玖・焔嵐去りて 後
「白銀! 身体はもういいの?」
「まだ最低限動ける程度でしかないがな」
彼はいつもの鎧はつけておらず、着物姿で立っていた。
どこか人を食ったような笑みはいつもと変わらず。着物からのぞく腕や胸に巻かれた包帯が、癒え切っていない傷の存在を知らしめている。
秋良は不機嫌を全面に出して白銀に向き直った。
「さっきなんて言った? 死に損ない」
「おいおい、ずいぶんと口が悪いな。お前、友達少ないだろ」
「なんて言ったと聞いてんだろ」
どこか楽しげな白銀。しかし秋良は声の調子がさらに低くなる。はるかは思わず一歩後ずさった。
白銀はまったく動じずに口を開く。
「無理なことを押し付けるのは良くない、と栞菫に言ったんだ。あれだけの力を持った相手がいつ襲ってくるかわからない旅だからな。行きたくないと言っている者を、無理に連れ出すのは酷というものだ」
「てめぇ……俺が奴らから逃げてるって言いたいのか」
「いや、決してそんなことは言っていない。だが、あれだけの相手だ。無理もないさ」
白銀はもっともらしくうなずいたりしている。
言ってるじゃねぇか! と、秋良は思う。思いはしたが、高まる感情に身体がわななき、声にはならなかった。
秋良はひとつ息を吸い、吐く。いやというほど染みついた習性とも言えるこの方法ですっと心が冷える。
「好きに言ってろ」
秋良は足早にその場を離れた。
追おうとしたはるかは、白銀にそっと押しとどめられる。城の方へと去って行く秋良の背中は、月夜の砂漠で見たときと同じく哀しげに映った。
「やっぱり栞菫はあいつと一緒に行きたいのか?」
それを聞いて、はるかは白銀を振り仰ぐ。白銀の青銀色の瞳は穏やかにこちらを見つめている。
はるかがすぐに答えられずにいると、白銀が独り言のような口ぶりで言った。
「供が翠だけというのもな。翠は融通が利かないところがあるし、ひとりでも多い方が安心できるか」
「白銀はお留守番なの?」
お留守番、という表現に、白銀は眉を上げて小さく笑い声をこぼす。
「城を護る者も必要だろ? この白銀、近衛隊長として栞菫様の留守を預かりますゆえ、ご安心を」
恭しく頭を提げて見せたところで、泡雲が呼びかけた。
「栞菫様、白銀も」
礼を執ろうとする白銀を片手で制し、泡雲は白銀の様子を『見た』。
「立って歩けているならもう安心だな。全快まではそう遠くないか」
「はい。栞菫様が発たれるまでには万全にいたします」
彩玻動も安定している白銀の様子に、泡雲は満足そうにうなずく。そしておもむろに、はるかへ向き直る。
「さて、栞菫様。秋良殿ですが」
その名を聞き、はるかの表情がわずかに曇る。
「己が業が招く未来……訪れるであろう困難を、避けることはできぬでしょう」
「それも、泡雲が『見えた』ものなの?」
はるかは結晶石の間でのことを思い出していた。
あのとき泡雲は言った。
眼が見えぬ分、不思議と違うものが見て取れる――あいまいな光景のみではあるが感じ取ることがある、と。
「いつ起こるかまではわかりませぬが……わしがこれほど強く感じるということは、ほぼ間違いなく起きてしまうでしょうな……」
「それは、どんなことなの?」
不安に揺れるはるかの紫水晶の瞳に、首を横に振る泡雲が映る。
その困難は、秋良の命にすらかかわる可能性がある。それは伝えるべきではないと泡雲は胸の内にしまった。かわりに、それに抗える可能性を栞菫に伝える。
「一人では越えられぬことも手助けする者があれば越えられることもある。それが起きてしまったときは、栞菫様が支えておあげなさい」
「でも、秋良ちゃんは……本当は一緒に来たくないのかも」
「ふむ……」
泡雲があごに手を当てて黙ったのを見、白銀が小さく言う。
「栞菫はどうしたいんだ?」
「私――」
泡雲はそんなふたりを前に心から微笑む。
幼少の頃から兄妹のように育つふたりをずっと見守ってきた。こうして再会できたことは、泡雲にとっても喜ばしいことなのだ。
「相手に合わせて意見を通してやることが、必ずしも相手のためになるとは限りませぬ。さりとて、自らの意見を押し通すことが正しいとも限らない。異なる心を持つもの同志がそれぞれ思いを伝え、折り合いをつける。なかなか難しいものです」
泡雲の言葉を、はるかは無言のまま受け止める。
今までの自分はどうだったろう。沙里にいたころは秋良に。ここへ来てからは城の皆に。その意に沿うようにすることが、良いことだとばかり思っていた。
「秋良殿がどう思っているかは、直接ご本人にたずねられるのがよろしかろう」
「うん。私、行くね」
泡雲にも背中を押され、はるかは城へと駆け出した。
自分はどうしたいのか。
答えは出ている。秋良に一緒に来てほしい、と思う。
もし。秋良にその理由を問われたならば。
はっきりとした答えを持てていない。
はるかのは不安に瞳を揺らしたまま城の門扉をくぐる。
なにより秋良がどう思っているのか。
もし望む答えではなかったなら?
秋良の元へ駆けていたはずの足はいつしか速度を緩め。今や重く廊下を歩いていた。
一階廊下の曲がり角に差し掛かったはるかは、見知った後姿を見つけた。壁にしがみつくように角の向こう側をうかがう侍女がいる。
はるかはそっと近づく。廊下の先を、同じようにこっそりと見やる。そこには諜報隊の若者に指示を出しながら遠ざかっていく翠の姿があった。
まったく気が付く様子もなく一心に見つめる侍女に、はるかは声をかける。
「なにやってるの、李ち――」
「――!!」
李は声にならない悲鳴をあげ、はるかの口をふさいだ。
「だっ、だめですよ栞菫様! 翠様に気取られてしまいますっ」
最小の声で叫ぶ李にうなずき返すと、ようやく口が解放された。
はるかは李にならって小声でたずねる。
「それで、翠くんになにか用事?」
「いえっそんな! 一介の侍女である李ごときが、諜報隊長様であらせられる翠様にご用など! あるわけないじゃないですか! あはは、はは……」
自分で言った事実に哀しくなってきた李は、最後に大きくため息をついた。
が、すぐに気を取り直して懐から小さな包みを取り出した。
「栞菫様にお会いしたら差し上げようと思いまして。お茶菓子の包みですぅ」
「わぁ! ありがとう」
「そういえば、秋良様が――」
「え」
はるかの心臓がどきりと鳴る。
お茶菓子の包みをさっそく開いて満面の笑顔だったはるかの表情が固まった。
「なんだか思いつめたご様子でお部屋に入られて……栞菫様、行ってさしあげては?」
「うん……」
はるかは、うなずきの延長でそのままうつむいてしまった。開いていたお茶菓子の包みの口を、閉じるように両手できゅっと握り締める。
「栞那様?」
「もし、秋良ちゃんが、私と一緒にいたくないんだったら。どうしたらいいんだろう」
今まで、一緒にいるのが当たり前だった。離れるということには、これほどまでに不安が伴うものだと。暁城に暮らし始めてから嫌というほど思い知らされた。
せっかくこうして会えたというのに、また秋良と離れてしまうのか――。
今回は解説はおやすみ。
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