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伍・沙流砂漠へ 後



 琥珀(こはく)の街を東西に貫く中央通り沿い、東門近くにある宿『琥珀亭』。この宿の主、広満(ひろみち)は落ち着かない様子で、一階奥にある食堂を訪れた客を遠目にうかがっていた。

 食堂の端にある席には、常連である秋良とその連れであるはるか。加えて見かけない顔の男がいる。

 食事の注文があり、沙流(さる)砂漠へ発つまでの時間滞在すると秋良に言われている。それまでに、秋良に確認したいことがあるのだ。しかしその機会を見いだせず、というよりも気持ちを思いきることができずにいた。


 広満を完全に背にしている秋良はそうと知らず、黙々と並んだ料理を口に運んでいる。

 同じ円卓を囲むはるかと白銀(しろがね)は、これから敵が待ち受けている場所へ向かうとは思えないのどかな会話を繰り広げていた。


「にしても、あの地下での一喝は良かったなぁ」

「えっ、白銀聞いてたの?」

「心配で様子を見に行ったんだが……長老たちも驚いてたな」


 笑いをかみ殺す白銀に、はるかが頬を紅潮させて必死に告げる。


「あれはとにかく夢中で……侍従長のまねを……」

「ああ、なるほど。あの人の『よろしいですね』の二重押しにはかなわないもんな」


 決してこれからの任務と囚われの李のことを忘れているわけではない。

 もともと緊張感に欠け気味なはるかと、常に余裕を持つ主義の白銀だからこその会話であった。

 はるかも、白銀と会話しているにもかかわらず秋良と同等以上の量をたいらげていた。侍女たちの間で『お戻りになった栞菫(かすみ)様は食欲旺盛』という噂が立っているのは耳にしていたが、白銀の想像を上回る食べっぷりだ。


「昼食は済ませてきたんじゃあなかったのか?」

「それとこれとは別腹だよ」


 つらっと答えるはるかに、秋良は内心『どんな腹だよ』と毒づく。昼食を立て続けに採れるくらいだ。その別腹はよほど大きいか複数あるに違いない。


 ひとしきり食べ、秋良の手が止まったのを見計らって広満が太った身体を揺らして歩み寄り声をかける。


「あの、秋良さん……」

「あ?」


 振り向いた秋良の鋭い視線におののきつつも、広満は丸眼鏡の奥で懸命に愛想笑いを浮かべる。


「うちの叔父は、どうなりました?」


 広満はずっとこれが気にかかっていた。

 父、吉満(よしみち)の口添えで秋良に紹介した叔父から便りが届いていたのだ。それは『もしものことがあった時には今回の報酬を妻と娘に渡すように』などといった遺書めいた内容であった。


 一方の秋良は思い当たるまで少し時間がかかった。

 暁城に忍び込むときに使った港町・(うしお)の商人のことだ。確か名を磯満(いそみち)といったか。この琥珀亭の主人――ひいては沙里の情報屋とも同じ顔であったことだけは、はっきりと思い出した。


「どうもこうも潮に帰ったんじゃねぇの? これから仕事の話するから、こっち来んな」


 秋良は適当に返事を返し、同じ大きさごとに重ねた皿を次々と吉満に押し付ける。


「そんなぁ……仕事って、砂漠ですか? 今は砂嵐と妖魔が危険で渡るなんてとても……」


 両手を空いた皿でいっぱいにした吉満は秋良に睨まれ、慌てて踵を返す。皿を落とすまいとふらつきながら去って行くのを見送りもせず、秋良は懐から折りたたんだ紙を取り出す。

 卓の上、皿が片付いた場所に広げたそれは、南北に沙里(さり)と琥珀を配した沙流砂漠の地図だった。


「妖魔がいようが砂嵐が起きてようが関係ねぇ。俺はお前らを指定の場所まで運ぶだけだ。どこまで行けばいい?」


 秋良は地図の上に両手をついて白銀とはるかを見た。

 暁城の地下ではるかは言った。秋良に守護石の元まで案内してもらう、と。

 これは紛れもなく、運び屋としての仕事なのだ。


 白銀は、秋良が卓上に広げた沙流砂漠周辺地図の一点を指した。


「守護石が置かれた祭壇がある洞窟は、この位置だ」


 島の中腹に西端から東端まで広がる沙流砂漠。沙里や琥珀のある西側は、南北の幅が三里から六里ほど。東に行くにつれて砂漠は大きくなり、砂漠全体からして三割ほどの面積を占めているその場所は、西側の一角以外の全方位を岩山に囲まれている。

 白銀の指は、岩山が描く円の東端に置かれていた。


 地図をのぞきこんでいたはるかは、同じく地図を見ている秋良に視線を向けた。

 秋良は眉根を寄せて、地図上から白銀へ視線を転じる。


「ここは『竜巻の巣』って呼ばれてるくらい、年中激しい砂嵐が巻き荒れてる。入れば風に呑まれちまうぜ」

「それは守護石を守る結界のひとつでもあったのだが……岩山の中に凝縮されていた砂嵐は彩玻動流の乱れにより砂漠全体に流出している。今なら立ち入ることも可能だろう」


 狭い岩場を吹き荒れていた嵐の力は分散されている。洞窟まで行くのは困難を伴うが不可能ではない。現に、諜報隊が先行して洞窟の手前までは偵察してきているのだ。


 秋良は限られた候補の中から、目的地までの道のりを頭の中で組み立てる。


「砂漠に入ってすぐ、東へ向かう。北側に現れる岩山のふもとには岩石群がある。この中を抜ければある程度は風もしのげる。岩石群はここまで続いているしな」


 説明に合わせて、浅褐色の秋良の指が地図上の琥珀から移動する。北の岩山に沿って東へ向かい『竜巻の巣』の入口で止まった。

 すぐに指を離し、秋良は椅子の背もたれに寄りかかると腕を組んだ。


「妖魔も嵐をよけて集まっている可能性はあるが、妖魔蹴散らしていく方が砂嵐に吹かれるよりはいいだろ。『竜巻の巣』より先は現地に着いてからだ。入口までしか行ったことないからな」

「ええっ! 秋良ちゃん、そんなところまで行ったことあるの?」

「当たり前だ。砂漠で仕事するってのに、下調べもなしにやるわけないだろ」


 事に当たる前には対象を可能な限り調べつくす。その上で起こり得る障害や脅威を排除、または回避したうえで仕事を行う。

 好きで学んだものではないが、生きていくために役には立ってくれている。

 秋良は地図をたたんで懐にしまいながら白銀を見た。


「というわけだが、異存はないな」


『ないか』と問うのではなく『ないな』と言い切った秋良に、白銀は口端を上げて見せた。


「砂漠のことは俺よりも詳しいだろう。仰せのままに」


 諜報隊からもその経路を推奨するよう報告があがっていた。

 双刀の腕や身のこなし、状況に応じた判断といい、この斎一民(さいいつのたみ)の娘は並ならぬ実力を持っているようだ。

 推し量るような白銀の視線に気づき、秋良の鋭い視線が返る。


「なんだよ」

「あまり眉間にしわをよせるなよ。美人なのにもったいない」


 真剣な表情でさらりと告げる白銀に秋良は息を吸い込んだが、反論の言葉はそのまま呑みこんだ。代わりに地図と入れ替わりに出した袋から出したものを卓の隅に手のひらごと叩きつける。


「なら、話は終わりだ。どうせそっちでも経路やなんかは調べがついているんだろ」

「ご明察。洞内に入るまでの妖魔討伐に当たらせてもらう」

「待って、秋良ちゃん。どこ行くの?」


 はるかがくぐもった声で言い、焼いた鶏の足を両手で持って食らいついていた顔を上げる。出発するにはまだ陽が高いはずだ。


「街に出てくる」

「秋良ちゃん、待ってよぅ」


 はるかも慌てて立ち上がる。卓を離れる時に籠の中から砂梨をひとつ懐に入れるのも忘れない。

 置いて行かれないようにと、秋良の後姿に追いついて取りすがる。


「私も一緒に行く!」

「うるさい、まとわりつくな。おい、油がついたままの手で触るな! いいからあいつとここで残った飯食ってろ!」


 追い返されてしょんぼりと卓に戻ってくる白銀の口元に思わず笑みが浮かぶ。

 こんなに感情豊かにはつらつとする栞菫を見るのは、幼少の頃ですら極めて稀だった。

 記憶を失い、最初に彼女を見つけたのが別の者であったなら。珠織人の元に栞菫が返ってくることがなかった未来もあっただろう。

 白銀が視線を落とした先には、秋良が卓上に叩きつけていった料金きっかりの食事代が残されていた。



【侍従長】暁城内の従者・侍女をまとめる官職。現在の侍従長は侍女長をしていた女性。規律に厳しいのは皆への心遣いによるものであり、恐れられてもいるが同時に慕われてもいる。侍女長時代に最後に採用した李のことは特に心配で気にかけている。


【磯道の遺書】秋良の脅……依頼により暁城へ関係者以外を潜入させることとなった磯道。事が公になり暁城から処罰を受けることになるのではと危惧し、秋良と共に城へ向かう道すがらすれ違った商人仲間に手紙を託していた。それは杞憂に終わり無事に帰宅を果たしている。


【二里半から六里】沙流砂漠の南北の長さ。六里はおよそ24km。一番間隔の狭い二里半ほど(約8.5~9km)のところは西側で、南北に沙里と琥珀という街がある。秋良が運び屋として往復しているのもここ。

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