと行き来しながら進んでいた。
街道の脇に茂る丈の短い草は、街道とともににずっと遠くまで続いている。朝から続く陽気。青い空に浮かぶ白い雲。ともすれば大事な旅の途中ということすら忘れてしまいそうだった。
気を引き締めんとしたはるかだが、細い枝を持つ低木に咲く細かな黄色い花に気を取られ歩み寄る。
その低木の奥、湾曲する道の遠くに見えたもの。森のように見えるそれは、目的の木霊森ではないだろうか。
「秋良ちゃん、翠く――」
勢いよく振り返った視線はなにかに遮られた。
いや。なにか、ではなく、誰か?
はるかは視線を上にずらした。そこにあったのは見知らぬいかつい男の下卑た笑いだった。
「ひゃわっ!」
小さく奇声を発しつつも、素早く周囲を見回す。
いつの間にか三人の男に囲まれている。武器を手にした男たちの隙間から、秋良たちがいるであろう方をのぞき見る。
三間離れた位置で、ふたりは十人ほどの男に囲まれていた。
はるかを取り囲む三人の男同様にそれぞれに武装している。統一感はなく、沙流砂漠で遭遇する野盗を連想させた。
そのうちのひとりが大声をあげた。
「我々は魔竜士団だ。武器を捨て荷を置いていけば命は助けてやる!」
「なんだ? 大勢でよってたかって、身ぐるみ剥ごうっての?」
秋良は名乗りを上げた男を正面に見据え、ため息混じりに腕を組んだ。
横にいた男が黙れと言わんばかりに大刀を突き付けてくる。その切っ先に面白くなさそうな視線をくれて、秋良は視線を正面に戻す。
囲まれたときに、十人の武器はざっと確認した。
どう見てもただの野盗にしか見えないこの集団。追いはぎ宣言をした男が首領格だろう。それなりに手ごたえはありそうだ。それ以外は、はるかを囲んでいる三人も含めほぼ雑魚。
はるかひとりでもしのぐことくらいはできるだろう。
翠は――目線だけ向けると、憎らしいほど落ち着きはらった様子でたたずんでいる。ぐるりと取り囲む男たちにゆっくりと視線を巡らせながら、翠は言う。
「確認するが、本当に魔竜士団なのだな?」
「貴様もその名は聞き及んでいるだろう。実際こうして目の当たりにするのは初めてだろうがな」
確かに、相手が斎一民であればそうだろう。魔竜の乱は百二十年も前のこと。魔竜士団を直接見た者は生きてはいまい。
そこに眼をつけて悪さをしているのだろうが、渦中で戦を体験したであろう人物に向けて胸を張る姿はあまりに滑稽だった。
一回りし、正面へ向けられた翠の視線。黒に近い緑玉の瞳が首領格の男を射抜く。
「お前の言う通り、竜人族の強さは聞きしに及ぶ。手加減は無用ということだな」
翠の言葉が終わるのと時を同じくして、彼の左に立っていた男が二、三歩後方へ吹き飛んだ。
いまさらですが人物紹介。
とりあえず三章開始時点で名前出てくる人。
【秋良】陽昇国で砂漠を渡る運び屋兼賞金稼ぎをしていた。過去を誰にも告げず男のふりをしている。
【はるか】砂漠に落ちているところを秋良に拾われた。実は珠織人で、しかも千年に一度の稀石姫・栞菫だった。
【翠】陽昇国の諜報隊長。国外にも詳しいこともあって巡礼の儀に護衛として同行。無口無表情。
【深羅】妖魔六将を名乗る老人。顔がよく見えないし謎も多い。闇の力を操る。
【緋焔】陽昇国の守護石に封じられていた妖魔六将。炎の妖術と体術が得意。喧嘩馬鹿。
【白銀】陽昇国の近衛隊長。栞菫とは幼馴染のような関係。翠とは同僚であり友。留守番中。
【氷冬】白髪藍眼の剣士。作者の脳内では怜悧美麗。はるか達の動向を追っているようだが……。
【至道】氷冬と行動しているやたら体格のいい人。不言実行っぽい。




