弐・賞金稼ぎ
沙里の外れであり商店街の外れでもある、石壁と石壁に挟まれた裏路地。住人も寄り付かない細道の突き当りには小さな木戸がある。
軋んだ音を立てる木戸を開けた先には降り階段。階段の底から男の話声と灯りが漏れている。石段の終点を照らすのみのわずかな光であるにもかかわらず、秋良は真暗な石段を手灯りもなく降りていく。
二十段ばかり地下に降りた先にあるのは小さな酒場だ。横長い岩でできた卓台と、その前に五人分の簡素な木製椅子だけが用意されている。
左端の席に大柄な男が二人。話し声は彼らのものだった。
擦り切れた衣服。長旅を続けている流れ者だろうか。背中に大太刀を背負った男は片目を眼帯に包み、薙刀を手にした男は顔や腕に無数の古傷を持っている。
卓台の上にひとつだけ置かれた燭台に灯る炎が、音もなく近づいた秋良の顔を浮かび上がらせる。
その距離まで近づいたところで、二人の男が話をやめて振り返った。二人に比べれば華奢で小綺麗な秋良を、二人は不審そうに見やる。
見られた秋良の方は、その二人の鋭い視線を気にも留めず卓台に歩み寄った。
「店を間違えたのではないか?」
ぼそりと聞こえた声に、秋良は立ち止まる。すぐ前で座っている傷の男の眼光が秋良を射る。
眼帯の男は杯を傾け、秋良を見ずに言い放った。
「ここは子供が来るところではない」
並みの者ならすくみ上りそうな眼光をものともせず。秋良はつまらなそうに鼻を鳴らし、低い位置にある男の顔を見下ろした。
「相手の技量も量れないたぁ、その図体は見掛け倒しだな」
傷の男がぴくりと眉を動かし、眼帯の男は背中の太刀に手をかけ立ち上がった。七尺近くある大男は、侮蔑に対する怒りを宿して秋良を見下ろす。
頭ひとつほども上にあるその男の眼を、秋良はまっすぐに、澄ました表情のまま見返した。
「揉め事なら店の外でしてくれよ」
一触即発の空気を破ったのは台の奥から届いた初老の男の声だった。
現れた五十歳半ばを過ぎた恰幅のいい男が燭台の明かりに照らされる。丸い顔の中央に据えられた大きな鼻の上には小さな丸眼鏡、下には切りそろえた口髭。
酒場の主である彼は、新たに訪れた客を先客二人の向こう側に見つけて息を吐いた。
「なんだ、おまえさんか。もうやめてくれよ? うちの客を怪我させるのは……」
薄くなりつつある頭頂をなでながらぼやく店主に、秋良は眼帯の男から視線を外さぬまま事も無げに言う。
「先に因縁つけてきたのはこいつらだ。こっちに言いな」
眼帯の男も退く様子を見せない。
どうしたものかと溜息をつく店主を見かねたか、傷の男が片手で眼帯の男を制した。相棒が柄から手を放すのを見届けてから立ち上がり、改めて秋良に向き直る。
「先ほどの言葉は撤回させてもらおう。こちらの早合点だったようだな」
目礼し、連れの男に合図を送り階段に向かう。眼帯の男はもう一度秋良を睨み、傷の男に従った。
立ち去ろうとする二人に、店主は慌てて用意してきた小袋を掲げつつ声をかけた。
「さっきの情報の報酬は?」
「二銀だろう? いらんよ、迷惑料だ」
階段を上りかけた傷の男は、ふと足を止め秋良を振り返った。
「自分の腕を信じるのは大事だが、行き過ぎると過信になる。過信は時に命すら奪う。気をつけるといい」
返事を待たずに去る二人を、秋良は『余計なお世話だ』と雄弁に語る表情で見送る。
誰もいなくなり、店主が空の杯を片付けた卓台の上に左腕を載せて寄りかかると、右手の平を差し出した。
意図が分からぬ店主に、秋良は口の端を上げた。
「迷惑料。半分は俺がもらうべきだろ?」
「わかった、ほれ。お前さん相手に金の交渉はしたくないからな」
店主はあっさりと銀を一枚秋良に渡した。秋良を相手取って交渉しようものなら、余計な出費がついてしまう。
銀を受け取り懐にしまった秋良は、持参していた麻袋をどさりと台の上に乗せる。
店主の顔つきが仕事人のそれに変わった。
「換金か。どれ……」
受け取った麻袋のひもを解きながら奥の台へ移し、中に収められているものを検分する。
ややあって、店主は中身と袋の口を元の通りに戻すと台の下にしまう。
「確かに。相変わらず仕事が早いな」
卓台の横をすり抜けてこちら側へ来ると、壁に無数に貼られた張り紙のうちのひとつを剥がす。
張り紙の冒頭には大きく『紅蠍三兄弟』、末尾には赤文字で『一人二金』と書かれていた。
ここは賞金稼ぎたちの情報交換の場所であり換金所だ。壁に貼られたままの紙にも、名前と金額、人物の詳細が記されている。中には人相書きが添えられているものもあった。
酒場の店主である吉満は表通りで酒屋を営んでいるが、夜はこの場の管理を任されている。
「紅蠍だかなんだかは、被害者だけじゃあなく商人組合からも懸賞金が出てた。早く対処してくれってせっつかれてたから助かったよ」
吉満も含め、市場で商う者は商人組合に登録している。
組合は流通経路の管理の一環として野党の討伐を望む者――主に被害にあった当人や遺族、荷を奪われた商人から依頼金を受け取る。その金から野盗に賞金を懸け、それを倒した者に相応の金額を支払うのだ。
「懸賞金制が始まってからもう二年半か。お前さんが沙里に来たのもそのくらいだったな。あっという間に有名になったもんだ」
「名前だけはな」
秋良は皮肉めいたつぶやきをもらす。実際名前のみがひとり歩きしている。賞金首や賞金稼ぎの中に『運び屋の秋良』の実態を知る者は少ない。そのため先のふたり組のように外見で侮る者も多い。
そういえばそのふたり組。ここらでは見ない顔だった。
「さっきの奴ら大陸から来たんだろ」
「数日前に渡って来たって言ってたなぁ」
「収穫はなかったのか?」
問う秋良の瞳に鋭い光が宿る。それを吉満はものともせず受け止めた。
「お前さんが探している『明るい榛色の髪に青藍の瞳をした、細身長身の男』か? 残念ながらまだなにも」
吉満は秋良が男を探している理由を知らない。秋良は過去を語らないし、吉満も必要以上に詮索しない。
ただ、浅からぬ因縁があるのだろう。秋良は鳶色の瞳に鋭い光を宿したまま唇を噛んでいた。
「その辺にいるなら、親戚から情報が入って来そうなんだが。容姿からして、斎一民じゃあないかもしれんからなぁ」
吉満のその言葉に、秋良は小さく息をついた。
秋良や吉満も斎一民である。斎一民は圧倒的に黒か茶系の髪と瞳の者が多い。
この双月界には六つの種族がそれぞれの国に暮らしている。しかし百二十年ほど前、竜人族が起こした大きな戦により襲撃を受けた斎一民は国を失った。
流民となり各国に散った斎一民は、流れ着いた国々で土地や物資の救済を受けて村や街をつくり現在に至る。
「他種族の住む区域にいる可能性が高い、ということか」
「それか人里離れたところに隠れ住んでいるのかもな」
秋良の言葉を受けて、吉満はそうつけ加えた。
「この国もそうだが、斎一民と他種族間の交流はないに等しい。他種族の方は情報が入って来にくいが、まぁ期待せずに待っていてくれ」
言いながら吉満は卓台の奥から酒瓶を取ってきた。杯に淡い琥珀色の液体を注ぐと秋良の前に置く。
「大陸から美味いぶどう酒が入ってきた。これはおごりだ」
席には着かず、秋良は立ったまま杯を取って口元に寄せた。白ぶどうの甘味と酸味が程よく絡み合った香りが鼻腔をくすぐる。酒屋が美味いというだけあって上物の酒だ。
「へぇ。よくこんな辺境の島に入ってきたな」
本来の香り以外に悪意をもって含まれるものの臭いがないか確かめてしまうのは、身に染みついた習慣だった。
知ってか知らずか、吉満は気にした様子もない。丸眼鏡をずらし組合に出す完了報告書を記入しつつ答える。
「親戚が大陸にいるからな。そういやお前さんも大陸から……っと」
うっかり口を滑らせた吉満は秋良に睨まれ肩をすくめた。
書き終えた完了報告書に判を押して箱にしまう。蓋を閉める前に取り出した六金を卓の上に置き、秋良の方へ滑らせた。
秋良は待ってましたとばかりに杯を置いて金を取り上げ、一枚一枚確かめるように数える。
吉満はまだ口もつけられていないぶどう酒を見て思わず苦笑する。金を積んでも島では手に入りにくい貴重な酒よりも、秋良には金そのものの方が大事なようだ。
「そういや、運び屋の方は順調かね。あの娘はまだ相棒として頑張っとるのか?」
「相棒じゃない。居候だ」
吉満の『相棒』の言葉の後ろに被せて秋良が言う。
数え終えた金を懐にしまい、ようやくぶどう酒を口に含む。酒の濃度は強くなく果汁のように飲みやすい。
「相棒なんて呼べる仕事ぶりじゃあないが、自分の食いぶちくらい稼いでもらうのが筋だろ」
「働かざる者食うべからず、か。まぁそうだなぁ……」
「なんだよ」
「いいや」
吉満は口髭に隠れる程度の笑みを浮かべた。
出会ったばかりの秋良は、今以上に人を寄せ付けず誰も信用しないという空気をまとっていた。言うならば人には慣れない獣のような印象を当時の吉満は持ったものだ。
しかし、ここ最近の秋良は変わった。
はるかという娘を近くに置くようになってからではないか。吉満はそう思っているが、それは自身の心にだけ留めることにする。秋良が自身への干渉を嫌うことをよくわかっているからだ。
かわりに別の気になっていることを秋良に告げる。
「おまえさんひとりならともかく、最近砂漠はいい話を聞かないからな」
「砂漠がここ数年で急に広がってるってことか? ついでに妖魔も増えてるしな」
そして賞金首になるようなならず者も多く大陸から流れてきている。そこは秋良にとっては歓迎すべきことではあるが、次の吉満の言葉が秋良を驚かせた。
「暁城の連中を沙里や琥珀で見かけたっていう話だ」
「暁城の? 昔の戦……『魔竜の乱』に貢献した珠織人か」
陽昇国に本来暮らしている種族である珠織人の城は砂漠のずっと北にある。秋良も遠目に見たことがある程度で、城内に関する情報は未だにどこからも得られていない。
「どうせただの噂じゃあないのか。本当に城内にいるのかどうかだって、今となっちゃあ誰も確かめてないんだろ」
興味なさげに言って、秋良は杯をあおって空にした。そういったいわくのある話には、根も葉もない話が尾ひれをつけてひとり歩きするものだ。
しかし吉満は少し間をおいて「まぁ、いるにはいるんだろうが」と小さくこぼした。それを聞き逃さず秋良は身を乗り出した。
「なんか知ってるのかよ」
「……わしも実際に見たわけではないからな。そういった意味では『噂』ってとこか」
にごされた感じを受けないでもなかったが、秋良は追求せず卓を離れた。振り向きはせず吉満に念押しする。
「例の男の情報、忘れんなよ」
「わかってる。運びの仕事もあったら回すよ」
吉満の言葉を最後まで聞かないうちに秋良は階段へ去る。その背中を見て、吉満は思い出したように付け足した。
「琥珀の街に行ったら、息子によろしく言っといてくれよ」
秋良の背中はもう壁の向こうに消えており返事はない。足音もなく、ややしてから木戸が軋み閉じる音だけが吉満の耳に届いた。
【卓台】いわゆるカウンター。
【七尺】210cm。三国志で言うと関羽と同じくらいの身長。
【金・銀】双月界の通貨。日本円でいうと一金=一万円・一銀=千円くらい。