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玖・焔嵐去りて 前


 守護石が破壊され、沙流砂漠は激しい砂嵐に包まれた。

 傷を負った白銀(しろがね)と、お荷物ふたり。どうしたものかと考えあぐねていた秋良の元に、暁城(あかつきのしろ)の兵たちが駆けつけた。

 あの老人の法術陣から放たれた闇は、地上からも確認できたという。

 守護石が完全に破壊されたことで、諜報隊の移動手段である『彩渡(いろわた)り』は使えず。砂嵐の中を乗り越えて城へ戻った。


 一夜明けた今。秋良は暁城の白い城壁に寄りかかり、流れてゆく雲を何の気なしに眺めていた。

 晴れ渡った空に、魚の鱗のように並ぶ雲が広がっている。天頂を過ぎて下り始めた太陽と、少し離れた位置で太陽光を反射する白月(しろのつき)が、雲の切れ間からのぞいていた。

 秋も深まってきたものの、暖かい日差しに若干の冷たさを帯びた風がむしろ心地よい。


 守護石の破壊は彩玻動流(さいはどうりゅう)を乱し、生物や環境に影響を及ぼすと言われている。暁城は守護石から離れているためか、破壊からまだ日が浅いためか。まだ兆候は見られない。


 秋良は視線だけを右手に送る。少し離れた茂みが動いたのだ。風のそよぎによるものではない、不自然な動き。

 直後、背の低い影が姿を現した。灰色の髪を後ろに束ね、白に柳色の長衣に身を包んだ老人。閉じられたままの双眸は光を失って久しい。しかし盲目とは思えぬ確かな足取りで秋良へと歩み寄る。


 泡雲(あわくも)、という名だったか。地下牢に入れられた時に会っている。

 秋良は彼の意図を測りかねて戸惑った。なぜか泡雲はこちらに向かって手招きをしているのだ。

 今いるのは城と居住区の中間であり、しかも周りには草木以外何もない。通りすがり等ではない。暁城の長老が、秋良を目的として訪れたのだ。


 泡雲は秋良の反応を待たずに歩きはじめた。


「守護石はもとより環姫(たまきひめ)の結界により守られしもの。代々の(ひじり)が十年に一度『巡礼の儀』として各地の守護石を巡り結界を強める。同時に石の封印を維持しておったのだ」


 振り向かず告げられた泡雲の言葉は、ついてくると『わかって』いた秋良に向けられたものだった。


栞菫(かすみ)様の行方がしれぬ百二十年程、巡礼を行えぬがゆえに結界と封印は弱まっていった」


 城壁周りの林を抜けて白い石畳の通りへ出る。

 左手には民家が多い。と言っても沙里(さり)琥珀(こはく)の街並みとは違い雑多な印象はない。石畳の道や、そこから伸びる脇道に沿って等間隔に並んでいる。

 民家の奥に広がる畑で農作業にいそしむ者たち。収穫した作物の籠を運ぶ者たち。その数は城壁内の広さから思うに少ないように感じられた。


 ふと、秋良はあることに気が付く。それを悟ったか否か泡雲が言う。


「今、暁城には子供がおらぬ。珠織人(たまおりびと)を生み出す『珠織の儀』は絶えて久しい」

「はるか……栞菫が戻ったんだろ。今はあいつが聖なんじゃあないのか」

「記憶のない今の栞菫様では、無理であろうなぁ。結界と同じく、我々珠織人も衰退しておる」


 珠織人の寿命はちょうど三百年。年に一度失われる命があり、年に一度の珠織の儀で生まれる命があった。現状のままでは、珠織人は緩やかに一族断絶への道を進んでいくことになる。


「やはりこちらにおられたか」


 足を止めた泡雲の向こうから歓談する数人の声が聞こえてくる。

 農作業の合間の休憩なのだろう。畑の脇にある草地に十人ほどの男女が座り昼食をとっていた。


 その輪の中に、栞菫としての長衣をまとったはるかの姿があった。皆と同じく草の上に座り、分けてもらった弁当をおいしそうに頬張っている。

 城外に住む秋良たち斎一民(さいいつのたみ)とは異なり、核の色を映した色とりどりの髪や瞳の色をした珠織人。その中に彼女は違和感なく溶け込んでいた。


 民たちに囲まれ談笑するはるかの姿に、秋良はどこか遠くを見るようなまなざしを向けていた。

 泡雲が静かに告げる。


「かつてもあのように民と過ごされていた。記憶を失われた今でも、お変わりない栞菫様でいてくださる」


 他者への慈しみと、己に対する厳しさ。その二つを内包し、神々しいまでの輝きを放つ稀石姫(きせきのひめ)。環姫の現身(うつしみ)であるという尊い存在。

 同じ珠織人でも、民にとっては天と地ほどの開きのある手の届かない遠い存在――だった。


「稀石姫であるというお覚悟を忘れられている今、皆は栞菫様を慕うだけでなく親しみを感じておるようだ」

「……なぁ、あんた一体俺になんの用があるんだ?」


 なぜ、言わば部外者である秋良にこのような話をするのか。

 泡雲は閉じられた瞳に柔らかな笑みを浮かべた。


「秋良殿に、栞菫様のことをお願いしたいのじゃ」

「は?」

「栞菫様は記憶と核を取り戻すため、同時に残された守護石を守るために巡礼の儀に向かわれることになる」

「……それについて行けって?」


 秋良は渋面をつくり泡雲から眼をそむけた。


珠織人(あんたら)の事情は俺には関係ない」


 はるかが栞菫として一族の命運を背負っている。いや、守護石が破壊され続ければ双月界の存続にも関わるのかもしれない。

 ならばなおさら、秋良にはそうなる前に果たさなくてはならないことがあるのだ。


 泡雲はゆっくりと首を横に振って言う。


「我らのために動いてくれということではない。栞菫様ではなく、はるか殿を支えてくれるだけでよい。それは秋良殿自身を救うことにもつながるであろう」

「どういう理屈だよ」


 愚にもつかぬというふうで笑い捨てる秋良を、泡雲はじっと見つめた。まぶたは閉じられたまま、視力もないはずの彼の『まなざし』に秋良は圧倒される。

 泡雲が静かに告げた。


「今まで、ずいぶんといろいろあったようじゃな。ひとりで生き抜くためにいろいろなことをしてきた。人の道を外れたこともな」

「わかったような口を利くな!」


 声を荒げ右手を横に薙ぎ、秋良は泡雲からの見えない圧を振り払った。

 驚いた民たちの視線が二人の方へ向く。はるかも秋良と泡雲の姿を見つけた。


 秋良はほんの一瞬だけそちらに向けた鳶色の瞳を返し、怒りのこもったそれで泡雲をにらむ。


「あんたには関係ない」


 声の調子を落として告げた秋良に、泡雲は静かに微笑んだ。


「その時々で出来得る限りの道を選び、歩んできたのであろう。だが、これだけは忘れずいて欲しい」


 途中で踵を返した秋良の背中を泡雲の言葉が追う。


「己の行動は必ず己に還ってくるもの。良かれ悪しかれ、な」


 秋良は歩みを止めることなく、来た道を足早に戻っていく。一人残された泡雲の横を、はるかが駆け抜けた。


「秋良ちゃん!」


 隣に並んだはるかの方を見向きもせず、秋良は林の中を足早に行く。はるかは民からもらった菓子を片手に、小走りに追いかけながら訴える。


「えっと私ね、守護石が壊されないようにしなきゃいけなくって。それで巡礼っていうのがあって」

「悪いがお断りだ。他を当たれ」

「ぇええぇぇっ!?」


 はるかは素っ頓狂な声を上げた。秋良は横目に見てあからさま嫌そうな顔で立ち止まる。


「菓子を口からぼろぼろこぼすなよ。食うか話すかどちらかにしろ」

「まっ、まだなにも言ってないのに……」

「俺がどうするかは俺が決める。お前とは行かない」

「秋良ちゃん――」

「できないことを無理強いするもんじゃないぞ、栞菫」


 突然入った横槍。声の主は白銀だった。



【彩渡り】珠織人の諜報隊秘伝の移動術。特殊な短刀で開いた彩波動流を道とし、別の場所へ瞬時に移動できる。彩玻動流が乱れると当然利用不可となる。


【珠織人の儀式】主に聖が執り行うもの。珠織の儀で年に一度結晶石から新たな珠織人を生み出す。生み出された子は託宣により決められた家の子となる。巡礼の儀は環姫から受け継いだ大事な儀式と伝えられている。事実、双月界を保つため守護石の維持は重要な意味を持つ。




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