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碌・囚われの侍女



 (すもも)は静かに吸い込んだ息を細いため息として唇からこぼした。これでもう百回目……くらいにはなるだろうか。


 この洞窟に囚われてからどのくらいの時が過ぎたのか。丸一日、いやそれ以上に長く感じているが、実際はもっと短い時間なのだろう。

 洞窟の上部にいくつか空いた穴から差し込む光は、おそらく陽光なのだろう。それが次第に強まっていき、今は橙色に()せてきている。


――目が覚めたのは朝。今は夕刻。おなかの空き具合からしても、一日も経っていないはずだ。


 あの時栞菫(かすみ)の部屋で、足元からせりあがった黒いものに囚われた。その時からここで目覚めるまでの記憶は一切ない。

 ただ、あの黒いなにかに包まれた瞬間に覚えた言いようのない恐怖。それだけが心に張りついて離れなかった。


――栞菫様。もし李が、栞菫様のお部屋まで良くないものを運んでしまったのだとしたら……。


 李は、そっと立ち上がった。白い砂に埋もれた地面が幸いして、足音はほとんど立たないのはわかっている。

 意識を取り戻してから、何度かこうして立ち上がっては座ってを繰り返していた。最初はこの場所や、妖魔が現れるかもしれないことに対する恐怖から動けずにいた。

 今は静かなまま経過していった時が李の恐怖と警戒を薄れさせている。


――あの横穴、外に通じているのかな?


 上部の穴から零細な音と共にこぼれ落ちる砂。白い砂に反射する光が洞内をほのかに照らしていたが、日没とともにそれは頼りないものになりつつある。

 完全に消えてしまう前にと、李は踏み出す。砂にまみれた岩壁に左手を触れながら。唯一横に伸びている洞穴内へと進む。


 大人数人がゆうに通れる幅と高さを有する洞穴内は暗く、李がいた場所の光もすぐに届かなくなる。岩肌に触れた手の感触と足裏に伝わる砂や岩の感覚。それだけを頼りに、左奥に湾曲する洞内を慎重に進む。

 進むにつれ、李は心臓の鼓動が大きくなっていくのを感じていた。


――もし、妖魔が現れたら……


 珠織人(たまおりびと)すべてが戦う術を備えているわけではない。もし遭遇してしまったら、李に抗う術はなかった。

 戻るべきか。だが、戻ったとしてそこが安全である保障もない。


――なにより、李が敵の手に落ちているのならばここを早く出なくちゃ!


 自らが栞菫の(かせ)にならないように。栞菫の安否を早く知るために。その想いが李の中の恐怖を退け、前へと進ませる。


 湾曲部を抜けて、前方が明るんでいるのが見えた。もしかしたら外へと続いているのかもしれない。

 高まる期待に自ずと歩調が速まる。時折砂に足をとられながら。壁面についた手を支えに進み、視界が開けた。


 李に柔らかな光が降り注ぐ。蒼月(あおのつき)の淡いそれに似た光。洞内に点在する蛍石(ほたるいし)によるものだった。

 そこは暁城(あかつきのしろ)地下にある結晶石の間と同等の大きさを誇る空間だ。中央に据えられた巨大な石柱に、李の薄桃色の瞳が大きく見開かれた。


「これは、もしかして守護石、なのでは……」


 意図せず小さなつぶやきがこぼれた。

 本物は一度も見たことがない。だが書物や話に見聞きしていた陽昇国(ひいづるくに)の守護石の様子と、この場所の様子が符合する。


 李のいる位置から石柱までは十間ほど離れているが、それでもわかるほどの巨大さ。地面から十尺ほどの高さで不自然に途切れている。

 おそらくは石柱の周囲で砂に埋もれるように転がっている大小の岩石が、かつては石柱の一部であったものなのだろう。

 彩玻動流(さいはどうりゅう)の要となる位置であるにも関わらず強い玻動が感じられないのは、この惨状が原因なのだ。


 李は力なくその場にへたり込んだ。

 破壊された守護石、というものが双月界すべてを巻き込んだあの戦を思い起こさせる。癒えぬ傷を負って城へ帰ってくる兵たち。帰らぬ家族を想い泣き崩れる民。(ひじり)である呉羽(くれは)の死と、栞菫の失踪――。


――そうだ。栞菫様のために、早くここを出なければ。

 

 勇気を振り絞って立ち上がり、李は出口を求めて視線を巡らせる。折れそうな心は自然と救いを求めてしまう。


――ああ、(みどり)様が李を救いにきてくださったら……


 守護石のさらに、湾曲した天井部には李がいた場所と同じく外に通じていると思われる穴から砂が一定の速度で落ち続けている。

 穴が切り取る日没の光に人物の影が浮かび上がった。その者はこの高さを迷うことなく飛び降りる。颯爽と身を翻して砂の上に着地すると、闇色の髪の間から黒緑玉の瞳がきらめく。


「翠様――!」

「助けにきた。もう大丈夫だ」


おい――


「李は、翠様がきてくださると信じていました」

「李……」


 おい、こら――


「だって、李は翠様のことが――」

「さっきからひとりでうるせぇよ、お前!」

「きゃわわわぁっ!」


 突然の第三者の声に李は甲高い悲鳴をあげる。


 声の主は半壊した守護石の上に座り込んでいた。伸ばしっぱなしの紅蓮の髪に金色の釣り眼の男。

 李は慌ててあたりを見回したが、翠の姿はあるはずもない。


 その様子を守護石の上から見下ろしながら、緋焔(ひえん)は鼻で笑う。


「主人が頭悪ければ侍女も侍女か」


 李は妄想が口から漏れ出でてしまっていた恥ずかしさと、栞菫を侮辱された怒りとで顔を真っ赤にして反論する。


「たかが侍女ひとりを連れてきたところで、暁城が動くと思っているのですか!?」

「あぁ?」


 じろり、と金色の瞳に貫かれ、李は一歩後ずさる。

 緋焔は立ち上がると守護石の断面から跳び下りた。緋焔は下駄履きの足をゆっくりと李の方へ進めながら、つまらなそうに言う。


「来るらしいぜ。あのじじい、やけに自信たっぷりだったからなぁ。あいつの言いなりになってるみてぇで、(しゃく)に障るが」


 たかが侍女ひとり。そう言ってみせたが、誰よりも李は知っている。あの方は、その侍女ひとりを見捨てるということができないのだ。

 近づく緋焔から離れたかった。しかし李の足はすくんで動かない。


「まぁいい。どっちにしろ――」


 足と言葉を止めた緋焔の瞳が鋭さを増す。足元に転がる拳大の石を下駄で真上に蹴りあげ、右手に掴むと横一線に薙ぐ。

 硬い金属音。砂の上に、弾かれた三本の飛苦無(とびくない)が転がる。


「来やがったな」


 緋焔は楽しさをにじませてつぶやく。背後――飛苦無の投射元とは逆方向から迫る斬撃を半身にかわす。

 李と緋焔の間に着地した白銀(しろがね)は休まず刀を振るう。それに押される形で離れていく緋焔を李は呆然と見つめていた。


「李ちゃん!」


 すぐそばで聞こえた声は、わずかな時間しか離れていなかったのに懐かしくすら感じられた。

 振り向き、間近に見える。

 暗くとも陽光のように輝く金糸の髪と、深い色合いながら透明感を併せ持つ紫水晶の瞳。侍女であるこの身を、家族のように案じてくれているのであろう真摯な表情でこちらを見つめる。

 敬愛する稀石姫(きせきのひめ)の姿がそこにあった。


 李の瞳から、ずっとこらえていた感情と涙がこぼれ落ちる。


「栞菫様……よかったぁ」


 栞菫が無事であったこと。再び会えたこと。助けにきてくれたこと。


「よかったですぅ」


 泣き崩れる李を、はるかは慌てて抱きとめた。




【十間】一間はおよそ二メートル。李が守護石を発見した位置から守護石までの距離は約二十メートル。


【十尺】一尺はおよそ三十センチ。守護石の割れたところまでの高さは約三メートル。


彩玻動流さいはどうりゅう】すべての生命の源、『マナ』とも言える彩玻動。それが流れる『地脈』のようなもの。双月界各地に置かれた守護石により正常な流れが保たれている。


ひじり】珠織人を治める、他国で言うところの『国王』にあたる位。先代の呉羽が戦死し、今は娘である栞菫が聖となっている。


飛苦無とびくない】秋良が愛用している飛道具。細身で両刃。よく指の間に挟んで投擲されるアレ。

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