弐・道を選び、進む 後
緑繁国――その名のとおり、国土は豊かな緑地に覆われている。その七割を占めるのが木霊森である。
目指す守護石は木霊森の最深部。徒歩で五日以上はかかる。その間、どうあがいても野宿は避けられない。最低限必要なものは昨日のうちに買いそろえてあった。
港街・拓帆から続く道は二つ。西にある常樹街道と、南にある笹葉街道。どちらも経由する街は異なるものの、隣国である風翔国へと続いている。
これから向かうのは常樹街道。西へと続く街道が木霊森を大きく北に向けて回りこんでいる。森に隣接する地点で街道を外れて北上し木霊森内へ。後は森の中をひたすら北上し守護石を目指す。
「行く先になにが待ち受けているかわからん。心して行かねば」
翠は地図をたたみながら、真剣な面持ちでつぶやいた。それはふたりに向けて、というよりは自分への戒めに近い。
『敵』はいつ襲ってくるかわからない。
陽昇国の守護石を破壊した老人の妖魔、深羅。忽然と姿を消した妖魔六将の一人、緋焔。もしくは、その仲間が――?
果たして仲間が存在するのか……こちらには『敵』の目的も全容もつかめていないのだ。
「たどりついたらもう壊されてました、なんてことはないのかよ」
秋良が相変わらず不機嫌そうな声を挟む。
はるばる森の奥まで行ったはいいが、それがすべて手遅れだった。そんな徒労を踏まされるのは避けたい。
翠は秋良の挑みかかるような視線を、静かに見返す。
「それはない。守護石の結界は、森に住まう一族により守られている」
「ねぇ、秋良ちゃん。それは行けばわかるよ。はやくいこう、翠くん!」
はるかが勢いよく立ち上がった。
初めて踏んだ土地、広大な森、まだ見ぬ旅先の光景。そして、それによって記憶が取り戻せるかもしれないという期待。話を聞いているうちに大きく膨らみ、いてもたってもいられなくなったのだ。
外套を羽織り、寝台の脇に置いた自分の荷物を背負いながらも、「はやく、はやく」と口ずさんでいる。
その様子に、秋良は再びため息をつく。
「遊びに行くんじゃあないんだぞ」
言いながら、壁から背中を浮かせて寝台に歩み寄る。外套を手にし、ふと視線に気付く。
立ち上がった翠と眼が合う。
「……なんだよ」
「いや」
一言。視線を伏せ、自らも仕度をすべく部屋を出て行く。
秋良は扉が閉まるまで、その後姿を憮然として見つめていた。
「なんだよあいつ」
「翠くん、笑ってたねぇ」
「はぁ!?」
驚いてはるかを振り向く。秋良が見た限りでは、まったく変わらぬ無表情だったのだが。
いや、それよりも。
「なんで笑われなきゃいけないんだよ!」
「いたいっ」
秋良が投げつけた枕は、見事はるかの頭に直撃した。
隣の自室へ移動しながら、翠は暁城での白銀との会話を思い出す。
守護石の元、炎を操る妖魔・緋焔を退けた白銀は重体で城へ運び込まれた。数日後、意識を取り戻した白銀を見舞ったときのことだった。
「そうか……やはり巡礼の儀を急ぐことになったか」
近衛隊長不在のまま行われた緊急会議の内容を聞き、白銀はつぶやいた。
陽昇国の守護石が破壊された後、双月界の守護石の現状と暁城のこれからの方針についての会議が行われた。その内容を知らせるべく、翠は白銀の部屋を訪れたのだ。
聞きながら終始室内を歩いていた白銀は、足を止めて翠を見る。
「巡礼で守護石を巡ると同時に、核のありかを探す、か。元来巡礼の儀も供は少なく行くものではあるが……」
「妖魔の動向か」
「ああ。こちらには情報が少なすぎる。以前、栞菫を探していたお前と行き会った老人が妖魔六将だった。そいつは陽昇国の守護石に封じられていた同じ妖魔六将の緋焔を解放した」
「守護石の破壊は、やはり妖魔六将の解放が目的なのだろうか」
「おそらくは。だが、守護石の破壊というところで、魔竜士団と目的が合致しているのも気にかかる」
そう告げる友の青銀色の瞳を、翠はまっすぐに見返す。そこにはなんの含みも遠慮もない。魔竜士団の名を気兼ねなく口にする白銀が、翠にはありがたかった。
過去の状況と、部下から得ている情報を元に、翠は言う。
「守護石の破壊には力のある術者が必要だ。先の戦で、竜人族と妖魔につながりがあったかまではわからないが……魔竜士団には今のところ動きは見られない」
暁城の諜報隊は双月界各地に散っている。なにかあればすぐに報告が入るはずだった。ただし『彩渡り』が使えない今、隊員との連携にも時間がかかる。遅れをとってしまう可能性は否めない。
「魔竜士団が守護石の破壊をあきらめていないのであれば、これを機に動くことも考えられる」
士団長が不在のままだとしても、副士団長のあの男ならばそうするだろうと。確信めいたものが翠の中にあった。
それを聞いた白銀は小さく嘆息する。
「戦力不足だな。各国に応援と協力を要請しているとはいえ、すでに双月界の守護石は半分を失っている。妖魔六将も三人が自由の身ということだからな」
「もうひとりの将……」
深羅と緋焔以外にもうひとり、先の魔竜の乱時に解放された妖魔六将がいる。先の戦の時を含め、その存在は未だ確認されていない。
「そこに加えて魔竜士団が動き出したら、魔竜の乱どころの騒ぎじゃあ済まないな」
「急ぎ守護石を保護する必要がある。巡礼の儀を行わなくては、守護石は自壊するかもしれないのだろう?」
翠が言う通り、巡礼の儀は珠織人が代々守護石を守るために行なってきた。
環姫が妖魔六将を封じた巨石。守護石に施された封印の術に彩玻光を注ぎ、常に封印の強度を保つ。さらに封印が解かれぬよう結界を施す。十年に一度、聖だけに伝えられる秘術でそれを行うのが巡礼の儀なのだ。
巡礼の儀は百二十年の間絶えていた。このままでは外部からの破壊を待たずに封印が解けてしまう可能性もある。
白銀はうなずいて言った。
「巡礼の儀は、栞菫も何度か同行している。記憶を取り戻すきっかけになればいいが」
「栞菫の記憶……」
「戦で姿をくらましてから、陽昇国まで戻ってきた経緯は本人も覚えていない。どこでどのように核を失ってきたのかもわからないからな」
「……核がないためなのか」
翠の声に、白銀が目線を上げた。少し遅れて、翠が白銀を見る。
「栞那の記憶だ。核が戻れば、あるいは……」
「核、か。そう考えられなくもないな。どうあれ、巡礼も大事だが栞菫の核を取り戻すことも急を要する」
「核の所在については、諜報隊も継続して捜索する。もし敵の手に渡ることにでもなれば――」
考えたくはないが、核の破壊は珠織人の死に繋がる。また、遠く離れたいずこかにある栞菫の核と、栞菫本人を結び付けているのは彩玻動流だ。守護石の破壊が続けば核の彩玻動が栞菫に届かなくなってしまう。遅かれ早かれ、核を取り戻せねば結果は同じこととなるのだ。
白銀はその瞳に強い光を宿して翠を見た。
「向こうの狙いが守護石であるならば、巡礼に向かえばおのずと相対することになるだろう。くれぐれも栞菫を頼むぜ」
「承知の上だ」
「後は、あの秋良という斎一民。俺は同行させるのがいいと思っている」
「白銀。あの者は珠織人では……」
言いかけて口ごもってしまった翠に、白銀は笑顔で言う。
「まぁ、そう気にするな。栞菫のためだよ」
「栞菫のため」
「ずいぶんとあいつに依存しているみたいだからな。もしかすると『すりこみ』のようなものじゃあないか。記憶を失った状態で最初に会ったのがあいつだって話だろ?」
「……」
「秋良がこの城に来てからまだ数日しか経っていないが、それ以前よりも栞菫は生き生きして見える。あいつの前では、無理なく『はるか』でいられるからなのか……」
正直、そう話す白銀もそれを聞く翠も、それに関しては複雑な心境であった。
「もし、栞菫が……」
白銀は言いかけて、しばし考えた末「いや、なんでもない」とその先を語ることはなかった。
翠には白銀の言おうとしていたことがわかっていたわけではない。それでも、きっと考えていたことは、おそらく同じだろうと思っていた。
もし、栞菫が自由を選ぶとしたら――?
栞菫が記憶を取り戻すか否か。その結果いかんでも選択は異なるだろう。となれば、この先栞菫が、珠織人が、自分たちが、進んでゆく道の先はまだ見えない。
今見える範囲で道を選び、進んでゆくしかできないのだ。
【風翔国】大陸の東端にある緑繁国の西に位置する、唯一接する隣国。魔竜の乱時に守護石を失っている。
【魔竜士団】高い戦闘力を誇る竜人族の若者を中心に構成され、かつて双月界を戦乱に陥れた。現在目立った動向は見られていないが……。
【彩渡り】暁城諜報隊のみ使用を許された秘術。彩玻動流を通って瞬時に移動できたのだが、今は守護石破壊により封じられてしまった。
【環姫】妖魔六将を封じて双月界を作ったとされる女神。
【聖】珠織人の国王にあたる位の呼称。
【斎一民】風翔国を治めていた種族。ファンタジー世界での人間に相当する。




