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弐・焔禍 前



 秋良は立ち並ぶ木々の枝から枝を跳び渡り移動する。

 警戒の声が聞こえてくる方向から冷静に進路を判断しつつ、一方で胸の奥には抑えきれない苛立ちがくすぶっていた。

 原因は先程のはるかとの会話だ。もっと言うならば、それに対して抱いている自らの感情である。


 ――わかってたんだろ? 自分でも――


 わかっていたはずだった。

 期待すれば、裏切られる。


 ――だから今まで――


 己の思考に驚き、秋良は思わず樹上で足を止めた。


 期待だって? 俺が、あいつに?


 ――あの日から今まで、誰も信じてこなかったのに――


 ほんのかすかな空を切る音。

 聞き逃さずに秋良は跳んだ。


 足場にしていた枝が根元から分断される。決して細いとは言えないそれが綺麗な切り口を幹に残して落ちていく。

 秋良は空中で身をよじり体勢を整える。着地するその間も隙を見せず。

 いつでも動けるよう腰を落とし、つま先に重心を置いた体勢をとる。


「俺が見つけた以上、城からは出られんぞ」


 そう言って、秋良の前に立ちふさがった。

 赤い紋を胸に掲げた白い胸当てを身に着け、右手に抜き身の長刀を提げた銀髪の青年だ。

 身のこなしで手練とわかる相手を前に、秋良は不敵な笑みを浮かべる。


「そう簡単には捕まえられないぜ」


 腰の双刀を逆手に抜く秋良。

 ふたりの距離は二間半程。

 男も長刀を両の手で握ると、侵入者を見据えたまま下段に構え斜に引いた。その青味を帯びた銀色の瞳がわずかに細められる。


陽昇国(ひいずるくに)近衛隊長、白銀(しろがね)。参る」


 わずかな間を置き、白銀は踏み込んだ。


 ――速い!


 秋良が予想していた以上の速度で眼前まで迫る。左足元から右肩へ振り上げられる一撃。

 左の小曲刀で受け、すぐに身体をひねって上に流す。右足の踏み込んだ反動をそのまま生かし右の刀を横に薙ぎつける。

 上体を逸らして避けた白銀が返す刀を振り下ろした時。

 すでに秋良は再び間合いを取っていた。


「へぇ。なかなかやるな」


 白銀が感心した様子で呟く。

 秋良は内心舌打ちした。

 斬撃を受け流した左手がまだしびれている。しかもあの速さ。この場を退いたとして振り切ることができるだろうか。


斎一民(さいいつのたみ)か。女ながら良い腕だ」

「――っ!」


 ひと目で女と見抜かれたことは今までなかった。

 怒りにも似た感情が沸き起こり、とっさに手のしびれも忘れ地面を蹴った。

 一瞬で間合いを詰める。


 矢継ぎ早に繰り出される双刀に白銀は防戦に徹していた。  

 秋良は防壁を崩すべく、上半身のひねりを乗せ右肩から二本同時に振り下ろす。

 それを狙って白銀が動く。二重の衝撃を刀で受け止め小曲刀ごと秋良を押し飛ばす。

 秋良は同時に自ら後方へ跳ぶ。うまく勢いをそぎ、さほど均衡を崩さず着地した。


「ひとつ聞きたい」


 白銀の言葉に、秋良は踏み込もうとしていた足を止めた。


「北門の兵ふたりを殺したのはお前か」


 秋良の脳裏に、門を抜けた際に見た二人組の門番が浮かんだ。

 殺されたのか……誰に? 自分のほかにも侵入者がいる、ということか。


「傷口は小さく心臓を、しかも核をひと突きに貫かれていた。灼いた火箸一本を突き立てたような傷だ」


 なるほど、と秋良は胸の内でつぶやく。

 そのやり方ならこの武器にはそぐわない。別の武器を使ったか、他の誰かが殺したか。

 核、という言葉が気にはなるが――。


「俺じゃあない、と言ったところで信じるのか?」


 秋良が言う。

 真意を探るべく鋭い視線をこちらに向けている白銀。


 秋良はその動きを逃さず捉えんと注視しながら。同時に広く視界を保ち周囲の様子を窺う。


「聞かれて『はいそうです』と手の内を明かす奴がいるかよ」


 口の端を笑いの形にゆがめて嘲る。

 その間も思考を目まぐるしく回転させる。こいつを振り切り城外へ出る。ここからどう動くべきか。


「ならば捕らえてから聞かせてもらうとしよう」


 白銀が低く言い長刀の柄を握り直した。周囲を取り巻く空気が、変わる。

 秋良は両の小曲刀のうち左手を前に構え、膝をためて重心を落とす。


 完全に陽は落ち黒い影となった木々の枝が風に揺れている。

 風が――止んだ。

 ふたりは同時に地を蹴った。






 ひとり残されたはるかは窓から身を引いた。秋良はもう近くにいないだろう。

 窓の外のみならず城内でも、部屋の扉越しに慌ただしい足音と声が聞こえ始めた。


 振り向いた寝台の上には、瑠璃色のさざめきを閉じ込めた石がひとつ。

 秋良が残していったそれを、そっと手に取る。細い銀細工の螺旋がふたつ絡み合う中に包まれた、大切な石。

 両手で胸元に握りしめると、冷たいはずの石から伝わってくるあたたかい力……懐かしいその感覚は、間違いなく手元に戻ってきたのだ。


 はるかは秋良の言葉を思い出す。


 取りに来いって言った……それは、いつの話なのだろう。


「もしかして、これを届けに?」


 追わなくちゃ!


 反射的に窓へ飛びつき枠に足を駆けようとしたその時、叩かれた扉は返事を待たずに勢いよく開かれた。


栞菫(かすみ)様、ご無事ですか!?」


 部屋に駆けこんできたのは(すもも)だった。窓際に立つ主の姿を見ると、脱力して微笑んだ。


「よかったぁ。なんだか変な人がお城に入ってきたって聞いて、もう心配で心配で」


 振り向いて両開きの扉を閉め、鍵をかける。


「長老様たちが、ここから動かないようにとおっしゃってましたよ~。……どうかなさいました?」


 再び部屋の中へ向き直った李は不思議そうに首をかしげた。はるかが眼を細め眉根を寄せて李を見ていたからだ。


「う……んと……? あっ!」


 弾かれたように、はるかは李へ駆け寄る。

 李が入って来た時から感じていた違和感。その正体に気が付くのが、少し遅かった。


 驚きに薄桃色の瞳を見開いた李の身体と、はるかの伸ばされた手の間を黒が遮る。


「きゃあっ、栞菫さ――」


 李の足元――床に伸びた彼女の影から渦を巻いて立ち昇る黒。李の全身は悲鳴もろとも呑みこまれた。

 渦から感じる、その色以上に黒く濃い邪気。


 この気配、琥珀(こはく)で戦った時の――


 はるかの脳裏にあの老人の姿がよぎる。

 黒い影はすぐに床に沈み、消えきらぬ黒渦の中から紅蓮の火柱が立ち上る。


 熱気が皮膚を焦がすより早く、はるかは後方に跳び退り距離を取っていた。


「記憶がないって聞いてるが、その割には勘がいいんじゃあねぇか?」


 どこか楽しむような色をにじませた男の声は火柱の中から聞こえた。

 はるかが一瞬前までいた位置をも巻き込んでいた火柱はかき消え、李がいたはずの位置に在るのは見知らぬ男だった。


 六尺ほどの身長を黒い衣服に包み、袖のない上衣は縁がほころびている。そこから伸びる鍛え上げられた両腕。

 無造作に伸ばされたままの髪は炎のように鮮やかな赤い色をしている。


「誰、なの?」


 はるかは警戒しつつ、男に問う。

 吊り上がった金色の眼が悪意を持って向けられる。


「その声、その眼――忘れもしねぇ。まさに環姫(たまきひめ)そのものだな。反吐(へど)が出るぜ」


 男は吐き捨てるように言った。

 目の前の男の言葉、表情、まとった空気――それらは全て、ある感情を源にしていることが明白に伝わってくる。


 嫌悪と憎悪――。


 あまりにも強い負の感情を受けて、はるかは息が詰まる。手の中にある瑠璃色の石を強く握り締め、負けじと視線を受け止めて言う。


「李ちゃんを、どうしたの!?」

「ああ? さっきの女か? さあなぁ。じじいもいなくなってるし、どっか連れてったんじゃあねぇの?」


 全く興味ないといった声色で言い、


「俺は回りくどいことは嫌いだからな。手っ取り早く片付けるとするか」


 男は首を左右に振って鳴らしながら、その右手をはるかに向けて伸ばした。



【白銀の洞察力】秋良の種族を言い当てたのは、彩玻動を読んだことによるもの。

 珠織人の中でも能力の高い者は彩玻動のあり方で相手の種族くらいは察することが可能だが、それでは性別までは判定できない。

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